『とと姉ちゃん』「常子、花山の過去を知る」「“あなたの暮し”誕生す」2025-09-14

2025年9月14日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、花山の過去を知る」「“あなたの暮し”誕生す」

このドラマを見るのは、二回目である。最初の放送のときは、さほどいいと思ってはいなかったのだが、二回目を見ると、よく頑張って作ってあると感じるところがいくつかある。

前にも書いたが、戦後の闇市のセットは、よく作ったと思う。かなり大規模に、細かなところまで、作ってある。こういうことを背景にしてこそ、この時代の普通の人びと……市民、庶民、大衆……の気持ちを描くことはできない、と思わせるところがある。

常子たちの願いを聞き入れて、花山は、常子たちの雑誌作りに協力することになる。結果として、これが、『暮しの手帖』に繋がることになるので、失敗はしないということで、ここは安心して見ていられる。

ただ、この時代だと、たくさんの雑誌や出版社が出来ては潰れていった時代だったかと思うのだが、その中で、常子たちの会社が生き残れたのは何故かということが、説得力を持って描けるかどうかは、また、別の問題である。出版の会社を銀座におきたいというのは、はたしてどうなのだろうか。普通に考えれば、多くの印刷や出版関係の会社があつまっている神保町界隈が適当かとも思える。銀座に会社があるからといって、雑誌を買う人はいないとも思えるのだが。

常子の女学校の同級生だった綾が、カフェでつとめている。カフェの女級というのは、この時代においては、女性が働くとして、おそらく最下層の労働の一つだった。この時代よりいくぶん古いが、『放浪記』(林芙美子)を読むと、カフェの女級まで身をおとすと、それから下は、もう娼婦しかない、ということが書かれている。戦後になったからといって、そう大きく変わったということはないだろう。強いていえば、進駐軍の兵士相手に、新しく仕事をする女性たちが登場するようになった、ということぐらいだろうか。

ドラマの中では、(この週に放送の分では)はっきりとそう語っているわけではないが、視聴者の想像のなかでは、綾は私娼の一歩手前というあたりだったことが、想像されるかと思う。

闇市で仕事をしたり、バラックで生活したり、やむをえずカフェではたらいたり、この時代の人びとの生活の感覚を描こうとしていることは分かるし、これは、それなりに成功しているドラマだと思う。

2025年9月12日記

『チョッちゃん』(2025年9月8日の週)2025-09-14

2025年9月14日 當山日出夫

『チョッちゃん』 2025年9月8日の週

この週で描いていたのは、北海道の滝川でのお父さん(俊道)の死とその後のこと、お母さんのみさが東京の洗足の岩崎の家にやってくるまで、ということになる。

朝ドラのなかでは、いろんな人間の死に方を描いてきているのだが、『チョッちゃん』のお父さんの死は、印象に残るものの一つということができるだろう。

滝川の家で蝶子と品子とたみと、三人の女性がジャガイモの皮を包丁でむきながら会話をしているシーンがあった。ごく普通の日常の光景なのだが、こういう場面を見ると、何か珍しいものでも見たような気になる。それだけ、今のドラマからこういう場面がなくなってしまったということでもある。

病床のお父さん(俊道)に話しかける蝶子の、話し方、声の大きさとか調子とか、見ていて絶妙だと感じさせるものだった。それまでの蝶子と俊道との関係のすべてが凝縮されていたといってよい。

この時代の医療であるから、現在のように、病院で延命治療ということはない。俊道も、自分で医師であるし、病気のことは分かったいたのだろう。

印象的なシーンとしては、俊道が死んだとき、蝶子が診察室に入って引き出しの中のキャラメルを口にして、机で泣くところである。このシーンで、机の上にキャラメルが一個あったのが、画面のなかでアクセントになって、非常に印象的であった。

俊道が亡くなって、北山医院をその後どうするかという問題がある。ここで、甥(国分三代治)が突然登場してきて、後継者になるということなのだが、ここは、やや強引な気がしないでもない。以前、俊道とみさが東京に行ったのは、この甥の結婚式に出席するためだったのだが、その後、登場がなくて、ここで出てくるのは、北山医院(名前は変わるが)を残したいという、俊道やみさの思いをかなえるため、ということになる。

