『とと姉ちゃん』「“あなたの暮し”誕生す」「常子、花山と断絶する」 ― 2025-09-21
2025年9月21日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「“あなたの暮し”誕生す」「常子、花山と断絶する」
雑誌『あなたの暮し』が刊行になった。
このドラマは、最初の放送のときにほぼ全部を見ているが、そのときの記憶としては、戦後になって『あなたの暮し』を刊行し始めてからが、あまり面白くなかったと憶えている。それは、おそらく、戦後のことになると実際のモデルとなった『暮しの手帖』、大橋鎭子、花森安治、といった実際の雑誌や人物に配慮した結果かなと思ったものである。この雑誌は今もつづいているし、その会社や編集の内幕といったことは、あつかいが難しいところかと思う。
直線裁ちということは、調べてみると実際に服の作り方として行われ、また、今でもあるらしい。ただ、そんなに流行っているということではないようだが。この方法だと簡単に作れるが、しかし、デザインの幅が限られる。使う生地の模様にほぼ左右されるということになる。
それにしても、カフェの女給さんたちが、直線裁ちの服というのは、どうなのだろうか。偏見かと思うが、これを着たからといって、特に女性が色っぽくなるということでもなさそうである。
2025年9月19日記
『とと姉ちゃん』「“あなたの暮し”誕生す」「常子、花山と断絶する」
雑誌『あなたの暮し』が刊行になった。
このドラマは、最初の放送のときにほぼ全部を見ているが、そのときの記憶としては、戦後になって『あなたの暮し』を刊行し始めてからが、あまり面白くなかったと憶えている。それは、おそらく、戦後のことになると実際のモデルとなった『暮しの手帖』、大橋鎭子、花森安治、といった実際の雑誌や人物に配慮した結果かなと思ったものである。この雑誌は今もつづいているし、その会社や編集の内幕といったことは、あつかいが難しいところかと思う。
直線裁ちということは、調べてみると実際に服の作り方として行われ、また、今でもあるらしい。ただ、そんなに流行っているということではないようだが。この方法だと簡単に作れるが、しかし、デザインの幅が限られる。使う生地の模様にほぼ左右されるということになる。
それにしても、カフェの女給さんたちが、直線裁ちの服というのは、どうなのだろうか。偏見かと思うが、これを着たからといって、特に女性が色っぽくなるということでもなさそうである。
2025年9月19日記
『チョッちゃん』(2025年9月15日の週) ― 2025-09-21
2025年9月21日 當山日出夫
『チョッちゃん』 2025年9月15日の週
この週で描いていたのは、疎開のこと。
『チョッちゃん』はBSで朝の放送である。これを見ている人のかなりは、続けて『あんぱん』も見ているだろうと思う。どうしても見て比べてしまうことになる。
この週の『チョッちゃん』を見ていて思うことは、困っている人に親切にするという、ごく当たり前のことを、これほど素直に描けるドラマが作れた時代があった、ということである。『あんぱん』を見ると、困っている人に親切にするということが、具体的にはお腹を空かせている人に食べるものをあげる、ということなのだが、これをいうために、あまりにもああだこうだと理屈を述べすぎている。ここは、素直に、どうぞと差し出せばいいだけのことなのであるが、それが、素直な人間の感情として描けない時代に、現代ではなってきている、ということなのかとも思う。
汽車の中で、たまたま乗り合わせただけの人に、リンゴをあげて(東京まで箱で送ってきてくれて)、その家族が、疎開の途中で難儀して降りた駅で困っているのを見て、住むところなど提供してくれる。こういうことが、実際にありえたこととして、納得できる。それは、このドラマがこれまでに描いてきた人間観のつみかさねによる。人間とはこういうものだ、善意ということを、それと意識することなく、人にやさしくなれるものだし、また、それをうけとることができるものである。
印象的なのは、駅で出会った行商のおばさん。黒柳徹子である。おばさんは、見も知らぬ子ども(加津子と俊継)に白いご飯のおにぎりをくれる。それが、ごく自然な人間の行動として描かれており、加津子と俊継もそれをもらって食べる。
人間のなかには、善意もあれば、邪悪な部分もある。このドラマでは、その善意を肯定的に描いてきている。しかし、だからといって、人間の中にある邪悪な部分をまったく感じないかというと、そうではない。直接的な描写としては出てきていないが、人間の中にある、決して善意ばかりではない部分も、感じさせるところがある。そういう人間を描くのに、その悪意の部分を具体的に描くばかりではないのだ、ということを感じさせる。
