新日本風土記「東京 つゆのあとさき」 ― 2025-08-23
2025年8月23日 當山日出夫
新日本風土記 「東京 つゆのあとさき」
東京という街は、いろんな角度から見ることができるし、それで、まとまった番組を作ることができる。
東京の下町の地域が、もともとは海だったところなので、雨が降るとその排水がうまくいかない。道路に水があふれる。これは、江戸の昔から、つい近年まで続いてきたことになる。それが改善されたのは、大規模な下水道などの都市部のインフラが整ってきたおかげである。
雨の風景を絵に描くとき、雨脚を直線で空から雨が降ってくるように描くというのは、いったいいつごろ、だれがはじめたことなのだろうか。美術史の方では、研究されていることだと思うのだが、雨の視覚的な描写、絵画表現の歴史というのは、面白いことがあるにちがいない。
雨の日には、雨の日ならではの風景が見られる。特に、都市部においては、路面が濡れて自動車のライトや、ビルの夜景などを映すので魅力的になる。(だが、写真に写すとなると、昔のフィルムカメラの時代の感度では、かなり難しかったかなと思う。現在の、デジタルカメラで、高感度で写すことができるようになって、表現の幅がひろがった分野といえるだろう。)
気象神社のことは、知ってはいるが、特に行ってみたいとも思わないでいる。世の中には、いろんな神社があるものだということの一つ、という認識でいる。太平洋戦争中、天気予報は、軍事情報なので一般に報道されなくなった。このあたりの経緯について書いたものとしては、『空白の天気図』(柳田邦夫)が面白かった。(一番印象に残っているのは、戦争で、気象観測の機材を失ってしまった気象庁の職員に対して、先輩が「観天望気」がある、とさとす場面である。)
和傘というのは、近年、まったく見かけなくなった。
童謡の『雨降り』(北原白秋作詞、中山晋平作曲)は、今ではもう歌われなくなった歌かもしれない。「じゃのめ」とあっても、今の子どもたちには、なんのことだかさっぱり分からないだろう。
東京の大田区の大森で、雨乞いと雨止めの神事をいまだにつづけてやっているというのも、興味深い。神事としての意味はなくなっても、こういう地域だと、後継者がいるということになる。
太宰治の墓が三鷹の禅林寺にあることは知っている。(ここには、森鷗外の墓もある。向島の弘福寺から移したものである。)太宰治は、一通りは読んでいるのだが、私の好みとしては、あまり好きではない。ただ、一部に、熱烈なファンが今でもいる作家であり、太宰治については、いろいろと考えてみるべきことは多い。その一つが、太宰治が得意とした小説のスタイルとして、若い女性の独白ということがある。このことで考えてみるべきと思っているのは、その文章を読み始めたときに、これは若い女性の書いた独白文であることが、直感的に分かる。それは、何故なのだろう。これは、国語学的な視点からの疑問なのだが、以前から気になっていることである。
紫陽花は、比較的育てやすいし、人気のある花である。紫陽花のある風景というのは、日本の各地で人気がある。私としては、紫陽花というと、どうしても、シーボルトのことを思ってしまうのだが。
2025年8月19日記
新日本風土記 「東京 つゆのあとさき」
東京という街は、いろんな角度から見ることができるし、それで、まとまった番組を作ることができる。
東京の下町の地域が、もともとは海だったところなので、雨が降るとその排水がうまくいかない。道路に水があふれる。これは、江戸の昔から、つい近年まで続いてきたことになる。それが改善されたのは、大規模な下水道などの都市部のインフラが整ってきたおかげである。
雨の風景を絵に描くとき、雨脚を直線で空から雨が降ってくるように描くというのは、いったいいつごろ、だれがはじめたことなのだろうか。美術史の方では、研究されていることだと思うのだが、雨の視覚的な描写、絵画表現の歴史というのは、面白いことがあるにちがいない。
雨の日には、雨の日ならではの風景が見られる。特に、都市部においては、路面が濡れて自動車のライトや、ビルの夜景などを映すので魅力的になる。(だが、写真に写すとなると、昔のフィルムカメラの時代の感度では、かなり難しかったかなと思う。現在の、デジタルカメラで、高感度で写すことができるようになって、表現の幅がひろがった分野といえるだろう。)