その甥の国分三代治が、以前に俊道から受け取ったという手紙を取り出して、それをみさが音読する場面があった。巻紙に筆で書いて、候文である。この時代の古風な俊道の手紙としては、そうだろうと思わせるものだったが、1980年代に作られた『チョッちゃん』では、こういう小道具が準備できて、見る方でも、その候文の音読を聞いて理解できた時代であったということになる。これは、今の時代に作るドラマでは、ほとんど無理かもしれない。

みさが滝川を去って東京の蝶子のところに行く気持ちを、滝川の家で話しをするシーンもうまい。みんなで話し合っていて、石沢のおじさんたちは、滝川に残るよう強くひきとめる。みさが、お茶を新しくするために茶碗を持って隣の台所に行く。みさがいなくなって、蝶子が滝川で一人でくらすことになるみさの孤独な生活のことを語る。それを、みさは台所で聴いている。みさは新しいお茶を持ってきて畳の上において、そういうことだ、という。この一連の人の動きと科白の流れが自然であり、みさがいる前では直接言いにくい内容を蝶子が話すこと、同時に、みさもこころのうちで感じていたこれからの生活の不安を蝶子がことばにしてくれて納得がいったこと、これらのことが、非常にうまく表現されていたと感じる。

東京にもどる汽車のなかで、蝶子たちは、乗り合わせたリンゴ農家の男性からリンゴをもらう。住所を教えてくれというので、それを書いてわたす。その後、東京の家に、リンゴの箱がとどく。(昔のリンゴは、木箱に入っていて、もみがらと一緒だった。)汽車のなかで、見知らぬ隣の人が話しかけてきたり、食べるものを分けてくれるということが、昔の生活としては、普通にあった。戦時中で、生活は困窮していただろうが、こういう人びとの気持ちは、失われてはいなかった。(今だったら、見知らぬ人に食べ物をもらったり、住所を教えたりなど、絶対にしないだろう。)

洗足の家に帰ってから、蝶子は語る。親というのは、子どもに対してどっしりとかまえていればいいのだ、と。このとき、要は出征していない。蝶子は、そのことを一言もいわない。また、ナレーションでも何の説明もない。しかし、見ていると、この場面で、蝶子の夫であり子どもたちの父親である要が、今はいないということが、はっきりと伝わってくる。科白で言ったり、ナレーションで語ることはしないのだが、そのことによって、蝶子の気持ちが分かる、こういうのは非常にうまい脚本であり、これは、これまでの蝶子という主人公の人物造形がしっかりとできているからのことである。

東京にやってきたみさは、本当に何にもできない。一人で外出することも難しそうである。そして、空襲で飛来した爆撃機を見て、きれい、と言っていた。これは、多くの証言が残っていることでもある。太平洋戦争中に日本の空を飛んだ敵の飛行機を、きれいだと感じていたのも、また、この時代の人びとの感覚であった。ただただ無力で、爆撃の恐怖ばかりだったということはない。こういう描き方が、この時代には、まだドラマのなかでも出来たということかと思っている。

『チョッちゃん』の脚本・演出がたくみなのは、最小限の人物で、その地域や時代を表現していることであり、登場人物の使い捨てが基本的にない。蝶子の家のお向かいの音吉とはるとの関係、野々村のおじさんとおばさん、ほぼこれだけで、戦前から戦中の東京の人びとの生活の感覚や世相の変化を描いている。さらに、神谷先生、邦子、頼介、安乃、という北海道からつづく登場人物で、社会の階層や年齢による感覚の違いも描いている。他には、連平と夢助がいる。滝川のひとびとについても、同様である。

2025年9月13日記

『あんぱん』「あんぱんまん誕生」2025-09-14

2025年9月14日 當山日出夫

『あんぱん』「あんぱんまん誕生」

この週でアンパンマンが出来上がった、ということになるらしい。しかし、その過程の描写については、かなり疑問というか、無理をして作ったドラマかな、と感じるところがある。

のぶが正義の相対性ということをいっていた。こちらから見たら正義であったことが、向こうからすればそうではない場合がある。これは、そのとおりだと思うのだが、このドラマのスタートの時点で言っていた、逆転しない正義、とどう繋がるのか、無理があると思う。