戦時下の東京の暮らしということも、共感できる描写になっている。これまでに、防火訓練があったり、防空壕なども出てきてはいる。しかし、昭和20年3月10日の空襲も、具体的に映像化しているということはない。戦時下の生活というと、物資の窮乏であり、空襲であり、ということで、さまざまに描かれてきていることではあるが、日常生活の感覚として、疎開で身近な人びとを別れなければならなくなる、東京もこれからどうなるか分からない、さまざまな不安について、このドラマは、共感できる描写になっている。
えてして昭和16年の太平洋戦争開戦になって、人びとが空襲におびえながらすごしていたという感じのドラマが多いのだが、実際に空襲が本格化するのは、昭和19年にサイパンが陥落して、ここを基地としてB29が本土爆撃が多くなってからのことである。またこれも地方によって違いのあることであり、東京と滝川はちがうし、また、青森の諏訪平もちがっている。
要がいなくなった岩崎の家の生活であるが、蝶子は家の中の規律を守り、礼儀ただしくする、お行儀良くする、ということを子どもたちに教えている。これは、諏訪平に疎開してからも同様である。こういうのを見て思うことは、こういう家庭で育った子どもがどうなるかということなのだが、これは、黒柳徹子という人物の実際のあり方で、ある意味で、視聴者には結論が分かっている。こういう家庭で育ったのなら、こんなふうに人間になるのだろう、ということがおのずと理解される。(あえてことばとして言うならば、品の良さであり、ヒューマニズムである。)
その他、気づいたこととしては、いくつかある。
東京で、蝶子は、兵隊の給料だけではやっていけない、ということを言っていた。戦時下の人びとの生活を描く中で、兵隊の給料、ということが出てくるのは珍しい。
青森の諏訪平の駅で、駅の構内の壁に貼ってあったポスターには、軍用兔とあった。これは、毛皮を利用するために、兔の飼育が戦時中に行われていたことを示すものになる。そして、毛皮をとったあとの兔の肉は、食用にされた。
疎開先で蝶子は、産業組合の事務の仕事につくことができた。この時代としては、地方の女学校とはいえ、女性で女学校出身というのは、希であった。その女学校で、蝶子は、良妻賢母教育を受けたことになる。これに対して、神谷先生は否定的な立場で、校長と対立していた。だが、これも、このときになってみると、女学校のときに身につけた洋裁などのことが、役立つことになっている。おそらくは、料理の実習などもあったかと思うが、どうだったろうか。とにかく、母親のみさは、なんにもできない。
東京で、これからみんなでどうするか話しをしているシーンで、安乃が神谷先生のとなりでだまってその話しを聞いている。その表情がとてもいい。今の価値観からすれば、古風ということになるが、こういう雰囲気の女性を描くことができたのも、1980年代のドラマであったということになるだろう。
2025年9月20日記
『チョッちゃん』 2025年9月15日の週
この週で描いていたのは、疎開のこと。
『チョッちゃん』はBSで朝の放送である。これを見ている人のかなりは、続けて『あんぱん』も見ているだろうと思う。どうしても見て比べてしまうことになる。
この週の『チョッちゃん』を見ていて思うことは、困っている人に親切にするという、ごく当たり前のことを、これほど素直に描けるドラマが作れた時代があった、ということである。『あんぱん』を見ると、困っている人に親切にするということが、具体的にはお腹を空かせている人に食べるものをあげる、ということなのだが、これをいうために、あまりにもああだこうだと理屈を述べすぎている。ここは、素直に、どうぞと差し出せばいいだけのことなのであるが、それが、素直な人間の感情として描けない時代に、現代ではなってきている、ということなのかとも思う。
汽車の中で、たまたま乗り合わせただけの人に、リンゴをあげて(東京まで箱で送ってきてくれて)、その家族が、疎開の途中で難儀して降りた駅で困っているのを見て、住むところなど提供してくれる。こういうことが、実際にありえたこととして、納得できる。それは、このドラマがこれまでに描いてきた人間観のつみかさねによる。人間とはこういうものだ、善意ということを、それと意識することなく、人にやさしくなれるものだし、また、それをうけとることができるものである。
印象的なのは、駅で出会った行商のおばさん。黒柳徹子である。おばさんは、見も知らぬ子ども(加津子と俊継)に白いご飯のおにぎりをくれる。それが、ごく自然な人間の行動として描かれており、加津子と俊継もそれをもらって食べる。
