ドキュメント72時間「巨大コスメ店 鏡の自分と向き合えば」 ― 2025-09-10
2025年9月10日 當山日出夫
ドキュメント72時間 巨大コスメ店 鏡の自分と向き合えば
化粧ということを考えるならば、一般的には、はるか古代の人間の文化というところから考えなければならないはずである。化粧についての、文化人類学、歴史学、社会史、というような研究はいっぱいあるにちがいない。
この番組を見て、「プチプラ」とか「デパコス」とかいうことばを憶えた。使う人は、普通に使っているのだろう。
化粧品が月に1000種ぐらい新商品が出るというのは、すさまじいとしかいいようがない。化粧品は、製造の原価が安い割には、高額で売れるから、作って売る側にしてみれば、もうけの大きい商品かなとは思う。だが、それだけに、競争は熾烈であることになる。
(ここは、むしろ、化粧品のメーカとか、あるいは、番組に出てきた韓国の化粧品のバイヤーとか、そういう人たちの話があると、面白いと思う。)
化粧品を買うのに、目の前に現物があるところで、その商品について、スマートフォンで評判などをチェックしているというのは、今の時代ならではのことである。
取材が、7月の末である。ということは、普通の学校は夏休みである。大学であると、今の大学は、ぎりぎり前期の試験が終わるかどうか、というあたりである。しかし、教員の側は、とても大変である。(私の学生のころ、7月になると実質的に受業はほとんどなかった。暗黙の約束で、学期の最初と最後はお休みです、という先生も多かった。今のように、かっちり15回ということではなかった。今から思えば夢のような時代である。)
学校が休みということなら、もうちょっと中学生や高校生が映っていてもいいかなと思うのだが、番組の作り方としては、まあ無難な人を選んであったという印象である。
バブルのころのファッションに憧れるという女性が出てきていたのだが、私の目には、どう見ても大坂のおばちゃんである。(これは、かなりの偏見であろうけれど。)
もともと大坂のファッションは、派手だと言われる。これは、(私の思うとろこだと)ファッション雑誌に載っているような服や化粧をそのまま自分も着てみたい、やってみたい、ということである。それに対して、雑誌のモデルは、そういう服で化粧をしているのだが、それを、自分なりにどう薄めて似合うようにするのか、という発想もある。このあたりのすれ違いが、大坂ならではの、ド派手なファッションセンスということになるのかと、思うところである。
なりたい自分になるための自己表現としてのメイクなのか、あるいは、もともとの自分の素の姿を見えなくするための、いわば化けるためのメイクなのか、化粧とか衣服には、こういう複合的な要素がある。
私の感覚としては、化粧は見た目だけのことではない。女性の化粧品のかすかな匂いが、ほのかなエロティシズムを感じさせる……というような感覚は、今の時代には通用しないことなのかもしれないが、どうなのだろうか。
2025年9月6日記
ドキュメント72時間 巨大コスメ店 鏡の自分と向き合えば
化粧ということを考えるならば、一般的には、はるか古代の人間の文化というところから考えなければならないはずである。化粧についての、文化人類学、歴史学、社会史、というような研究はいっぱいあるにちがいない。
この番組を見て、「プチプラ」とか「デパコス」とかいうことばを憶えた。使う人は、普通に使っているのだろう。
化粧品が月に1000種ぐらい新商品が出るというのは、すさまじいとしかいいようがない。化粧品は、製造の原価が安い割には、高額で売れるから、作って売る側にしてみれば、もうけの大きい商品かなとは思う。だが、それだけに、競争は熾烈であることになる。
(ここは、むしろ、化粧品のメーカとか、あるいは、番組に出てきた韓国の化粧品のバイヤーとか、そういう人たちの話があると、面白いと思う。)
化粧品を買うのに、目の前に現物があるところで、その商品について、スマートフォンで評判などをチェックしているというのは、今の時代ならではのことである。
取材が、7月の末である。ということは、普通の学校は夏休みである。大学であると、今の大学は、ぎりぎり前期の試験が終わるかどうか、というあたりである。しかし、教員の側は、とても大変である。(私の学生のころ、7月になると実質的に受業はほとんどなかった。暗黙の約束で、学期の最初と最後はお休みです、という先生も多かった。今のように、かっちり15回ということではなかった。今から思えば夢のような時代である。)
学校が休みということなら、もうちょっと中学生や高校生が映っていてもいいかなと思うのだが、番組の作り方としては、まあ無難な人を選んであったという印象である。
バブルのころのファッションに憧れるという女性が出てきていたのだが、私の目には、どう見ても大坂のおばちゃんである。(これは、かなりの偏見であろうけれど。)
もともと大坂のファッションは、派手だと言われる。これは、(私の思うとろこだと)ファッション雑誌に載っているような服や化粧をそのまま自分も着てみたい、やってみたい、ということである。それに対して、雑誌のモデルは、そういう服で化粧をしているのだが、それを、自分なりにどう薄めて似合うようにするのか、という発想もある。このあたりのすれ違いが、大坂ならではの、ド派手なファッションセンスということになるのかと、思うところである。
なりたい自分になるための自己表現としてのメイクなのか、あるいは、もともとの自分の素の姿を見えなくするための、いわば化けるためのメイクなのか、化粧とか衣服には、こういう複合的な要素がある。
私の感覚としては、化粧は見た目だけのことではない。女性の化粧品のかすかな匂いが、ほのかなエロティシズムを感じさせる……というような感覚は、今の時代には通用しないことなのかもしれないが、どうなのだろうか。
2025年9月6日記
映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ昭和百年(3) 高度成長 やがて悲しき奇跡かな」 ― 2025-09-11
2025年9月11日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(3) 高度成長 やがて悲しき奇跡かな
私の個人的な体験としても、昭和39(1964)年の東京オリンピックから、昭和45(1970)年の大阪万博までが、日本の一番よかった時代だったと回顧することになる。こういうことがあって、今の時代の、2000(2001)年の東京オリンピックから、2005年の関西万博までの期間については、おそらく日本の歴史の転換点になるだろうかという気持ちがしている。それが、どのような方向にむかうことなるかは分からないが。
番組について批判的に思うことを、まず書いておきたい。水俣病について語るとき、チッソという会社が何を作っていたのか、まったく触れないというのは、非常に問題だと思っている。その被害についてきちんと報ずるとするならば、これは絶対に必要なことだと思うのだが、これまで、テレビのドキュメンタリー番組などで、水俣病がとりあげられるとき、何を作っていた会社なのか、その製品が日本の産業にとって、どういう意味があったのか、まったく言及しないというのは、あまりにもフェアではない、という印象を持つ。
日本の高度経済成長期が、ある意味で非常に問題をふくんだ社会であったことは、私にとっては、いまさら言うまでもないことである。しかし、今の若い人たちにとっては、昔の日本はこんなだったということになるし、知っておくべきことだと思う。
日本にとって良かったことになるのは、この高度経済成長期で、とりあえずほとんどの日本が豊かになった、ということがある。そこから取りのこされた人たちがいたことも、忘れてはならないことなのだが。