これまでのドラマの内容だと、太平洋戦争・大東亜戦争(日中戦争をふくめた名称)において、日本に正義があると思ってきたのだが、戦争が終わってみると、実はそうではなかった。正義は絶対的なものではない。だが、もし、逆転しない正義があるとすると、それは何か……という設定であったと憶えている。

だが、ここで、正義の相対性ということを言ってしまうと、日中戦争のときに、日本が中国と戦争をしたのは、日本の側にも、それなりの正当性・理由があってのことだった、という歴史観になる。そうならざるをえない。(歴史としても、少なくとも満州地域の権益を守るという意味では、この帝国主義が正義であった時代には、それなりの理由があったことにはなる。これを妥当と思うかどうか。絶対平和主義からは、また別の考えはあるはずだが。)

この歴史のなかでの正義の相対性ということは、逆転しない正義ということを描こうとしたドラマとしては、絶対に言ってはいけないことだったと思えるのだが、はたしてどうだろうか。すくなくとも、あつかいが非常に難しい。

手塚治虫(手嶌治虫)の『千夜一夜物語』のことが出てきていた。この映画が話題になったことは憶えている。映画として評価されたということではなく、その(当時としては)過激な性的描写が、世の中の良識ある人びとの反感を買って、きわめて厳しく批判された、ということを記憶している。

『千夜一夜物語』に、やなせたかしがスタッフとして加わっていたことは史実なので、これはそのとおりである。

しかし、この時代の社会的評価がどうであったか、ということについて、まったく触れないというのはどうなのだろうか。少なくとも、私のように、この映画の時代を経験的に知っている視聴者もいることは想定できるはずのことだが、こういうことは、無視していいということなのだろうか。

歴史の無視ということでは、戦争漫画のあつかいも気になる。この時代の多くの少年漫画において、戦争は重要な題材であり、多くの場合、日本が戦った戦争を肯定的に描いていた。この時代の漫画、特に少年漫画については、戦争漫画ということを切り離して考えることはできない。(個人的な感想ではあるが、戦争漫画は、ヒューマニズムを教えてくれるところもあった。)

だが、ドラマのなかで、手嶌治虫は、戦争漫画は描きたくないと言っていた。これは、おかしい。現に、手塚治虫の「ビッグX」などは、どうみても戦争漫画の範疇に入る作品であると思えるのだが。こういう不都合な歴史は無かったことにしてしまえばいいと思っているのだろうか。

アンパンマンが人気が出たのは、いくつかのバージョンがあるなかで、絵本版のアンパンマンが、図書館などで子どもに人気だった、ということがあるはずである。しかし、この時代の大人は、なぜ子どもがアンパンマンが好きなのか理解できなかった。その後、時がたって、テレビアニメになってから、爆発的に人気が出た、こういう経緯であったはずである。

このドラマを見ていると、作者(嵩)をはじめとして、大人たち、のぶや八木などが、正義とはどういうものかについて、あれこれと議論している。そういう議論があって、嵩の考え出したのが、絵本版のアンパンマンという流れであった。このドラマの流れを見ていると、大人があれこれと正義とはどうあるべきかを考えて、それを読者(子ども)におしつけているような印象がある。

おなかがすいて困っている人に自分の顔を食べさせる、というアンパンマンの行為を理解できなかったのは、この時代のほとんどの大人たちだった。しかし、子どもはこれが面白かった。

アンパンマンの歴史的経緯を考えると、ドラマのこのあたりのことは、かなり強引にすぎるというか、大人の考える正義=子どもが好き、ということに、無理に持って行こうとしているように思える。

私の考えることとしては、アンパンマンの最大の功績者は、絵本版のアンパンマンを、テレビアニメにしようと考えついた人、ということになる。(これは、ドラマとしては、これからのことなのだろう。)

とにかく、このドラマは、登場人物の設定をうまく活かせていないし、使い捨てが多い。特に、健太郎が、NHKのディレクターという設定にしたのだが、その視点からの、テレビの歴史、メディアの歴史、ということが、まったく出てこない。これなら、別にNHKディレクターでなくて、普通の会社員として事務の仕事をしていても、なんにも変わらない。若いときに嵩と一緒に美術の学校で学んだということも、まったく仕事の役にたっているようではない。自由をたっとんだ、美術の学校でのことなど、戦後のテレビやメディアの歴史を語るときに、非常に重要なこととして使えることのはずだが、まったく無視されている。

