「78年目の和解 ~サンダカン死の行進・遺族の軌跡~」2025-12-01

2025年12月1日 當山日出夫

「78年目の和解 ~サンダカン死の行進・遺族の軌跡~」

かなり昔のことになるが、『敗戦後論』(加藤典洋)をめぐる議論が、なんにも終わっていないと感じるところがある。このときの、加藤典洋と高橋哲哉の論争は、すれちがっていたが、そのすれ違いの意味を、いまだに理解して克服できていないのが今の日本だろう。

この回についても、少数意見ということになると思うが、思うところを書いておく。

まず、軍人が上官の命令にしたがうのは当たり前のことで、それをとがめることは、基本的にあってはならない。いかに非人道的な命令であってもしたがわなければならない。それがなければ、軍というものの秩序が崩壊してしまう。それは、より大きな悲劇を生むことになる。(とはいえ、自分の良心にしたがって、抗命するという選択肢をまったく排除するということではない。だが、その場合でも、結局は、他の軍人に命令が下されて実行されるだけのことである。)

BC級戦犯の裁判が、どのようにおこなわれたかについては、いまだに多くの疑問が残っているはずである。この事件の場合、正当に裁判がおこなわれたという記録が残っているのだろうか。

いうまでもないことだが、大東亜戦争・太平洋戦争の終盤においては、多くの戦死者が、戦病死、実際には餓死というべき、であったことは、広く知られていることだと思う。そのうえで、昭和20年(1945)になってからのことだから、きわめて戦況は悪化しているなかのでのことで、この時期の、戦争の全般的な状況ということを、説明しておくべきだったろう。

謝罪ではなく、何がおこったことなのか、事実の記録を残すこと……このことに、最も意味がある……私としては、このように思う。その事実から、何を読みとるかは、それぞれの時代の状況、その国の人びとのおかれた環境によることになるが。

この観点からして、この番組は、事実として何がおこったことなのか、それについてどのような記録が残っているのか(日本軍の記録であり、BC級戦犯の裁判の記録であり)、体験者がどのようなことを語っていたのか、それが親族などの人びとにどう伝承されてきているのか、(えてして、過去におこった災厄についての記憶は、いわゆる語り部によって改変されたりするものであるが)、これらのことが、番組の構成としてゴッチャになっている。強いていえば、きちんとした史料批判がなされていない。これは、ドキュメンタリー番組として、致命的な欠点であるというべきである。(このことについてトークの部分で誰も批判的なことを言わないでいるというのも、私にいわせれば変である。)

よくいわれることだと思うが、人びとは、戦争について語るとき、直近に体験した戦争について語ることになる。日本の場合は、太平洋戦争・大東亜戦争ということになる。そして、オーストラリアについても、ほぼ同様ということになるのだろう。これが、ウクライナの人びとだったらどうか、朝鮮半島の人びとだったらどうか、ベトナムの人びとだったらどうか、ということを、考えてみる必要もある。太平洋戦争・大東亜戦争だけが、かつてあった戦争ではない……このごく当たり前のことが、忘れられがちである。いわゆる先の大戦について語っただけで、戦争について語ることの全てであるかのように思いこんではいけない。

番組の中で言っていたことだが、被害者の側の意識としては、忘れることは困難である。これは、日本における、原爆の被害であったり、都市部への無差別爆撃であったり、について日本の人びとがいだく感情のことがある。それと同様に、戦禍の犠牲になった人びとは、容易に忘れることのできないことがある。だから、どうこうということではなく、まず、人間とはそういうものだということを、認めることが重要である。だから、記録は残さなければならないし、そこには、史料批判の目が必要である。

記録を残すというが、このときに考えなければならないことは、何を史料として残す価値のあることと認定するか、ということが、また、歴史的な文脈によって変わるものである、ということである。(たいていの場合、自分に都合のいい史料しか残そうとしないものである。)

