『とと姉ちゃん』「常子、花山の過去を知る」「“あなたの暮し”誕生す」 ― 2025-09-14
2025年9月14日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、花山の過去を知る」「“あなたの暮し”誕生す」
このドラマを見るのは、二回目である。最初の放送のときは、さほどいいと思ってはいなかったのだが、二回目を見ると、よく頑張って作ってあると感じるところがいくつかある。
前にも書いたが、戦後の闇市のセットは、よく作ったと思う。かなり大規模に、細かなところまで、作ってある。こういうことを背景にしてこそ、この時代の普通の人びと……市民、庶民、大衆……の気持ちを描くことはできない、と思わせるところがある。
常子たちの願いを聞き入れて、花山は、常子たちの雑誌作りに協力することになる。結果として、これが、『暮しの手帖』に繋がることになるので、失敗はしないということで、ここは安心して見ていられる。
ただ、この時代だと、たくさんの雑誌や出版社が出来ては潰れていった時代だったかと思うのだが、その中で、常子たちの会社が生き残れたのは何故かということが、説得力を持って描けるかどうかは、また、別の問題である。出版の会社を銀座におきたいというのは、はたしてどうなのだろうか。普通に考えれば、多くの印刷や出版関係の会社があつまっている神保町界隈が適当かとも思える。銀座に会社があるからといって、雑誌を買う人はいないとも思えるのだが。
常子の女学校の同級生だった綾が、カフェでつとめている。カフェの女級というのは、この時代においては、女性が働くとして、おそらく最下層の労働の一つだった。この時代よりいくぶん古いが、『放浪記』(林芙美子)を読むと、カフェの女級まで身をおとすと、それから下は、もう娼婦しかない、ということが書かれている。戦後になったからといって、そう大きく変わったということはないだろう。強いていえば、進駐軍の兵士相手に、新しく仕事をする女性たちが登場するようになった、ということぐらいだろうか。
ドラマの中では、(この週に放送の分では)はっきりとそう語っているわけではないが、視聴者の想像のなかでは、綾は私娼の一歩手前というあたりだったことが、想像されるかと思う。
闇市で仕事をしたり、バラックで生活したり、やむをえずカフェではたらいたり、この時代の人びとの生活の感覚を描こうとしていることは分かるし、これは、それなりに成功しているドラマだと思う。
2025年9月12日記
『とと姉ちゃん』「常子、花山の過去を知る」「“あなたの暮し”誕生す」
このドラマを見るのは、二回目である。最初の放送のときは、さほどいいと思ってはいなかったのだが、二回目を見ると、よく頑張って作ってあると感じるところがいくつかある。
前にも書いたが、戦後の闇市のセットは、よく作ったと思う。かなり大規模に、細かなところまで、作ってある。こういうことを背景にしてこそ、この時代の普通の人びと……市民、庶民、大衆……の気持ちを描くことはできない、と思わせるところがある。
常子たちの願いを聞き入れて、花山は、常子たちの雑誌作りに協力することになる。結果として、これが、『暮しの手帖』に繋がることになるので、失敗はしないということで、ここは安心して見ていられる。
ただ、この時代だと、たくさんの雑誌や出版社が出来ては潰れていった時代だったかと思うのだが、その中で、常子たちの会社が生き残れたのは何故かということが、説得力を持って描けるかどうかは、また、別の問題である。出版の会社を銀座におきたいというのは、はたしてどうなのだろうか。普通に考えれば、多くの印刷や出版関係の会社があつまっている神保町界隈が適当かとも思える。銀座に会社があるからといって、雑誌を買う人はいないとも思えるのだが。
常子の女学校の同級生だった綾が、カフェでつとめている。カフェの女級というのは、この時代においては、女性が働くとして、おそらく最下層の労働の一つだった。この時代よりいくぶん古いが、『放浪記』(林芙美子)を読むと、カフェの女級まで身をおとすと、それから下は、もう娼婦しかない、ということが書かれている。戦後になったからといって、そう大きく変わったということはないだろう。強いていえば、進駐軍の兵士相手に、新しく仕事をする女性たちが登場するようになった、ということぐらいだろうか。