気象神社のことは、知ってはいるが、特に行ってみたいとも思わないでいる。世の中には、いろんな神社があるものだということの一つ、という認識でいる。太平洋戦争中、天気予報は、軍事情報なので一般に報道されなくなった。このあたりの経緯について書いたものとしては、『空白の天気図』(柳田邦夫)が面白かった。(一番印象に残っているのは、戦争で、気象観測の機材を失ってしまった気象庁の職員に対して、先輩が「観天望気」がある、とさとす場面である。)
和傘というのは、近年、まったく見かけなくなった。
童謡の『雨降り』(北原白秋作詞、中山晋平作曲)は、今ではもう歌われなくなった歌かもしれない。「じゃのめ」とあっても、今の子どもたちには、なんのことだかさっぱり分からないだろう。
東京の大田区の大森で、雨乞いと雨止めの神事をいまだにつづけてやっているというのも、興味深い。神事としての意味はなくなっても、こういう地域だと、後継者がいるということになる。
太宰治の墓が三鷹の禅林寺にあることは知っている。(ここには、森鷗外の墓もある。向島の弘福寺から移したものである。)太宰治は、一通りは読んでいるのだが、私の好みとしては、あまり好きではない。ただ、一部に、熱烈なファンが今でもいる作家であり、太宰治については、いろいろと考えてみるべきことは多い。その一つが、太宰治が得意とした小説のスタイルとして、若い女性の独白ということがある。このことで考えてみるべきと思っているのは、その文章を読み始めたときに、これは若い女性の書いた独白文であることが、直感的に分かる。それは、何故なのだろう。これは、国語学的な視点からの疑問なのだが、以前から気になっていることである。
紫陽花は、比較的育てやすいし、人気のある花である。紫陽花のある風景というのは、日本の各地で人気がある。私としては、紫陽花というと、どうしても、シーボルトのことを思ってしまうのだが。
2025年8月19日記
サイエンスZERO「ついに見えた!“宇宙の夜明け”ジェイムズ・ウェッブ最新報告」 ― 2025-08-23
2025年8月23日 當山日出夫
サイエンスZERO ついに見えた!“宇宙の夜明け”ジェイムズ・ウェッブ最新報告
再放送である。最初は、2024年。録画しておいたのをようやく見た。
天文学、宇宙物理学という世界は、とても面白いだろうなあ、と思う。ジェイムズ・ウェッブ望遠鏡によって得た観測データから、いろんなことが分かってくる。それによって、今までの理論的な説明の見直しを余儀なくされる。いくつか仮説をたてることはできるようだが、決定的なものはまだ出ていない。いや、まだまだ、新しい観測データがどんどん出てくる可能性がある。
宇宙の始まりはどんなものだったのか、また、生命とはなんであるのか、というようなサイエンスの知見が、人間のものの考え方に影響をあたえてきていることは、これは、たしかなことである。古代ギリシャにおいても、古代のインドにおいても、その時代の人びとの知見によって、最新であり、また、最深の思考がなされて、今にいたるまで積み重ねられてきていることは確かである。その過程において、歴史上の、さまざまな学問的知見、近代になってからは、サイエンスの知見が、人間とは何かを考えることに、影響してきている。近代の哲学者は、それぞれにその時代の最新のサイエンスの知見をふまえた議論を展開してきたと理解しておくべきだと思うし、そのサイエンスの知見が新たに更新されるならば、それに合わせて、今を生きる我々のものの考え方も、新たなものになっていくことになるだろう。
とはいっても、最近の、AIに代表されるテクノロジー万能主義……TESCREAL……シリコンバレーの哲学といってもいいかもしれないが、これには、すこしたちどまって考えてみたいところもある。
天文学でメシが食っていけるなら、これはとても幸せな人生だと、私などは思うのだが、これは余計なことかもしれない。
2025年8月20日記
サイエンスZERO ついに見えた!“宇宙の夜明け”ジェイムズ・ウェッブ最新報告
再放送である。最初は、2024年。録画しておいたのをようやく見た。
天文学、宇宙物理学という世界は、とても面白いだろうなあ、と思う。ジェイムズ・ウェッブ望遠鏡によって得た観測データから、いろんなことが分かってくる。それによって、今までの理論的な説明の見直しを余儀なくされる。いくつか仮説をたてることはできるようだが、決定的なものはまだ出ていない。いや、まだまだ、新しい観測データがどんどん出てくる可能性がある。
