よみがえる新日本紀行「日南海岸」2026-05-23

2026年5月23日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「日南海岸」

再放送である。最初は、2019年。オリジナルは、昭和42年(1967年)。

宮崎には、高校生のときに、修学旅行で行った。その後、一回ぐらい行ったか憶えている。

日南海岸が観光地になったのは、人為的なことだった。もとから風光明媚な観光地ということではなかった。

見ていて印象に残っているのは、昭和42年だと、船を櫓でこいでいるし、田植えも手で植えている。こういう光景が、ごく普通にあった時代である。(現代のところでは、船には、エンジンがついていた。)

離島では、戦後になってようやく電気が使えるようになったという。こういう事例は、全国的には、さほど珍しいことではなかっただろう。(この時代だったら、電気は通じていても、しょっちゅう停電したということもある。今では、停電というのは、何か事故や災害のときでもないと起こらない。)

島の小学生たち(この小学校はいまはもうない)が、浜辺で集めた貝殻を標本にして、山の辺地の小学校に贈る、という。こういうことはあっていいことだと思うのだが、番組の中で、辺地、ということばを普通に使っていた。今だと、こういうことばは使わないだろう。

ビンロウジュで笠や団扇を作っても、たいした儲けにならなかった。流通の段階で、いろいろな業者が入るので、生産者の儲けはわずかで、土産物店で売られるときには、値段が上がる。こういうのは、いたしかたないことなのかなとは思うが。(これが今だったら、生産者から、ネット通販で、直接売ることもできるだろうが。)

春になると、中卒、高卒の若者が、集団就職で都会に出て行く。こういう時代が、かつての日本にはあったが、もう、体験的に覚えている人は少なくなっただろう。このような若者たちが、戦後の東京や大阪の街を作る重要な担い手であったことはたしかであり、高度経済成長をささえた。

幸島のサルの映像は、ひさしぶりに見たかなという気がする。(ちょっと気になるのは、こういう離島で生活するサルたちの場合、遺伝的多様性の確保ということは問題になるかと思うのだが、現代のサル研究では、どう考えられているのだろうか。)

都井岬の馬は、日本の中にこういうところがあっていいと思う。

日本の戦後、地方が観光地となって人が集まるということもあったし、土地を離れて都市部に人口が流れるということもあった。そのことの功罪は、いろいろと考えられることだとは思うが、私としては、昔の日本にこういう時代があり、こういう生活があったということを、なんとなく懐かしく思うことになる。

2026年5月20日記

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