また、この番組の性質上そうなるのかと思うが、あつかってあったのが都市部の生活が中心であった。昭和30年代から40年代にかけて、多くの人びとが都市部に移動したことは確かであるが、その影響をうけたのは、都市部だけではなく、その人たちの故郷であった地方にもおよんでいる。ここで、むろん、良かったこともあるし、悪かったこともある。だが、農村地域の生活が劇的に変化したのも、まさにこの時代だった。「忘れられた日本人」が本当に忘れられてしまうようになった時代である。(はたして、これが本当によかったことなのかどうかは、疑問であるのかもしれないが。)
2025年9月10日記
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(3) 高度成長 やがて悲しき奇跡かな
私の個人的な体験としても、昭和39(1964)年の東京オリンピックから、昭和45(1970)年の大阪万博までが、日本の一番よかった時代だったと回顧することになる。こういうことがあって、今の時代の、2000(2001)年の東京オリンピックから、2005年の関西万博までの期間については、おそらく日本の歴史の転換点になるだろうかという気持ちがしている。それが、どのような方向にむかうことなるかは分からないが。
番組について批判的に思うことを、まず書いておきたい。水俣病について語るとき、チッソという会社が何を作っていたのか、まったく触れないというのは、非常に問題だと思っている。その被害についてきちんと報ずるとするならば、これは絶対に必要なことだと思うのだが、これまで、テレビのドキュメンタリー番組などで、水俣病がとりあげられるとき、何を作っていた会社なのか、その製品が日本の産業にとって、どういう意味があったのか、まったく言及しないというのは、あまりにもフェアではない、という印象を持つ。
日本の高度経済成長期が、ある意味で非常に問題をふくんだ社会であったことは、私にとっては、いまさら言うまでもないことである。しかし、今の若い人たちにとっては、昔の日本はこんなだったということになるし、知っておくべきことだと思う。
日本にとって良かったことになるのは、この高度経済成長期で、とりあえずほとんどの日本が豊かになった、ということがある。そこから取りのこされた人たちがいたことも、忘れてはならないことなのだが。
また、この番組の性質上そうなるのかと思うが、あつかってあったのが都市部の生活が中心であった。昭和30年代から40年代にかけて、多くの人びとが都市部に移動したことは確かであるが、その影響をうけたのは、都市部だけではなく、その人たちの故郷であった地方にもおよんでいる。ここで、むろん、良かったこともあるし、悪かったこともある。だが、農村地域の生活が劇的に変化したのも、まさにこの時代だった。「忘れられた日本人」が本当に忘れられてしまうようになった時代である。(はたして、これが本当によかったことなのかどうかは、疑問であるのかもしれないが。)
2025年9月10日記
BSスペシャル「軍神と記者 特攻 封じられた本心」 ― 2025-09-11
2025年9月11日 當山日出夫
BSスペシャル 軍神と記者 特攻 封じられた本心
批判的な見方になるが、人間には本心というものがあって、それは、自らの意志でことばに出したり、出さなかったりできるものだ……という番組製作者の人間観が、根本的に軽薄であるとしか思えない。
特攻隊として志願するということは、(兵学校で教育をうけてきた軍人として)偽りであったということはないであろうし、同時に、どうせ死ぬならそれは、妻のためである、という気持ちもあっただろう。これらは対立するものではなく、一人の人間の中に共存しうるものである。また、これ以外のいろんな思いがあっただろう。そのうち、もっとも弱々しいと思われる部分を、記者に語ってみることになった、と理解しておきたい。(私の理解としては。)
関行男大尉(その後、二階級特進して中佐)が、この時代の戦闘機のパイロットとして、どの程度の技量の持ち主であったのか、ということが、私としては気になる。本人が言っていたように、優秀であったということは、おそらく本当のことなのだろう。
特攻を戦術として採用するにあたって、その最初の攻撃は、失敗が許されない。そのためには、技量が優秀なパイロットを選ぶ、これは、軍事的に合理的な判断である。そして、その後のこととしては、特攻に必要な技能……目的地まで飛ぶことができて、目標とする艦艇に突撃することができるなら……それを満たす中程度の技量のパイロットが選ばれることになる。すぐれた技量のものは、その後の決戦のために温存する。非常に、非人間的ともいえるが、軍事的にはこのように考えることになった。
特攻を発案することよりも、むしろ、その後の経緯の方が、より非人道的といっていいかもしれない。
写真のことが謎である。関行男が、プライベートに撮影を頼んだ写真が、どうして新聞の一面に掲載されることになったのか、このことの経緯はどうだったのか、気になるところである。
「大尉」を、海軍方式で「だいい」というか、今日の一般のいいかたで「たいい」というかは、あえて不統一のままにしたのだろう。
また、この種の番組を見ていつも思うことなのだが、飛行機による特攻以外にも、各種の特攻兵器があった。桜花、回天、震洋、などなど。意地の悪い見方かもしれないが、飛行機による特攻を、特別視しているようにも感じられる。(番組製作者としては、そんなことはないと言うだろうと思うが。)
太平洋戦争における軍神というなら、真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇の9軍神の話にふれておくべきだろうし、それにさきだっては、第二次上海事変のときの爆弾三勇士のことも、忘れてはならないだろう。これらを称揚したのは、マスコミ(新聞)であり、とにかく売れる紙面を作ることが、至上命題であった時代である。このことは、メディア史研究から言われていることである。
すべての新聞が検閲されていた時代、この番組で言うように、関行男の本心を記事にできたかどうか、ほとんど不可能だっただろと思う。(このことに記者として自責の念を持つのは、確かにそうかとも思うが。)
戦後になって、特攻で死んだ軍人・兵士への評価が、逆転したのは、ことの真相があきらかになったというよりも、むしろ、GHQの日本の占領政策の結果であるというのが、常識的な判断だろう。それに加担したのが、NHKであったことを、NHK自身が忘れてはいけないはずである。そして、この時代の普通の人びとだけではなく、おそらく現代でも、人間とはそういうものなのである。
とはいえ、GHQの支配下にあった時代に、どのような言論や報道の自由があったのか、あるいは、なかったのか、これはまだ研究として残された部分であると思っている。
また、強いて書けば、故郷に関行男の墓があると同時に、靖国神社にも祀られていることを、語っておくべきだっただろう。
番組の中では出てきていなかったことだが、(大西瀧治郎は映っていたが)、統率の外道、という認識のあったころは、まだまともであったともいえよう。
2025年9月10日記
BSスペシャル 軍神と記者 特攻 封じられた本心
批判的な見方になるが、人間には本心というものがあって、それは、自らの意志でことばに出したり、出さなかったりできるものだ……という番組製作者の人間観が、根本的に軽薄であるとしか思えない。
特攻隊として志願するということは、(兵学校で教育をうけてきた軍人として)偽りであったということはないであろうし、同時に、どうせ死ぬならそれは、妻のためである、という気持ちもあっただろう。これらは対立するものではなく、一人の人間の中に共存しうるものである。また、これ以外のいろんな思いがあっただろう。そのうち、もっとも弱々しいと思われる部分を、記者に語ってみることになった、と理解しておきたい。(私の理解としては。)
