ペリーはどうやって日本に来たのか2016-06-11

2016-06-11 當山日出夫
2016-07-01 追記 このブログのつづきとして、中公新書『ペリー来航』について書いてある。

やまもも書斎記 2016年6月30日
西川武臣『ペリー来航』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121187


1853年、黒船来航、アメリカのペリーが黒船で日本にやってきて、開国をせまった……こんなことは、中学・高校の歴史の常識だろう。

これは、ウソではない。しかし、これだけでは、不十分だと思う。そのいくつかを書いてみたい。

まず、ペリーはどのようなルートで日本にやってきたのか、である。

私は、(正直に言って近年まで)太平洋をわたってやって来たのだと思っていた。だが、そうではないのである。

それを知ったのは、大江志乃夫の本による。今、手元にないのだが、たぶん次の本。

大江志乃夫.『ペリー艦隊大航海記』(朝日文庫).朝日新聞社.2000
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=3595

それから、このことは、松本健一の本を最近になって読んで確認した。

松本健一.『日本の近代1-開国・維新- 1853~1871』(中公文庫).中央公論新社.2012(原著は、1998.中央公論社)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2012/06/205661.html

ペリーは、太平洋をわたってやって来たのではない。アメリカ東海岸から、大西洋をわたり、喜望峰をまわり、インド洋に出て、東南アジアを経て、日本にやって来ている。

そして、これも重要なことだと思う。しかし、普通の日本史の教科書には書いてないであろうこと。それは、日本に来る前に、琉球に立ち寄っていることである。言うまでもなく、明治になるまで、琉球は、日本とは別の、(一応は)独立した王国であったのである。そこにも、ペリーは行っている。

このことは、どうして、教科書に書いてなかったのであろうか。(ただ、私が不勉強だったせいか。)

私がこのように思うのは、何故、アメリカが最初に日本にやってきて開国をせまったのか、その歴史的経緯にかかわると思うからである。アメリカの意図と、その当時の国際情勢である。

アヘン戦争で、中国を侵略していたイギリスではなく、アメリカが最初であった理由は、いったい何なのだろうか。順当に考えれば、イギリスがインド・中国につづいて帝国主義的に侵略する最初であってもおかしくない。

以下、私見である。なぜアメリカであったかは今後に考える別の問題として、太平洋をわたってきたというイメージについて。

たぶん、日本とアメリカは、太平洋をはさんで、かつては敵国として戦争をした国であり、また、戦後は同盟国である、ということの無意識のうちの思い込みのせいかもしれない。日本とアメリカは、太平洋をはさんだ隣国なのであるという意識である。日本とアメリカが戦った戦争を、太平洋戦争と、戦後になって称するようになっている。

それから、おそらくは、咸臨丸のこともあるのかと思う。確かに、咸臨丸は太平洋を横断している。だから、日本からアメリカに行くのは(逆にアメリカから日本にくるのも)、太平洋を船でわたるのが当然であると思ってしまう。

ペリーがどのルートで日本にやって来たのか……これは、「日本史」の知識としては、どうでもいいことなのだろうか。私には、そうは思えない。近代日本の歴史を考えるうえで、19世紀、日本がどんな国際情勢のなかにあったのかを見るためには、欠かせない視点だと、私は考える。

JADS(2016)年次大会2016-06-11

2016-06-11 當山日出夫

今日は、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の年次大会
2016年6月11日・12日
奈良国立博物館 講堂

http://d.hatena.ne.jp/JADS/20160318/1458261422