ドキュメント72時間「大阪・西成 カラオケ居酒屋で歌えば」 ― 2025-09-30
2025年9月30日 當山日出夫
ドキュメント72時間 大阪・西成 カラオケ居酒屋で歌えば
大坂の西成については、そのエリアがどういう街であるかという実態の部分と、また、それとは別に、どのようなイメージで語られてきたか、という言説の部分がある。これは、分けて考えなければならないとは思う。
だからといって、西成のあたりは、行ってみたいというエリアではない。これは、偏見もふくんでいるのかと自分では思わないでもないが、しかし、それ以上に、もうこの年になると、新しい街に行ってみるのが面倒になってきているというのが、強い。
大坂では、別にこのあたりに限らず、喫茶店のモーニングで生ビールが出てくるところはある。
元大学の非常勤講師という男性が言っていたことだが、その人物の背景については、一切詮索しない、というのが暗黙のルールである。刹那的といえば、そうかもしれないが、それがある意味でのやさしさである、という面はある。大学の語学教師というような仕事だからこそ見えてくる、世の中の一面ということはある。
世の中にこういうところがあっていいと私は思っている。世の中、潔癖にきれいであればいいというものではない。
番組がはじまって、まず気になったのは、カラオケの音源をつかうことの権利関係のことだったのだが、見ていると、第一興商の協力で作った番組ということになるようだ。
2025年9月27日記
ドキュメント72時間 大阪・西成 カラオケ居酒屋で歌えば
大坂の西成については、そのエリアがどういう街であるかという実態の部分と、また、それとは別に、どのようなイメージで語られてきたか、という言説の部分がある。これは、分けて考えなければならないとは思う。
だからといって、西成のあたりは、行ってみたいというエリアではない。これは、偏見もふくんでいるのかと自分では思わないでもないが、しかし、それ以上に、もうこの年になると、新しい街に行ってみるのが面倒になってきているというのが、強い。
大坂では、別にこのあたりに限らず、喫茶店のモーニングで生ビールが出てくるところはある。
元大学の非常勤講師という男性が言っていたことだが、その人物の背景については、一切詮索しない、というのが暗黙のルールである。刹那的といえば、そうかもしれないが、それがある意味でのやさしさである、という面はある。大学の語学教師というような仕事だからこそ見えてくる、世の中の一面ということはある。
世の中にこういうところがあっていいと私は思っている。世の中、潔癖にきれいであればいいというものではない。
番組がはじまって、まず気になったのは、カラオケの音源をつかうことの権利関係のことだったのだが、見ていると、第一興商の協力で作った番組ということになるようだ。
2025年9月27日記
歴史探偵「日本人と選挙」 ― 2025-09-30
2025年9月30日 當山日出夫
歴史探偵 日本人と選挙
この番組の中で言っていたことは、そのとおりのことだと思うのだが、しかし、見ていて、言っていないことがやはり気になる。
普選(男子普通選挙)となったことは確かなことであるが、それにいたる過程が重要なはずだが、ここについて触れることがなかった。大正時代の時代の流れ、人びとの政治への意識の変化、また、何よりも、識字率の向上……文字の読み書きができなければ選挙の投票はできない……ということがあったはずである。
選挙、男子普通選挙ということと、政治史における政党政治ということは、重要な関連があるはずである。昭和の戦前の歴史として、政党政治の崩壊、軍部の横暴、ということがよく言われるし、そのとおりだったと思っているのだが、では、なぜ選挙によって選ばれた議員による政党政治が、国民の支持をえられなかったのか、ここのところの説明が必要であろう。一般には、政党(政友会、民政党)が、お互いの批判ばかりしていたから、ということになっているが、はたしてこれだけのことだったのだろうか。これは、その後の大政翼賛会から、戦後の政党政治にいたる、おおきな流れのなかで、考えるべきことのように思う。
選挙の啓発アニメーション映画は、貴重なものであり、面白い。だが、これの一部を紹介するとき、その時代の日本のかかえる問題として、映っていたのは、