いまどきのことばでいうならば、物語をどう共有するかということの問題であるが、それは、その人びとにとっては重要な意味をもつものであっても、絶対的なものではないし、立場によって変わり、また、歴史的にも変化していくものである。かりに平和が絶対的な価値をもつものだとしても、それについてどう語るかは、可変的であることは認めなければならないだろう。

今の御時世でこういうことを言うと怒られそうだが……もし、中国が南シナ海、東シナ海で戦争を起こして、それに日本とオーストラリアとが共同して戦うというようなことがあるとしたら、これは、新たな物語(敵ではなく戦友の物語)として、かつての太平洋戦争・大東亜戦争の物語の上に、上書きされていくことになるだろう。

2025年11月30日記

『八重の桜』「襄のプロポーズ」2025-12-01

2025年12月1日 當山日出夫

『八重の桜』「襄のプロポーズ」

新島襄も、ずいぶんと強引な人物である。八重に結婚を申し込み、京都にキリスト教の学校を作ろうとする。

明治のはじめのころの京都では、たしかに同志社の設立ということがあった。ドラマの中では描いていないが、街中に小学校が出来たということもある。これは、京都の市民の手によって作られたものである、というのが一般の理解としていいだろう。それから、(ドラマの中では悪者として描かれていたが)仏教のお寺なども、いくつか学校を作っている。現在、京都にある仏教系の大学の多くは、明治のころにその起源をもつはずである。明治になって、仏教の世界でも、近代的な教育に歩み始めた。

ただ、日本の近代の仏教史という分野が、これまであまり研究されてこなかったということがある。清沢満之などの一部の人物をのぞいて、大きく思想史や宗教師、教育史の中で研究されてきてはいないだろう。近代の宗教というと、どうしても国家神道にふれざるをえず、それが、昭和の時代だと、なんとなくやりづらいということがあった。これも、昭和が終わり、平成から令和になって、近代の宗教史を総合的に考えるという動きが大きくなってきたかと思っている。

明治8年というころだと、まだまだそれまでのキリスト教禁教の名残が社会の中に残っていた時代だともいえよう。しかし、意外と新しいもの好きな京都の街で、ミッションスクールが出来たということも、また事実である。

このドラマを見るのは二度目であるが、斉藤一(藤田五郎)が、こういう役どころで出ていたということを、改めて思ったことになる。まあ、新撰組の生き残りというと、斉藤一と、永倉新八ということになるのだろうが。

明治維新の物語を、薩摩や長州ではない視点から描くという意味では、このドラマは新鮮なものだったことになる。とはいえ、やはり西郷隆盛などは、きわだった人格者として描かざるをえないということはあるかと感じるが。(別に西郷隆盛を悪く描くべきだとも思わないけれど。)

2025年11月30日記

『べらぼう』「曽我祭の変」2025-12-01

2025年12月1日 當山日出夫

『べらぼう』「曽我祭の変」

このドラマの企画の段階で、写楽をどう描くのかということを考えたと思うのだが、最終的に、写楽をこのような形にするということで、これまでのストーリーがあったと考えるべきだろうか。それにしては、ちょっと終盤にきて無理筋なところがあるかと思えてならない。

写楽は役者絵で世に出た。だが、これまでの『べらぼう』では、芝居のことがほとんど出てきていない。歌舞伎の俳優が、登場してきていないし、また、役者絵のことも大きくあつかわれたということもない。

ドラマの前半は吉原を舞台にした展開であった。ここで、番組制作のコストを使い果たしてしまったのかとも、考えてみたくなる。吉原は、確かに、豪勢に作ってあった。これと同じようにとまではいわないまでも、江戸時代の芝居のことを、芝居小屋のセットを作って、歌舞伎俳優とはこんな人間で、それを江戸市中の人びとは、どんなふうに見ていたのか、ということがあってよかった。