ドラマの中では、(この週に放送の分では)はっきりとそう語っているわけではないが、視聴者の想像のなかでは、綾は私娼の一歩手前というあたりだったことが、想像されるかと思う。
闇市で仕事をしたり、バラックで生活したり、やむをえずカフェではたらいたり、この時代の人びとの生活の感覚を描こうとしていることは分かるし、これは、それなりに成功しているドラマだと思う。
2025年9月12日記
『チョッちゃん』(2025年9月8日の週) ― 2025-09-14
2025年9月14日 當山日出夫
『チョッちゃん』 2025年9月8日の週
この週で描いていたのは、北海道の滝川でのお父さん(俊道)の死とその後のこと、お母さんのみさが東京の洗足の岩崎の家にやってくるまで、ということになる。
朝ドラのなかでは、いろんな人間の死に方を描いてきているのだが、『チョッちゃん』のお父さんの死は、印象に残るものの一つということができるだろう。
滝川の家で蝶子と品子とたみと、三人の女性がジャガイモの皮を包丁でむきながら会話をしているシーンがあった。ごく普通の日常の光景なのだが、こういう場面を見ると、何か珍しいものでも見たような気になる。それだけ、今のドラマからこういう場面がなくなってしまったということでもある。
病床のお父さん(俊道)に話しかける蝶子の、話し方、声の大きさとか調子とか、見ていて絶妙だと感じさせるものだった。それまでの蝶子と俊道との関係のすべてが凝縮されていたといってよい。
この時代の医療であるから、現在のように、病院で延命治療ということはない。俊道も、自分で医師であるし、病気のことは分かったいたのだろう。
印象的なシーンとしては、俊道が死んだとき、蝶子が診察室に入って引き出しの中のキャラメルを口にして、机で泣くところである。このシーンで、机の上にキャラメルが一個あったのが、画面のなかでアクセントになって、非常に印象的であった。
俊道が亡くなって、北山医院をその後どうするかという問題がある。ここで、甥(国分三代治)が突然登場してきて、後継者になるということなのだが、ここは、やや強引な気がしないでもない。以前、俊道とみさが東京に行ったのは、この甥の結婚式に出席するためだったのだが、その後、登場がなくて、ここで出てくるのは、北山医院(名前は変わるが)を残したいという、俊道やみさの思いをかなえるため、ということになる。
その甥の国分三代治が、以前に俊道から受け取ったという手紙を取り出して、それをみさが音読する場面があった。巻紙に筆で書いて、候文である。この時代の古風な俊道の手紙としては、そうだろうと思わせるものだったが、1980年代に作られた『チョッちゃん』では、こういう小道具が準備できて、見る方でも、その候文の音読を聞いて理解できた時代であったということになる。これは、今の時代に作るドラマでは、ほとんど無理かもしれない。
みさが滝川を去って東京の蝶子のところに行く気持ちを、滝川の家で話しをするシーンもうまい。みんなで話し合っていて、石沢のおじさんたちは、滝川に残るよう強くひきとめる。みさが、お茶を新しくするために茶碗を持って隣の台所に行く。みさがいなくなって、蝶子が滝川で一人でくらすことになるみさの孤独な生活のことを語る。それを、みさは台所で聴いている。みさは新しいお茶を持ってきて畳の上において、そういうことだ、という。この一連の人の動きと科白の流れが自然であり、みさがいる前では直接言いにくい内容を蝶子が話すこと、同時に、みさもこころのうちで感じていたこれからの生活の不安を蝶子がことばにしてくれて納得がいったこと、これらのことが、非常にうまく表現されていたと感じる。
東京にもどる汽車のなかで、蝶子たちは、乗り合わせたリンゴ農家の男性からリンゴをもらう。住所を教えてくれというので、それを書いてわたす。その後、東京の家に、リンゴの箱がとどく。(昔のリンゴは、木箱に入っていて、もみがらと一緒だった。)汽車のなかで、見知らぬ隣の人が話しかけてきたり、食べるものを分けてくれるということが、昔の生活としては、普通にあった。戦時中で、生活は困窮していただろうが、こういう人びとの気持ちは、失われてはいなかった。(今だったら、見知らぬ人に食べ物をもらったり、住所を教えたりなど、絶対にしないだろう。)