宇宙の始まりはどんなものだったのか、また、生命とはなんであるのか、というようなサイエンスの知見が、人間のものの考え方に影響をあたえてきていることは、これは、たしかなことである。古代ギリシャにおいても、古代のインドにおいても、その時代の人びとの知見によって、最新であり、また、最深の思考がなされて、今にいたるまで積み重ねられてきていることは確かである。その過程において、歴史上の、さまざまな学問的知見、近代になってからは、サイエンスの知見が、人間とは何かを考えることに、影響してきている。近代の哲学者は、それぞれにその時代の最新のサイエンスの知見をふまえた議論を展開してきたと理解しておくべきだと思うし、そのサイエンスの知見が新たに更新されるならば、それに合わせて、今を生きる我々のものの考え方も、新たなものになっていくことになるだろう。
とはいっても、最近の、AIに代表されるテクノロジー万能主義……TESCREAL……シリコンバレーの哲学といってもいいかもしれないが、これには、すこしたちどまって考えてみたいところもある。
天文学でメシが食っていけるなら、これはとても幸せな人生だと、私などは思うのだが、これは余計なことかもしれない。
2025年8月20日記
NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~ドラマ×ドキュメンタリー」 ― 2025-08-23
2025年8月23日 當山日出夫
NHKスペシャル シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~ドラマ×ドキュメンタリー
前後編とあったのを録画しておいて、続けて見た。
この番組は、良くも悪くもキメラだと感じる。いろんな歴史観のつぎはぎである。それらから自分の気に入った部分について、この番組は良かったそのとおりだ、と言うことができそうである。
(1)戦前戦中は軍部がのさばっていて、言論の自由などなかった。
(2)軍は、ひたすら戦争をすることを欲していた。
(3)日米開戦にいたったのは、それなりの合理性があったからである。
(4)時代の「空気」として戦争はやむをえないものだった。
どれも、太平洋戦争・大東亜戦争について、言われていることである。だが、全体として、あまり整理されないままに、番組のなかにつめこんである、という印象である。
猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』は、出たときに買って読んでいる。だから、近年になって、総力戦研究所があったと、さも大発見のごとくさわぎたてるのは、どうしたことかと思って見ていた。私にとって、これは知っていて当たり前のことであった。
それから、これは近年になって出た本だが、『経済学者たちの日米開戦-秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く-』(牧野邦昭、新潮選書)も読んだ本である。これは、総力戦研究所に先立って、陸軍の秋丸中佐によって作られた研究組織で、当時の経済学者……反体制的とみなされていたマルクス主義経済学者も参加していた……が、日米の経済力の比較検討をおこない、いま知られている総力戦研究所の出したのと同様の結論を導き出していた、ということを実証的に明らかにしたものである。
このこと自体も興味深いのだが、重要なこととしては、この時代(太平洋戦争の前のころ)、日米の経済的実力差ということは、別に秘密でもなんでもなくて、普通の出版物で堂々と語られていたことであった……という指摘である。また、秋丸機関の研究結果も、特に闇に葬り去られたということではなかったことも明らかにしている。
このこと(『経済学者たちの~~』)を念頭において見ると、このドラマは、明らかに偏った作り方をしている。どうしても戦争をしたくてたまらない軍人たち、ということを描きたかったという印象をうける。そのためになら(軍人を悪にするためなら)、史実を改変してもかまわないと思っていることになる。
まず、日米の経済的な実力差は、この時代の知識人や軍人(陸軍・海軍)においては、常識的なことであった……このことが重要だと思うのだが、ドラマは、このことを描いていない。まるで、総力戦研究所によって初めて明らかになった不都合な信実であったかのごとく描いている。これは、虚偽である。
ドラマの作り方としては、異例というべき部分がある。それは、研究所が日米の戦争は無理だという結論を出すことに、軍から圧力をかけて、そうならないようにした、という筋書で作ったことである。一方、番組の後半のドキュメンタリーの部分では、実際にはそのような圧力はなく、自由に発言できる研究であったと言っている。このような作り方は、非常に奇妙である。史実に反して、歴史再現ドラマのストーリーを作ることは、(それを明示していることもふくめて)、普通はありえない。ドラマはドラマ、史実は史実、と割りきって見ることになる。