人口問題 食糧問題 思想問題 太平洋問題
ということだった。このうち、人口問題と食糧問題は言及があったが、思想問題と太平洋問題は、無視されていた。まあ、NHKとしては、こういうことには触れたくないという気もあるだろうとは思うが(説明するとなると面倒である)、しかし、この時代の一般の人びとにうったえるものとして、どういう社会的課題がしめされていたのか、ということは、ごまかすことはよくない。
大政翼賛会の成立の経緯は、そのとおりなのだろうが、視点の置き方によっては、大政翼賛会の議員が、8割ぐらいで、その他が、2割ぐらい。これをどう見るかは、変わってくる。大政翼賛会が政府のいいなりであったということに重点をおくか(たしかにそのとおりであったことにはなるのだが)、それでも、2割ほどは、いいなりになっていない、こちらを考えるか、である。そして、問題は、議員の割合であると同時に、法案に対する賛成・反対の比率である。具体的に、どのような法案が、どの程度の賛成の率であったのか、この観点も重要だろう。
戦後の婦人参政権のところで、市川房枝が、立候補しなかったということだが、これは、普通の歴史の智識としては、立候補したくてもできなかった、公職追放の対象となっていたから、ということだと思っている。いや、そうではなく、公職追放とは関係なく、自身の判断として立候補しなかったということなのだろうか。ここは、どうだったのか、はっきりと語っておくべきことであったと思う。
私の目で見て、いろいろと問題のある回だったと思うのだが、斎藤隆夫の粛軍演説の音声記録が残っているのは、非常に貴重なものだった。
2025年9月25日記
歴史探偵 日本人と選挙
この番組の中で言っていたことは、そのとおりのことだと思うのだが、しかし、見ていて、言っていないことがやはり気になる。
普選(男子普通選挙)となったことは確かなことであるが、それにいたる過程が重要なはずだが、ここについて触れることがなかった。大正時代の時代の流れ、人びとの政治への意識の変化、また、何よりも、識字率の向上……文字の読み書きができなければ選挙の投票はできない……ということがあったはずである。
選挙、男子普通選挙ということと、政治史における政党政治ということは、重要な関連があるはずである。昭和の戦前の歴史として、政党政治の崩壊、軍部の横暴、ということがよく言われるし、そのとおりだったと思っているのだが、では、なぜ選挙によって選ばれた議員による政党政治が、国民の支持をえられなかったのか、ここのところの説明が必要であろう。一般には、政党(政友会、民政党)が、お互いの批判ばかりしていたから、ということになっているが、はたしてこれだけのことだったのだろうか。これは、その後の大政翼賛会から、戦後の政党政治にいたる、おおきな流れのなかで、考えるべきことのように思う。
選挙の啓発アニメーション映画は、貴重なものであり、面白い。だが、これの一部を紹介するとき、その時代の日本のかかえる問題として、映っていたのは、
人口問題 食糧問題 思想問題 太平洋問題
ということだった。このうち、人口問題と食糧問題は言及があったが、思想問題と太平洋問題は、無視されていた。まあ、NHKとしては、こういうことには触れたくないという気もあるだろうとは思うが(説明するとなると面倒である)、しかし、この時代の一般の人びとにうったえるものとして、どういう社会的課題がしめされていたのか、ということは、ごまかすことはよくない。
大政翼賛会の成立の経緯は、そのとおりなのだろうが、視点の置き方によっては、大政翼賛会の議員が、8割ぐらいで、その他が、2割ぐらい。これをどう見るかは、変わってくる。大政翼賛会が政府のいいなりであったということに重点をおくか(たしかにそのとおりであったことにはなるのだが)、それでも、2割ほどは、いいなりになっていない、こちらを考えるか、である。そして、問題は、議員の割合であると同時に、法案に対する賛成・反対の比率である。具体的に、どのような法案が、どの程度の賛成の率であったのか、この観点も重要だろう。