洗足の家に帰ってから、蝶子は語る。親というのは、子どもに対してどっしりとかまえていればいいのだ、と。このとき、要は出征していない。蝶子は、そのことを一言もいわない。また、ナレーションでも何の説明もない。しかし、見ていると、この場面で、蝶子の夫であり子どもたちの父親である要が、今はいないということが、はっきりと伝わってくる。科白で言ったり、ナレーションで語ることはしないのだが、そのことによって、蝶子の気持ちが分かる、こういうのは非常にうまい脚本であり、これは、これまでの蝶子という主人公の人物造形がしっかりとできているからのことである。
東京にやってきたみさは、本当に何にもできない。一人で外出することも難しそうである。そして、空襲で飛来した爆撃機を見て、きれい、と言っていた。これは、多くの証言が残っていることでもある。太平洋戦争中に日本の空を飛んだ敵の飛行機を、きれいだと感じていたのも、また、この時代の人びとの感覚であった。ただただ無力で、爆撃の恐怖ばかりだったということはない。こういう描き方が、この時代には、まだドラマのなかでも出来たということかと思っている。
『チョッちゃん』の脚本・演出がたくみなのは、最小限の人物で、その地域や時代を表現していることであり、登場人物の使い捨てが基本的にない。蝶子の家のお向かいの音吉とはるとの関係、野々村のおじさんとおばさん、ほぼこれだけで、戦前から戦中の東京の人びとの生活の感覚や世相の変化を描いている。さらに、神谷先生、邦子、頼介、安乃、という北海道からつづく登場人物で、社会の階層や年齢による感覚の違いも描いている。他には、連平と夢助がいる。滝川のひとびとについても、同様である。
2025年9月13日記
『チョッちゃん』 2025年9月8日の週
この週で描いていたのは、北海道の滝川でのお父さん(俊道)の死とその後のこと、お母さんのみさが東京の洗足の岩崎の家にやってくるまで、ということになる。
朝ドラのなかでは、いろんな人間の死に方を描いてきているのだが、『チョッちゃん』のお父さんの死は、印象に残るものの一つということができるだろう。
滝川の家で蝶子と品子とたみと、三人の女性がジャガイモの皮を包丁でむきながら会話をしているシーンがあった。ごく普通の日常の光景なのだが、こういう場面を見ると、何か珍しいものでも見たような気になる。それだけ、今のドラマからこういう場面がなくなってしまったということでもある。
病床のお父さん(俊道)に話しかける蝶子の、話し方、声の大きさとか調子とか、見ていて絶妙だと感じさせるものだった。それまでの蝶子と俊道との関係のすべてが凝縮されていたといってよい。
この時代の医療であるから、現在のように、病院で延命治療ということはない。俊道も、自分で医師であるし、病気のことは分かったいたのだろう。
印象的なシーンとしては、俊道が死んだとき、蝶子が診察室に入って引き出しの中のキャラメルを口にして、机で泣くところである。このシーンで、机の上にキャラメルが一個あったのが、画面のなかでアクセントになって、非常に印象的であった。
俊道が亡くなって、北山医院をその後どうするかという問題がある。ここで、甥(国分三代治)が突然登場してきて、後継者になるということなのだが、ここは、やや強引な気がしないでもない。以前、俊道とみさが東京に行ったのは、この甥の結婚式に出席するためだったのだが、その後、登場がなくて、ここで出てくるのは、北山医院(名前は変わるが)を残したいという、俊道やみさの思いをかなえるため、ということになる。
その甥の国分三代治が、以前に俊道から受け取ったという手紙を取り出して、それをみさが音読する場面があった。巻紙に筆で書いて、候文である。この時代の古風な俊道の手紙としては、そうだろうと思わせるものだったが、1980年代に作られた『チョッちゃん』では、こういう小道具が準備できて、見る方でも、その候文の音読を聞いて理解できた時代であったということになる。これは、今の時代に作るドラマでは、ほとんど無理かもしれない。