人間のなかには、善意もあれば、邪悪な部分もある。このドラマでは、その善意を肯定的に描いてきている。しかし、だからといって、人間の中にある邪悪な部分をまったく感じないかというと、そうではない。直接的な描写としては出てきていないが、人間の中にある、決して善意ばかりではない部分も、感じさせるところがある。そういう人間を描くのに、その悪意の部分を具体的に描くばかりではないのだ、ということを感じさせる。
戦時下の東京の暮らしということも、共感できる描写になっている。これまでに、防火訓練があったり、防空壕なども出てきてはいる。しかし、昭和20年3月10日の空襲も、具体的に映像化しているということはない。戦時下の生活というと、物資の窮乏であり、空襲であり、ということで、さまざまに描かれてきていることではあるが、日常生活の感覚として、疎開で身近な人びとを別れなければならなくなる、東京もこれからどうなるか分からない、さまざまな不安について、このドラマは、共感できる描写になっている。
えてして昭和16年の太平洋戦争開戦になって、人びとが空襲におびえながらすごしていたという感じのドラマが多いのだが、実際に空襲が本格化するのは、昭和19年にサイパンが陥落して、ここを基地としてB29が本土爆撃が多くなってからのことである。またこれも地方によって違いのあることであり、東京と滝川はちがうし、また、青森の諏訪平もちがっている。
要がいなくなった岩崎の家の生活であるが、蝶子は家の中の規律を守り、礼儀ただしくする、お行儀良くする、ということを子どもたちに教えている。これは、諏訪平に疎開してからも同様である。こういうのを見て思うことは、こういう家庭で育った子どもがどうなるかということなのだが、これは、黒柳徹子という人物の実際のあり方で、ある意味で、視聴者には結論が分かっている。こういう家庭で育ったのなら、こんなふうに人間になるのだろう、ということがおのずと理解される。(あえてことばとして言うならば、品の良さであり、ヒューマニズムである。)
その他、気づいたこととしては、いくつかある。
東京で、蝶子は、兵隊の給料だけではやっていけない、ということを言っていた。戦時下の人びとの生活を描く中で、兵隊の給料、ということが出てくるのは珍しい。
青森の諏訪平の駅で、駅の構内の壁に貼ってあったポスターには、軍用兔とあった。これは、毛皮を利用するために、兔の飼育が戦時中に行われていたことを示すものになる。そして、毛皮をとったあとの兔の肉は、食用にされた。
疎開先で蝶子は、産業組合の事務の仕事につくことができた。この時代としては、地方の女学校とはいえ、女性で女学校出身というのは、希であった。その女学校で、蝶子は、良妻賢母教育を受けたことになる。これに対して、神谷先生は否定的な立場で、校長と対立していた。だが、これも、このときになってみると、女学校のときに身につけた洋裁などのことが、役立つことになっている。おそらくは、料理の実習などもあったかと思うが、どうだったろうか。とにかく、母親のみさは、なんにもできない。
東京で、これからみんなでどうするか話しをしているシーンで、安乃が神谷先生のとなりでだまってその話しを聞いている。その表情がとてもいい。今の価値観からすれば、古風ということになるが、こういう雰囲気の女性を描くことができたのも、1980年代のドラマであったということになるだろう。
2025年9月20日記
『あんぱん』「怪傑アンパンマン」 ― 2025-09-21
2025年9月21日 當山日出夫
『あんぱん』「怪傑アンパンマン」
この週についても、どうも納得いかないところがあるので、批判的に書いてみる。
アンパンマンの正義がどんなものか、くどくどと説明しない方がいいと思う。四月にドラマがはじまったときに、逆転しない正義、ということを言っていたが、これがどんなものなのかということは、アンパンマンのテレビアニメや絵本など、見る人の想像力で思うことであるし、また、『あんぱん』というドラマを見る人が、それぞれに考えればいいことではないかと思う。これを、説明しようとすると、いろいろとほころびが見えてくるということである。逆転しない正義、というのが、人によって違っていてもいい。それを強いて具体例をあげるとするならば、お腹をすかせている人に食べるものを与えることであり、また、それは同時に自分が傷つくことでもあるし、かっこうのいいものでもない、ただ、これだけでいい。