関行男大尉(その後、二階級特進して中佐)が、この時代の戦闘機のパイロットとして、どの程度の技量の持ち主であったのか、ということが、私としては気になる。本人が言っていたように、優秀であったということは、おそらく本当のことなのだろう。
特攻を戦術として採用するにあたって、その最初の攻撃は、失敗が許されない。そのためには、技量が優秀なパイロットを選ぶ、これは、軍事的に合理的な判断である。そして、その後のこととしては、特攻に必要な技能……目的地まで飛ぶことができて、目標とする艦艇に突撃することができるなら……それを満たす中程度の技量のパイロットが選ばれることになる。すぐれた技量のものは、その後の決戦のために温存する。非常に、非人間的ともいえるが、軍事的にはこのように考えることになった。
特攻を発案することよりも、むしろ、その後の経緯の方が、より非人道的といっていいかもしれない。
写真のことが謎である。関行男が、プライベートに撮影を頼んだ写真が、どうして新聞の一面に掲載されることになったのか、このことの経緯はどうだったのか、気になるところである。
「大尉」を、海軍方式で「だいい」というか、今日の一般のいいかたで「たいい」というかは、あえて不統一のままにしたのだろう。
また、この種の番組を見ていつも思うことなのだが、飛行機による特攻以外にも、各種の特攻兵器があった。桜花、回天、震洋、などなど。意地の悪い見方かもしれないが、飛行機による特攻を、特別視しているようにも感じられる。(番組製作者としては、そんなことはないと言うだろうと思うが。)
太平洋戦争における軍神というなら、真珠湾攻撃のときの特殊潜航艇の9軍神の話にふれておくべきだろうし、それにさきだっては、第二次上海事変のときの爆弾三勇士のことも、忘れてはならないだろう。これらを称揚したのは、マスコミ(新聞)であり、とにかく売れる紙面を作ることが、至上命題であった時代である。このことは、メディア史研究から言われていることである。
すべての新聞が検閲されていた時代、この番組で言うように、関行男の本心を記事にできたかどうか、ほとんど不可能だっただろと思う。(このことに記者として自責の念を持つのは、確かにそうかとも思うが。)
戦後になって、特攻で死んだ軍人・兵士への評価が、逆転したのは、ことの真相があきらかになったというよりも、むしろ、GHQの日本の占領政策の結果であるというのが、常識的な判断だろう。それに加担したのが、NHKであったことを、NHK自身が忘れてはいけないはずである。そして、この時代の普通の人びとだけではなく、おそらく現代でも、人間とはそういうものなのである。
とはいえ、GHQの支配下にあった時代に、どのような言論や報道の自由があったのか、あるいは、なかったのか、これはまだ研究として残された部分であると思っている。
また、強いて書けば、故郷に関行男の墓があると同時に、靖国神社にも祀られていることを、語っておくべきだっただろう。
番組の中では出てきていなかったことだが、(大西瀧治郎は映っていたが)、統率の外道、という認識のあったころは、まだまともであったともいえよう。
2025年9月10日記
100年後も、旅に出る。「大阪編2」 ― 2025-09-11
2025年9月11日 當山日出夫
100年後も、旅に出る。「大阪編2」
二回目も録画しておいて、後で見た。
こういう話題だと、NHKなら「美の壺」あたりであつかってもいいようなことかとも思うが、全体としてわりと面白かった。
一番興味深かったのは、堺のお茶屋さん。戦争中に空襲で焼けてしまい、隣の町で店をだした。すると、ものすごくもうかった。お茶というのは、日常生活の必需品ではあるが、しかし、一種の嗜好品である。無いなら無い、ということで、別に困ることはない。水が飲めれば、人間は死にはしない。だが、戦後の窮乏生活のなかにあっても、人間がもとめるものとして、お茶というようなものが大事にされた、ということは、非常に興味深い。まさに、日常生活の嗜好品というのは、こういうものである。
私が育ったのは京都の宇治である。家のすぐ近くに茶畑があった。京阪の宇治線の沿線も茶畑があった。今では、もう住宅地に変わってしまっている。(強いていえば、宇治茶は、宇治で栽培するものではなくなってしまっている。)
お茶をブレンドする、ということは、初めて見たような気がする。コーヒーでもブレンドするし、お酒でも、日本酒やウイスキーなどは、ブレンドすることが多い。だから、お茶のブレンドということもあることは納得できる。
かき氷は、もうこの年齢になると、食べてみたいと思わなくなった。
和菓子店の主人のことばが印象に残る。この商売は、もうけようと思ってはいけない、お客さんが美味しいと言ってくれればよいのである……もう今では、このような価値観、職業倫理など、消えてなくなってしまっているごとくである。
丹波大納言の小豆を使うので、一度に一升しか作らない。こういうところをきちんと守るのも、今となっては価値がある。工場で大量生産してコスト削減ということが至上命題のような時代に、こういう店が街の中に残っているというのは、安心できることである。
大阪ガスのガスビルの食堂。以前、何かで見たような気はする。しかし、入ったことはない。今の時代だから、メニューも検索すると分かる。カレーの値段は、そう高いものではない。昔ながらの街の洋食屋さんというのも、今では貴重なところになってしまっている。
堺の鋏屋さんも、いい仕事をする。たぶん、値段は高いのだろうが、プロが使うものとしては、いいものを使いたいと思うにちがいない。こういう職人の仕事が残っていくといいと思う。
2025年9月5日記
100年後も、旅に出る。「大阪編2」
二回目も録画しておいて、後で見た。
こういう話題だと、NHKなら「美の壺」あたりであつかってもいいようなことかとも思うが、全体としてわりと面白かった。
一番興味深かったのは、堺のお茶屋さん。戦争中に空襲で焼けてしまい、隣の町で店をだした。すると、ものすごくもうかった。お茶というのは、日常生活の必需品ではあるが、しかし、一種の嗜好品である。無いなら無い、ということで、別に困ることはない。水が飲めれば、人間は死にはしない。だが、戦後の窮乏生活のなかにあっても、人間がもとめるものとして、お茶というようなものが大事にされた、ということは、非常に興味深い。まさに、日常生活の嗜好品というのは、こういうものである。
私が育ったのは京都の宇治である。家のすぐ近くに茶畑があった。京阪の宇治線の沿線も茶畑があった。今では、もう住宅地に変わってしまっている。(強いていえば、宇治茶は、宇治で栽培するものではなくなってしまっている。)
お茶をブレンドする、ということは、初めて見たような気がする。コーヒーでもブレンドするし、お酒でも、日本酒やウイスキーなどは、ブレンドすることが多い。だから、お茶のブレンドということもあることは納得できる。
かき氷は、もうこの年齢になると、食べてみたいと思わなくなった。
和菓子店の主人のことばが印象に残る。この商売は、もうけようと思ってはいけない、お客さんが美味しいと言ってくれればよいのである……もう今では、このような価値観、職業倫理など、消えてなくなってしまっているごとくである。
丹波大納言の小豆を使うので、一度に一升しか作らない。こういうところをきちんと守るのも、今となっては価値がある。工場で大量生産してコスト削減ということが至上命題のような時代に、こういう店が街の中に残っているというのは、安心できることである。