みさが滝川を去って東京の蝶子のところに行く気持ちを、滝川の家で話しをするシーンもうまい。みんなで話し合っていて、石沢のおじさんたちは、滝川に残るよう強くひきとめる。みさが、お茶を新しくするために茶碗を持って隣の台所に行く。みさがいなくなって、蝶子が滝川で一人でくらすことになるみさの孤独な生活のことを語る。それを、みさは台所で聴いている。みさは新しいお茶を持ってきて畳の上において、そういうことだ、という。この一連の人の動きと科白の流れが自然であり、みさがいる前では直接言いにくい内容を蝶子が話すこと、同時に、みさもこころのうちで感じていたこれからの生活の不安を蝶子がことばにしてくれて納得がいったこと、これらのことが、非常にうまく表現されていたと感じる。
東京にもどる汽車のなかで、蝶子たちは、乗り合わせたリンゴ農家の男性からリンゴをもらう。住所を教えてくれというので、それを書いてわたす。その後、東京の家に、リンゴの箱がとどく。(昔のリンゴは、木箱に入っていて、もみがらと一緒だった。)汽車のなかで、見知らぬ隣の人が話しかけてきたり、食べるものを分けてくれるということが、昔の生活としては、普通にあった。戦時中で、生活は困窮していただろうが、こういう人びとの気持ちは、失われてはいなかった。(今だったら、見知らぬ人に食べ物をもらったり、住所を教えたりなど、絶対にしないだろう。)
洗足の家に帰ってから、蝶子は語る。親というのは、子どもに対してどっしりとかまえていればいいのだ、と。このとき、要は出征していない。蝶子は、そのことを一言もいわない。また、ナレーションでも何の説明もない。しかし、見ていると、この場面で、蝶子の夫であり子どもたちの父親である要が、今はいないということが、はっきりと伝わってくる。科白で言ったり、ナレーションで語ることはしないのだが、そのことによって、蝶子の気持ちが分かる、こういうのは非常にうまい脚本であり、これは、これまでの蝶子という主人公の人物造形がしっかりとできているからのことである。
東京にやってきたみさは、本当に何にもできない。一人で外出することも難しそうである。そして、空襲で飛来した爆撃機を見て、きれい、と言っていた。これは、多くの証言が残っていることでもある。太平洋戦争中に日本の空を飛んだ敵の飛行機を、きれいだと感じていたのも、また、この時代の人びとの感覚であった。ただただ無力で、爆撃の恐怖ばかりだったということはない。こういう描き方が、この時代には、まだドラマのなかでも出来たということかと思っている。
『チョッちゃん』の脚本・演出がたくみなのは、最小限の人物で、その地域や時代を表現していることであり、登場人物の使い捨てが基本的にない。蝶子の家のお向かいの音吉とはるとの関係、野々村のおじさんとおばさん、ほぼこれだけで、戦前から戦中の東京の人びとの生活の感覚や世相の変化を描いている。さらに、神谷先生、邦子、頼介、安乃、という北海道からつづく登場人物で、社会の階層や年齢による感覚の違いも描いている。他には、連平と夢助がいる。滝川のひとびとについても、同様である。
2025年9月13日記
『あんぱん』「あんぱんまん誕生」 ― 2025-09-14
2025年9月14日 當山日出夫
『あんぱん』「あんぱんまん誕生」
この週でアンパンマンが出来上がった、ということになるらしい。しかし、その過程の描写については、かなり疑問というか、無理をして作ったドラマかな、と感じるところがある。
のぶが正義の相対性ということをいっていた。こちらから見たら正義であったことが、向こうからすればそうではない場合がある。これは、そのとおりだと思うのだが、このドラマのスタートの時点で言っていた、逆転しない正義、とどう繋がるのか、無理があると思う。
これまでのドラマの内容だと、太平洋戦争・大東亜戦争(日中戦争をふくめた名称)において、日本に正義があると思ってきたのだが、戦争が終わってみると、実はそうではなかった。正義は絶対的なものではない。だが、もし、逆転しない正義があるとすると、それは何か……という設定であったと憶えている。