大きな流れとしては、アンパンマンの面白さに最も敏感に反応したのは子どもたちであった。大人にはそれが理解できないことだったが、子どもたちの反応を見ながら試行錯誤を重ねて、テレビアニメ版ができて、それが、爆発的にヒットした、ということかと思っている。この観点では、ドラマとして描くべきは、子どもたちの喜ぶ姿であり、それが理解できない大人たち、ということになるだろう。
「アンパンマン」の面白さは、ヒーローのアンパンマンだけではなく、ばいきんまんをはじめ、多彩なキャラクターによるところが大きいことは、大きいだろう。さて、ばいきんまんは、どうして生まれることになったのだろうか。このあたりが、子どもに人気だったポイントかと思う。
中国の戦地で死んだ(この場合、戦死したということになるのだろうか)岩男の子ども(和明)が、嵩のもとをたずねてくる。戦地で死んだ父親のことを知りたいという。
この流れが不自然である。この時代であれば、自分の父親が戦争で死んだという人は、決して少なくはなかったはずである。そのなかで、特に、自分の父親のことを知らなければならないと考えた理由が説得力がない。自分の息子にうまく接することができないのは、自分に父親がいないからかもしれないので、その父親の戦地で死んだときの様子を知りたい……この理由付けは、この時代としては、かなり無理があると感じる。
そもそも、戦死したからといって、その時の状況が記録にきちんと残っていたり、同じ部隊の戦友であった人たちが克明に記憶している、ということは、一部の例外をのぞいて、無いと考えるのが普通だろう。太平洋戦争・大東亜戦争において、多くの軍人・兵士の戦死が、実際には、戦病死・餓死であったことは、今日では常識的なことである。また、嵩の弟の千尋は、海軍に志願したが、その戦死のときの状況は、明かではなかったはずである。遺骨もかえってきていない。だが、岩男の場合は、状況から判断して、遺骨は無事に高知に還ったかと思われる。
もし、戦地での様子が分かったとして、それが、和明が自分の父親としての自覚にどう影響するのか、前もって分かるはずはない。ただ、たまたた、このドラマの筋としては、現地の子どもとのことが出てきていたので、子どもへの思い、ということにはなっている。しかし、こういうことが事前に予想できたはずはない。場合によると、まったく逆の印象の残ることであったのかもしれない。
八木は、戦争とはそういうものだと言っていた。この科白を言うならば、戦争という状況のなかで、人間がどれほど冷酷になれるかということかとも思うし、逆に、どれほど人間的になれるかということかもしれない。また、上述のように、記録にも記憶にも残らないなかで、死んでいった数多くの兵士のことを思ってみるべきだろう。千尋のように遺骨もないことも多かった。
強いて言えば、戦争とは、子どもにも武器を持たせるものであり、そして、そういう子どもを殺しても、それは、正当な戦争の行為である(かどうか、結果的には子どもは殺されなかったのだが)……このように理解することもできるが、ドラマとしては、ここまでふみこんで語りたいということでもないようだ。
くりかえしになるが、軍隊での八木の姿は異常であった。まったく兵士らしくない、特異なキャラクターであった。なぜ、そのような兵士であったのか、そして、それにもかかわらず軍隊の中で生きのびられたのは何故なのか、ここのところがまったく描かれていない。こういう人物が、戦争とはそういうものだ、と言ったとしても、まったく説得力がない。
アンパンマンのミュージカルについて、嵩は、井伏鱒二と太宰治と映画・フランケンシュタイン、と言っていたが、私にはよく分からない。映画の原作の『フランケンシュタイン』の小説が、広く読まれるようになったのは、わりと近年になってからのことなので、この時代なら、映画のイメージが強かったことは確かだろう。人工的に作った生きもの……現代では、それを、原作に即してクリーチャーと言うことが多いが……を、アンパンマンになぞらえているのかと思うが、怪物・化物としてのフランケンシュタインのイメージは、あまりぴったりこない。また、井伏鱒二や太宰治の作品と、アンパンマンがどうむすびつくのか、私にはさっぱり理解できない。(井伏鱒二は代表的な作品は読んでいると思うし、太宰治は新潮文庫版で小説作品はほとんど読めるので、これは全部読んでいる。井伏鱒二は、戦争における人間のある面を描いた作家であることは確かだと思うが。ここのところは、見る人の解釈である。)
このアンパンマンのミュージカルの舞台が、はっきりいってつまらない。前に出てきた、「見上げてごらん夜の星を」の舞台が、映っていたのは短い時間だったが、これは本物だと感じさせるところがあったのに比べると、どこがいいのか分からない。あるいは、これは、大人には分からないけれど、子どもたちには、とても人気があったということかとも思うが、それならそれで、舞台についていろいろと工夫する大人の姿があり、ステージを見てはしゃいで大喜びする子どもたちの姿があっていいとかと思うのだが、そうはなっていなかった。