大阪ガスのガスビルの食堂。以前、何かで見たような気はする。しかし、入ったことはない。今の時代だから、メニューも検索すると分かる。カレーの値段は、そう高いものではない。昔ながらの街の洋食屋さんというのも、今では貴重なところになってしまっている。
堺の鋏屋さんも、いい仕事をする。たぶん、値段は高いのだろうが、プロが使うものとしては、いいものを使いたいと思うにちがいない。こういう職人の仕事が残っていくといいと思う。
2025年9月5日記
よみがえる新日本紀行「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」
再放送である。2021年8月22日。オリジナルは、1975(昭和50)年9月8日。
河内音頭は、耳になじんでいる。特に聴くということもないのだが、聴けば、ああそうかと分かる。河内音頭は、決まった歌詞があるというものでなく、即興的にその時代のことがらなど、場合によっては風刺的に、取り入れながら作って歌っていくものだというのが、私の認識である。
地域の盆踊りをささえる、地域の共同体の感覚というものがなくなりつつある時代なのだが、今でも河内地方では、地蔵盆の盆踊りはつづいているらしい。
私は、京都の宇治の育ちであるので、地蔵盆というと、夏休みのおわりごろの子どものお祭り、という印象がどうしても強い。
昔の映像で、スイカが山積みになった八百屋さんの店先で、8分の1にカットしたスイカを食べながら、おじさんたちが話しをしている、このような場面は、今ではもう見られないかもしれない。スイカも、まるごとのままだと冷蔵庫に入れにくいので、少なくとも半分に切らないといけなくなっている。まるごと冷水で冷やしてという習慣は、今では無くなってしまったことかもしれない。完全に消えてはいないだろうが。
河内音頭は、民衆の音楽である。だから、その伴奏に、太鼓は使うとしても、エレキギターやキーボードが使われていても、なんの問題もない。日本の伝統音楽は、笛や太鼓や三味線でなければと思いこむのは、まちがっている。
昭和50年のころに、1000円、2000円、と寄付を集めるのは、大変だったかもしれない。このころ、私は、大学生になって東京に住むようになったのだが、たしか新幹線で京都から東京まで、10000円ぐらいだったかと憶えている。(もうほとんど忘れている。ただ、目黒の四畳半の下宿が、月に8500円だったのは記憶している。)
2025年9月10日記
よみがえる新日本紀行 「河内夏すがた〜大阪・八尾〜」
再放送である。2021年8月22日。オリジナルは、1975(昭和50)年9月8日。
河内音頭は、耳になじんでいる。特に聴くということもないのだが、聴けば、ああそうかと分かる。河内音頭は、決まった歌詞があるというものでなく、即興的にその時代のことがらなど、場合によっては風刺的に、取り入れながら作って歌っていくものだというのが、私の認識である。
地域の盆踊りをささえる、地域の共同体の感覚というものがなくなりつつある時代なのだが、今でも河内地方では、地蔵盆の盆踊りはつづいているらしい。
私は、京都の宇治の育ちであるので、地蔵盆というと、夏休みのおわりごろの子どものお祭り、という印象がどうしても強い。
昔の映像で、スイカが山積みになった八百屋さんの店先で、8分の1にカットしたスイカを食べながら、おじさんたちが話しをしている、このような場面は、今ではもう見られないかもしれない。スイカも、まるごとのままだと冷蔵庫に入れにくいので、少なくとも半分に切らないといけなくなっている。まるごと冷水で冷やしてという習慣は、今では無くなってしまったことかもしれない。完全に消えてはいないだろうが。
河内音頭は、民衆の音楽である。だから、その伴奏に、太鼓は使うとしても、エレキギターやキーボードが使われていても、なんの問題もない。日本の伝統音楽は、笛や太鼓や三味線でなければと思いこむのは、まちがっている。
昭和50年のころに、1000円、2000円、と寄付を集めるのは、大変だったかもしれない。このころ、私は、大学生になって東京に住むようになったのだが、たしか新幹線で京都から東京まで、10000円ぐらいだったかと憶えている。(もうほとんど忘れている。ただ、目黒の四畳半の下宿が、月に8500円だったのは記憶している。)
2025年9月10日記
ETV特集「アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
ETV特集 アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜
写真花嫁ということは知っていたことであるが、その背景については、あまり考えたことがなかった。見ながら思ったことを書いておく。
日本からアメリカに渡った写真花嫁は、かなり高学歴である。女学校、女子師範学校、中には、大学を卒業という女性もいる。(ただし、この時代、女子の大学は制度的には専門学校のあつかいだったはずである。)女学校に行くことも、かなり希な時代である。この時代としては、女性として高等教育を受けた女性だからこそ、写真花嫁として、アメリカ行きを決意したということだろう。
では、そのアメリカに行った男性たちはどうだったのだろうか。女性たちの学歴が分かっているなら、男性たちの学歴も記録にあるにちがいないと思うのだが、これを、映さないというのは、ちょっとおかしい。
日本では、この時代なら、結婚にあたって男女間の社会階層の違いということは、強く意識されたはずである。いわゆる玉の輿は、あっても、その逆は、あまりなかったと思うので、日本から、写真花嫁を迎えた男性たちも、それなり学歴の人たちだったと考えていいのだろうか。
全体として、アメリカに行った日本人たちの、出身や素性・出自、ということについては、どれぐらい調査されているのだろうか。この全体像が見えないと、写真花嫁だった女性たちだけを取りあげても、よく分からない。無論、アメリカ以外に南米に行った人も多いし、満州に渡った人も多い。これらの、全体の姿が見えること、これがまず重要なことである。(はたして、こういうことの研究はどれぐらいなされているのだろうか。)
さりげなく言っていたことだが、この時代に、アメリカが受け入れた東洋からの移民は、中国出身が最も多かったという。その人たちは、その後、アメリカ社会の中で、どう生活してきたことになるのだろうか。そして、そのような人たちは、現在の中国では、どう見られているのだろうか。
番組では、写真花嫁として女性をむかえたのは、この時代のアメリカでは、日本人と白人との結婚が法的に許可されていなかったからだ、ということである。これは、白人と黒人との間であっても同様であった時代のことになる。ある意味では、当然のことだったかもしれない(現代の価値観からは否定的に見ることになるが。)
アメリカに行った日本人男性は、その結婚相手として日本人女性をもとめる。これは、当たり前のことのようだが、しかし、これも現在の価値観からすると、日本人だけでかたまってしまって排他的・排外的であったと見なすべきことになる。だが、この時代の感覚としては、これが当たり前のことだったのだろう。(ちなみに、今でも、日本にすむ韓国出身の男性が、韓国の女性を奥さんにする、という事例はある。ある民族が、ある程度まとまって、他の国に移住するということがあれば、こういうことはありうることになる。一概に、同化を拒否する排他性ということもできないだろう。)