だが、ここで、正義の相対性ということを言ってしまうと、日中戦争のときに、日本が中国と戦争をしたのは、日本の側にも、それなりの正当性・理由があってのことだった、という歴史観になる。そうならざるをえない。(歴史としても、少なくとも満州地域の権益を守るという意味では、この帝国主義が正義であった時代には、それなりの理由があったことにはなる。これを妥当と思うかどうか。絶対平和主義からは、また別の考えはあるはずだが。)
この歴史のなかでの正義の相対性ということは、逆転しない正義ということを描こうとしたドラマとしては、絶対に言ってはいけないことだったと思えるのだが、はたしてどうだろうか。すくなくとも、あつかいが非常に難しい。
手塚治虫(手嶌治虫)の『千夜一夜物語』のことが出てきていた。この映画が話題になったことは憶えている。映画として評価されたということではなく、その(当時としては)過激な性的描写が、世の中の良識ある人びとの反感を買って、きわめて厳しく批判された、ということを記憶している。
『千夜一夜物語』に、やなせたかしがスタッフとして加わっていたことは史実なので、これはそのとおりである。
しかし、この時代の社会的評価がどうであったか、ということについて、まったく触れないというのはどうなのだろうか。少なくとも、私のように、この映画の時代を経験的に知っている視聴者もいることは想定できるはずのことだが、こういうことは、無視していいということなのだろうか。
歴史の無視ということでは、戦争漫画のあつかいも気になる。この時代の多くの少年漫画において、戦争は重要な題材であり、多くの場合、日本が戦った戦争を肯定的に描いていた。この時代の漫画、特に少年漫画については、戦争漫画ということを切り離して考えることはできない。(個人的な感想ではあるが、戦争漫画は、ヒューマニズムを教えてくれるところもあった。)
だが、ドラマのなかで、手嶌治虫は、戦争漫画は描きたくないと言っていた。これは、おかしい。現に、手塚治虫の「ビッグX」などは、どうみても戦争漫画の範疇に入る作品であると思えるのだが。こういう不都合な歴史は無かったことにしてしまえばいいと思っているのだろうか。
アンパンマンが人気が出たのは、いくつかのバージョンがあるなかで、絵本版のアンパンマンが、図書館などで子どもに人気だった、ということがあるはずである。しかし、この時代の大人は、なぜ子どもがアンパンマンが好きなのか理解できなかった。その後、時がたって、テレビアニメになってから、爆発的に人気が出た、こういう経緯であったはずである。
このドラマを見ていると、作者(嵩)をはじめとして、大人たち、のぶや八木などが、正義とはどういうものかについて、あれこれと議論している。そういう議論があって、嵩の考え出したのが、絵本版のアンパンマンという流れであった。このドラマの流れを見ていると、大人があれこれと正義とはどうあるべきかを考えて、それを読者(子ども)におしつけているような印象がある。
おなかがすいて困っている人に自分の顔を食べさせる、というアンパンマンの行為を理解できなかったのは、この時代のほとんどの大人たちだった。しかし、子どもはこれが面白かった。
アンパンマンの歴史的経緯を考えると、ドラマのこのあたりのことは、かなり強引にすぎるというか、大人の考える正義=子どもが好き、ということに、無理に持って行こうとしているように思える。
私の考えることとしては、アンパンマンの最大の功績者は、絵本版のアンパンマンを、テレビアニメにしようと考えついた人、ということになる。(これは、ドラマとしては、これからのことなのだろう。)
とにかく、このドラマは、登場人物の設定をうまく活かせていないし、使い捨てが多い。特に、健太郎が、NHKのディレクターという設定にしたのだが、その視点からの、テレビの歴史、メディアの歴史、ということが、まったく出てこない。これなら、別にNHKディレクターでなくて、普通の会社員として事務の仕事をしていても、なんにも変わらない。若いときに嵩と一緒に美術の学校で学んだということも、まったく仕事の役にたっているようではない。自由をたっとんだ、美術の学校でのことなど、戦後のテレビやメディアの歴史を語るときに、非常に重要なこととして使えることのはずだが、まったく無視されている。
