よみがえる新日本紀行「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」
再放送である。2021年8月22日。オリジナルは、1975(昭和50)年9月8日。
河内音頭は、耳になじんでいる。特に聴くということもないのだが、聴けば、ああそうかと分かる。河内音頭は、決まった歌詞があるというものでなく、即興的にその時代のことがらなど、場合によっては風刺的に、取り入れながら作って歌っていくものだというのが、私の認識である。
地域の盆踊りをささえる、地域の共同体の感覚というものがなくなりつつある時代なのだが、今でも河内地方では、地蔵盆の盆踊りはつづいているらしい。
私は、京都の宇治の育ちであるので、地蔵盆というと、夏休みのおわりごろの子どものお祭り、という印象がどうしても強い。
昔の映像で、スイカが山積みになった八百屋さんの店先で、8分の1にカットしたスイカを食べながら、おじさんたちが話しをしている、このような場面は、今ではもう見られないかもしれない。スイカも、まるごとのままだと冷蔵庫に入れにくいので、少なくとも半分に切らないといけなくなっている。まるごと冷水で冷やしてという習慣は、今では無くなってしまったことかもしれない。完全に消えてはいないだろうが。
河内音頭は、民衆の音楽である。だから、その伴奏に、太鼓は使うとしても、エレキギターやキーボードが使われていても、なんの問題もない。日本の伝統音楽は、笛や太鼓や三味線でなければと思いこむのは、まちがっている。
昭和50年のころに、1000円、2000円、と寄付を集めるのは、大変だったかもしれない。このころ、私は、大学生になって東京に住むようになったのだが、たしか新幹線で京都から東京まで、10000円ぐらいだったかと憶えている。(もうほとんど忘れている。ただ、目黒の四畳半の下宿が、月に8500円だったのは記憶している。)
2025年9月10日記
よみがえる新日本紀行 「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」
再放送である。2021年8月22日。オリジナルは、1975(昭和50)年9月8日。
河内音頭は、耳になじんでいる。特に聴くということもないのだが、聴けば、ああそうかと分かる。河内音頭は、決まった歌詞があるというものでなく、即興的にその時代のことがらなど、場合によっては風刺的に、取り入れながら作って歌っていくものだというのが、私の認識である。
地域の盆踊りをささえる、地域の共同体の感覚というものがなくなりつつある時代なのだが、今でも河内地方では、地蔵盆の盆踊りはつづいているらしい。
私は、京都の宇治の育ちであるので、地蔵盆というと、夏休みのおわりごろの子どものお祭り、という印象がどうしても強い。
昔の映像で、スイカが山積みになった八百屋さんの店先で、8分の1にカットしたスイカを食べながら、おじさんたちが話しをしている、このような場面は、今ではもう見られないかもしれない。スイカも、まるごとのままだと冷蔵庫に入れにくいので、少なくとも半分に切らないといけなくなっている。まるごと冷水で冷やしてという習慣は、今では無くなってしまったことかもしれない。完全に消えてはいないだろうが。
河内音頭は、民衆の音楽である。だから、その伴奏に、太鼓は使うとしても、エレキギターやキーボードが使われていても、なんの問題もない。日本の伝統音楽は、笛や太鼓や三味線でなければと思いこむのは、まちがっている。
昭和50年のころに、1000円、2000円、と寄付を集めるのは、大変だったかもしれない。このころ、私は、大学生になって東京に住むようになったのだが、たしか新幹線で京都から東京まで、10000円ぐらいだったかと憶えている。(もうほとんど忘れている。ただ、目黒の四畳半の下宿が、月に8500円だったのは記憶している。)
2025年9月10日記
ETV特集「アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
ETV特集 アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜
写真花嫁ということは知っていたことであるが、その背景については、あまり考えたことがなかった。見ながら思ったことを書いておく。
