映像の世紀バタフライエフェクト「“神の国” アメリカ もうひとつの顔」2025-04-23

2025年4月23日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト “神の国” アメリカ もうひとつの顔

かなり慎重に作ってあったとは思うところがある。事実として、アメリカにおける白人を中心とした保守層の多くが、福音派信者と重なることはたしかだろう。そして、福音派のうごきが、政治的に重要な問題になっていることもたしかである。

番組の方針として、福音派と白人保守層、というものを重ねすぎているという印象がどうしてもある。(たしかに分かりやすい構図にはなっているのだが。)

宗教を信じるということについて、どこまでふみこんで語るかということは、むずかしいところがある。今の日本でこのことについて語るとき、せいぜい進化論を拒否する人たち、というぐらいのことで触れることになるが、そのように思い、信仰を持っている人たちについて、その精神の内側にまではいって分析するということはしていない。表面的には、進化論を信じない愚かな人びとという印象を与えることにはなるが、その心の奥底をさぐってみれば、そんなに単純なものではないということになるにちがいない。

こういう問題を考えるとき、人間が、どのようにして、社会を維持するための倫理観や道徳観、人間観、歴史観、というものを身につけていくのか、ということにどうしてもふれざるをえない。これは、いわゆる、左翼、リベラル、といわれる人たちについても、同様である。その信奉する価値観が、いったい何に由来するものなのか、どうやってそのように考えるにいたったのか、その歴史をたどってみるならば、これもそんなに簡単なものではないことが分かるはずである。

現代における保守思想も、また、進歩主義思想も、おおむねもとをたどれば、近代の啓蒙主義に淵源をもつことになる。たとえば、進歩主義思想がいう人権という概念も、歴史的には、神というものの存在抜きにしては、成立しえなかったというのが、思想史的には基本的な理解であろう。

さらに議論すべきこととしては、では、なぜ人は宗教に精神や生活や文化のよりどころを求めるのか、ということについて、人間とはどういうものなのかを考えなければならない。そこまで、この番組にもとめるのは無理なことではあるが。

進歩主義の立場から、キリスト教福音派を馬鹿にするのは簡単かもしれないが、しかし、それと同時に、その他の宗教を信じる人びとに対しても同じことがいえるのか、ということは考えるべきである。キリスト教福音派はおろかであるが、イスラムの信仰を持つことはとうとい……とは、いえないはずである。

思想には歴史がある、ということを改めて考えることになる。

2025年4月22日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770394/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。