八木も謎の人物のままである。新しく会社を作り、「詩とメルヘン」を刊行するのだが、出版ビジネスの才がある、という部分が何にもない。文学が分かるということと、出版ビジネスの才がある、ということとは、まったく別のことがらである。
ささいなことかもしれないが、「詩とメルヘン」の編集部に送られてきた原稿が、みんな鉛筆書きのようだった。これはおかしい。この時代なら、投稿の原稿を鉛筆書きで送ることは、考えられない。ペン書きが、常識だろう。いや、こんなことは、これが常識ですという以前の、生活の感覚の問題である。
八木のところで、子どもたちが集まっているのは、どういう組織や施設なのか、この説明もまったくない。孤児院であってもいいし(ただし、公的にはこの時代には孤児院とは言わないはずだが)、幼稚園であってもいいし、公共図書館であってもいい、どういう施設に集まった、どういう子どもたちなのか、少しぐらいは説明があってもいいだろうと思う。
のぶがこの週から、いきなりお茶の先生になってしまったのも、ちょっととまどう。史実として、暢は茶道のたしなみがあったことはたしかなので、これ自体は問題があるとは思わない。だが、ドラマの筋の展開として、あまりに急すぎるし、その先生が登美子というのなら、もっとはじめのほうから登美子の人物造形として、こういう部分を描いてあった方が自然な流れになるとは思う。ここは、史実に合わせて、無理をしているところかと、感じるところである。
2025年9月12日記
『あんぱん』「あんぱんまん誕生」
この週でアンパンマンが出来上がった、ということになるらしい。しかし、その過程の描写については、かなり疑問というか、無理をして作ったドラマかな、と感じるところがある。
のぶが正義の相対性ということをいっていた。こちらから見たら正義であったことが、向こうからすればそうではない場合がある。これは、そのとおりだと思うのだが、このドラマのスタートの時点で言っていた、逆転しない正義、とどう繋がるのか、無理があると思う。
これまでのドラマの内容だと、太平洋戦争・大東亜戦争(日中戦争をふくめた名称)において、日本に正義があると思ってきたのだが、戦争が終わってみると、実はそうではなかった。正義は絶対的なものではない。だが、もし、逆転しない正義があるとすると、それは何か……という設定であったと憶えている。
だが、ここで、正義の相対性ということを言ってしまうと、日中戦争のときに、日本が中国と戦争をしたのは、日本の側にも、それなりの正当性・理由があってのことだった、という歴史観になる。そうならざるをえない。(歴史としても、少なくとも満州地域の権益を守るという意味では、この帝国主義が正義であった時代には、それなりの理由があったことにはなる。これを妥当と思うかどうか。絶対平和主義からは、また別の考えはあるはずだが。)
この歴史のなかでの正義の相対性ということは、逆転しない正義ということを描こうとしたドラマとしては、絶対に言ってはいけないことだったと思えるのだが、はたしてどうだろうか。すくなくとも、あつかいが非常に難しい。
手塚治虫(手嶌治虫)の『千夜一夜物語』のことが出てきていた。この映画が話題になったことは憶えている。映画として評価されたということではなく、その(当時としては)過激な性的描写が、世の中の良識ある人びとの反感を買って、きわめて厳しく批判された、ということを記憶している。
『千夜一夜物語』に、やなせたかしがスタッフとして加わっていたことは史実なので、これはそのとおりである。
しかし、この時代の社会的評価がどうであったか、ということについて、まったく触れないというのはどうなのだろうか。少なくとも、私のように、この映画の時代を経験的に知っている視聴者もいることは想定できるはずのことだが、こういうことは、無視していいということなのだろうか。