ミュージカルの舞台を、和明は息子と見にきていた。この時代、男性が子どもをつれて昼間から劇場にやってくるというのは、普通ではない。いや、現在の価値観では、こういうことを問題視することが、PCではないと排斥される。しかし、ドラマの時代設定としては、和明の仕事や家庭の事情について、なにがしか説明があるべきところであると、思うことになる。
ささいなことかもしれないが、八木の新しいオフィスの場面で、事務の机の上に電卓がおいてあった。昭和50年の設定であった。ちょうどこのころ、私が大学生になったころであるが、電卓はあまり一般には普及していない。大学生で必要としていたのは、理工学部の学生ぐらいだった。日吉のキャンパスの生協のお店で、理工学部の学生向けに関数電卓を売っていたのを思い出す。かなり高額だった。私が、自分で電卓を買ったのは、大学院で論文を書くときに、ちょっとした計算をする必要があったので買った。それでも、一万円ぐらいはしたかと憶えている。
昭和50年のオフィスなら、まだソロバンが主流であったと考えるべきかと思う。
さらに細かなことだが、喫茶店の花が変わっていない。白い花のままである。花が変わることによって、季節の移ろいを表現するというのは、そう難しいことではない、いや、ドラマを映像として作る基本だと思う。こういうところで、手を抜いていると感じるのは、制作スタッフの感性を信用できないということになってしまう。
2025年9月19日記
『あんぱん』「怪傑アンパンマン」
この週についても、どうも納得いかないところがあるので、批判的に書いてみる。
アンパンマンの正義がどんなものか、くどくどと説明しない方がいいと思う。四月にドラマがはじまったときに、逆転しない正義、ということを言っていたが、これがどんなものなのかということは、アンパンマンのテレビアニメや絵本など、見る人の想像力で思うことであるし、また、『あんぱん』というドラマを見る人が、それぞれに考えればいいことではないかと思う。これを、説明しようとすると、いろいろとほころびが見えてくるということである。逆転しない正義、というのが、人によって違っていてもいい。それを強いて具体例をあげるとするならば、お腹をすかせている人に食べるものを与えることであり、また、それは同時に自分が傷つくことでもあるし、かっこうのいいものでもない、ただ、これだけでいい。
大きな流れとしては、アンパンマンの面白さに最も敏感に反応したのは子どもたちであった。大人にはそれが理解できないことだったが、子どもたちの反応を見ながら試行錯誤を重ねて、テレビアニメ版ができて、それが、爆発的にヒットした、ということかと思っている。この観点では、ドラマとして描くべきは、子どもたちの喜ぶ姿であり、それが理解できない大人たち、ということになるだろう。
「アンパンマン」の面白さは、ヒーローのアンパンマンだけではなく、ばいきんまんをはじめ、多彩なキャラクターによるところが大きいことは、大きいだろう。さて、ばいきんまんは、どうして生まれることになったのだろうか。このあたりが、子どもに人気だったポイントかと思う。
中国の戦地で死んだ(この場合、戦死したということになるのだろうか)岩男の子ども(和明)が、嵩のもとをたずねてくる。戦地で死んだ父親のことを知りたいという。
この流れが不自然である。この時代であれば、自分の父親が戦争で死んだという人は、決して少なくはなかったはずである。そのなかで、特に、自分の父親のことを知らなければならないと考えた理由が説得力がない。自分の息子にうまく接することができないのは、自分に父親がいないからかもしれないので、その父親の戦地で死んだときの様子を知りたい……この理由付けは、この時代としては、かなり無理があると感じる。
そもそも、戦死したからといって、その時の状況が記録にきちんと残っていたり、同じ部隊の戦友であった人たちが克明に記憶している、ということは、一部の例外をのぞいて、無いと考えるのが普通だろう。太平洋戦争・大東亜戦争において、多くの軍人・兵士の戦死が、実際には、戦病死・餓死であったことは、今日では常識的なことである。また、嵩の弟の千尋は、海軍に志願したが、その戦死のときの状況は、明かではなかったはずである。遺骨もかえってきていない。だが、岩男の場合は、状況から判断して、遺骨は無事に高知に還ったかと思われる。
