ETV特集「昭和天皇 終戦への道〜外相手帳が語る国際情報戦〜」 ― 2025-08-19
2025年8月19日 當山日出夫
ETV特集 昭和天皇 終戦への道〜外相手帳が語る国際情報戦〜
東郷茂徳の残した手帳が見つかったということである。新しい史料が見つかることによって、これまで語られてきた歴史が、より詳細なところが分かるようになる。これは確かなことなのだが、しかし、大きな歴史の流れをどう見るか……このごろのはやりのことばでいえば、どのような物語としてうけとめるのか……については、そう大きく根本的に変わるということではない、と思える。
番組で言っていたことで一番興味深かったのは、8月9日、つまり、長崎に原爆が投下され、そして、ソ連が満州に侵攻してしてきたときであるが、この日に、東郷茂徳が天皇に拝謁していない、ということである。これも、総合的に、これまでの歴史上の出来事において、天皇が誰と会ってどのような話しを聞いていたか、話しをしたか、ということを考えるべきであるが、8月9日の天皇の行動は、はたしてどう見ることができるだろうか。
加藤陽子が言っていたことだが、インテリジェンスについて、日本は情報収集の点では決して劣っていたわけではない、それが、集約されて分析されて政策に反映されなかっただけだった……ということだったが、しかし、これこそ、インテリジェンスの致命的欠陥であったというべきだろう。世界の外交官やスパイなどから、情報を集めてくるぐらいは当たり前であって、それが、本国(日本)でどう活用されたか、ということこそ、インテリジェンスの本質であるべきである。こういう言い方は、インテリジェンスとは何かということが、根本的に分かっているのかと思うことになる。
もちろん、大東亜戦争、太平洋戦争の時代、日本において、政府、陸海軍(その内部においても)、意思疎通がバラバラで、政府として統一的な、戦争や外交の方針がとれないでいた、ということは、かなり以前から言われていることである。早くは東京裁判のときから。外務大臣であった東郷茂徳のもとに集まった世界の情報は、はたして、この時代の政治の指導者たちの間で、共有され、分析され、政策(戦争をどうすすめるか、やめるか)ということに活かされたのかどうか、ということが、重要なことである。それを、天皇が耳にしていたとしても、この時代の統治のシステムとしては、天皇の独裁でことがすすむということではなかった。このことは、いわゆる天皇の戦争責任とからんで、微妙な問題ではある。
素朴な疑問として思っていることだが、ポツダム宣言は、三カ国の名前で出され、そこにソ連が入っていなかった、これはそのとおりなのだろう。だが、終戦の日の玉音放送において、天皇は、米英支蘇、と言っている。ここでは、ソ連が加わっている。こうなった経緯は、どういうことなのだろうか。
それから、この手の番組を見ていつも思うことなのだが、中国のことについてふれない。この時代、中国は、誰が国の代表であり、どういう国家であったのか……日本が戦争をしていた相手がどういう状態であったのか、ほとんどふれられることがない。蒋介石とすべきか、毛沢東とすべきか、ここは、歴史の記述において、場合によっては国際問題になりかねない部分かもしれない。ある意味では、靖国神社などよりはるかにやっかいなことかとも思う。結果的には、国連に加わったのは、中華民国(台湾)であったが、それが、中華人民共和国(今の、共産党の中国)に代わってということもある。(その他のこととしては、フランスが、ヴィシー政権など無かったような顔をして、戦勝国の側にたったこともある。)
ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、ルーズベルト、トルーマン、チャーチル、などとならんで、毛沢東や蒋介石の名前を並べるのは、難しいことかもしれない。ここに昭和天皇の名前がならぶのも、(日本人としては)違和感がある。東條英機についてもそうである。このあたりの整理をどうするかというのが、まさに歴史の物語ということかとは思う。
2025年8月17日記
ETV特集 昭和天皇 終戦への道〜外相手帳が語る国際情報戦〜
東郷茂徳の残した手帳が見つかったということである。新しい史料が見つかることによって、これまで語られてきた歴史が、より詳細なところが分かるようになる。これは確かなことなのだが、しかし、大きな歴史の流れをどう見るか……このごろのはやりのことばでいえば、どのような物語としてうけとめるのか……については、そう大きく根本的に変わるということではない、と思える。
番組で言っていたことで一番興味深かったのは、8月9日、つまり、長崎に原爆が投下され、そして、ソ連が満州に侵攻してしてきたときであるが、この日に、東郷茂徳が天皇に拝謁していない、ということである。これも、総合的に、これまでの歴史上の出来事において、天皇が誰と会ってどのような話しを聞いていたか、話しをしたか、ということを考えるべきであるが、8月9日の天皇の行動は、はたしてどう見ることができるだろうか。
加藤陽子が言っていたことだが、インテリジェンスについて、日本は情報収集の点では決して劣っていたわけではない、それが、集約されて分析されて政策に反映されなかっただけだった……ということだったが、しかし、これこそ、インテリジェンスの致命的欠陥であったというべきだろう。世界の外交官やスパイなどから、情報を集めてくるぐらいは当たり前であって、それが、本国(日本)でどう活用されたか、ということこそ、インテリジェンスの本質であるべきである。こういう言い方は、インテリジェンスとは何かということが、根本的に分かっているのかと思うことになる。
もちろん、大東亜戦争、太平洋戦争の時代、日本において、政府、陸海軍(その内部においても)、意思疎通がバラバラで、政府として統一的な、戦争や外交の方針がとれないでいた、ということは、かなり以前から言われていることである。早くは東京裁判のときから。外務大臣であった東郷茂徳のもとに集まった世界の情報は、はたして、この時代の政治の指導者たちの間で、共有され、分析され、政策(戦争をどうすすめるか、やめるか)ということに活かされたのかどうか、ということが、重要なことである。それを、天皇が耳にしていたとしても、この時代の統治のシステムとしては、天皇の独裁でことがすすむということではなかった。このことは、いわゆる天皇の戦争責任とからんで、微妙な問題ではある。
素朴な疑問として思っていることだが、ポツダム宣言は、三カ国の名前で出され、そこにソ連が入っていなかった、これはそのとおりなのだろう。だが、終戦の日の玉音放送において、天皇は、米英支蘇、と言っている。ここでは、ソ連が加わっている。こうなった経緯は、どういうことなのだろうか。
それから、この手の番組を見ていつも思うことなのだが、中国のことについてふれない。この時代、中国は、誰が国の代表であり、どういう国家であったのか……日本が戦争をしていた相手がどういう状態であったのか、ほとんどふれられることがない。蒋介石とすべきか、毛沢東とすべきか、ここは、歴史の記述において、場合によっては国際問題になりかねない部分かもしれない。ある意味では、靖国神社などよりはるかにやっかいなことかとも思う。結果的には、国連に加わったのは、中華民国(台湾)であったが、それが、中華人民共和国(今の、共産党の中国)に代わってということもある。(その他のこととしては、フランスが、ヴィシー政権など無かったような顔をして、戦勝国の側にたったこともある。)
ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、ルーズベルト、トルーマン、チャーチル、などとならんで、毛沢東や蒋介石の名前を並べるのは、難しいことかもしれない。ここに昭和天皇の名前がならぶのも、(日本人としては)違和感がある。東條英機についてもそうである。このあたりの整理をどうするかというのが、まさに歴史の物語ということかとは思う。
2025年8月17日記
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