そうでなければ、写楽の役者絵の革新性が理解できない。写楽の絵は、現代の我々には美術的に価値のあるものであるが、同時代には、かならずしも評価されたということではない。(西洋の人びとの再評価をうけるまで、写楽の絵は、ゴミであった。)

役者という人物がいて、それが芝居の中で役を演じる、その二重性を、それぞれの個性の表現として描いたことになるのだが、こういう人物の個性を絵画的に表現する、それも大首絵で、ということの斬新さと、それに描かれた役者がどう感じたのか、一般の観客であった人びとがどう思ったのか、このあたりのことが、なんとかこの回の中につめこんであったとことになるのだが、かなり無理をしていると感じるところでもある。これまでのドラマの流れの延長として、自然に感じとれるという作り方にはなっていない。

この写楽のことと、一橋治済が、実は時代の黒幕として、本当は悪いやつだったということが、(私の見るかぎりの印象ということになるが)今ひとつ、かみ合っているとは感じられない。これに源内のことを、さらにからめるのは、よけいややこしくなるだけだと思える。

少し前の作品になるが、『鎌倉殿の13人』は、権力者の孤独と自滅という筋があって、それが、後半になればなるほどはっきりと感じとれるように作ってあったので、まあなるほどなあと思って見ることができた。

『べらぼう』では、一貫してこれを描きたいというものは、いったい何なのだろうか。もしエンタテイメント、娯楽、遊び、ということを描きたいなら、先に書いたように、歌舞伎の世界などは、もっと積極的に描いてきていいはずである。悪所といえば、吉原、芝居、それから、博打であった時代である。博徒など、出てきていてよかったし、また、上層の町人の遊びとして、俳諧などは欠かすことができないものでもあろう。吉原と浮世絵と戯作だけで、一年間のドラマを作るというのが、ちょっと無理だったのではないかという気がしてならない。

また、このドラマの中には、時代の流れを、超越的な俯瞰的な視点で見る人物が存在しない。田沼意次の時代から、松平定信の時代まで、いや、それ以前の神君家康公の時代からの江戸の政治と文化と人びとの生活感覚を語り、さらに、その後の幕末にいたるまでを予見するような、視点人物がいてよかったと思う。それは、裏店の老人でもいい、どこかの商家のご隠居でもいい、あるいは、市井の漢学の師匠でも、本居宣長のような人物でもよいのだが、なにかしら超越的な視点から見ることがあってこそ、べらぼうな時代をべらぼうに生きた蔦重が、どんな人間であったか描くことができるのではないかと、私などは思うことになる。

エンタテイメントとはどんなものなのかという筋があるとしても、それを描くことが、エンタテイメントして、全体として、今ひとつ分かりにくい、共感しにくいものになっていると思える。だが、個々の回を見ると、演出はとても凝っているし、役者さんたちの演技もいいし、映像的にも非常にすばらしいと感じるところが多々あることは、確かであるのだが。

2025年11月30日記

『夫婦善哉』「めをとぜんざいひとりでふたつ あほは二人で一人前」2025-12-02

2025年12月2日 當山日出夫

夫婦善哉 めをとぜんざいひとりでふたつ あほは二人で一人前

最終回で、別府編である。

はじまって、最初の回にも出てきたカレー屋さんのシーンからはじまる。ここで、蝶子は父親(種吉、火野正平)とカレーを食べるのだが、カレーをまぜるスプーンの音が聞こえる。普通は、ドラマの中でも、あまり食事のシーンで、食器の音をさせないのと思うのだが、ここでは、意図的にスプーンがお皿に当たる音がある。この音の使い方が、とても効果的である。

別府でのダンスホールのシーンがとてもいい。ここでの蝶子と柳吉がダンスをしながら、蝶子がしゃべるのだが、かなり長い科白である。これをダンスをしながらしゃべっている。とてもうまいなあ、と思う。

そして、ダンスホールの支配人が、中原丈雄なのだが、一言も科白がない。しかし、蝶子と柳吉のことをきちんと見て理解している人物であり、ひかえめながら、画面のなかで存在感がある。

