英雄たちの選択「江戸城の怪人〜御三卿 一橋治済の野望〜」2025-09-25

2025年9月25日 當山日出夫

英雄たちの選択 江戸城の怪人〜御三卿 一橋治済の野望〜

『べらぼう』の放送がなければ、一橋治済が一般に知られることはなかったかもしれない。だが、これも、近世の政治史などを専門にしている研究者なら、周知のことであったろうとは思うが。

将軍(家斉)の父親という立場で、政治の黒幕として実験をにぎる。こういうのは、さかのぼれば、平安時代の摂関政治もそうだし、院政もそうだし、江戸時代になってからの大御所政治もそういうことになる。このようなパターンは、日本の歴史において、少なからず見出されることだろう。日本の場合、隠居、ということはあるのだが、ご隠居さんが、のこのことしゃしゃり出てきてことをはこぶというのは、今もなくなったわけではない。政治の世界に、見られることである。(まあ、「水戸黄門」もそうともいえるし、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』なども、その系譜になるだろうか。)

徳川さんというと、私の場合だと、(もうお亡くなりなりになってひさしいが)学習院大学の徳川さんになる。日本の方言研究の第一人者であった。学会(国語学会など)では、なんどかお目にかかったことがある。たしか、徳川宗家だったと憶えている。

近世史の専門家なら、徳川将軍の系図は頭にはいっているはずである。ここは、家康から慶喜まで、どういうつながりになるか、全体像があって、そのなかで、御三家、御三卿というのが、どういう役割を果たしてきたのか、という説明がもうちょっとあってもよかったかと思う。

松平定信が白河藩主のとき、飢饉で餓死者が少なかった。これは、米を藩内に輸入(?)したからということだったのだが、江戸時代、全国的な米の流通というのは、どういうふうになっていたのだろうか。自分のところの農民が餓死しても、米を藩の外に売った方がもうかった、ということなのだろうか。

徳川家斉が子だくさんだったというのは有名なことだが、ここで、どのような閨閥(?)があって、それが、徳川幕府の政治にどう影響したのか、知りたいところである。番組の中で言っていたこととして、この時期は、政治的には停滞期であったが、文化としては化政文化として爛熟した時代であった……このあたりのことを、総合的にはどのように考えるべきなのか、いろいろと面白いことがあるかと思う。

そうなると、江戸幕府における大奥というものの存在感が大きくなる。大奥が、江戸時代の政治にどうかかわるものであったのか、これからの研究ということなのかと思う。

この番組は、人物を中心に構成するということなので、その背景にある大きな時代の流れが見えにくくなるということはある。人間とはいつの時代であっても、こんなもんだよ、という見方もできる一方で、歴史の中にあって翻弄される人間の姿もある。さらにその背景には……きわめて古いことばをあえてつかえば、下部構造としての社会のあり方もある。

一橋治済という人物は面白いが、治済、徳川家斉の時代、日本の社会がどのように変わっていったのか、ここのところにふれるところが少なかったのが、なんとなく残念な気のするところである。

~~の子どもとか、~~の孫とかで、政治を動かしてはいけない。まさに、今の日本の政治にあてはめて考えることになる。それが弊害となるのは、実力主義である、民主的なシステムである、ということになるのだろう。

2025年9月21日記

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