新日本風土記「踊る長良川」2025-09-20

2025年9月20日 當山日出夫

新日本風土記 「踊る長良川」

長良川の鵜匠が、宮内庁の式部職であるということは、はじめて知った。そのための禁漁区がある。これが決められたのは、明治23年ということだから、近代の天皇制のシステムが成立しつつあったころのこと……歴史的に見れば、こうなるだろうか。(さて、江戸時代まで、京都にいた天皇は鮎を食べていただろうか。食べていてもおかしくはないと思うが、どういう記録、史料にあたればいいのか。)

鵜飼いで使う鵜が、(カワウではなく)ウミウであることは知っていたことだが、それが茨城県で捕まえたものをトレーニングして飼育しているということは、この番組で知った。

郡上おどりもそうだし、白山の神社の踊り盃のときもそうなのだが、踊っている人たちの多くが下駄履きである。下駄で踊るというのは、ちょっと難しいと思うが、日常的に下駄を生活をしているということでいいのだろうか。

(盆踊りというと、私は、柳田国男の「清光館哀史」を思い出す。)

鵜匠の人が言っていたが、親が鵜匠だったから、世襲の仕事なので、それを受け継ぐ宿命にある。それは、その立場になってみないと分からない。こういう感覚は、すこし前までなら(いや、今でも多くの場合)日本における封建的前近代的社会ということで、非常に強く批判されたことである。この番組の場合、語っていたのが、男性であったから、なんとか許されることだったのかとも思う。これが、女性だったら、地方の女性を土地に縛り付けておく因習として、きわめて強く否定されることになるはずである。

水団扇の職人として、父親の後を継いでいるのも、男性だからそういう生き方をしていることが、こういう番組でも肯定的に(少なくとも、否定的にではなく)描くことができるのだろう。

釣具店の店主で、川漁師の仕事をしているのも、男性である。アマゴのエサになるカゲロウを、川から採取するテクニック(スポンジで川の中の石をなでて、ついてくるカゲロウを口で集める)は、父親から受け継いだものだという。

郡上おどりの女性たちは、移住者である。また、美濃和紙の生産、それから、原料となるコウゾの栽培をしているのも、女性であり移住者である。どうもこのあたりのところを見ると、意図的にかどうかは別にして、親の仕事を継承して地元に残る男性、その地方の魅力にひかれて移住してくる女性、というジェンダー視点で作ってあることはたしかである。

だからといって、このことを批判しようとは思わない。だが、今の時代としては、こういう番組の作り方になっているということは、見てとれるということである。(地方出身で、そこから脱出して都市部に行こうとしている女性ということは、今の時代において、問題となっていることであると思うのだが、こういうことはまったくあつかっていない。)

川船でお座敷遊びというのは、風流でいい。昭和の戦前までは、たくさんの芸舞妓、芸者さんがいて、ひろく行われていたことなのだろうか。一緒に船に乗って、お酒を飲んだりということは、あったことだろう。

船の上で舞をまっていた男性。いろいろと波乱のある人生だったかもしれないが、しかし、芸事の才能があったことになる。これはこれで、一つの生き方である。(シャチホコは、どう考えてもお座敷で、芸者さん(無論、女性である)がやった、あるいは、やらされた、遊びである。今の時代なら、場合によっては、きわめて否定的に見なされることになる。)

関の刃物は有名だが、鍛造の技術に目をつけたメーカ(貝印)も興味深い。メーカとして生き残る技術は、古くからの伝統的技法のなかからも見つけることができる。それを、工業製品として成功させることができるかどうかは、これからの課題だろうと思う。昔のように、鍛冶屋さんの師匠が言っていたことだが、もうからない、ということは、もう今の時代の一般的な価値観だと、市場から消えて無くなればいいということに等しくなっている。

とはいえ、(そんなに)もうからなくてもいいから、やりがいのある仕事したい、それも自然の川の流れとともに、という価値観にうったえる内容になっていたということは、評価すべきことだと思う。

2025年9月17日記

ドキュメント20min.「この1分がわたしの証」2025-09-20

2025年9月20日 當山日出夫

ドキュメント20min. この1分がわたしの証

不登校動画甲子園ということは、あっていいことだと思う。

ただ、強いていえばということになるが……このような番組を見ると、人間には社会のなかで居場所がなければならない、それは、学校であったり、家庭であったり、あるいは、フリースクールであったり、ということなのだが、どこかに居場所のある人間が幸せなのだ、ということが強く伝わってくる。しかし、人間に居場所というのは、そんなに絶対になければならないものなのだろうか。もしあるとしても、それが、公園のお気に入りのベンチであったりということでもいいかと思うのだが、それではダメなのだろうか。

将来に夢を持つことが幸せである、ということについても、同じように思う。若いから、未来に希望を持つべきだ、というのは、場合によっては、一種の脅迫観念になりかねない。厭世的になれとまでは思わないが、希望なんか持たなくても人間はなんとか生きていけるものである。

なんとなく、ふらふらして生きていてもいいではないか。(それが人に迷惑をかけないかぎり。犯罪者にならないかぎり。)

かつて、私の若いころは、三無主義とか、いろいろ言われたものだが、それでも、どうにかなってきたのが、ほとんどの人びとの人生である。

しかし、本当に虚無的になり、落ち込んでしまった気分になったら、不登校動画甲子園など、スマホで見たいとも思わないだろう。この意味では、この番組自体が、ある種のジレンマのかたまりかとも思うが。

2025年9月16日記

時をかけるテレビ「老友へ〜83歳 彫刻家ふたり〜」2025-09-20

2025年9月20日 當山日出夫

時をかけるテレビ 老友へ〜83歳 彫刻家ふたり〜

佐藤忠良、舟越保武、美術に知識のある人なら知っていて当然なのだろうが、私としては、かろうじて名前を知っているぐらいである。

番組は、年をとった二人の彫刻家の友情ということで作ってあったのだが、私が見て興味深かったのは、芸術家が作品を作る場面をとらえた番組だな、ということである。

普通は芸術家のアトリエにこのようにカメラが入ることは希かと思うのだが、この二人の場合は、許してくれたということになる。しかも、面白いのは、結果的に失敗になる(できあがりかけたところで半分に折れてしまった)作品の制作過程とか、失敗だったときの表情とか、そこまで映していたことである。

それにしても、彫刻が床の上に立っているということは、重心がその床と接する底面の内側にあって、全体が、しっかりと作ってあるから、ということかと思うのだが、作る人は、このあたりをどう考えて作っているのだろうか。別に重心が外れていても、床からしっかりと支えていればいいのかとも思うが、その場合でも、その彫刻作品の材質とか、芯になる部分をどう作るとか、工夫はいろいろとあるのだろう。

長崎の二六聖人の像の場合ならば、背後の壁からおっこちないようにどうくっつけるか、ということになるかと思うが、実際は、どのように作ってあるのだろうか。

芸術的価値とは無関係なことだが、このようなことを、どうしても思ってしまう。

船越保武が書いた手紙は、文字としてもすばらしい。これも芸術である。

また、書き残したものの中に、友人として佐藤忠良の名前があったのは当然として、並んで、三好達治と井伏鱒二の名前があった。これらの文学者との交流とは、実際にはどんなものだったのだろうか。

見ていて、この番組を作ったスタッフは、芸術ということが分かる人が作った、という印象が強くのこる番組であったと私は感じる。

2025年9月16日記