太平洋戦争のとき、収容所に入れられた歴史があった。このとき、アメリカに忠誠を誓って、従軍した人たちが多くいた。若い男性の多くは兵士となった。主な戦場としては、ヨーロッパ戦線であった。(このあたり、太平洋戦線に投入しなかったのは何故か、という問題もある。これが全くのゼロであったことではないが。)女性兵士もいたことになる。この流れのなかで、番組では、忠誠を拒否した女性にスポットをあてていた。このような女性がいたことは知られていいことだと思うが、その先の人生として、日本に戻るということをしていない。さて、写真花嫁のみならず、アメリカに渡った人たちが、戦後になって日本に帰ってくる、ということがどの程度あったのか、これはこれとして知りたいところである。(たしか和歌山のアメリカ村には、移民先のカナダからもどった人もいたかと思うのだが。行ったさきがカナダだったが、なぜかアメリカ村という。)
この番組の趣旨は分かるとはいうものの、最後のところで、「We Are the Children」を歌うのは、はたして、アメリカの寛容なのだろうか。メロディは、いかにもアメリカ的であるし、歌詞が英語である。日本語でもないし、スペイン語でもない。やや天邪鬼に見るならば、アメリカの文化を受け入れるならどうぞ、という制限付きの寛容ということになる。(これと同じこと、日本に来るなら日本の風俗習慣を受け入れるようにしてほしい、こういうことを言っただけで、レイシストと罵倒されかねないのが、今の日本である。)
音楽は、民族や国境を越えるというが、これも欺瞞の部分がある。日本の伝統的な古来の音楽の音階と、西洋の音楽の音階は、異なっている。これは、明治になってから、文明開化のときに西洋の音楽を日本で受け入れるときに、非常に大きな困難であったことでもある。その明治の先人たちの苦労の結果、今の日本で、普通に西洋風の音楽を、また、他の国や地域の音楽でも、受け入れることができる、という歴史を無視してはいけないだろう。(音楽は、他の文化的領域とくらべて、多様な要素がミックスしやすい分野かとも思う。)
また、トランプ大統領が移民を完全に排除するというような印象で番組を作ってあるのも、非常に詐欺的である。表現としては過激でも、実質的には、違法な入国、不法な滞在を許さない、と言っているだけであり、アメリカをWASPの国にもどそうとしているわけではない。それは無理である。(まあ、アメリカの一部にそういう思想の人もいることは確かだろう。また不法に入国したという経緯があっても、現にアメリカ国内で生計をいとなんでいる人たちをどう処遇するかということは問題である。)
2025年9月8日記
ETV特集 アメリカに刻印を残す女たち〜写真花嫁 百年の物語〜
写真花嫁ということは知っていたことであるが、その背景については、あまり考えたことがなかった。見ながら思ったことを書いておく。
日本からアメリカに渡った写真花嫁は、かなり高学歴である。女学校、女子師範学校、中には、大学を卒業という女性もいる。(ただし、この時代、女子の大学は制度的には専門学校のあつかいだったはずである。)女学校に行くことも、かなり希な時代である。この時代としては、女性として高等教育を受けた女性だからこそ、写真花嫁として、アメリカ行きを決意したということだろう。
では、そのアメリカに行った男性たちはどうだったのだろうか。女性たちの学歴が分かっているなら、男性たちの学歴も記録にあるにちがいないと思うのだが、これを、映さないというのは、ちょっとおかしい。
日本では、この時代なら、結婚にあたって男女間の社会階層の違いということは、強く意識されたはずである。いわゆる玉の輿は、あっても、その逆は、あまりなかったと思うので、日本から、写真花嫁を迎えた男性たちも、それなり学歴の人たちだったと考えていいのだろうか。
全体として、アメリカに行った日本人たちの、出身や素性・出自、ということについては、どれぐらい調査されているのだろうか。この全体像が見えないと、写真花嫁だった女性たちだけを取りあげても、よく分からない。無論、アメリカ以外に南米に行った人も多いし、満州に渡った人も多い。これらの、全体の姿が見えること、これがまず重要なことである。(はたして、こういうことの研究はどれぐらいなされているのだろうか。)
さりげなく言っていたことだが、この時代に、アメリカが受け入れた東洋からの移民は、中国出身が最も多かったという。その人たちは、その後、アメリカ社会の中で、どう生活してきたことになるのだろうか。そして、そのような人たちは、現在の中国では、どう見られているのだろうか。
番組では、写真花嫁として女性をむかえたのは、この時代のアメリカでは、日本人と白人との結婚が法的に許可されていなかったからだ、ということである。これは、白人と黒人との間であっても同様であった時代のことになる。ある意味では、当然のことだったかもしれない(現代の価値観からは否定的に見ることになるが。)
アメリカに行った日本人男性は、その結婚相手として日本人女性をもとめる。これは、当たり前のことのようだが、しかし、これも現在の価値観からすると、日本人だけでかたまってしまって排他的・排外的であったと見なすべきことになる。だが、この時代の感覚としては、これが当たり前のことだったのだろう。(ちなみに、今でも、日本にすむ韓国出身の男性が、韓国の女性を奥さんにする、という事例はある。ある民族が、ある程度まとまって、他の国に移住するということがあれば、こういうことはありうることになる。一概に、同化を拒否する排他性ということもできないだろう。)
太平洋戦争のとき、収容所に入れられた歴史があった。このとき、アメリカに忠誠を誓って、従軍した人たちが多くいた。若い男性の多くは兵士となった。主な戦場としては、ヨーロッパ戦線であった。(このあたり、太平洋戦線に投入しなかったのは何故か、という問題もある。これが全くのゼロであったことではないが。)女性兵士もいたことになる。この流れのなかで、番組では、忠誠を拒否した女性にスポットをあてていた。このような女性がいたことは知られていいことだと思うが、その先の人生として、日本に戻るということをしていない。さて、写真花嫁のみならず、アメリカに渡った人たちが、戦後になって日本に帰ってくる、ということがどの程度あったのか、これはこれとして知りたいところである。(たしか和歌山のアメリカ村には、移民先のカナダからもどった人もいたかと思うのだが。行ったさきがカナダだったが、なぜかアメリカ村という。)
この番組の趣旨は分かるとはいうものの、最後のところで、「We Are the Children」を歌うのは、はたして、アメリカの寛容なのだろうか。メロディは、いかにもアメリカ的であるし、歌詞が英語である。日本語でもないし、スペイン語でもない。やや天邪鬼に見るならば、アメリカの文化を受け入れるならどうぞ、という制限付きの寛容ということになる。(これと同じこと、日本に来るなら日本の風俗習慣を受け入れるようにしてほしい、こういうことを言っただけで、レイシストと罵倒されかねないのが、今の日本である。)
音楽は、民族や国境を越えるというが、これも欺瞞の部分がある。日本の伝統的な古来の音楽の音階と、西洋の音楽の音階は、異なっている。これは、明治になってから、文明開化のときに西洋の音楽を日本で受け入れるときに、非常に大きな困難であったことでもある。その明治の先人たちの苦労の結果、今の日本で、普通に西洋風の音楽を、また、他の国や地域の音楽でも、受け入れることができる、という歴史を無視してはいけないだろう。(音楽は、他の文化的領域とくらべて、多様な要素がミックスしやすい分野かとも思う。)
また、トランプ大統領が移民を完全に排除するというような印象で番組を作ってあるのも、非常に詐欺的である。表現としては過激でも、実質的には、違法な入国、不法な滞在を許さない、と言っているだけであり、アメリカをWASPの国にもどそうとしているわけではない。それは無理である。(まあ、アメリカの一部にそういう思想の人もいることは確かだろう。また不法に入国したという経緯があっても、現にアメリカ国内で生計をいとなんでいる人たちをどう処遇するかということは問題である。)