戦後の婦人参政権のところで、市川房枝が、立候補しなかったということだが、これは、普通の歴史の智識としては、立候補したくてもできなかった、公職追放の対象となっていたから、ということだと思っている。いや、そうではなく、公職追放とは関係なく、自身の判断として立候補しなかったということなのだろうか。ここは、どうだったのか、はっきりと語っておくべきことであったと思う。
私の目で見て、いろいろと問題のある回だったと思うのだが、斎藤隆夫の粛軍演説の音声記録が残っているのは、非常に貴重なものだった。
2025年9月25日記
BS世界のドキュメンタリー「ナチスの頭脳を獲得せよ アポロ計画の裏で」 ― 2025-09-30
2025年9月30日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスの頭脳を獲得せよ アポロ計画の裏で」
2025年、イギリスの制作。
録画してあったのをようやく見た。
第二次世界大戦後のアメリカの宇宙開発技術が、ドイツのロケット技術……具体的にはV2の技術ということになるだろうが……を、うけついだものであるということは、常識的なことと思っている。そして、その科学者や技術者の中に、ナチスとかかわりのあった人物がいたとしても、そうおどろくことではない、と私は思う。いや、そういうことを分かっていたうえで、ソ連との競争という状況にあっては、ロケット技術のみならず、その他の科学や技術的ないろんな面において、ドイツの人材を受け入れる必要があっただろう。
イギリスの作った番組だが、言っていないこととして、例えば、ソ連の原爆の成功は、アメリカの技術をスパイが盗み出したものが、おおきく寄与している……これなども、歴史の常識だと思うが、みんな知っていることだから言わなかったのか、それとも黙っていただけのことなのか、イギリスの視聴者としては、どちらを考えておくべきなのだろうか。
ソ連がスプートニクの打ち上げに成功し、その後、有人の宇宙飛行に成功したことの技術的なうらづけは、どんなものだったのだろうか。これは、今ならかなりのことが分かっているはずだが、このころの、アメリカとソ連との競争のなかで、科学者や技術者が、それぞれの国で、どのような研究活動にしたがっていたのか、これをきちんと語っておくべきではないかと思う。そして、その中には、ドイツ出身の人たちも多くいたことだろう。
ナチスとかかわりがあろうがなかろうが、技術は技術である、という面があるということを、ふまえておくべきだろう。そして、その技術を何のためにどう使うかとなるとき、政治とのかかわりが生まれることは確かである。さらにいえば、絶対に正しい政治的理念や政策ということがあるわけでもないし、また、そのなかで生きている人間も、歴史の中でまったくの白紙の状態のように潔白であることもできない、ということも確かなことだろう。
私の感想としては、ナチス=悪、という図式だけで、歴史を語ろうとするのは、もう今では無理があるのではないかと感じるところである。
2025年9月16日記
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスの頭脳を獲得せよ アポロ計画の裏で」
2025年、イギリスの制作。
録画してあったのをようやく見た。
第二次世界大戦後のアメリカの宇宙開発技術が、ドイツのロケット技術……具体的にはV2の技術ということになるだろうが……を、うけついだものであるということは、常識的なことと思っている。そして、その科学者や技術者の中に、ナチスとかかわりのあった人物がいたとしても、そうおどろくことではない、と私は思う。いや、そういうことを分かっていたうえで、ソ連との競争という状況にあっては、ロケット技術のみならず、その他の科学や技術的ないろんな面において、ドイツの人材を受け入れる必要があっただろう。
イギリスの作った番組だが、言っていないこととして、例えば、ソ連の原爆の成功は、アメリカの技術をスパイが盗み出したものが、おおきく寄与している……これなども、歴史の常識だと思うが、みんな知っていることだから言わなかったのか、それとも黙っていただけのことなのか、イギリスの視聴者としては、どちらを考えておくべきなのだろうか。