もし、戦地での様子が分かったとして、それが、和明が自分の父親としての自覚にどう影響するのか、前もって分かるはずはない。ただ、たまたた、このドラマの筋としては、現地の子どもとのことが出てきていたので、子どもへの思い、ということにはなっている。しかし、こういうことが事前に予想できたはずはない。場合によると、まったく逆の印象の残ることであったのかもしれない。
八木は、戦争とはそういうものだと言っていた。この科白を言うならば、戦争という状況のなかで、人間がどれほど冷酷になれるかということかとも思うし、逆に、どれほど人間的になれるかということかもしれない。また、上述のように、記録にも記憶にも残らないなかで、死んでいった数多くの兵士のことを思ってみるべきだろう。千尋のように遺骨もないことも多かった。
強いて言えば、戦争とは、子どもにも武器を持たせるものであり、そして、そういう子どもを殺しても、それは、正当な戦争の行為である(かどうか、結果的には子どもは殺されなかったのだが)……このように理解することもできるが、ドラマとしては、ここまでふみこんで語りたいということでもないようだ。
くりかえしになるが、軍隊での八木の姿は異常であった。まったく兵士らしくない、特異なキャラクターであった。なぜ、そのような兵士であったのか、そして、それにもかかわらず軍隊の中で生きのびられたのは何故なのか、ここのところがまったく描かれていない。こういう人物が、戦争とはそういうものだ、と言ったとしても、まったく説得力がない。
アンパンマンのミュージカルについて、嵩は、井伏鱒二と太宰治と映画・フランケンシュタイン、と言っていたが、私にはよく分からない。映画の原作の『フランケンシュタイン』の小説が、広く読まれるようになったのは、わりと近年になってからのことなので、この時代なら、映画のイメージが強かったことは確かだろう。人工的に作った生きもの……現代では、それを、原作に即してクリーチャーと言うことが多いが……を、アンパンマンになぞらえているのかと思うが、怪物・化物としてのフランケンシュタインのイメージは、あまりぴったりこない。また、井伏鱒二や太宰治の作品と、アンパンマンがどうむすびつくのか、私にはさっぱり理解できない。(井伏鱒二は代表的な作品は読んでいると思うし、太宰治は新潮文庫版で小説作品はほとんど読めるので、これは全部読んでいる。井伏鱒二は、戦争における人間のある面を描いた作家であることは確かだと思うが。ここのところは、見る人の解釈である。)
このアンパンマンのミュージカルの舞台が、はっきりいってつまらない。前に出てきた、「見上げてごらん夜の星を」の舞台が、映っていたのは短い時間だったが、これは本物だと感じさせるところがあったのに比べると、どこがいいのか分からない。あるいは、これは、大人には分からないけれど、子どもたちには、とても人気があったということかとも思うが、それならそれで、舞台についていろいろと工夫する大人の姿があり、ステージを見てはしゃいで大喜びする子どもたちの姿があっていいとかと思うのだが、そうはなっていなかった。
ミュージカルの舞台を、和明は息子と見にきていた。この時代、男性が子どもをつれて昼間から劇場にやってくるというのは、普通ではない。いや、現在の価値観では、こういうことを問題視することが、PCではないと排斥される。しかし、ドラマの時代設定としては、和明の仕事や家庭の事情について、なにがしか説明があるべきところであると、思うことになる。
ささいなことかもしれないが、八木の新しいオフィスの場面で、事務の机の上に電卓がおいてあった。昭和50年の設定であった。ちょうどこのころ、私が大学生になったころであるが、電卓はあまり一般には普及していない。大学生で必要としていたのは、理工学部の学生ぐらいだった。日吉のキャンパスの生協のお店で、理工学部の学生向けに関数電卓を売っていたのを思い出す。かなり高額だった。私が、自分で電卓を買ったのは、大学院で論文を書くときに、ちょっとした計算をする必要があったので買った。それでも、一万円ぐらいはしたかと憶えている。
昭和50年のオフィスなら、まだソロバンが主流であったと考えるべきかと思う。
さらに細かなことだが、喫茶店の花が変わっていない。白い花のままである。花が変わることによって、季節の移ろいを表現するというのは、そう難しいことではない、いや、ドラマを映像として作る基本だと思う。こういうところで、手を抜いていると感じるのは、制作スタッフの感性を信用できないということになってしまう。
2025年9月19日記
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