八木も謎の人物のままである。新しく会社を作り、「詩とメルヘン」を刊行するのだが、出版ビジネスの才がある、という部分が何にもない。文学が分かるということと、出版ビジネスの才がある、ということとは、まったく別のことがらである。

ささいなことかもしれないが、「詩とメルヘン」の編集部に送られてきた原稿が、みんな鉛筆書きのようだった。これはおかしい。この時代なら、投稿の原稿を鉛筆書きで送ることは、考えられない。ペン書きが、常識だろう。いや、こんなことは、これが常識ですという以前の、生活の感覚の問題である。

八木のところで、子どもたちが集まっているのは、どういう組織や施設なのか、この説明もまったくない。孤児院であってもいいし(ただし、公的にはこの時代には孤児院とは言わないはずだが)、幼稚園であってもいいし、公共図書館であってもいい、どういう施設に集まった、どういう子どもたちなのか、少しぐらいは説明があってもいいだろうと思う。

のぶがこの週から、いきなりお茶の先生になってしまったのも、ちょっととまどう。史実として、暢は茶道のたしなみがあったことはたしかなので、これ自体は問題があるとは思わない。だが、ドラマの筋の展開として、あまりに急すぎるし、その先生が登美子というのなら、もっとはじめのほうから登美子の人物造形として、こういう部分を描いてあった方が自然な流れになるとは思う。ここは、史実に合わせて、無理をしているところかと、感じるところである。

2025年9月12日記

『べらぼう』「間違凧文武二道」2025-09-15

2025年9月15日 當山日出夫

『べらぼう』 間違凧文武二道

歌麿の妻となるきよ(藤間爽子)がいい。現在のことばでいえば、聴覚障害、という女性のことを見事に演じていた。そして、音の無い世界に生きる人間の見せる姿や表情を絵に写し取ることで、人物画家としての歌麿の才能が開花する、という筋は、おそらく芸術というものの本質をとらえていることになる。

絵画は音が出ない。当たり前のことなのだが、これを自覚したときに、絵で何が表現出来るのかということをさぐりあてることになる。ここから先、日本美術史上に残る傑出した美人画家、人物画家としての歌麿の誕生は、すぐさきのことであろう。

人間の本質にかかわることが何であるのか、特に、生きていることを実感することが分かったときに、(ドラマの中で使った用語でいえば)笑い絵、これは、今日でいう春画といっていいはずだが、これを描くこともできるようになる。そこに描かれているのは、人間の性であり、喜びである。

トンチキというのは、たしかにそのとおりなのだが、しかし、なぜそれがトンチキになるのかを解説するとなると、まさに、野暮、でもある。パロディや風刺を説明することぐらい、面倒というか、馬鹿馬鹿しいことはない。それが分かる人は分かればいいし、分からない朴念仁はだまって本を閉じればいいだけのことなのである。(昔、本屋さんで、「週刊朝日」を手に取って裏表紙を開いて立ち読みしていた私としては、このように思う。このことの意味が分からない人に、説明しようとは思わない。)

しかし、今の時代のドラマとしては、視聴者のみんなが分かるように描いておかないとクレームがくる。そして、こういうこと自体に、制作の側から言うことも、禁じられている。受信料を払ってくださる視聴者の皆様に対するサービスが、第一なのである。番組を作る側としては、せいいっぱいの抵抗であった、というべきかもしれない。

松平定信を、少し愚かに描きすぎのような気もする。非常に了見の狭い、融通のきかない人物ということになっている。たしかに、そういう面もあったのだろうが、為政者としてもうすこしおおらかな面があってもいいようにも思える。せいぜい、理想をいそぎすぎた、というぐらいでもよかったかもしれない。