歴史の無視ということでは、戦争漫画のあつかいも気になる。この時代の多くの少年漫画において、戦争は重要な題材であり、多くの場合、日本が戦った戦争を肯定的に描いていた。この時代の漫画、特に少年漫画については、戦争漫画ということを切り離して考えることはできない。(個人的な感想ではあるが、戦争漫画は、ヒューマニズムを教えてくれるところもあった。)
だが、ドラマのなかで、手嶌治虫は、戦争漫画は描きたくないと言っていた。これは、おかしい。現に、手塚治虫の「ビッグX」などは、どうみても戦争漫画の範疇に入る作品であると思えるのだが。こういう不都合な歴史は無かったことにしてしまえばいいと思っているのだろうか。
アンパンマンが人気が出たのは、いくつかのバージョンがあるなかで、絵本版のアンパンマンが、図書館などで子どもに人気だった、ということがあるはずである。しかし、この時代の大人は、なぜ子どもがアンパンマンが好きなのか理解できなかった。その後、時がたって、テレビアニメになってから、爆発的に人気が出た、こういう経緯であったはずである。
このドラマを見ていると、作者(嵩)をはじめとして、大人たち、のぶや八木などが、正義とはどういうものかについて、あれこれと議論している。そういう議論があって、嵩の考え出したのが、絵本版のアンパンマンという流れであった。このドラマの流れを見ていると、大人があれこれと正義とはどうあるべきかを考えて、それを読者(子ども)におしつけているような印象がある。
おなかがすいて困っている人に自分の顔を食べさせる、というアンパンマンの行為を理解できなかったのは、この時代のほとんどの大人たちだった。しかし、子どもはこれが面白かった。
アンパンマンの歴史的経緯を考えると、ドラマのこのあたりのことは、かなり強引にすぎるというか、大人の考える正義=子どもが好き、ということに、無理に持って行こうとしているように思える。
私の考えることとしては、アンパンマンの最大の功績者は、絵本版のアンパンマンを、テレビアニメにしようと考えついた人、ということになる。(これは、ドラマとしては、これからのことなのだろう。)
とにかく、このドラマは、登場人物の設定をうまく活かせていないし、使い捨てが多い。特に、健太郎が、NHKのディレクターという設定にしたのだが、その視点からの、テレビの歴史、メディアの歴史、ということが、まったく出てこない。これなら、別にNHKディレクターでなくて、普通の会社員として事務の仕事をしていても、なんにも変わらない。若いときに嵩と一緒に美術の学校で学んだということも、まったく仕事の役にたっているようではない。自由をたっとんだ、美術の学校でのことなど、戦後のテレビやメディアの歴史を語るときに、非常に重要なこととして使えることのはずだが、まったく無視されている。
八木も謎の人物のままである。新しく会社を作り、「詩とメルヘン」を刊行するのだが、出版ビジネスの才がある、という部分が何にもない。文学が分かるということと、出版ビジネスの才がある、ということとは、まったく別のことがらである。
ささいなことかもしれないが、「詩とメルヘン」の編集部に送られてきた原稿が、みんな鉛筆書きのようだった。これはおかしい。この時代なら、投稿の原稿を鉛筆書きで送ることは、考えられない。ペン書きが、常識だろう。いや、こんなことは、これが常識ですという以前の、生活の感覚の問題である。
八木のところで、子どもたちが集まっているのは、どういう組織や施設なのか、この説明もまったくない。孤児院であってもいいし(ただし、公的にはこの時代には孤児院とは言わないはずだが)、幼稚園であってもいいし、公共図書館であってもいい、どういう施設に集まった、どういう子どもたちなのか、少しぐらいは説明があってもいいだろうと思う。
のぶがこの週から、いきなりお茶の先生になってしまったのも、ちょっととまどう。史実として、暢は茶道のたしなみがあったことはたしかなので、これ自体は問題があるとは思わない。だが、ドラマの筋の展開として、あまりに急すぎるし、その先生が登美子というのなら、もっとはじめのほうから登美子の人物造形として、こういう部分を描いてあった方が自然な流れになるとは思う。ここは、史実に合わせて、無理をしているところかと、感じるところである。
2025年9月12日記
最近のコメント