2025年9月8日記
100分de名著「平家物語」 ― 2025-09-12
2025年9月12日 當山日出夫
100分de名著 平家物語
夜のおそい時間にまとめて再放送があったので、録画しておいて続けて見た。
最初の放送は、2019年5月である。
『平家物語』について語るのに、安田登という選択肢は、この番組の趣旨からすればふさわしい。軍記物語というジャンルの作品であるが、歴史的背景についての知識も必要だし、『平家物語』を文学としてどう読むかとなると、非常に多面的でむずかしい。それを、「おごり」が人間をダメにして、亡んでいく姿としてとらえるのは、一つの見方である。そして、それを、「運」と「命」と「時」というなかで理解するというのも、これはこれで分かりやすい説明である。
文学史的に細かなことをいえば、『平家物語』がいつごろできて、どのような異本があって、どのように伝承、書承されてきたテキストなのか、ということについては、いろんな問題点がある。さらに、その受容史ということについては、難しいかと思う。
だが、そこを、能楽の視点から、これは鎮魂の物語である、と言いきることができるのが、安田登の強みということになるだろう。(これが普通の日本文学の研究者だったら、こういう言い方をきっぱりとはできない。)
『平家物語』は音読すべき、これはそのとおりである。昔の文章であっても、ことばを吟味するときには、音読してみるべきである。無論、国語史、日本語史の観点からは、ややこしい問題はあるのだが、いや、そのようなややこしい問題があることがあるとしても、現代の日本語の流儀で音読してみることの価値はある。こういうことができるのが、日本語の古典というものである。
「候」を、「そうろう」と読むか「さぶろう」と読むかは、男女のことばのつかいわけとして知られていることだが(日本語の歴史の知識として)、これは守った朗読であった。
知盛の最後のことば、「見るべき程の事は見つ」は、石母田正の『平家物語』で言及されている。これは、学生のときに、岩波新書で読んで、今は、岩波文庫で読むことができる。歴史学研究者の視点からの『平家物語』として、面白い。(だが、今、石母田正が歴史学研究の分野でどのように評価されているかは、不案内なのであるが。)
『平家物語』は、鎮魂の物語である。死者のことを語り続けることに意味がある、という。これは、そのとおりであり、こういう文学が、日本の古典文学として読み続けられてきたことは、確かである。もっとも、『平家物語』が、日本の古典として、再発見されたのが、明治になって国文学という学問の成立にともなってであるという、ことも重要なのだが。直接、『平家物語』を読むというよりも、この作品から題材をとって、能楽などの芸能の分野で、受け継がれてきた歴史ということの方が重要かもしれない。
鎮魂というのは、今の日本社会のなかで、ほとんど忘れられつつある感覚かとも思う。まれに、戦争や災害などの犠牲者について、思い出すぐらいのことになっている。たしかに、悲劇的な死をむかえることになった人の霊についての、特別な感覚ということはある。その一つの流れが、御霊信仰というような形かとも思う。
軍記物語という面もあるが、同時に、鎮魂の文学として、『平家物語』が日本の古典として読み継がれていくことの価値を考えてみるべきだろう。
2025年9月8日記
100分de名著 平家物語
夜のおそい時間にまとめて再放送があったので、録画しておいて続けて見た。
最初の放送は、2019年5月である。
『平家物語』について語るのに、安田登という選択肢は、この番組の趣旨からすればふさわしい。軍記物語というジャンルの作品であるが、歴史的背景についての知識も必要だし、『平家物語』を文学としてどう読むかとなると、非常に多面的でむずかしい。それを、「おごり」が人間をダメにして、亡んでいく姿としてとらえるのは、一つの見方である。そして、それを、「運」と「命」と「時」というなかで理解するというのも、これはこれで分かりやすい説明である。
文学史的に細かなことをいえば、『平家物語』がいつごろできて、どのような異本があって、どのように伝承、書承されてきたテキストなのか、ということについては、いろんな問題点がある。さらに、その受容史ということについては、難しいかと思う。
だが、そこを、能楽の視点から、これは鎮魂の物語である、と言いきることができるのが、安田登の強みということになるだろう。(これが普通の日本文学の研究者だったら、こういう言い方をきっぱりとはできない。)
『平家物語』は音読すべき、これはそのとおりである。昔の文章であっても、ことばを吟味するときには、音読してみるべきである。無論、国語史、日本語史の観点からは、ややこしい問題はあるのだが、いや、そのようなややこしい問題があることがあるとしても、現代の日本語の流儀で音読してみることの価値はある。こういうことができるのが、日本語の古典というものである。
「候」を、「そうろう」と読むか「さぶろう」と読むかは、男女のことばのつかいわけとして知られていることだが(日本語の歴史の知識として)、これは守った朗読であった。
知盛の最後のことば、「見るべき程の事は見つ」は、石母田正の『平家物語』で言及されている。これは、学生のときに、岩波新書で読んで、今は、岩波文庫で読むことができる。歴史学研究者の視点からの『平家物語』として、面白い。(だが、今、石母田正が歴史学研究の分野でどのように評価されているかは、不案内なのであるが。)
『平家物語』は、鎮魂の物語である。死者のことを語り続けることに意味がある、という。これは、そのとおりであり、こういう文学が、日本の古典文学として読み続けられてきたことは、確かである。もっとも、『平家物語』が、日本の古典として、再発見されたのが、明治になって国文学という学問の成立にともなってであるという、ことも重要なのだが。直接、『平家物語』を読むというよりも、この作品から題材をとって、能楽などの芸能の分野で、受け継がれてきた歴史ということの方が重要かもしれない。
鎮魂というのは、今の日本社会のなかで、ほとんど忘れられつつある感覚かとも思う。まれに、戦争や災害などの犠牲者について、思い出すぐらいのことになっている。たしかに、悲劇的な死をむかえることになった人の霊についての、特別な感覚ということはある。その一つの流れが、御霊信仰というような形かとも思う。
軍記物語という面もあるが、同時に、鎮魂の文学として、『平家物語』が日本の古典として読み継がれていくことの価値を考えてみるべきだろう。
2025年9月8日記
ワールド・トラックロード「インド編」 ― 2025-09-13
2025年9月13日 當山日出夫
ワールド・トラックロード インド編
テレビのHDに残っていたので、見ることにした。調べてみると、最初の放送は、2024年12月7日。
映像がいいし、音楽がいい。なんとなく、何にも考えずに見ているのがいいのだろうが、しかし、見ながらいろいろと考える。
インドだから自動車が左を走る。大英帝国の植民地だったのだから、こうなっているのだろうと思う。そうなら、日本で自動車が左側通行なのは、どうしてかという気もする。
インドの道路は、牛が優先である。堂々と道のまんなかを占領して歩いている。牛飼いの人も、平然と、牛たちを道路を横切らせる。
デコトラというのは、日本では最近では減ったかと思うが、インドでは基本的にデコトラ主流のようである。(余計なコストと思うこともできるが、それなりの事情というか理由があってのことなのだろう。)
食事のシーンが興味深い。旅の途中のレストランなど、テーブルと椅子という場合もあるようなのだが、多くは、床の上に大きめの縁台(といって分かる人は少ないかもしれないが)が置いてあって、その上にテーブルがあって、そこを床として座る。食事は、原則的に床に置くようである。手で食べるのが基本。食器が基本的に金属製なのは、どこでもそうなのだろうか。ドライブインの食堂だから、そうなのだろうか。