実は、松平定信も黄表紙が大好きだった。これはいいのだが、ここは、さらに人間の持つ多面性ということで、人物像を深めてあった方がいいかと、私は思う。黄表紙の面白さも分かるということと、いや、分かるからこそ、そのことが政治家としての行動とすぐには結びつかない、思考や感情の次元の異なることだとして、よく分からない人間というものを描くことになるかと、私は思う。黄表紙に笑い転げる定信であると同時に、文武を奨励する謹厳実直な為政者でもある、この二つが、自分でも気のつかないうちに同居している、ということでいいのかもしれない。

そして、これまで、このドラマで、黄表紙と吉原細見ぐらいしか、江戸時代の書物を複製して小道具で使ってこなかったということが、無理を生じているとも思う。この時代、『論語』を始めとして、四書、経書の類いがどれほど売れていたのか、読まれていたのか、街中の漢学塾などの様子、旗本御家人の子弟の教育の様子、こういうことがまったく無視されている。登場人物に「学而」の一部を科白で言わせるだけというのは、はっきりいってものたりない。

現在、経書の類は、圧倒的に多数が残っている。むしろ、黄表紙などの方が貴重である。読み捨てにされる廉価な本だったので、残りにくかった。四書五経など、画面に映すことぐらい、そう難しいことではないと思うが。(無論、厳密な書誌学的な考証ということは、別のことであるが。)

見ていて気になった場面がある。蔦重が、歌麿の描いた絵(原稿)を畳の床のうえにおいてひろげて、その横で酒を飲んでいたことである。演出上の画面の構成からこうなったのだろうが、これは絶対にやってはいけない。うっかりとっくりを倒してこぼれて絵を汚したりしたら大変である。どうしてもなら、絵は、机の上におき、とっくりなどを畳の上におく、ということぐらいでないといけない。こういうことは、プロは絶対にしないものである。

2025年9月14日記

『八重の桜』「二本松少年隊の悲劇」2025-09-15

2025年9月15日 當山日出夫

『八重の桜』「二本松少年隊の悲劇」

この時代は、まだ黒色火薬を使っていて、基本的には、「種子島」のころとそう変わっていない、ということでいいのだろうか。木炭と硝石と硫黄があれば出来る。問題は、それぞれの品質と、配合の割合である。硝石は国産ではまかなえなくて、輸入が主だったと思っているのだが、この時代、どうだったのだろうか。

ドラマとしては面白いのだが、しかし、軍事的に見ると、鉄砲を戦術兵器としてしか使っていない。幕末のころになれば、戦略兵器としての利用ということが、言われているかと思うのだが、そういうことにはなっていない。(一般的な歴史の智識としては、鉄砲を戦略兵器として認識して使ったのは、織田信長、ということになるだろう。)

特に大砲の使用は、戦術、作戦に大きな影響があったはずだが、見ていると、その性能のことだけが出てきていて、実際にどうつかうかという軍事的なことが、出てきていない。これは、ちょっとものたりない気がする。

この回で、時代の流れの大局を見ることが出来ているのは、松平春嶽と山本覚馬である。幕末を舞台にしたドラマは、やはり、時代の大きな流れを見ることの出来る人物が出てこないと面白くない。この意味では、新島八重は、戊辰戦争においては、ただの一兵卒の視点しか持っていない。これは、これで悪いことではないのだが。

2025年9月14日記

『母の待つ里』(3)2025-09-15

2025年9月15日 當山日出夫

『母の待つ里』 第三回

この回も、アルゴス(のこ)が登場していた。この村のスタッフとして仕事をしている。

第三回だが、原作の小説よりも、かなりふみこんで、この村の舞台裏を描いている。ドラマとして映像的に見せるには、これぐらいでいいのかもしれないが、あまりはっきりと映してしまわない方がいいような気もする。

見ながら感じることだが、浅田次郎の作品には、故郷として帰る場所がある、ということが重要なモチーフになっている場合が多い。『壬生義士伝』のラストなど印象的であるし、「プリズンホテル」シリーズもある意味では擬似的な故郷を描いた作品といえる。最終的に人間の居場所となる故郷とは何であるか、というのは、古くよりのテーマであると同時に、やはり、近年になって大きく問題になってくることでもある。