そして、ドラマであっても、史実と異なる描き方をあえてしたことに、見るものが納得するであろう、という意図があったと考えられる。ここは、現実の日本の実力を無視して、どうしても戦争を始めたいと思う軍部ということは、一般に受け入れられる考え方である、ということを前提にしてのことだろう。戦前には、言論の自由が徹底的に弾圧されていた、何も言えなかったというのも(史実とは別に)一つの歴史の物語である。
無論、それと同時に、世論として戦意をあおったマスコミ(新聞であり、ラジオ=NHK)の存在もあったことになる。
だが、そうはいいながら、この時代の日本の選択肢として、日米開戦以外になかったということもあり、これは、いくぶんなりとも肯定的な視点から描かざるをえない、というジレンマもある。
かつては、東條英機を代表として軍部がすべて悪であり、日本を戦争にひきずりこんだ犯罪者である、国民をだましていたという歴史観……一般的には、東京裁判史観というべきだろうが、あるいは司馬遼太郎史観といってもよい……が主流であったが、近年では、かならずしもそうではない。
石油を禁輸とされて、このままじっとしていれば、日本は滅亡するほかはない。しかし、アメリカとの戦争になれば、わずかではあるが活路がある。ドイツがソ連に勝ち、イギリスが屈服するとするならば、有利な条件でアメリカと講和が可能であるかもしれない、わずかではあるが、その可能性がある。であるならば、アメリカとの戦争に踏み切るのが、より合理的な判断である、ということになる。
よく、政治家、為政者が、合理的に判断すれば戦争は起こらない、と言われる。しかし、そのときの合理的判断とは、どういう判断材料による、どういう未来予測のもとになされるのか、判断は決して一つに決めることはできない。何が合理的判断であるか、それは、たまたま歴史の結果を知っているから言えるだけのことにすぎない、という面がある。
こういう視点で見るならば、東條英機が開戦に踏み切ったのは、それなりの合理性があってのことと考えるのが妥当である。これは、天皇に忠誠をつくす東條英機としては、ジリ貧をつづけて亡びる道を選ぶよりも、はるかに妥当な判断であったと考えることができる。おいつめられた場合、よりリスクの大きい選択をしてしまうのが、人間というものである。
ただ、このような見方は、今日の絶対平和主義の価値観からは容認しがたいものであることは確かである。
つまり、結果として、このドラマで描いたことは、負けることが分かっていた戦争に突入した軍部を悪であり愚かなものとしたいということと、しかし、戦争をはじめるしか事態の打開策はなく、それは、わずかではあるが希望の可能性があるものであったという歴史の流れと、この一般的には両立しがたい二つのことがらを、無理につめこんだということになる。この意味では、歴史の見方としては整合性がないものになっているとしても、しかし、歴史の現実に即した多様な解釈の余地を示した、ということになる。
このドラマの趣旨からははずれることになるが、視点を変えれば、なぜ、アメリカは執拗に日本を追い込むようなことをしたのか、ということもある。当時、アメリカは中国にはさほどの利権があったわけではない。アメリカが日本と戦争してまで守りたい権益を中国にもっていたのだろうか。アメリカの殖民地だったフィリピンの争奪戦があったということではない(戦争の結果はそうなったが)。国際情勢のなかでのアメリカの行動のあり方は、改めて考えるべきことである。(勝てば官軍、ということで、アメリカに正義があったということにもなるかと思うが。)
ヨーロッパでドイツが勝利をおさめるということを前提にすれば、日米開戦もありえたということになるが、この時代、ヨーロッパの各国、ソ連、の実力(経済的軍事的)、そして、ドイツの国情を、どれほど正確に知り得たのだろうか、ということがある。これも、結果として、ドイツが負けたということがあるが、昭和16年の段階で、日本がどれほどの情報を得て分析できたのか、ということは、改めて検証の必要があるだろう。
この時代、戦争に負けるということをイメージするならば、第一次世界大戦後のドイツを思い浮かべるのが普通だっただろう。それを、空襲で廃墟になった日本の都市の情景として描くのは、歴史の結果を投影しただけのことである。