時代背景としては、昭和12年からの日中戦争の時代ということになる。はじまったころは、世の中の景気もよく、別府の街にも外国人のお客さんがいたりする。しかし、徐々に世の中が、戦時色が強くなっていく。別府の蝶子と柳吉の店でも、商品の確保に苦労するようになる。出征兵士の場面はあったりするのだが、それよりも、日常の商売の中で世の中が変わってきていることを描いているというのは、たくみであると感じる。

芝居でうまいと思うのは、柳吉の酒の飲み方。おちょこを口にもっていく所作で、そのときの気分や境遇を表現している。

この回には手紙が映っていた。大阪のヤトナを仕切っているおきんさんからのものと、惟康に残してきた娘の文子からである。どちらも達筆であるが、かなり年配の水商売の女性(かなり教養のあると感じる文字であるが、おきんさんの過去はいったいどうだったのだろうかと想像する)、女学校を出た若い娘、という雰囲気を感じさせる文字であった。最初の回には、蝶子が書いた手紙があったが、これは、ほとんどまともな教育をうけていないことが分かる下手な大きな文字であった。こういう小道具の用意も、うまく作ってあるところである。(この時代だったら、まだ、巻紙に筆で書いてもおかしくないと思うが、それでは準備が大変ということもあるだろう。)

これからのことを想像してみると……柳吉は徴兵されることはなかったかもしれない。別府の街でなんとか生きのびられたら、その後はどうだろうか。戦後の闇市の中で、この二人は、なにか食べ物屋さんでもやってしのいでいくことになるだろうか。アホな二人が闇市でおでんを売っている姿を想像してみるのも、楽しい。

2025年12月1日記

ねほりんぱほりん「路線バス運転手」2025-12-02

2025年12月2日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 路線バス運転手

最近はバス、それも路線バスというものに乗らなくなった。我が家が駅からちょっと遠い。一番近いバス停まで、20分ぐらい歩かないといけない。それを歩くぐらいなら、駅まで自動車で行ってしまう。こういう環境にたまたま住んでいることになるので、めったに路線バスには乗らない。

多く乗ったのが、東京の立川の国立国語研究所に用事があって行くときであった。立川駅から、バスに乗って行くことにしていた。これも、今では、行く用事が終わってしまったし、研究会などもあったりするが、もう学会とかは基本的に出ないことにしているので、行かない。

路線バスについては、近年では、その運転手の確保の難しさ、人手不足ということが言われている。大型二種免許が必要で、その仕事も、決して楽とはいえないようである。なり手は少ない職業になっているかと思う。そのせいか、バスの減便があり、運行本数が減れば、ますます乗る人が減っていく。悪循環の中にある。

それでも、都市部の中では路線バスは、重要な交通機関である。

見ていて、路線バスの運転手さんも大変だよなあ、とつくづく思う。番組の中では出てきていなかったが、乗車運賃の管理も業務のうちなので、その気苦労は並大抵のものではないかもしれない。

このごろは、バスに乗る、電車に乗るときもそうだが、切符を買ったりすることはない。京都に行くとき、近鉄と京都市営地下鉄を使うことになるが、PiTaPaのカードで乗る。東京に行ったときには、Suicaを使うが、これも、ここ数年の間使っていない。(ちなみに、近所のコンビニでは、PiTaPaが使えるので、現金で払うとことはない。しかし、これも、京都まで行って大学で教えるということを辞めてしまったので、お昼ご飯のおにぎりを買うということもなくなってしまった。)

女性の運転手さんが、冬になってタイヤチェーンを装着しなければならないのは、仕事とはいえ、とても苦労だろうと思う。

バス運転手さんが、男性であることを前提にした勤務のルールであるので、女性の場合、いろいろと抜け穴(?)がある、というのは面白い。さて、これから、女性の運転手が増えてくるとしたら、勤務のルールも細かくなるだろうか。