人間には、最終的に帰る場所がある、それは故郷である、さらにいえば、そこには母が待っている……非常にステレオタイプな発想ではあるのだが、しかし、それでも人を引きつける魅力がある。これは、近代になってからの日本の社会が、地方から都市(特に東京)に出てきた人たちによって形づくられた部分が大きい、ということと無関係ではない。その一方で、昔からの都市在住の人びとのこともある。だが、そのような人びとであっても、帝国主義の時代からグローバリズムの時代になって、外国にたくさん出ていくようになれば、日本というものを故郷として意識するようになる。そういう故郷を象徴的に表現したのが、このドラマの村、そして、桜、ということになると、理解していいだろうか。

浅田次郎の作品にある幻想性ということも重要なのだが、それを、文楽の人形と、ジオラマで、うまく映像として表現している。桐竹勘十郎がいなけば、このドラマはつまらないものになっていたかもしれない。

実際には、もうちょっと季節が移っていってもいいはずなのだが、三回目になっても、村では桜の花が咲いている。不自然な感じもするのだが、しかし、故郷をイメージするとき、満開の桜の花であり、花吹雪というのは、似つかわしい。そして、満開の桜は、死のイメージにもつながる。例えば、坂口安吾や梶井基次郎、古くは、西行法師。次の最終回としては、桜の花が満開であってこそ、ということで作ったのだろうと思う。

2025年9月14日記

BSスペシャル「そして、息子はAIになった」2025-09-16

2025年9月16日 當山日出夫

BSスペシャル そして、息子はAIになった

あつかってある内容が、錯綜しているので、考えるのに混乱するところがある。

アメリカの銃規制をめぐる問題。これについては、規制を強化すべきという立場からであり、番組としては一貫している。しかし、アメリカ国内においては、議論が対立していることである。

死んだ人間のアバターをAIで作り、それを使って、銃規制の強化のために利用しようとすることの是非。これについては、倫理的に問題のあることであり、番組としては、どちらかといえば活動家夫妻の立場にたってはいるが、このことを全面的に肯定しているというわけではないようである。

目的が正しければ、手段は選ばない……ということも、ありうる。この場合、銃規制という目的の正しさのために、死んだ人間をAIのアバターとしてよみがえらせるということの是非の問題が、おきざりにされている。活動家の夫妻が、自分たちはこれでいいと思っている、ということで、すべて免責されているということのようだ。

私の考えるには、次のことが問題である。

第一に、そのAIのアバターを見る、一般の人びとが、これがAIによって作られたものであることを、事前に知らされた上で接するようになっているのかどうか。これは、絶対に守らなければならないことだと思っているのだが、ここのところについて、はっきりそうだと明言するところがなかった。

第二に、そのアバターになった少年は、自分が何故死ぬことになったのか、分からないまま死んだはずである。少なくとも、事件の全体像は分かったはずがない。これを、もし、そのアバターに事件のことを聞いて、知らなかったはずのことを説明してくれることがあるのかどうか。その場合には、その質問には答えられない、なぜなら、自分はその事件で死んでしまったのであるから、と返答するようになっているのか。はたしてどうなのだろうか。ここのところは、決定的に重要なことだと思うのだが、番組の中では、何も言及することがなかった。

第三に、死んだ少年のアバターが多くの言語を話すというのは、妥当なことなのだろうか。番組で分かることとしては、英語とスペイン語は話せた。しかし、その他の言語は無理だと思われる。まして、たくさんの言語に対応するということは、倫理的に妥当なことなのだろうか。ここは、システムとしては、翻訳のアプリケーションを介して話しをします、ということが明示的に分かるように組み込んである必要があることだと、私は思う。

目的の正しさは、手段を正当化するとしても、あくまでも慎重に熟慮した上のことでなければならないと思うのである。

2025年9月8日記

知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「認知症 克服のカギ」2025-09-16

2025年9月16日 當山日出夫

知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「認知症 克服のカギ」

サイエンスの番組として見ると、(私の判断では)きちんと作ってあったと思う。「~~と考えられている」「仮説としては~~」という言い方が多く、断定的に分かることとしては、「発症率が~~%増える」ということぐらいであった。統計的な数字は、ごまかすことはできないが、サンプリングの妥当性をふくめて、解釈はまた別の問題である。遺伝子に起因する認知症があることは知られていることなので、この部分については、断定的に表現している。