ソ連がスプートニクの打ち上げに成功し、その後、有人の宇宙飛行に成功したことの技術的なうらづけは、どんなものだったのだろうか。これは、今ならかなりのことが分かっているはずだが、このころの、アメリカとソ連との競争のなかで、科学者や技術者が、それぞれの国で、どのような研究活動にしたがっていたのか、これをきちんと語っておくべきではないかと思う。そして、その中には、ドイツ出身の人たちも多くいたことだろう。
ナチスとかかわりがあろうがなかろうが、技術は技術である、という面があるということを、ふまえておくべきだろう。そして、その技術を何のためにどう使うかとなるとき、政治とのかかわりが生まれることは確かである。さらにいえば、絶対に正しい政治的理念や政策ということがあるわけでもないし、また、そのなかで生きている人間も、歴史の中でまったくの白紙の状態のように潔白であることもできない、ということも確かなことだろう。
私の感想としては、ナチス=悪、という図式だけで、歴史を語ろうとするのは、もう今では無理があるのではないかと感じるところである。
2025年9月16日記
覚えのない殺人「後編「迷宮」」 ― 2025-09-30
2025年9月30日 當山日出夫
覚えのない殺人 後編「迷宮」
犯人が分かって、事件の事情も判明し、佐治(小林薫)も最後のところでは、自分が認知症であることを受け入れる。今の時代に作るドラマとしては、最後のところは、こういうところになるのが妥当かと思える。
しかし、問題としては、認知症である人がおこしたこと、もしそれが犯罪となることだったとして、罪にとうことができるのか。この法律的な問題は、現在ではどの程度まで議論されているのだろうか。
ドラマの展開としても、場合によっては、佐治が被害者のアパートまで行っていて、事件になんらかの形で具体的に関与するという展開であってもおかしくない。実際には、そのようになる場合も十分に想定される。
近代的な人間観、法的な責任能力の問題として、人間の自由意志のことがある。はたして人間は、どこまで自由意志を持ちうるものなのか、哲学的にも、また、生物学的にも、あるいは、文化の問題としても、さまざまな議論のあるところであることは承知しているのだが、それに、現代では、認知症になった人間の場合、ということを考えなければならなくなってきている。さらには、人間の理性的判断能力とは何であるのか、という問題とも関連する。(これは、これからの問題としては、安楽死の判断ということにかかわってくるはずである。)
サスペンスドラマとしてはよく出来ていたと思うが、提起した問題は、これから社会の多方面で議論しなければならない課題であることは確かである。
2025年9月29日記
覚えのない殺人 後編「迷宮」
犯人が分かって、事件の事情も判明し、佐治(小林薫)も最後のところでは、自分が認知症であることを受け入れる。今の時代に作るドラマとしては、最後のところは、こういうところになるのが妥当かと思える。
しかし、問題としては、認知症である人がおこしたこと、もしそれが犯罪となることだったとして、罪にとうことができるのか。この法律的な問題は、現在ではどの程度まで議論されているのだろうか。
ドラマの展開としても、場合によっては、佐治が被害者のアパートまで行っていて、事件になんらかの形で具体的に関与するという展開であってもおかしくない。実際には、そのようになる場合も十分に想定される。
近代的な人間観、法的な責任能力の問題として、人間の自由意志のことがある。はたして人間は、どこまで自由意志を持ちうるものなのか、哲学的にも、また、生物学的にも、あるいは、文化の問題としても、さまざまな議論のあるところであることは承知しているのだが、それに、現代では、認知症になった人間の場合、ということを考えなければならなくなってきている。さらには、人間の理性的判断能力とは何であるのか、という問題とも関連する。(これは、これからの問題としては、安楽死の判断ということにかかわってくるはずである。)
サスペンスドラマとしてはよく出来ていたと思うが、提起した問題は、これから社会の多方面で議論しなければならない課題であることは確かである。
2025年9月29日記
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