私としては、バスに乗って運転手さんが、男性であっても、女性であっても、特に何とも思わないだろうけれど。

運転手さんの苦労の原因は、(番組で話題になっていたということであるが)ともかく乗客にある。しゃべる荷物、と言っていたが、まあ、そういうことになるだろうなあ、と思う。これから、どれぐらい路線バスに乗ることがあるか分からない生活をしているが、なるべく寡黙な荷物でいようと思う。

なお、近所の普通の道を自動車を運転していて、路線バスが前を走っていることがあるが、私は、基本的に追い越さないことにしている。バスの乗客の乗り降りなど、後ろで止まって待っていれば、すぐに終わる。

2025年11月26日記

「なぜ“原画”は海外へ マンガ・アニメ文化の行方」2025-12-02

2025年12月2日 當山日出夫

「なぜ“原画”は海外へ マンガ・アニメ文化の行方」

『べらぼう』の関係で、いろんな特集番組が作られてきた。その多くは見ていると思うのだが、不満がある。また、『べらぼう』にも不満がある。これについては、すでに書いてきたことだが、改めて確認しておきたい。

浮世絵が日本から流出したのは、ゴミだったからである。江戸時代から明治のはじめにかけて、それが美術として評価されることはなかった。日本人が捨てたものを、西洋人が拾っただけのことである。

今の日本にある著名な浮世絵のコレクションは、明治になって、西洋で評価されることを逆輸入することで、日本に残っていたもの、海外で手に入るものなどをかき集めたもの……ざっと、こういうことだろうと思っている。江戸時代の浮世絵が作られた同じ時代から、人びとが集めて残してきたというものではない。

蔦屋重三郎であっても、売れる浮世絵を作ることになったのだが、この同じ時代に、これを美術品として残すという発想はなかったことになる。歌麿しかり、写楽しかりである。

このようなことを、NHKで作った『べらぼう』関係の番組では、一切語ることはなかったし、また、『べらぼう』のドラマのうちでも、浮世絵を価値のあるものとして、残そうとしない同時代の人びとということを、まったく描いていない。

こういうNHKが、マンガの原画のことをあつかって、かつての浮世絵のようにしてはいけないと言っても、あまり説得力があるとは、私は感じない。

それから、マンガや、その原画が、現在では貴重な文化遺産であるという認識はあるとしても、もっとも通俗的な、いわゆるエロマンガについては、どうなのだろうかと思う。手塚治虫などの著名なマンガ家作品のことだけをあつかうのではなく、簡単に読み捨てられゴミになってしまっている、大人向けのエロマンガも、残しておけば、将来的には非常に価値のあるもの……文化史、出版史、漫画史、それからジェンダー史の観点から……になるはずである。

ようやく、最近になって、浮世絵でも、春画が一般に市民権を得て堂々と語ることができるようになったという経緯がある。評価は時代によって変わることがあるとしても、とにかく集めて残しておく必要がある、ということは、いろんな文化にかかわる事象について言えることである。

マンガ原画やセル画の保存については、保存科学の知見から、どのようにすべきか考えることになる。現代の紙であるから、脱酸処理が必要かもしれないし、また、写植で印刷した科白の部分のノリがどうなるか、課題は多いだろう。せめて、現在のマンガ家の家族が保存している原画が、中性紙の箱に保存されているのが、マシな対応というべきだろうか。

また、マンガについての言説史の資料も残すべきである。かつて、手塚治虫の作品は、低俗、子どもに読ませられない、と世間から評価された時代もあった。今、白ポストの実物は残っているのだろうか。マンガが、世の中でどう評価されてきたかという史料も残さなければならないものである。

県立の民俗博物館の民具コレクションが増えすぎたので、3Dスキャンしてデジタルデータを残して廃棄してしまえばいいと、維新の知事が言った。こういう政党が与党としている政権に、文化財を残すことの歴史的な意義を語っても、どうなるのかと思うところである。