ドラマの終わりの方になって、戦争を回避できなかった理由として、「空気」ということばがいくたびか使われていた。これは、無論、山本七平の『「空気」の研究』をふまえたものであることは確かなのだが、このことばで歴史を語ることには、慎重であった方がいいと、私は思っている。
12月8日に開戦となったのは、マレー半島上陸作戦(時間的には、真珠湾攻撃よりこちらの方が先行している)のため、潮の干満を考えて決まったことで、こんなことは歴史の常識だと思っているのだが、ただ12月初旬と言っただけだったのは、雑である。
日米が戦えば日本が負けるというのは、隠蔽すべき「不都合な信実」だったのではない。こんなことは、当時の常識だったのである。それを、政府と軍部が悪で無知で無謀だったかのごとく描いてきたのが、戦後の歴史学であり、ジャーナリズムであった。負けると分かっていて開戦にいたったのは、「空気」のせいなのか、それなりの合理的判断であったのか、どう考えるかは、これからの課題ということになる。
その他、いろいろと思うことはあるが、これぐらいにしておきたい。
2025年8月21日記
NHKスペシャル シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~ドラマ×ドキュメンタリー
前後編とあったのを録画しておいて、続けて見た。
この番組は、良くも悪くもキメラだと感じる。いろんな歴史観のつぎはぎである。それらから自分の気に入った部分について、この番組は良かったそのとおりだ、と言うことができそうである。
(1)戦前戦中は軍部がのさばっていて、言論の自由などなかった。
(2)軍は、ひたすら戦争をすることを欲していた。
(3)日米開戦にいたったのは、それなりの合理性があったからである。
(4)時代の「空気」として戦争はやむをえないものだった。
どれも、太平洋戦争・大東亜戦争について、言われていることである。だが、全体として、あまり整理されないままに、番組のなかにつめこんである、という印象である。
猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』は、出たときに買って読んでいる。だから、近年になって、総力戦研究所があったと、さも大発見のごとくさわぎたてるのは、どうしたことかと思って見ていた。私にとって、これは知っていて当たり前のことであった。
それから、これは近年になって出た本だが、『経済学者たちの日米開戦-秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く-』(牧野邦昭、新潮選書)も読んだ本である。これは、総力戦研究所に先立って、陸軍の秋丸中佐によって作られた研究組織で、当時の経済学者……反体制的とみなされていたマルクス主義経済学者も参加していた……が、日米の経済力の比較検討をおこない、いま知られている総力戦研究所の出したのと同様の結論を導き出していた、ということを実証的に明らかにしたものである。
このこと自体も興味深いのだが、重要なこととしては、この時代(太平洋戦争の前のころ)、日米の経済的実力差ということは、別に秘密でもなんでもなくて、普通の出版物で堂々と語られていたことであった……という指摘である。また、秋丸機関の研究結果も、特に闇に葬り去られたということではなかったことも明らかにしている。
このこと(『経済学者たちの~~』)を念頭において見ると、このドラマは、明らかに偏った作り方をしている。どうしても戦争をしたくてたまらない軍人たち、ということを描きたかったという印象をうける。そのためになら(軍人を悪にするためなら)、史実を改変してもかまわないと思っていることになる。
まず、日米の経済的な実力差は、この時代の知識人や軍人(陸軍・海軍)においては、常識的なことであった……このことが重要だと思うのだが、ドラマは、このことを描いていない。まるで、総力戦研究所によって初めて明らかになった不都合な信実であったかのごとく描いている。これは、虚偽である。
ドラマの作り方としては、異例というべき部分がある。それは、研究所が日米の戦争は無理だという結論を出すことに、軍から圧力をかけて、そうならないようにした、という筋書で作ったことである。一方、番組の後半のドキュメンタリーの部分では、実際にはそのような圧力はなく、自由に発言できる研究であったと言っている。このような作り方は、非常に奇妙である。史実に反して、歴史再現ドラマのストーリーを作ることは、(それを明示していることもふくめて)、普通はありえない。ドラマはドラマ、史実は史実、と割りきって見ることになる。