日本からアメリカに渡った写真花嫁は、かなり高学歴である。女学校、女子師範学校、中には、大学を卒業という女性もいる。(ただし、この時代、女子の大学は制度的には専門学校のあつかいだったはずである。)女学校に行くことも、かなり希な時代である。この時代としては、女性として高等教育を受けた女性だからこそ、写真花嫁として、アメリカ行きを決意したということだろう。
では、そのアメリカに行った男性たちはどうだったのだろうか。女性たちの学歴が分かっているなら、男性たちの学歴も記録にあるにちがいないと思うのだが、これを、映さないというのは、ちょっとおかしい。
日本では、この時代なら、結婚にあたって男女間の社会階層の違いということは、強く意識されたはずである。いわゆる玉の輿は、あっても、その逆は、あまりなかったと思うので、日本から、写真花嫁を迎えた男性たちも、それなり学歴の人たちだったと考えていいのだろうか。
全体として、アメリカに行った日本人たちの、出身や素性・出自、ということについては、どれぐらい調査されているのだろうか。この全体像が見えないと、写真花嫁だった女性たちだけを取りあげても、よく分からない。無論、アメリカ以外に南米に行った人も多いし、満州に渡った人も多い。これらの、全体の姿が見えること、これがまず重要なことである。(はたして、こういうことの研究はどれぐらいなされているのだろうか。)
さりげなく言っていたことだが、この時代に、アメリカが受け入れた東洋からの移民は、中国出身が最も多かったという。その人たちは、その後、アメリカ社会の中で、どう生活してきたことになるのだろうか。そして、そのような人たちは、現在の中国では、どう見られているのだろうか。
番組では、写真花嫁として女性をむかえたのは、この時代のアメリカでは、日本人と白人との結婚が法的に許可されていなかったからだ、ということである。これは、白人と黒人との間であっても同様であった時代のことになる。ある意味では、当然のことだったかもしれない(現代の価値観からは否定的に見ることになるが。)
アメリカに行った日本人男性は、その結婚相手として日本人女性をもとめる。これは、当たり前のことのようだが、しかし、これも現在の価値観からすると、日本人だけでかたまってしまって排他的・排外的であったと見なすべきことになる。だが、この時代の感覚としては、これが当たり前のことだったのだろう。(ちなみに、今でも、日本にすむ韓国出身の男性が、韓国の女性を奥さんにする、という事例はある。ある民族が、ある程度まとまって、他の国に移住するということがあれば、こういうことはありうることになる。一概に、同化を拒否する排他性ということもできないだろう。)
太平洋戦争のとき、収容所に入れられた歴史があった。このとき、アメリカに忠誠を誓って、従軍した人たちが多くいた。若い男性の多くは兵士となった。主な戦場としては、ヨーロッパ戦線であった。(このあたり、太平洋戦線に投入しなかったのは何故か、という問題もある。これが全くのゼロであったことではないが。)女性兵士もいたことになる。この流れのなかで、番組では、忠誠を拒否した女性にスポットをあてていた。このような女性がいたことは知られていいことだと思うが、その先の人生として、日本に戻るということをしていない。さて、写真花嫁のみならず、アメリカに渡った人たちが、戦後になって日本に帰ってくる、ということがどの程度あったのか、これはこれとして知りたいところである。(たしか和歌山のアメリカ村には、移民先のカナダからもどった人もいたかと思うのだが。行ったさきがカナダだったが、なぜかアメリカ村という。)
この番組の趣旨は分かるとはいうものの、最後のところで、「We Are the Children」を歌うのは、はたして、アメリカの寛容なのだろうか。メロディは、いかにもアメリカ的であるし、歌詞が英語である。日本語でもないし、スペイン語でもない。やや天邪鬼に見るならば、アメリカの文化を受け入れるならどうぞ、という制限付きの寛容ということになる。(これと同じこと、日本に来るなら日本の風俗習慣を受け入れるようにしてほしい、こういうことを言っただけで、レイシストと罵倒されかねないのが、今の日本である。)
