「我は女の味方ならず 〜情熱の歌人・与謝野晶子の“男女平等”〜」2024-09-06

2024年9月6日 當山日出夫

英雄たちの選択 我は女の味方ならず 〜情熱の歌人・与謝野晶子の“男女平等”〜

朝ドラの『虎に翼』を見ていて、最初のころから思っていることなのだが、どうしてこのドラマは、思想の歴史を描かないのだろうか、ということがある。確かに、女性の権利、男女平等ということは、理想としては誰もが認めることになってきているけれども、そうなってきたのには、以前からの歴史的経緯があってのことであるはずである。それを無視して、現在の社会で理想とすることを語っても、あまり説得力がない、と思わざるをえない。

この回では、与謝野晶子と平塚らいてうの大正時代の論争、母性保護論争に焦点をあてたものだった。この論争、ざっくりいえば与謝野晶子は女性の経済的自立と権利を主張し、平塚らいてうは、社会的な女性の解放をいいつつ同時に女性は母となる権利をもちそれは社会的に保護されるべきものであると言った……番組を見たところでまとめると、こんなふうになるだろうか。

これは、今にいたるまで続く問題である。男女の賃金格差とか、社会的なあり方の不平等とか問題である。しかし、その一方で、母親になることのできる女性への支援もまた必要とされている。これは、現代では、特に少子化対策という意味で考えられることが多いのだが。

私の思うところとしてはであるが……このような論争が大正時代にあり、その後、日中戦争、太平洋戦争となり、やむをえずということになるのだが、労働力としての女性ということが必要になる。同時に、子供を産むことが奨励されることにもなった。そして、終戦をへて、新しい憲法のもとで、男女の平等ということが法的に定められることになる。しかし、実際に男女の平等については、戦後の高度経済成長やその後の日本の産業社会構造の変化、社会の意識の変化、様々なことがあって、ようやく今日がある。その間、性の解放という主張もなされた。今では、理念としては男女平等といわれつつも、同時に、少子化対策として女性が子供を産むことが期待される時代になってきている。

この番組のなかで言っていなかったことがある。男女の平等というとき、何かについて平等というとき常にそうなのであるが、機会の平等と結果の平等とをどう考えるかということがある。どういう状態であれば、平等であるといえるのか、その具体的なことがらになると、どういう問題について論ずるかにもよるが、かなり複雑な議論があるにちがいない。人によって平等ということばで具体的にイメージするものが違っていては、議論はすれちがうばかりである。(あまりに形式的な平等主義と極端なアファーマティブアクションは、かえって混乱をまねくだけだろうとは思う。)

それから、磯田道史は、慶應義塾大学においては、速水融の門下生である。つまり、歴史人口学については、専門家である(はずだと思っているのだが)。歴史人口学の観点から見ると、女性の地位向上の歴史はどのように見えるのか、これは非常に興味深いところだと思うのだが、まったく触れるところがなかった。

ともあれ、与謝野晶子が文化学院を作ったことで、番組をしめくくっていたのは、いいまとめかただったと思う。このような問題を解決していくのには、何よりも教育であるということになる。

最初にも書いたが、思想には歴史がある。そして、今も我々は歴史のなかにいる。この感覚が、なによりも大切なのであると、私は思っている。

2024年8月29日記

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