ようするに、決定的な要因……なぜ、アミロイドβが増え、タウが増えるのか、という直接的な原因がなんであるかは、分かっていないし、また、どうすれば、それが防げるのか、ということについても、決定的なことは分からない。いえることは、あることがらが、認知症の発症との、なにがしかの相関関係がある(ありそうだ)ということまでであって、決定的な因果関係があるかどうかは不明である。その他のいろんなことがら(日常生活であったり、感染症であったり)との複雑な関係は、ほとんどなんにも分からない、このように理解していいだろう。

認知症になったら、その本人はいったいどんなふうに感じたり、思ったりすることになるのか、ということも重要なことなのだが、このことについては、この番組では触れていなかった。これは、意図的にそう作ったのだろう。また、認知症の本人のことについては、NHKの他の番組で、特にEテレなどで、放送している。

人間が社会的な生物であるということで終わりにしていたが、これも、見方を変えれば、外部からの情報や刺激に対して適切に反応し、また、思考し、いろいろと思ったり、感じたりする……ということになるだろう。それを、言い方によっては、社会的孤立の問題ということになるし、犬を飼うことの効能、ということになる。

しかしながら、認知症になるのは、基本的に高齢者であって、今の時代は、人間が長生きするようになったから起こってきた問題である、ということも確かなことだろう。年をとるということと、死ぬということ、これらを視野にいれて、認知症ということも考えるべきことであることになる。病気だから治療すればいい、というだけの発想でなく、人間の生き方、死に方にかかわることだと思う。

それから、人間を考えるとき、脳と遺伝子を基盤として考えるのが、今の時代の流れなのだが、決して遺伝子決定論ということになっていない、これも重要なことであろう。しかし、遺伝子を抜きにして、文化的な面までふくめて、人間というものを考えることができなくなった時代である、ということも確かである。

2025年9月9日記

ドキュメント72時間「長崎 8月のバスターミナルで」2025-09-16

2025年9月16日 當山日出夫

ドキュメント72時間 長崎 8月のバスターミナルで

今年(2025年)の8月9日は、私の住んでいるところでは、晴れていた。かなり暑かった。しかし、長崎では雨だった。

「ドキュメント72時間」としては、バスターミナルのシリーズ、ということになる。見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。

自分の妻のことを、「僕のワイフ」という言い方は、このごろはあまりしないだろう。特に、若い人はしないと思う。登場していた男性は、70代以上ということだったが、こういう言い方は、ある時代のある人びとについては、共有される言い方になるかと思う。(これも、言語学として、厳密な調査をすると面白いことが分かるかと思うが。)

九州を旅行するのにバスが便利というのは、そうなのだろうと思う。現在、日本各地のローカル鉄道が廃線の方向にむかっている。都市部でも、路線バスの減便ということが、課題になっている。それでも、都市間の移動の手段としての高速バスというのは、なんとかやっていける分野なのかと思う。(だが、これも、今後は運転手不足は問題になるだろう。)

五島列島に介護の仕事で来た、スリランカからの女性たち。今の日本の、特に地方での介護や福祉の現場は、このような海外からの労働力に頼らなければならないというのが実情だと思っているが、これから先、どのような形になるのか、いろいろと課題は多いだろう。

発達障害があっても、自立した生活を送ることができる。古い日本社会だと、(かなり婉曲な言い方をすれば、であるが)ちょっと変わった人ということだったかとも思うが、これからの社会としては、どのように包摂して社会を構築していくことになるのか、考えることになる。(どうでもいいことかもしれないが、大きなぬいぐるみが椅子の上においてあった。私の場合、こういうシーンを見ると、小林秀雄の書いたものを思い出すのだが、おそらく、今の時代だと、この番組のスタッフは、知らないかもしれない。)

2025年9月14日記

黒澤明『七人の侍』2025-09-17

2025年9月17日 當山日出夫

黒澤明 『七人の侍』

かなり以前に放送したものだが、録画してあったのをようやく見た。この映画を見るのは、三回目ぐらいになるだろうか。

学生のころ、今から半世紀ほど前のことだが、東宝が昔の名作映画をまとめてリバイバル上映したことがあった。その中の一つとして見たと憶えている。黒澤明の『生きる』とか、木下恵介の『二十四の瞳』とか、山本薩夫の『白い巨塔』とかも、このときに見たと憶えている。