2025年11月29日記

ザ・ベストテレビ「法医学者たちの告白」2025-12-03

2025年12月3日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ NHKスペシャル 法医学者たちの告白

この番組は放送されたときに見ている。そのときに書いた文章を、まず、以下に再掲載しておく。

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やまもも書斎記 2024年月6日

「法医学者たちの告白」 ―2024-07-06

2024年7月6日 當山日出夫

NHKスペシャル 法医学者たちの告白

法医学という分野のことが、テレビで大きくとりあげられること自体がとても珍しい。いろいろと面白かった。

思うことは多くあるのだが、一番驚いたことは、ルミノール反応のこと。血液がそこに存在したことの検証にルミノール反応が使われることは知っていたことである。このことは、ミステリ作品でもよく出てくる。

しかし、血液以外でも、山の中の落葉でも同様の反応が出ることは知らなかった。このこともあるのだが、実際に世の中のどのような場面や状況で、ルミノール反応があるのか、きちんとした実験データが無かった(らしい)。血液以外の何に反応するのか、その場合どのような結果が出るのか、実験データの蓄積がないところで、ルミノール反応があったので、そこが殺害現場です、とはとても言えないだろう。

さらに、血液に反応するとして、それが地面におちたものであるならば、血液はどのような土壌で、どのように中に染み込むのか、あるいは、雨が降ったりするとどうなるのか、実験データがなかった(らしい)。

本当に信用して大丈夫なのかと思ったというのが、正直なところである。

番組では栃木県の殺人事件のことがあつかわれていたのだが、どうなのだろうか、冤罪である可能性は否定できないだろう。法医学的に実証することが難しく、自白の信憑性にたよるというのは、かなり無理がある。

法医学において、科学的にこのようであると判断……その判断は、当然ながら幅があるものになるが……があるとして、それを、警察の捜査や裁判で利用するかは、どうやらかなり恣意的な部分があることになる。これは、科学的な考え方とはどういうものであるか、警察や司法において十分に理解されていないということなのかもしれない。

千葉大学の法医学研究室のことが出てきていたが、件数が多くてなかなか依頼された仕事がこなせないので、警察の方からは、もっと早くて安いところに依頼することになるかもしれないと話しがあったということなのだが、このような分野の仕事においても、コストカットが求められているというのが、今の日本の社会ということになる。しかし、犯罪を見逃すことになる、あるいは、冤罪を生むことにつながる、このようなコストカットは、将来的には社会の不安要因になる。警察や司法への信頼につながることである。

アメリカの事例が紹介されていた。参考になることは多くあると思うが、法医学が、警察や検察、また、弁護側から、独立したものであるということが重要だろう。それには、何よりも、法医学の科学的知見を社会のなかでどう利活用できるのか、という視点にたつ必要がある。

2024年7月5日記

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同じ内容を再び見てみたことになるのだが、思うところは基本的にかわらない。法医学という専門の領域の研究であり仕事でありが、独立したものであること、そしえ、専門の知見について、一般の社会からの信頼があるかどうか、ということが重要である。

死亡推定時刻として、胃の内容物の消化の状態ということがよく言われると思っているのだが、これも、さほど信頼できるものではないらしい。地下鉄サリン事件の被害者で、脳死状態のようになった人の場合、事件の日に食べたものが、一年以上も残っていたということである。

ルミノール反応の信頼性ということについては、その後、新たな研究はあるのだろうか。

強いて付け加えるならば、専門家というのは、分からない、ということを自信を持って言えるものである、ということがある。こういうことが、専門的知識なのだということを、多くの人が理解する必要があるだろう。

2025年12月2日記

サイエンスZERO「“寄生昆虫”に学ぶ生存戦略!?」2025-12-03

2025年12月3日 當山日出夫

サイエンスZERO “寄生昆虫”に学ぶ生存戦略!?