料理を作るところを見ると、どれもかなりの強い火力で鍋に具材を入れて調理している。中華料理のような感じである。これと比べると、日本料理というのは、そんなに強い火力を使わない。天ぷらぐらいだろうか。無論、お魚の刺身は火を使わない。映っていた限り、インドでは、強い火力で鍋を使いようだ。これも地方によって違うかと思うが。
カレーがたくさんある、というよりも、なんでもかんでも料理をカレーと言っているような気もする。(これは偏見かとも思うけど。)
チャイの作り方も豪快というべきであろうか。
州をまたぐときに、検問があるのはいいとして、そこで税金を払うというのは、どういう税制なのだろうか。
インドの内陸部の運送というと、どうしてもトラックになる。これは、どの国や地域であっても同じである。
自動車のEV化とはいうが、トラックやバスのEV化については、あまりニュースで見ない。乗用車の話しばかりである。しかし、世界の物流や人の交流を考えるならば、EVトラック・バス、ということが必要だろうし、自動運転も、都市部よりも、だだっぴろい大陸の真ん中をほとんどまっすぐに走るような道路でこそ、物流の効率化に意味があるように思える。はたして、こういうことは、どの程度、進んでいるのだろうか。
GPSに頼らなくても、中国とかなら、自前の衛星でもって、なんとかやってのけそうだし、それで、ユーラシア大陸を横断する一帯一路を、自動運転のトラックやバスが走るようになると、はたして世界はどう変わるだろうか。これは、もう時間の問題かもしれない。そのためには、EVトラックの開発と同時に、充電設備などのインフラ整備が必要になるが、こちらの方が問題かもしれない。また、その電気をどうやって作るかとなると、原子力発電ということになるだろう。
だが、ともあれ、今のところは、トラック運転手というのは、社会にとって必要な職業の一つであることは確かである。少なくとも、かなりの程度を自動化できたとしても、ラスト1マイルは、人間の手に頼ることになるかとも思う。日本の場合は、そうだろう。
さらっと言っていたのだが、村にはカーストがあるが、みんな仲よくくらしている……そういうものかと思う。現代の日本の感覚だと、カーストは、インドの宿痾であって、なんとしても根絶せねばならない絶対悪として語られることが多い。しかし、その中で古くから生活してきた人々にとっては、カーストはあってあたりまえで、社会の安定のためには、強いて否定するというほどのことはない、ということなのかとも思う。一方、子どもには教育を受けさせたいという。いわゆる、学歴メリトクラシーといってもいいかもしれない。教育による社会階層の上昇が可能であるならば、今あるカーストも、自分の生活に不満が無い限り許容できると理解できようか。人間の社会とはこういうものだといってしまえば、それまでかもしれないが。
どうでもいいことかもしれないが、今や、地球のどこに行っても、CocaCola の文字を目にすることになる。
インドの村でも、ウクライナの戦場でも、携帯電話(スマートフォン)が通じる世界になっているということを、改めて感じた。
2025年9月5日記
ワールド・トラックロード インド編
テレビのHDに残っていたので、見ることにした。調べてみると、最初の放送は、2024年12月7日。
映像がいいし、音楽がいい。なんとなく、何にも考えずに見ているのがいいのだろうが、しかし、見ながらいろいろと考える。
インドだから自動車が左を走る。大英帝国の植民地だったのだから、こうなっているのだろうと思う。そうなら、日本で自動車が左側通行なのは、どうしてかという気もする。
インドの道路は、牛が優先である。堂々と道のまんなかを占領して歩いている。牛飼いの人も、平然と、牛たちを道路を横切らせる。
デコトラというのは、日本では最近では減ったかと思うが、インドでは基本的にデコトラ主流のようである。(余計なコストと思うこともできるが、それなりの事情というか理由があってのことなのだろう。)
食事のシーンが興味深い。旅の途中のレストランなど、テーブルと椅子という場合もあるようなのだが、多くは、床の上に大きめの縁台(といって分かる人は少ないかもしれないが)が置いてあって、その上にテーブルがあって、そこを床として座る。食事は、原則的に床に置くようである。手で食べるのが基本。食器が基本的に金属製なのは、どこでもそうなのだろうか。ドライブインの食堂だから、そうなのだろうか。
料理を作るところを見ると、どれもかなりの強い火力で鍋に具材を入れて調理している。中華料理のような感じである。これと比べると、日本料理というのは、そんなに強い火力を使わない。天ぷらぐらいだろうか。無論、お魚の刺身は火を使わない。映っていた限り、インドでは、強い火力で鍋を使いようだ。これも地方によって違うかと思うが。
カレーがたくさんある、というよりも、なんでもかんでも料理をカレーと言っているような気もする。(これは偏見かとも思うけど。)
チャイの作り方も豪快というべきであろうか。
州をまたぐときに、検問があるのはいいとして、そこで税金を払うというのは、どういう税制なのだろうか。
インドの内陸部の運送というと、どうしてもトラックになる。これは、どの国や地域であっても同じである。
自動車のEV化とはいうが、トラックやバスのEV化については、あまりニュースで見ない。乗用車の話しばかりである。しかし、世界の物流や人の交流を考えるならば、EVトラック・バス、ということが必要だろうし、自動運転も、都市部よりも、だだっぴろい大陸の真ん中をほとんどまっすぐに走るような道路でこそ、物流の効率化に意味があるように思える。はたして、こういうことは、どの程度、進んでいるのだろうか。
GPSに頼らなくても、中国とかなら、自前の衛星でもって、なんとかやってのけそうだし、それで、ユーラシア大陸を横断する一帯一路を、自動運転のトラックやバスが走るようになると、はたして世界はどう変わるだろうか。これは、もう時間の問題かもしれない。そのためには、EVトラックの開発と同時に、充電設備などのインフラ整備が必要になるが、こちらの方が問題かもしれない。また、その電気をどうやって作るかとなると、原子力発電ということになるだろう。
だが、ともあれ、今のところは、トラック運転手というのは、社会にとって必要な職業の一つであることは確かである。少なくとも、かなりの程度を自動化できたとしても、ラスト1マイルは、人間の手に頼ることになるかとも思う。日本の場合は、そうだろう。
さらっと言っていたのだが、村にはカーストがあるが、みんな仲よくくらしている……そういうものかと思う。現代の日本の感覚だと、カーストは、インドの宿痾であって、なんとしても根絶せねばならない絶対悪として語られることが多い。しかし、その中で古くから生活してきた人々にとっては、カーストはあってあたりまえで、社会の安定のためには、強いて否定するというほどのことはない、ということなのかとも思う。一方、子どもには教育を受けさせたいという。いわゆる、学歴メリトクラシーといってもいいかもしれない。教育による社会階層の上昇が可能であるならば、今あるカーストも、自分の生活に不満が無い限り許容できると理解できようか。人間の社会とはこういうものだといってしまえば、それまでかもしれないが。
どうでもいいことかもしれないが、今や、地球のどこに行っても、CocaCola の文字を目にすることになる。
インドの村でも、ウクライナの戦場でも、携帯電話(スマートフォン)が通じる世界になっているということを、改めて感じた。
2025年9月5日記
