アナザーストーリーズ「SHIBUYA文化革命 渋谷が若者の街になった」2024-04-09

2024年4月9日 當山日出夫

アナザーストーリーズ SHIBUYA文化革命 渋谷が若者の街になった

一九七〇年代の半ばから、東京に住んでいた。一〇年以上になる。慶應義塾大学の学生であったから、当然のごとく渋谷の街には行った。

私が学生になったとき、すでにPARCOはあった。だが、そこで買物をしたというような経験はない。公園通りという名称は、すでにその名前であったと思うが、特にそれと意識して歩いたということはない。

私が東京にいたころの渋谷は、たしかにファッションの最先端の街であったかと思う。いや、そのころだと、一つ隣の原宿の方が有名だったかとも思うが。

渋谷にあった書店……紀伊國屋、旭屋、大盛堂……など、よく行ったものだが、今ではもう昔の面影はない。

109のビルが出来たときのことは記憶にある。しかし、そのビルに入ったことはない。むしろ、その隣にあった小さな居酒屋が、印象に残っている。頑として土地を売らなかったのだろう、ビルの隣でボロになった建物で営業を続けていた。そのころの私としては、109のビルを建てた東急よりも、その居酒屋の方をこころよく思ったものである。まあ、天邪鬼だったのである。

大学の学部の学生のころから、山田忠雄先生のところで勉強した。その研究室が渋谷にあった。基本的に隔週で夜に研究会があった。そこへ行く途中、ストリップ劇場の前を通る。どこか猥雑さを残した街でもあった。

渋谷という街を、若者文化の街と意識して歩いたことはない。番組で言っていた、ギャルの街になったころには、東京を離れてしまっていたこともある。

もう東京に行くことにそれほどないと思う。渋谷に行ってもたぶん道に迷うだけであろう。特に行ってみたいというところでもなくなっている。雑然とした猥雑さのある、サラリーマンと学生の街という渋谷は、もう過去のものになってしまったのであろう。

ただ、番組であつかっていたPARCOを中心とした西武文化というべきものは、時代の大きな流れのなかにあって、価値のあるものであったことになる。その時代の空気というものは、なんとなく憶えている。

2024年4月5日記

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