音楽は、民族や国境を越えるというが、これも欺瞞の部分がある。日本の伝統的な古来の音楽の音階と、西洋の音楽の音階は、異なっている。これは、明治になってから、文明開化のときに西洋の音楽を日本で受け入れるときに、非常に大きな困難であったことでもある。その明治の先人たちの苦労の結果、今の日本で、普通に西洋風の音楽を、また、他の国や地域の音楽でも、受け入れることができる、という歴史を無視してはいけないだろう。(音楽は、他の文化的領域とくらべて、多様な要素がミックスしやすい分野かとも思う。)
また、トランプ大統領が移民を完全に排除するというような印象で番組を作ってあるのも、非常に詐欺的である。表現としては過激でも、実質的には、違法な入国、不法な滞在を許さない、と言っているだけであり、アメリカをWASPの国にもどそうとしているわけではない。それは無理である。(まあ、アメリカの一部にそういう思想の人もいることは確かだろう。また不法に入国したという経緯があっても、現にアメリカ国内で生計をいとなんでいる人たちをどう処遇するかということは問題である。)
2025年9月8日記
ETV特集 アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜
写真花嫁ということは知っていたことであるが、その背景については、あまり考えたことがなかった。見ながら思ったことを書いておく。
日本からアメリカに渡った写真花嫁は、かなり高学歴である。女学校、女子師範学校、中には、大学を卒業という女性もいる。(ただし、この時代、女子の大学は制度的には専門学校のあつかいだったはずである。)女学校に行くことも、かなり希な時代である。この時代としては、女性として高等教育を受けた女性だからこそ、写真花嫁として、アメリカ行きを決意したということだろう。
では、そのアメリカに行った男性たちはどうだったのだろうか。女性たちの学歴が分かっているなら、男性たちの学歴も記録にあるにちがいないと思うのだが、これを、映さないというのは、ちょっとおかしい。
日本では、この時代なら、結婚にあたって男女間の社会階層の違いということは、強く意識されたはずである。いわゆる玉の輿は、あっても、その逆は、あまりなかったと思うので、日本から、写真花嫁を迎えた男性たちも、それなり学歴の人たちだったと考えていいのだろうか。
全体として、アメリカに行った日本人たちの、出身や素性・出自、ということについては、どれぐらい調査されているのだろうか。この全体像が見えないと、写真花嫁だった女性たちだけを取りあげても、よく分からない。無論、アメリカ以外に南米に行った人も多いし、満州に渡った人も多い。これらの、全体の姿が見えること、これがまず重要なことである。(はたして、こういうことの研究はどれぐらいなされているのだろうか。)
さりげなく言っていたことだが、この時代に、アメリカが受け入れた東洋からの移民は、中国出身が最も多かったという。その人たちは、その後、アメリカ社会の中で、どう生活してきたことになるのだろうか。そして、そのような人たちは、現在の中国では、どう見られているのだろうか。
番組では、写真花嫁として女性をむかえたのは、この時代のアメリカでは、日本人と白人との結婚が法的に許可されていなかったからだ、ということである。これは、白人と黒人との間であっても同様であった時代のことになる。ある意味では、当然のことだったかもしれない(現代の価値観からは否定的に見ることになるが。)
アメリカに行った日本人男性は、その結婚相手として日本人女性をもとめる。これは、当たり前のことのようだが、しかし、これも現在の価値観からすると、日本人だけでかたまってしまって排他的・排外的であったと見なすべきことになる。だが、この時代の感覚としては、これが当たり前のことだったのだろう。(ちなみに、今でも、日本にすむ韓国出身の男性が、韓国の女性を奥さんにする、という事例はある。ある民族が、ある程度まとまって、他の国に移住するということがあれば、こういうことはありうることになる。一概に、同化を拒否する排他性ということもできないだろう。)
太平洋戦争のとき、収容所に入れられた歴史があった。このとき、アメリカに忠誠を誓って、従軍した人たちが多くいた。若い男性の多くは兵士となった。主な戦場としては、ヨーロッパ戦線であった。(このあたり、太平洋戦線に投入しなかったのは何故か、という問題もある。これが全くのゼロであったことではないが。)女性兵士もいたことになる。この流れのなかで、番組では、忠誠を拒否した女性にスポットをあてていた。このような女性がいたことは知られていいことだと思うが、その先の人生として、日本に戻るということをしていない。さて、写真花嫁のみならず、アメリカに渡った人たちが、戦後になって日本に帰ってくる、ということがどの程度あったのか、これはこれとして知りたいところである。(たしか和歌山のアメリカ村には、移民先のカナダからもどった人もいたかと思うのだが。行ったさきがカナダだったが、なぜかアメリカ村という。)