所さん!事件ですよ「突撃!となりの多国籍タウン」 ― 2025-09-13
2025年9月13日 當山日出夫
所さん!事件ですよ「突撃!となりの多国籍タウン」
いわゆる多文化共生ということを言わなければならないNHKとしては、こういう内容になるのかとは思う。強いていえば、今の時代の多文化共生は、かつての大アジア主義、が言い過ぎなら、五族協和ぐらいのところかと思う。(理念としては必ずしも間違いだとはいいきれないところもあるが、しかし、それをどう実現するかとなると、非常に大きな問題があったことになる。)
日本に外国から人がやってきて、仕事をしたりする、留学もある、ということは決して否定しない。いや、実際に、日本の産業や経済は、外国人労働者の存在なしにはなりたたないのが実情である。
そのうえで、あえて言う。
日本に来るならば、もし日本で死ぬことがあったら、火葬になりますが、それでいいですか……このことを周知徹底する。なぜ、このことが言えないのだろうか。
日本でも土葬がかつては一般的であり、現在でも、ごく一部で可能である。だが、だからといって、昔にもどすということは、不可能だろう。現代の日本の社会は、人間の死を可能な限り、いわば清潔なもの(けがれとはしない)として見るようになってきている。そのように見ようとしてきている。この大きな流れのなかで、土葬は姿を消し、火葬ということになった。葬送儀礼も多様化している。散骨も普通のことになっている。これが、昔の土葬に戻るということは、かなりハードルが高い。
イスラムの信仰を持つ人びとを、日本社会が受け入れるためには、土葬の墓地を許容するか、さもなくば、上述のように、日本で死ねば火葬ですがそれでいいですね、ということなるか、という議論になるだろう。ここのところにふみこまないで、ただ多文化共生というだけでは、あまりにも欺瞞がすぎる。
なお、次の本があることは、もっと知られていいと思う。
高橋繁行.『土葬の村』.講談社(講談社現代新書).2021
2025年9月8日記
所さん!事件ですよ「突撃!となりの多国籍タウン」
いわゆる多文化共生ということを言わなければならないNHKとしては、こういう内容になるのかとは思う。強いていえば、今の時代の多文化共生は、かつての大アジア主義、が言い過ぎなら、五族協和ぐらいのところかと思う。(理念としては必ずしも間違いだとはいいきれないところもあるが、しかし、それをどう実現するかとなると、非常に大きな問題があったことになる。)
日本に外国から人がやってきて、仕事をしたりする、留学もある、ということは決して否定しない。いや、実際に、日本の産業や経済は、外国人労働者の存在なしにはなりたたないのが実情である。
そのうえで、あえて言う。
日本に来るならば、もし日本で死ぬことがあったら、火葬になりますが、それでいいですか……このことを周知徹底する。なぜ、このことが言えないのだろうか。
日本でも土葬がかつては一般的であり、現在でも、ごく一部で可能である。だが、だからといって、昔にもどすということは、不可能だろう。現代の日本の社会は、人間の死を可能な限り、いわば清潔なもの(けがれとはしない)として見るようになってきている。そのように見ようとしてきている。この大きな流れのなかで、土葬は姿を消し、火葬ということになった。葬送儀礼も多様化している。散骨も普通のことになっている。これが、昔の土葬に戻るということは、かなりハードルが高い。
イスラムの信仰を持つ人びとを、日本社会が受け入れるためには、土葬の墓地を許容するか、さもなくば、上述のように、日本で死ねば火葬ですがそれでいいですね、ということなるか、という議論になるだろう。ここのところにふみこまないで、ただ多文化共生というだけでは、あまりにも欺瞞がすぎる。
なお、次の本があることは、もっと知られていいと思う。
高橋繁行.『土葬の村』.講談社(講談社現代新書).2021
2025年9月8日記
NHKスペシャル「1兆円を託された男 〜ニッポン半導体 復活のシナリオ〜」 ― 2025-09-13
2025年9月13日 當山日出夫
NHKスペシャル 1兆円を託された男 〜ニッポン半導体 復活のシナリオ〜
ものづくり……いいかえると工学の視点からの番組であることは分かる。だが、天邪鬼な世捨て人としては、理学からのアプローチがあってもいい。つまり、そもも半導体とはどういうもので、それを作るにはどうすればいいのか、ということの説明なのだが、これがまったくなかった。これは、意図的にこういう視点を排除して作ったということだと理解している。
だが、半導体製造のテクノロジーをささえるのは、基礎的なサイエンスの分野のことだと思う。また、とりあえず、ラピダスが2ナノ半導体の量産ができたとしても、問題は、その次の、さらには、その次の次の半導体技術……場合によると、もはや半導体という概念を越えるものかもしれないが……のための基礎的な研究が、どれぐらいの体制や規模で進められているのか、あるいは、いないのか、ということである。そのために、日本の大学や企業の研究組織は、どう動いているのだろうか。
ラピダスに1兆円、場合によると、それを越える国費を投じることは、その妥当性があるとして、私としては、その次の、その次の次の、さらに次の、技術開発のための研究資金として、同じぐらいの資金の投入がないといけないと思う。所詮、技術的優位など追い越されるのは時間の問題である。2ナノ半導体で世界の先端に立てる期間が、どれぐらいと予想できるのだろうか。常に優位に立ち続けるというのなら、未来への投資を惜しむべきではない。
いうまでもないと思うが、最新鋭の半導体を量産する技術も大事であるが、それと同時に、そのような半導体を必要とするような、新しい産業……それは、世界の社会の構造変革につながる……を、日本から生み出せなかったということも、考えるべきだろう。
2025年9月12日記
NHKスペシャル 1兆円を託された男 〜ニッポン半導体 復活のシナリオ〜
ものづくり……いいかえると工学の視点からの番組であることは分かる。だが、天邪鬼な世捨て人としては、理学からのアプローチがあってもいい。つまり、そもも半導体とはどういうもので、それを作るにはどうすればいいのか、ということの説明なのだが、これがまったくなかった。これは、意図的にこういう視点を排除して作ったということだと理解している。
だが、半導体製造のテクノロジーをささえるのは、基礎的なサイエンスの分野のことだと思う。また、とりあえず、ラピダスが2ナノ半導体の量産ができたとしても、問題は、その次の、さらには、その次の次の半導体技術……場合によると、もはや半導体という概念を越えるものかもしれないが……のための基礎的な研究が、どれぐらいの体制や規模で進められているのか、あるいは、いないのか、ということである。そのために、日本の大学や企業の研究組織は、どう動いているのだろうか。
ラピダスに1兆円、場合によると、それを越える国費を投じることは、その妥当性があるとして、私としては、その次の、その次の次の、さらに次の、技術開発のための研究資金として、同じぐらいの資金の投入がないといけないと思う。所詮、技術的優位など追い越されるのは時間の問題である。2ナノ半導体で世界の先端に立てる期間が、どれぐらいと予想できるのだろうか。常に優位に立ち続けるというのなら、未来への投資を惜しむべきではない。
いうまでもないと思うが、最新鋭の半導体を量産する技術も大事であるが、それと同時に、そのような半導体を必要とするような、新しい産業……それは、世界の社会の構造変革につながる……を、日本から生み出せなかったということも、考えるべきだろう。
2025年9月12日記
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