これは面白かった。

生物の40%が寄生ということで生存しているということだったのだが、他の生物に寄生するという進化のあり方が、生物の世界全体でどういう意味があるのか、このあたりのことが、気になる。

番組では、寄生する側の昆虫を中心にあつかっていたのだが、逆に、寄生される側の生きもの(昆虫であったり、植物であったり、あるいは、哺乳類もあるはずだが)にとって、どういう意味があるのだろうか。ただ、寄生されてマイナスのことしかない、ということなのだろうか。あるいは、生物の世界をトータルに見ると、なにがしかの意味のあることなのだろうか。

寄生するにあたって、宿主の免疫を弱めるということがある。また、宿主が普通に昆虫として大きくなることを妨げることができる。こういうことを逆に見るならば、免疫とはどういうことで、また、昆虫が幼虫からさなぎになって成虫になるプロセスが、どういうメカニズムによっているのか、ということの解明にも繋がるはずである。

ゾウムシが植物に寄生して、光合成しない植物を、光合成するようにして、そこから養分を得ているというのは、とても興味深い。光合成をしなくなった植物にも、遺伝子レベルでは、その機能が残っていて、そのスイッチをいれれば光合成をするようになる、ということらしい。こういうことの研究としては、植物の光合成をコントロールできるようになる、そう考えてもいいのだろうか。

2025年11月25日記

未解決事件「File.07 ベルトラッキ贋作事件〜世界をだました希代の詐欺師〜」2025-12-03

2025年12月3日 當山日出夫

未解決事件 File.07 ベルトラッキ贋作事件〜世界をだました希代の詐欺師〜

それに「美」を感じることができるのなら、それでいいじゃないか。私は、こう思うだけのことである。

だまされた美術館の学芸員が見る目がなかったというわけではない。その持っている、「美」というものについての認識が、きわめて近代的な、ある意味で歴史的にみればきわめてかたよったものであること、このことに無頓着にすぎることに、気づいていないだけのことである。(いや、分かっていて知らないふりをしている。私には、これは喜劇に見える。)

「美」、あるいは、「芸術」というものを、個人のオリジナリティの表現であるというような芸術観は、きわめて近代的なものである。前近代まで、「美」とはそういうものではなかった。

絵画や彫刻などは、「工房」で作ることもあったはずである。たまたまその「工房」の代表者が、作者として名前が残っているだけのことである。

私が知識のある範囲でいえば、古い時代の日本文学については、歌の代作というようなことは、ごく普通におこなわれていたことである。『源氏物語』については、宇治十帖別作者説があるが、だからといって、文学作品としての『源氏物語』の価値がどうこうなるものではない。また、本居宣長の「もののあはれ」の論が、無効になるわけではない。

自然にあるもの、たとえば、富士山でもいいが、これに「美」を感じる人はいるだろうが、富士山に個人としての作者がいるわけではない。(こういうことは、漱石の『三四郞』の車中の会話であるが。)

近代、現代の感覚として、芸術作品は、それは何かを表現したものであり、それを想像した個人の個性があってのことである、それはオリジナルでなければならない……これは、歴史的にみれば、あまりにも、偏屈な考え方であると私には思える。

前近代には、師匠の作品そっくりに描くことが絵の上達であった時代があったことは、美術史の常識であろう。現代でも古典芸能においては、まず師匠の芸の模倣である。そっくりになることである。

無論、芸術論の問題として、「美」というものが人間の外に客観的に存在する何かであるのか、それとも、人間のこころ(現代なら脳というべきだろうが)の中に生じる何かなのか、これは古くからの議論があることは、承知しているつもりである。

将来、ベルトラッキの作品が芸術として評価されて、高額で取引される、美術館でも大事にする時代がきてもおかしくない。ベルトラッキ美術館ができるかもしれない。いや、絶対に、そういうことになるだろうと私は確信している。このときには、高知の美術館のお宝になるにちがいない。大事に保存しておいた方がいい。

