よみがえる新日本紀行「彼岸の獅子〜福島県会津盆地〜」2025-08-05

2025年8月5日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 彼岸の獅子〜福島県会津盆地〜

再放送である。2024年。オリジナルは、昭和50(1975)年。

今、再放送している『八重の桜』でこの獅子舞が登場してきていたかと覚えているのだが、どうだっただろうか。

オリジナルの放送が、昭和50(1975)年であるが、番組の始まった冒頭のシーンは、囲炉裏のある農家のなかで、藁でムシロを織っているところからだった。昭和50年で、会津の地方には、まだこういう生活が残っていたということなになる。

こういう地方の伝統芸能は、継承者がいなくなると、途絶えるしかない。そのためには、その地域に一定以上の人がくらしていなければならない。会津のこの地方では、現代において、かろうじて後継者がまだ存在するということになる。

オリジナルの番組の方で、年をとった年配の男性が、今の若い人は~~と、いうことを言っていたが、まさに、昭和50年のころが、時代の価値観のおおきな変わり目ということになるだろう。いわゆる70年安保の後、しばらくしてからの時代ということになる。

現代では、女性が踊り手になる。これも時代の流れである。ここで、かたくなに女人禁制などということを持ち出さないのが、民俗芸能の、ある種の一面だろう。その時代の変化に合わせて、人びとの意識も変わっていき、行事や芸能も伝えられていく、そういうものだと思う。

それにしても、彼岸獅子の芸の一行が、田圃のなかの道を歩いて行くシーンが、俯瞰して移動する撮影だった。今なら、ドローンで撮るところだが、この時代、どうやって撮影したのだろうか。

2025年7月30日記

芸能きわみ堂「大河ドラマ連動!べらぼうな時代の芸能に迫る」2025-08-05

2025年8月5日 當山日出夫

芸能きわみ堂 大河ドラマ連動!べらぼうな時代の芸能に迫る

『べらぼう』関係でNHKはいくつかの特集番組を作ったりしている。そのかなりは見ているのだが、私の見た範囲では、これが一番面白い。というよりも、文化とか芸術とかの本質をふまえている。まあ、これは、この番組のスタッフの素養ということにつきるのかもしれないと、思ったりするが。ただ、知識があるというだけのことではなく、感性の問題である。

『べらぼう』に限らないが、ある時代の文化を描こうとするならば、その時代の政治や経済、社会のもろもろを描くと同時に、文化のいろいろな要素……文学、絵画、音楽、など……に幅広く目をくばる必要がある。ただ、現代のわれわれは、今の時代のそのなかにいるので、逆に、周囲の状況が見えにくいということになるかとも思う。これを過去の時代のドラマとして画くには、やはりそれそうおうの調査研究と、そして、想像力にうらうちされた創造力が必要になる。

私は、日本の伝統芸能について詳しいということはないが、浄瑠璃という用語は、音楽と文学にまたがることばだと思っているが、このことばをきちんと使っていることは分かる。現代では、人形浄瑠璃ということで用いることが多いかもしれないが、歴史的には、もっと幅広い範囲の音曲を意味することばになる。

『べらぼう』では、富本が登場していたが、これが、江戸時代の芸能の世界で、どのような位置づけになるか、このことも重要である。

また、吉原という場所……悪所であるが……これが、江戸の芸能の世界で、どのように描かれているものであったかということも、意味がある。ただの悪所ということではないことになるだろう。いや、悪所の文化史、社会史、ということになるかもしれない。

通になろうと頑張ったりするのは、野暮のきわみである。そして、通とはどんなものか説明したりするのも、また野暮というべきである。

御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう、いもあらい勧進帳)が、『べらぼう』の時代のものである、これは、この時代の文化的な雰囲気を考えるためにも、面白い。無論、中村仲蔵(初代)のエピソードも重要である。(できれば、NHKで、「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」を再放送してほしい。源孝志の演出がすばらしい。)

高橋英樹が言っていたが、新内の流し、これは、花街などであったことになるのだが、私は、体験的には知らない。だが、巷間の芸能として、続いてきたことは、確かなことだろう。

2025年8月2日記

新日本風土記「七福神の海 〜三陸・牡鹿半島〜」2025-08-05

2025年8月5日 當山日出夫

新日本風土記 「七福神の海 〜三陸・牡鹿半島〜」

再放送である。最初は、2023年10月24日。

牡鹿半島の鮎川の人びとのことになる。あつかっていたのは、捕鯨と七福神の踊りのこと。

捕鯨、というのは、戦後の日本にとって重要な産業だった。私の子どものころの記憶としては、鯨肉には、日常的に存在した。だが、それもいつのまにか、姿を消した。

世界の流れとしては、捕鯨は止める方向にむかっている。日本の立場としては、資源保護、自然環境の維持ということを中心に考えるのだが、しかし、反捕鯨の理由としては、非常に観念的なものなので……クジラは賢い動物なので殺してはいけない……日本の主張と折り合いをつけることは、困難だろう。

文化の多様性とはいうのだけれど、食文化については、食べてはいけないものというのが、かなり西欧の価値観基準で決まるようになってきていることは、しかたのないことかもしれない。(昔は、日本では、いろんなものを食べていたし、世界中を見れば、人間はさまざまなものを食べて生きてきたことは、確かなことなのであるけれど。)

日本の近海での小規模な捕鯨ぐらいはいいと思うのだが、それでも、反対する人にとっては許しがたい暴挙ということになる。

クジラの解剖の包丁が、その仕事をする人が自分専用に調整して自分専用のものを使っているということは、初めて知った。今、これを作れる職人さんはどれぐらいいるのだろうか。

日本ではクジラがあますところなく利用された、ということは知識として知っていることだが、食べる以外に具体的にどのように利用されてきたのだろうか。一部は肥料になった。クジラの髭などは、伝統的な工芸品などに利用されたはずである。他に骨などは、どうだったのだろうか。メルヴィルの『白鯨』を読むと、昔のアメリカの捕鯨は、油をとるのがメインの目的であった。

宇能鴻一郎の『鯨神』が、文庫本で出て、再び注目されたのは数年前のことになる。

七福神の踊りが、継承されていくというのは、これはいいことである。地域の人びとによって、受け継がれていく。

定置網漁業で働くのは、多くはインドネシア人である。もはや、このような外国人労働力がないと、日本のいろんな産業がなりたたなくなっている。このことは事実としてうけとめたうえで、では、どのような国からどのような人をどのような労働条件で働いてもらうことになるのか、そして、その後、日本で住み続けることになった場合、どういう問題がありうるのか……まさに考えなければならないことなのだが、「外国人」「日本人」ということばだけが観念的につかわれて、対立している。現場の姿が見えていない(そのなかには、外国人で迷惑しているという声をふくむことになるが)。

2025年8月1日記