映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ昭和百年(3) 高度成長 やがて悲しき奇跡かな」2025-09-11

2025年9月11日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(3) 高度成長 やがて悲しき奇跡かな

私の個人的な体験としても、昭和39(1964)年の東京オリンピックから、昭和45(1970)年の大阪万博までが、日本の一番よかった時代だったと回顧することになる。こういうことがあって、今の時代の、2000(2001)年の東京オリンピックから、2005年の関西万博までの期間については、おそらく日本の歴史の転換点になるだろうかという気持ちがしている。それが、どのような方向にむかうことなるかは分からないが。

番組について批判的に思うことを、まず書いておきたい。水俣病について語るとき、チッソという会社が何を作っていたのか、まったく触れないというのは、非常に問題だと思っている。その被害についてきちんと報ずるとするならば、これは絶対に必要なことだと思うのだが、これまで、テレビのドキュメンタリー番組などで、水俣病がとりあげられるとき、何を作っていた会社なのか、その製品が日本の産業にとって、どういう意味があったのか、まったく言及しないというのは、あまりにもフェアではない、という印象を持つ。

日本の高度経済成長期が、ある意味で非常に問題をふくんだ社会であったことは、私にとっては、いまさら言うまでもないことである。しかし、今の若い人たちにとっては、昔の日本はこんなだったということになるし、知っておくべきことだと思う。

日本にとって良かったことになるのは、この高度経済成長期で、とりあえずほとんどの日本が豊かになった、ということがある。そこから取りのこされた人たちがいたことも、忘れてはならないことなのだが。

また、この番組の性質上そうなるのかと思うが、あつかってあったのが都市部の生活が中心であった。昭和30年代から40年代にかけて、多くの人びとが都市部に移動したことは確かであるが、その影響をうけたのは、都市部だけではなく、その人たちの故郷であった地方にもおよんでいる。ここで、むろん、良かったこともあるし、悪かったこともある。だが、農村地域の生活が劇的に変化したのも、まさにこの時代だった。「忘れられた日本人」が本当に忘れられてしまうようになった時代である。(はたして、これが本当によかったことなのかどうかは、疑問であるのかもしれないが。)

2025年9月10日記

BSスペシャル「軍神と記者 特攻 封じられた本心」2025-09-11

2025年9月11日 當山日出夫

BSスペシャル 軍神と記者 特攻 封じられた本心

批判的な見方になるが、人間には本心というものがあって、それは、自らの意志でことばに出したり、出さなかったりできるものだ……という番組製作者の人間観が、根本的に軽薄であるとしか思えない。

特攻隊として志願するということは、(兵学校で教育をうけてきた軍人として)偽りであったということはないであろうし、同時に、どうせ死ぬならそれは、妻のためである、という気持ちもあっただろう。これらは対立するものではなく、一人の人間の中に共存しうるものである。また、これ以外のいろんな思いがあっただろう。そのうち、もっとも弱々しいと思われる部分を、記者に語ってみることになった、と理解しておきたい。(私の理解としては。)

関行男大尉(その後、二階級特進して中佐)が、この時代の戦闘機のパイロットとして、どの程度の技量の持ち主であったのか、ということが、私としては気になる。本人が言っていたように、優秀であったということは、おそらく本当のことなのだろう。

特攻を戦術として採用するにあたって、その最初の攻撃は、失敗が許されない。そのためには、技量が優秀なパイロットを選ぶ、これは、軍事的に合理的な判断である。そして、その後のこととしては、特攻に必要な技能……目的地まで飛ぶことができて、目標とする艦艇に突撃することができるなら……それを満たす中程度の技量のパイロットが選ばれることになる。すぐれた技量のものは、その後の決戦のために温存する。非常に、非人間的ともいえるが、軍事的にはこのように考えることになった。

特攻を発案することよりも、むしろ、その後の経緯の方が、より非人道的といっていいかもしれない。

写真のことが謎である。関行男が、プライベートに撮影を頼んだ写真が、どうして新聞の一面に掲載されることになったのか、このことの経緯はどうだったのか、気になるところである。

