アナザーストーリーズ「岡本太郎、現代を撃つ〜“双子の傑作”に秘めた企み〜」2025-04-23

2025年4月23日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 「岡本太郎、現代を撃つ〜“双子の傑作”に秘めた企み〜」

再放送である。最初は、2022年10月14日。

岡本太郎については、あまり知識がない。太陽の塔を作ったということは知っているし、私の世代なら、芸術は爆発だ、のことばは記憶にある。これ以外には、岡本かの子の子どもということは知っている。日本文学の知識として。渋谷にある、明日の神話、の壁画は、その前を通ったことはあるかと憶えているのだが、これが、岡本太郎の作品であると、強く意識したことはなかった。

太陽の塔のアイデアを出したのが、1970年の大阪万博で丹下健三が大屋根を作ることにした後からのことであった、というのは、破天荒としかいいようがない。常識的に考えて、建築の構造として中央に大きな穴をあけるように設計変更することが、どういう影響があるのか、考えなかったのだろうか。だが、最終的に、このアイデアで作ったというのは、岡本太郎がすごいというよりも、これを可能にした設計の変更と、実際の建築をおこなった人もすごいと思う。

太陽の塔を残して、周囲の屋根を解体するときは、どうやったのだろう。(この時代には、「解体キングダム」はなかったけれど。)

岡本太郎の作品に、生命とか、人間の人間たる根源にかかわるところへのメッセージがあることは理解できるつもりでいる。芸術が、美しいものでも、ここちよいものでもない……という芸術観は、今の時代になって考えると、非常に意味のあることだろう。

1970年の万博は、太陽の塔と公園を残し、そして、国立民族学博物館を作ったことになる。2025年の万博は、何も残さない方がいいと思う。できれば、そのまま無人の廃墟にしてしまった方が、20世紀のはじめのころの日本が、こんな国であったことを、将来の人びとにより強く印象づけるものになるだろう。

2025年4月15日記

映像の世紀バタフライエフェクト「“神の国” アメリカ もうひとつの顔」2025-04-23

2025年4月23日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト “神の国” アメリカ もうひとつの顔

かなり慎重に作ってあったとは思うところがある。事実として、アメリカにおける白人を中心とした保守層の多くが、福音派信者と重なることはたしかだろう。そして、福音派のうごきが、政治的に重要な問題になっていることもたしかである。

番組の方針として、福音派と白人保守層、というものを重ねすぎているという印象がどうしてもある。(たしかに分かりやすい構図にはなっているのだが。)

宗教を信じるということについて、どこまでふみこんで語るかということは、むずかしいところがある。今の日本でこのことについて語るとき、せいぜい進化論を拒否する人たち、というぐらいのことで触れることになるが、そのように思い、信仰を持っている人たちについて、その精神の内側にまではいって分析するということはしていない。表面的には、進化論を信じない愚かな人びとという印象を与えることにはなるが、その心の奥底をさぐってみれば、そんなに単純なものではないということになるにちがいない。

こういう問題を考えるとき、人間が、どのようにして、社会を維持するための倫理観や道徳観、人間観、歴史観、というものを身につけていくのか、ということにどうしてもふれざるをえない。これは、いわゆる、左翼、リベラル、といわれる人たちについても、同様である。その信奉する価値観が、いったい何に由来するものなのか、どうやってそのように考えるにいたったのか、その歴史をたどってみるならば、これもそんなに簡単なものではないことが分かるはずである。

現代における保守思想も、また、進歩主義思想も、おおむねもとをたどれば、近代の啓蒙主義に淵源をもつことになる。たとえば、進歩主義思想がいう人権という概念も、歴史的には、神というものの存在抜きにしては、成立しえなかったというのが、思想史的には基本的な理解であろう。

さらに議論すべきこととしては、では、なぜ人は宗教に精神や生活や文化のよりどころを求めるのか、ということについて、人間とはどういうものなのかを考えなければならない。そこまで、この番組にもとめるのは無理なことではあるが。

進歩主義の立場から、キリスト教福音派を馬鹿にするのは簡単かもしれないが、しかし、それと同時に、その他の宗教を信じる人びとに対しても同じことがいえるのか、ということは考えるべきである。キリスト教福音派はおろかであるが、イスラムの信仰を持つことはとうとい……とは、いえないはずである。

思想には歴史がある、ということを改めて考えることになる。

2025年4月22日記

おとな時間研究所「懐かしの喫茶研究」2025-04-23

2025年4月23日 當山日出夫

おとな時間研究所 懐かしの喫茶研究

たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいた。

このごろ、いろんな番組で昔からの喫茶店がとりあげられることが多い。いわゆる昭和の喫茶店である。これは、どうしてなのだろう。

一つには、街のなかから昔風の喫茶店が姿を消しつつある、ということがあるのだろう。ちょっと前までは、普通にあった喫茶店というものが、見かけないものになってきている。そのかわりに、チェーン店の喫茶店、というより、カフェ、といった方がいいだろうか、が増えてきている。今、私が住んでいるあたりにも、そのような店がいくつかある。立地条件としては、郊外型の店で、自動車で行ってということになる。

そして、こういう新しいチェーン店では、基本の店舗のアーキテクチャが、お客さんを長居させないようになっている。多少の時間は座っていてもいいのだが……まあ、あからさまに客を追い出して回転をよくするということはないにしても……原則的に、そんなに長く時間を使いたいというところにはなっていない。