現在の視点で、『七人の侍』を見ると、これは戦争の映画だなと強く思う。昭和29年の作品である。この時代であれば、観客の全員が、太平洋戦争・大東亜戦争のことを、体験的に記憶している人たちであった。無論、中には、従軍して戦地で戦った経験がある人も多くいたにちがいない。そのような人たちを納得させる描写でなければならなかったはずだし、その目で見ると、まさに戦争における人間とはこういうものだった、ということを描いている。

優秀な指揮官がいて、敵の勢力をさぐり分析する。村の地形を見て、作戦をたてる。そして、その作戦通りに兵士(他の侍たちであり、百姓たち)が行動すれば、勝てる。

敵の数と武器の把握が重要である。野武士たちが、種子島を持っているということが分かると、その数をきちんと把握している。各戦場からの報告は、逐次、伝令によって伝えられ、それをもとに、次の戦術を考える。

また、戦場における兵士の心理ということも、きちんと描いている。兵士は勇猛でなければならず、その士気を鼓舞する必要がある。しかし、緊張しすぎてもいけないので、適当な場面で、宴会をしたり、笑ったりということも必要になる。こういったことは、まさに、この時代(昭和29年)であれば、見る人たちが共感できたことにちがいない。

手柄をたてようとも、抜け駆けはしてはならず、自分の持ち場を守らなければならない、それが、全体の勝利のために必要なことである。これも、実戦の経験があってのことである。

兵士は走り続けられなければならない。負傷した仲間をはこんでさがる場面なども、現実の戦場で体験したことであったにちがいない。

村を守るためには、川の向こうにある家は犠牲になるのはやむをえない。これも、現代の価値観からするならば、本土防衛のための捨て石にされた……ということで非難される行為になるが、しかし、この戦略的判断をうけいれることができたのも、この時代のことだった。

野武士の一人を捕まえることができた。それを、侍たちのリーダーである志村喬は、(現代の概念では)捕虜として正当にあつかうようにもとめる。そこへ、老婆が鍬を持ってでてくる。かたきをうちたいという。まわりの侍や百姓たちは、これを制止しようとしない。この場面、見ていて鬼気迫るものがある。このシーンに、この時代の人は何を思ったのだろうか。戦地で捕虜にした敵兵のことだったかもしれないし、あるいは、捕虜になった経験がある人はその過去の経験を思ったかもしれない。あるいは、戦地で殺すことになった敵にも家族があることを思った人もいただろうか。余計な説明はないだけに、何を思って見たのかと、この時代のことを想像してみることになる。(場合によっては、戦時国際法違反であるかもしれない。)

人が死ぬことに冷淡ともいうべき描き方になっている。仲間の侍が死んでいくのだが、感傷に耽るようなところはまったくない。非常に淡々としている。また、一人死んだ、ということを受け入れている。おそらく、これは、実際の戦場にあって、味方の兵士が倒れていくのを、さんざん見てきて体験してきた、ということをふまえた表現だと思う。そう思うと、現代のドラマのように、人の死をことさらに大げさに描写するようなところがないということは、逆説的に、非常に冷酷に人間の死ということを見ていることになる。戦場の現実が見えることになる。映画の最後に出てくる、土饅頭の墓の映像を見ると、私などは、「戦友」を思う。

最後に、志村喬が、これは負け戦だった、勝ったのは百姓たちだ、という意味のことをつぶやく。これは、戦争に負けはしたが、国民は頑張った、そして、軍人たちもその本分を尽くした……このような価値観が多くあった時代だということを、感じさせる。

もちろん、この映画に描かれた百姓や武士の姿が、かなり問題のあるものであるという批判があることは承知しているつもりだが、しかし、戦後10年もたたないときに作られた映画として見ると、戦争、兵士、軍人、ということのリアルを知っている時代の作品であることが、読み取れる。この意味で、この映画は、高く評価されるべきものだと思う。

なお、『七人の侍』における宮口精二が、私にとって、もっともかっこいい男である。もう一人をあげるとするならば、『眼下の敵』におけるクルト・ユルゲンスである。

2025年8月29日記