「大尉」を、海軍方式で「だいい」というか、今日の一般のいいかたで「たいい」というかは、あえて不統一のままにしたのだろう。

また、この種の番組を見ていつも思うことなのだが、飛行機による特攻以外にも、各種の特攻兵器があった。桜花、回天、震洋、などなど。意地の悪い見方かもしれないが、飛行機による特攻を、特別視しているようにも感じられる。(番組製作者としては、そんなことはないと言うだろうと思うが。)

太平洋戦争における軍神というなら、真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇の9軍神の話にふれておくべきだろうし、それにさきだっては、第二次上海事変のときの爆弾三勇士のことも、忘れてはならないだろう。これらを称揚したのは、マスコミ(新聞)であり、とにかく売れる紙面を作ることが、至上命題であった時代である。このことは、メディア史研究から言われていることである。

すべての新聞が検閲されていた時代、この番組で言うように、関行男の本心を記事にできたかどうか、ほとんど不可能だっただろと思う。(このことに記者として自責の念を持つのは、確かにそうかとも思うが。)

戦後になって、特攻で死んだ軍人・兵士への評価が、逆転したのは、ことの真相があきらかになったというよりも、むしろ、GHQの日本の占領政策の結果であるというのが、常識的な判断だろう。それに加担したのが、NHKであったことを、NHK自身が忘れてはいけないはずである。そして、この時代の普通の人びとだけではなく、おそらく現代でも、人間とはそういうものなのである。

とはいえ、GHQの支配下にあった時代に、どのような言論や報道の自由があったのか、あるいは、なかったのか、これはまだ研究として残された部分であると思っている。

また、強いて書けば、故郷に関行男の墓があると同時に、靖国神社にも祀られていることを、語っておくべきだっただろう。

番組の中では出てきていなかったことだが、(大西瀧治郎は映っていたが)、統率の外道、という認識のあったころは、まだまともであったともいえよう。

2025年9月10日記

100年後も、旅に出る。「大阪編2」2025-09-11

2025年9月11日 當山日出夫

100年後も、旅に出る。「大阪編2」

二回目も録画しておいて、後で見た。

こういう話題だと、NHKなら「美の壺」あたりであつかってもいいようなことかとも思うが、全体としてわりと面白かった。

一番興味深かったのは、堺のお茶屋さん。戦争中に空襲で焼けてしまい、隣の町で店をだした。すると、ものすごくもうかった。お茶というのは、日常生活の必需品ではあるが、しかし、一種の嗜好品である。無いなら無い、ということで、別に困ることはない。水が飲めれば、人間は死にはしない。だが、戦後の窮乏生活のなかにあっても、人間がもとめるものとして、お茶というようなものが大事にされた、ということは、非常に興味深い。まさに、日常生活の嗜好品というのは、こういうものである。

私が育ったのは京都の宇治である。家のすぐ近くに茶畑があった。京阪の宇治線の沿線も茶畑があった。今では、もう住宅地に変わってしまっている。(強いていえば、宇治茶は、宇治で栽培するものではなくなってしまっている。)

お茶をブレンドする、ということは、初めて見たような気がする。コーヒーでもブレンドするし、お酒でも、日本酒やウイスキーなどは、ブレンドすることが多い。だから、お茶のブレンドということもあることは納得できる。

かき氷は、もうこの年齢になると、食べてみたいと思わなくなった。

和菓子店の主人のことばが印象に残る。この商売は、もうけようと思ってはいけない、お客さんが美味しいと言ってくれればよいのである……もう今では、このような価値観、職業倫理など、消えてなくなってしまっているごとくである。

丹波大納言の小豆を使うので、一度に一升しか作らない。こういうところをきちんと守るのも、今となっては価値がある。工場で大量生産してコスト削減ということが至上命題のような時代に、こういう店が街の中に残っているというのは、安心できることである。

大阪ガスのガスビルの食堂。以前、何かで見たような気はする。しかし、入ったことはない。今の時代だから、メニューも検索すると分かる。カレーの値段は、そう高いものではない。昔ながらの街の洋食屋さんというのも、今では貴重なところになってしまっている。

堺の鋏屋さんも、いい仕事をする。たぶん、値段は高いのだろうが、プロが使うものとしては、いいものを使いたいと思うにちがいない。こういう職人の仕事が残っていくといいと思う。

2025年9月5日記