食文化史というような観点から、昔ながらの喫茶店が、街にどれぐらいあり、どんなメニューで、いくらぐらいの価格で提供していたのか、そこに来るお客さんはいったいどんな人たちであったのか、ということは、記録して残しておくべきことのように思う。

昭和五〇年ごろ、一九七〇年代、東京の街には多くの喫茶店があった。住んでいた、目黒の界隈に、また、大学の三田の周囲にも、たくさんあった。そのうちのいくつかは、コーヒー専門店、ということで営業していた。コーヒーの入れ方としては、サイフォン方式である。今では、このような店は、もう無くなってしまっている。(ごくまれに残っているかもしれないが。)

一般の喫茶店のコーヒーは、ネルドリップ方式であった。これは、番組の中で紹介されていた。これは、フィルターにつかうネルの洗濯などが、手間がかかる。最近は、ペーパーフィルター方式が多くなっている。

私が学生だったころ、ペーパーフィルターで、自分の家や部屋で、コーヒーを飲むというのが、人びと(特に学生などの若い人たち)の間で、流行のようになっていた。

この番組を見て、もっとも興味深かったのは、作っておいたコーヒーを、小さな鍋で温めてカップにそそいで提供する、という方式。私の記憶にある限りだと、目の前で、この方式を見たのは、二回だけある。一回目は、信州の大町においてである。ここでは、学生のとき、夏休みに恩師の先生による勉強の合宿をしていた。大町の街中の喫茶店で、鍋でコーヒーをあたためているのを見て、驚いたという記憶がある。それから、かなりたって、何かの用事(学会かなにかだったと思うが)で東京に行って、新宿駅の西口の小さな喫茶店にはいって、そこで、同じように、小さな鍋で、コーヒーをあたためているのを見て、こういうやり方が一般にあるのかと、再認識したことを憶えている。

高校生のころ、京都の街に出るとき、河原町通りにあった六曜社にはよくいった。私の記憶だと、コーヒーが一杯で、150円ぐらいだっただろうか。200円はしなかったように憶えている。(そのころ、岩波新書の一冊が、150円均一だった。)

大学生になってからは、神保町界隈の喫茶店にはよく行った。有名な店であり、今でも続いているところもあるはずである。(ちなみに、ランチョンが、木造の古い建物だったのを憶えている。三省堂も昔の店舗だった。)

日本の人びとが、どのようにコーヒーを飲み、それを提供する店が、どの時代に、どのようであったか、これはこれで非常に興味あるところである。

コーヒーに塩をいれて飲むというやり方は、これは海軍の方式である(日本海軍ではなかったと思うが)、と何かで読んだのを憶えている。それが普通である国もあるらしい。

2025年4月19日記

買い物カゴから世界が見える「トルコ」2025-04-23

2025年4月23日 當山日出夫

買い物カゴから世界が見える トルコ

この番組の趣旨からは、まったく反対のことを見てしまうことになるかと思うのだが、これまでに見た、モンゴル、メキシコ、でもそうだったと思うが、スーパーマーケットという売り方が、これはもう世界共通のものになってきている、ということがまずある。世界的には、都市部に限ってということになるかもしれないが、こういう店舗の形態が、まさにグローバルスタンダード、というべきなのだろう。

そして、どの国のスーパーでも売っているのが、バナナ、である。当たり前すぎることなので、わざわざ取材したりしないのだろうが、世界中でバナナが食べられているということでいいのかもしれない。バナナが、一般の人びとの食べるものになってきた歴史は、おそらく、近代の帝国主義の植民地支配からはじまって、その後、世界各国の近代化のプロセスを、たどることになるのだろう。

日本でも、昭和三〇年代ぐらいまで、バナナは貴重品であった。それが、いまでは、ごく普通の食べ物になっている。この番組のモンゴルのときにも書いたことだが、ラオスで栽培したバナナを、トラックでチベットまで運ぶ、ということが、近代化ということなのだろうと思う。

イスラムの国なので、豚肉が無いのは理解できる。だが、それ以外の肉については、実に豊富で大量に売っている。こういうのを見ると、豚肉を食べないというのが、なんだか不思議な現象のように思えてくる。

トルコで、お茶(チャイ)が飲まれるようになったのは、近代になってからのことだという。トルコというと、コーヒーのイメージがあるが、実際の人びとの生活はどうなのだろうか。ただ、売り場の映像を見ると、LIPTON、の文字があった。かなり大量の飲まれている、ということなのだろう。

ルームシェアをしていた男性の二人。見ると、かなり広い家である。この広さを二人で分けるなら、半分でいいから自分だけで住みたいと思うのが、日本かもしれない。だが、その場合、家事を全部ひとりでしなければならなくなるということはあるが。

トルコでは、会社は、サラメシ付き、ということらしい。(ということは、お弁当とか、ランチの定食屋さんとかは、ないということでいいのだろうか。ちょっと気になる。)

街中にいる猫たちが、野良猫でありながら、エサをもらい、寝るところも提供されている。そういう猫たちのために、キャットフードをたくさん売っている。これもとても面白い。

ところで、ここではお魚は出てきていなかった。日本のスーパーで、品揃えで勝負するとなると、お肉よりも、お魚、ということになるかと思うが、どうだろうか。

2025年4月15日記