蒼ざめた思想「無常ということ」2016-06-06

2016-06-06 當山日出夫

「過去から未来に向って飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれが現代に於ける最大の妄想と思われるが)」

なつかしいことばである。ひさしぶりに読んだ。

小林秀雄「無常ということ」
千葉俊二・長谷川郁夫・宗像和重(編).『日本近代随筆選1-出会いの時-』(岩波文庫).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/book/b243810.html

「無常ということ」……この文章は、私の高校生のころの国語の定番教材であった。私も、まず、国語の教科書で読んだ記憶がある。そして、その後、小林秀雄の本を文庫本などで読むようになって、何度か読んだ記憶がある。

それが、こんど岩波文庫で『日本近代随筆選』全三巻、の中の一つに収録されている。(現時点は、刊行は二巻まで。)

「なつかしい」と書いた。だが、今になって読み直してみると、昔、高校生のころによくこんな難解・晦渋な文章を読んでいたものだと思う。そうはいっても、小林秀雄の他の作品にくらべれば、まだこれはやさしい方かもしれないが。

そして、読みかえして感じること……「美しい日本語」という、ありきたりの感想である。いや、言語研究者のはしくれとしては、美しい日本語などと言ったりしてはいけないのかもしれない。しかし、この小林秀雄の文章、それから、この『日本近代随筆選』に収められたいくつかの文章をひろい読みすると、そのような感想を抱かずにはいられない。

WEBなどで、日常的に膨大な文章(日本語)を見ていながら、それを「美しい」と感じる感性を、どこかに置き忘れてしまっている自分が、なさけなく思えてくる。

『歴史とは何か』(E・H・カー)など読んで、歴史とはなんであるか……思いをめぐらすのもいいが、時には、歴史に対する感性のようなものを思い起こす必要がある。

「僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出すことが出来ないからではあるまいか。」(pp.255-256)

追記 2017-06-05
岩波書店へのリンクを訂正。

エディタで文章を書く:現代の筆墨として2016-06-06

2016-06-06 當山日出夫

私は文章を書くのは、エディタである。ワープロ(一太郎やWord)の文章を書くときでも、まず、エディタで書いて、それをコピーするのが基本。ただ、図表とかはいったものの場合には、直接ワープロ編集画面で書くこともあるが、それは例外に属する。特に、自分でものを考えながら文書を書く、あるいは、書きながらものを考えていきたいような時には、エディタになる。

何故だろう。

第一には、エディタの編集画面の方がシンプルで、余計なこと……文字(フォントを何をつかうとか、そのサイズをどうするとか)、文書の修飾的な要素(タイトルをセンタリングするとか)、いちいち気にしなくていい。ただ、文字を入力するだけである。

第二には、この裏返しであるが、ワープロを使わない理由としては、編集機能が多すぎて、文章を書くのにかえって邪魔になる、ということがある。

しかし、エディタで困ることが無いではない。禁則処理をしてくれないことである。禁則処理というのは、行頭や行末にくる、「 や 、 。 など、適当に次の行におくったりする機能のこと。

これは、ある意味でシンプルに文章を書くときには、あえて気にしないということで割り切ってしまえば、それでいいのかもしれない。私も、そのような気持ちで文章を書いているときもある。

ところで、電子メールの文章はどうだろうか。

これには、流儀が二つ(あるいは三つ)あるようだ。

第一には、改行から改行まで連続した文字列にする。メールソフトの閲覧画面で、ウィンドウの右端で文字が折り返されるまでを一行になるように書く。言い換えるならば、余計な改行をいれないという主義。

第二には、読みやすいようにという配慮からか、だいたい30字ぐらいのところで改行をいれて書くという方式。この方式で書くひとも多い。見た目の印象としては、文章の右端がデコボコした感じになってしまう。

第三には、(これが私の採用している方式)エディタで、70字(全角文字なら35字)の設定にしておいて、書く。この時、禁則処理をしてくれるエディタを使う。具体的には、私の場合であれば、WZEditor(Ver.9)である。

このエディタ、便利な機能として、「テキストを改行付きテキストに」変換してくれる。つまり、画面の見た目どおりに、右端に自動的に改行を挿入した文書に整形してくれるのである。

これをコピーして、メールソフト(Outlookなど)の編集画面に持って行く。

70字(35字)で改行するというのは、昔のパソコンの時代からの習慣のようなものでもある。昔のパソコン(PC-9801)は、画面の一行が40字の表示機能であった。したがって、35字程度で書くと、ちょうど、読みやすく画面におさまる。

また、経験的にも、30字ぐらいで改行されるのが、読みやすいし、書きやすい。あまりに一行が長いのも、短いのも、判読しづらい。

ところで、今、この文章を何で書いているかというと、WZWriteで書いている。まあ、エディタに、ちょっとワープロ的要素をとりこんで編集できるようにしたものと考えておけばいいか。でも、私は、エディタとしてしか利用していない。

画面の設定はいたってシンプルにしている。濃紺の背景色に、黄色の文字(MSゴシック)という設定である。こんな画面の設定でつかっているというのも、昔からのパソコンのイメージがあるせいかもしれない。

私の記憶でいえば、ワープロの編集画面が、白い背景に黒い文字……紙にプリントしたのに近い……になったのは、一太郎(ジャストシステム)あたりからではなかったかと思う。松(管理工学研究所)などは、逆に、黒っぽい画面に、たしか黄色の文字であったように記憶している。

エディタやワープロを何を使うか、どのような設定で使うか、また、日本語入力は、どのシステムを使うか(私は昔からATOKである)、など。さらには、ディスプレイの機種(私はナナオいや今ではEIZO)、キーボードの選択(私は東プレ)、など、これは、現代における、筆墨論議なのかもしれないと思っている。

しかし、エディタでも、ワープロの編集画面でも、実際に紙にプリントアウトすると違ってくる。また、同じテキストであっても、見る環境(どのようなエディタで、どのようなフォントの設定で見るか)によっても、違ってくる。このことは、以前に、どこかに書いたことでもある。現代のテキスト論、文字論の課題でもある。

追記
70桁(半角70字)だと、35字(全角)になる。まちがっていたので、訂正。まあ、だいたい30~35字ぐらいが、書きやすい。

アーカイブサミット20162016-06-06

2016-06-06 當山日出夫

アーカイブサミット2016のパワーポイントのスライドが、WEBで見られるようになっている。これは、生貝直人のもの。

めざすべきナショナルデジタルアーカイブの機能イメージ全体像
http://ikegai.jp/AS2016.pdf

記録のため、ここにも記しておくことにする。