この番組の趣旨は分かるとはいうものの、最後のところで、「We Are the Children」を歌うのは、はたして、アメリカの寛容なのだろうか。メロディは、いかにもアメリカ的であるし、歌詞が英語である。日本語でもないし、スペイン語でもない。やや天邪鬼に見るならば、アメリカの文化を受け入れるならどうぞ、という制限付きの寛容ということになる。(これと同じこと、日本に来るなら日本の風俗習慣を受け入れるようにしてほしい、こういうことを言っただけで、レイシストと罵倒されかねないのが、今の日本である。)
音楽は、民族や国境を越えるというが、これも欺瞞の部分がある。日本の伝統的な古来の音楽の音階と、西洋の音楽の音階は、異なっている。これは、明治になってから、文明開化のときに西洋の音楽を日本で受け入れるときに、非常に大きな困難であったことでもある。その明治の先人たちの苦労の結果、今の日本で、普通に西洋風の音楽を、また、他の国や地域の音楽でも、受け入れることができる、という歴史を無視してはいけないだろう。(音楽は、他の文化的領域とくらべて、多様な要素がミックスしやすい分野かとも思う。)
また、トランプ大統領が移民を完全に排除するというような印象で番組を作ってあるのも、非常に詐欺的である。表現としては過激でも、実質的には、違法な入国、不法な滞在を許さない、と言っているだけであり、アメリカをWASPの国にもどそうとしているわけではない。それは無理である。(まあ、アメリカの一部にそういう思想の人もいることは確かだろう。また不法に入国したという経緯があっても、現にアメリカ国内で生計をいとなんでいる人たちをどう処遇するかということは問題である。)
2025年9月8日記
100分de名著「平家物語」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
100分de名著 平家物語
夜のおそい時間にまとめて再放送があったので、録画しておいて続けて見た。
最初の放送は、2019年5月である。
『平家物語』について語るのに、安田登という選択肢は、この番組の趣旨からすればふさわしい。軍記物語というジャンルの作品であるが、歴史的背景についての知識も必要だし、『平家物語』を文学としてどう読むかとなると、非常に多面的でむずかしい。それを、「おごり」が人間をダメにして、亡んでいく姿としてとらえるのは、一つの見方である。そして、それを、「運」と「命」と「時」というなかで理解するというのも、これはこれで分かりやすい説明である。
文学史的に細かなことをいえば、『平家物語』がいつごろできて、どのような異本があって、どのように伝承、書承されてきたテキストなのか、ということについては、いろんな問題点がある。さらに、その受容史ということについては、難しいかと思う。
だが、そこを、能楽の視点から、これは鎮魂の物語である、と言いきることができるのが、安田登の強みということになるだろう。(これが普通の日本文学の研究者だったら、こういう言い方をきっぱりとはできない。)
『平家物語』は音読すべき、これはそのとおりである。昔の文章であっても、ことばを吟味するときには、音読してみるべきである。無論、国語史、日本語史の観点からは、ややこしい問題はあるのだが、いや、そのようなややこしい問題があることがあるとしても、現代の日本語の流儀で音読してみることの価値はある。こういうことができるのが、日本語の古典というものである。
「候」を、「そうろう」と読むか「さぶろう」と読むかは、男女のことばのつかいわけとして知られていることだが(日本語の歴史の知識として)、これは守った朗読であった。
知盛の最後のことば、「見るべき程の事は見つ」は、石母田正の『平家物語』で言及されている。これは、学生のときに、岩波新書で読んで、今は、岩波文庫で読むことができる。歴史学研究者の視点からの『平家物語』として、面白い。(だが、今、石母田正が歴史学研究の分野でどのように評価されているかは、不案内なのであるが。)
