「グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜」2024-08-30

2024年8月30日 當山日出夫

NHKスペシャル グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜

録画してあったのをようやく見た。

見て思うことはいろいろとある。思いつくままに書いてみる。

硫黄島の戦闘のこと。硫黄島については、いまだに語られ続けているのだが、その戦闘の実相はどんなものだったのかと思う。捕虜となった兵士の写真から何を読みとることができるか、いろいろ思う。少なくとも私には、安堵した気持ちと同時に茫然自失とした印象も感じる。日本軍の場合、捕虜となったとき、どうあるべきかについては、教育されていなかったのだが、実際に捕虜になった人たちは何を思ったのだろうか。ちなみに『アーロン収容所』を読んだのは、何十年も前のことになる。

この番組で力点を置いていたのは、敗戦後の日本。特に、その慰安施設について。このような施設があったことは、私の認識としては、特に秘密にすることでもなかったのかとも思っている。だからといって、おおっぴらに公言することでもなかったろうが。

進駐軍を受け入れるにあたって、日本側として考えたことの一つに、慰安施設があったことは、ごく普通のことだったと、私は思ってきたのだが、どうだろうか。この場合、特に日本だけが特殊であったわけではないだろうとも思っている。どのような形態をとるかということはあるが、それ以前も、また、その後も、類似のことは、世界各地であったに違いないというのが、私の認識である。少なくとも、日本においても、朝鮮戦争のとき、ベトナム戦争のとき、どのようであったか考えてみることになる。

そして、これは、占領する側、アメリカ軍側にとっても、兵士の健康を守るために重要な意味を持っていたことは、確かである。

興味深かったのは、女性相手の料金表。そのなかに、B円(軍票)とあったように見えたのだが、どうだったのか。終戦後の占領政策の一部として、軍票が使われていたということなのだろうか。

このような問題を議論するとき、個別の事例研究は大事であるし、資料の発掘も基本となるべきなのだが、日本の事例だけをことさらとりあげて否定的にとらえるだけでは、不毛な議論になると思っている。そこから出発して、普遍性をもったヒューマニズムを語ることができるかどうかが、重要である。その一方で、古来より、戦争とは、あるいは、兵士とは、こういうものなのだという冷めた認識も必要であるとも思っている。(だから免責されるということではないけれど。)

また、加害、被害という観点についてもどうかと思うところがある。確かに、このような概念によって見えてくるものもあるだろうが、しかし、同時にこのように分かりやすく二分することで見えなくなるものがあると、思うのである。この番組の場合、女性たちの写真を撮ったことについて、加害者に分類してしまうのは、適切だろうか。

この番組でも感じることなのだが、太平洋戦争当時の生き残りの老人を探し出してきてインタビューすることは、あまり意味がないと思う。テレビの映像としては、欲しいところかもしれないが。人間の記憶など、いかようにも改竄されるものである。いわゆる「語り部」を過信してはならない。また、戦争の体験や記憶は、いわゆる心の傷でもある。それに触れるべきでない場合もある(場合によっては、専門の精神科医などの専門家の助言が必要であろうか。)また、映像ならではのこととして、インタビューに応じていた老人が、たぶん軍にいたことを示す服を着ていた。従軍していたことが、今でもほこりなのだろう。

ところで、硫黄島の星条旗の写真は演出したものであったと思うのだが、はたして実際はどうだったのだろうか。

2024年8月26日記

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