このようなことは、番組を作る側でも分かっていることだろうと思う。見ていて、その作品に「美」を感じるかどうか、ということについては、基本的に言及することがなかった。しかし、そこに「美」を感じることがあるからこそ、芸術であったはずである。作者が誰であろうと、そこに「美」を感じることができるかどうか、見るものが、自分の感性に正直になれば、それでいいだけのことである。自分の感性に正直なれない、何かの権威(それが作者ということになるが)で見てしまう、これが精神の貧しさでなくて何だというのだろうか。

「美」を感じることがないにも関わらず(感じてもいいのだが)、誰それが描いた絵であるからということだけで陳列している今の美術館の存在こそが、非常に欺瞞的であることに、気づくべきなのである。

現代の人間の「美」についての思いが、いかに貧相なものになってしまったかを象徴する事件であり、長い文化の歴史の流れのなかで見れば、ベルトラッキの言っていることが、むしろまともなのである。現代の日本よりも、ヨーロッパの人びとの方が、「芸術」を分かっている。

もちろん、こういう議論の延長としては、AIが「芸術」を作ることができるのか、それは「芸術」なのか、という議論になる。だが、それは、この番組の趣旨からははずれることになるが、ベルトラッキという本物の人間の個人が描いた絵について議論できた時代をなつかしく思い出すときがくるはずである。いや、もうすでにそうなっている。

最初に書いた、「美」を感じるならそれでいいじゃなないか……これを論破できないような人間であっても、美術館の学芸員ができる。いや、学芸員には、そんなものは、はなっから必要ない。オークションの値段が分かればいいということなのか。まさにこういうことが問われていることになる。

2025年11月30日記

3か月でマスタースする古代文明「(9)オセアニア 海を渡った人類と謎の巨石」2025-12-04

2025年12月4日 當山日出夫

3か月でマスターする古代文明 (9)オセアニア 海を渡った人類と謎の巨石

オーストロネシア語族、ということばを久しぶりに耳にした。

日本語の歴史を勉強するとなると、私の学生のころまでは、日本語の起源はどこから来たのか、というところから説きおこすことが普通だった。南方から来たのか、北の方の大陸から来たのか、いろんな説があった。それも、大野晋のタミール語説が出てからというもの、日本語学の研究分野で、日本語の起源論は、そう大きなテーマではなくなってきたということがある。

その一方で、日本人はどこから来たのかという人類史的な関心の方がメインになってきている。

考古学という学問分野は、言語ということについて、そう重きを置かないということを感じている。これまでのこの番組でも、文字を書いた資料(史料)があっても、たいしたことは書いてないだろう、ということが言われることがあった。

しかし、言語研究の立場からすると、言語が文字に書かれるということは、大きな飛躍であるし、それが何語を書いたものなのか、どのような文字を使っているのか、重要な研究課題である。その言語と文字がどのような人びとに使われるものであったのか、範囲や時代を考えることになる。

太平洋の島々の文化・文明を、ひとくくりにするのに、言語がどれほどの意味があるのか、ということは、あらためて考えるべきことだろう。言語の系譜と、人類史ということは、かならずしも重なるものではないと考えるのが、今のおおかたの言語研究者であるかと思っている。

この回の内容は、分からないことだらけである。~~と考えられる、の連発であった。学問的に分からないことがあるなら、分からないというのが、専門家の矜恃であると思っているのだが、こういう番組では、そういうわけにはいかないらしい。

だが、太平洋の島々に人びとが広がっていったプロセスは、非常に興味深いものがある。船を作る技術、その材料となる木材など、航海の技術、それから、水平線の向こうに行ってみようという気持ちはいったい何だったのか、ということ。

現在の太平洋の島々に住む人びとについての、民族学的な研究から、多くの知見を得ることができるかと思うが、そうはいっても、厳密に学問的には、ただ想像してみることしかできない、ということはあることになる。

2025年12月3日記