『平家物語』は、鎮魂の物語である。死者のことを語り続けることに意味がある、という。これは、そのとおりであり、こういう文学が、日本の古典文学として読み続けられてきたことは、確かである。もっとも、『平家物語』が、日本の古典として、再発見されたのが、明治になって国文学という学問の成立にともなってであるという、ことも重要なのだが。直接、『平家物語』を読むというよりも、この作品から題材をとって、能楽などの芸能の分野で、受け継がれてきた歴史ということの方が重要かもしれない。
鎮魂というのは、今の日本社会のなかで、ほとんど忘れられつつある感覚かとも思う。まれに、戦争や災害などの犠牲者について、思い出すぐらいのことになっている。たしかに、悲劇的な死をむかえることになった人の霊についての、特別な感覚ということはある。その一つの流れが、御霊信仰というような形かとも思う。
軍記物語という面もあるが、同時に、鎮魂の文学として、『平家物語』が日本の古典として読み継がれていくことの価値を考えてみるべきだろう。
2025年9月8日記
100分de名著 平家物語
夜のおそい時間にまとめて再放送があったので、録画しておいて続けて見た。
最初の放送は、2019年5月である。
『平家物語』について語るのに、安田登という選択肢は、この番組の趣旨からすればふさわしい。軍記物語というジャンルの作品であるが、歴史的背景についての知識も必要だし、『平家物語』を文学としてどう読むかとなると、非常に多面的でむずかしい。それを、「おごり」が人間をダメにして、亡んでいく姿としてとらえるのは、一つの見方である。そして、それを、「運」と「命」と「時」というなかで理解するというのも、これはこれで分かりやすい説明である。
文学史的に細かなことをいえば、『平家物語』がいつごろできて、どのような異本があって、どのように伝承、書承されてきたテキストなのか、ということについては、いろんな問題点がある。さらに、その受容史ということについては、難しいかと思う。
だが、そこを、能楽の視点から、これは鎮魂の物語である、と言いきることができるのが、安田登の強みということになるだろう。(これが普通の日本文学の研究者だったら、こういう言い方をきっぱりとはできない。)
『平家物語』は音読すべき、これはそのとおりである。昔の文章であっても、ことばを吟味するときには、音読してみるべきである。無論、国語史、日本語史の観点からは、ややこしい問題はあるのだが、いや、そのようなややこしい問題があることがあるとしても、現代の日本語の流儀で音読してみることの価値はある。こういうことができるのが、日本語の古典というものである。
「候」を、「そうろう」と読むか「さぶろう」と読むかは、男女のことばのつかいわけとして知られていることだが(日本語の歴史の知識として)、これは守った朗読であった。
知盛の最後のことば、「見るべき程の事は見つ」は、石母田正の『平家物語』で言及されている。これは、学生のときに、岩波新書で読んで、今は、岩波文庫で読むことができる。歴史学研究者の視点からの『平家物語』として、面白い。(だが、今、石母田正が歴史学研究の分野でどのように評価されているかは、不案内なのであるが。)
『平家物語』は、鎮魂の物語である。死者のことを語り続けることに意味がある、という。これは、そのとおりであり、こういう文学が、日本の古典文学として読み続けられてきたことは、確かである。もっとも、『平家物語』が、日本の古典として、再発見されたのが、明治になって国文学という学問の成立にともなってであるという、ことも重要なのだが。直接、『平家物語』を読むというよりも、この作品から題材をとって、能楽などの芸能の分野で、受け継がれてきた歴史ということの方が重要かもしれない。
鎮魂というのは、今の日本社会のなかで、ほとんど忘れられつつある感覚かとも思う。まれに、戦争や災害などの犠牲者について、思い出すぐらいのことになっている。たしかに、悲劇的な死をむかえることになった人の霊についての、特別な感覚ということはある。その一つの流れが、御霊信仰というような形かとも思う。
軍記物語という面もあるが、同時に、鎮魂の文学として、『平家物語』が日本の古典として読み継がれていくことの価値を考えてみるべきだろう。
2025年9月8日記
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