そして、ドラマであっても、史実と異なる描き方をあえてしたことに、見るものが納得するであろう、という意図があったと考えられる。ここは、現実の日本の実力を無視して、どうしても戦争を始めたいと思う軍部ということは、一般に受け入れられる考え方である、ということを前提にしてのことだろう。戦前には、言論の自由が徹底的に弾圧されていた、何も言えなかったというのも(史実とは別に)一つの歴史の物語である。
無論、それと同時に、世論として戦意をあおったマスコミ(新聞であり、ラジオ=NHK)の存在もあったことになる。
だが、そうはいいながら、この時代の日本の選択肢として、日米開戦以外になかったということもあり、これは、いくぶんなりとも肯定的な視点から描かざるをえない、というジレンマもある。
かつては、東條英機を代表として軍部がすべて悪であり、日本を戦争にひきずりこんだ犯罪者である、国民をだましていたという歴史観……一般的には、東京裁判史観というべきだろうが、あるいは司馬遼太郎史観といってもよい……が主流であったが、近年では、かならずしもそうではない。
石油を禁輸とされて、このままじっとしていれば、日本は滅亡するほかはない。しかし、アメリカとの戦争になれば、わずかではあるが活路がある。ドイツがソ連に勝ち、イギリスが屈服するとするならば、有利な条件でアメリカと講和が可能であるかもしれない、わずかではあるが、その可能性がある。であるならば、アメリカとの戦争に踏み切るのが、より合理的な判断である、ということになる。
よく、政治家、為政者が、合理的に判断すれば戦争は起こらない、と言われる。しかし、そのときの合理的判断とは、どういう判断材料による、どういう未来予測のもとになされるのか、判断は決して一つに決めることはできない。何が合理的判断であるか、それは、たまたま歴史の結果を知っているから言えるだけのことにすぎない、という面がある。
こういう視点で見るならば、東條英機が開戦に踏み切ったのは、それなりの合理性があってのことと考えるのが妥当である。これは、天皇に忠誠をつくす東條英機としては、ジリ貧をつづけて亡びる道を選ぶよりも、はるかに妥当な判断であったと考えることができる。おいつめられた場合、よりリスクの大きい選択をしてしまうのが、人間というものである。
ただ、このような見方は、今日の絶対平和主義の価値観からは容認しがたいものであることは確かである。
つまり、結果として、このドラマで描いたことは、負けることが分かっていた戦争に突入した軍部を悪であり愚かなものとしたいということと、しかし、戦争をはじめるしか事態の打開策はなく、それは、わずかではあるが希望の可能性があるものであったという歴史の流れと、この一般的には両立しがたい二つのことがらを、無理につめこんだということになる。この意味では、歴史の見方としては整合性がないものになっているとしても、しかし、歴史の現実に即した多様な解釈の余地を示した、ということになる。
このドラマの趣旨からははずれることになるが、視点を変えれば、なぜ、アメリカは執拗に日本を追い込むようなことをしたのか、ということもある。当時、アメリカは中国にはさほどの利権があったわけではない。アメリカが日本と戦争してまで守りたい権益を中国にもっていたのだろうか。アメリカの殖民地だったフィリピンの争奪戦があったということではない(戦争の結果はそうなったが)。国際情勢のなかでのアメリカの行動のあり方は、改めて考えるべきことである。(勝てば官軍、ということで、アメリカに正義があったということにもなるかと思うが。)
ヨーロッパでドイツが勝利をおさめるということを前提にすれば、日米開戦もありえたということになるが、この時代、ヨーロッパの各国、ソ連、の実力(経済的軍事的)、そして、ドイツの国情を、どれほど正確に知り得たのだろうか、ということがある。これも、結果として、ドイツが負けたということがあるが、昭和16年の段階で、日本がどれほどの情報を得て分析できたのか、ということは、改めて検証の必要があるだろう。
この時代、戦争に負けるということをイメージするならば、第一次世界大戦後のドイツを思い浮かべるのが普通だっただろう。それを、空襲で廃墟になった日本の都市の情景として描くのは、歴史の結果を投影しただけのことである。
ドラマの終わりの方になって、戦争を回避できなかった理由として、「空気」ということばがいくたびか使われていた。これは、無論、山本七平の『「空気」の研究』をふまえたものであることは確かなのだが、このことばで歴史を語ることには、慎重であった方がいいと、私は思っている。
12月8日に開戦となったのは、マレー半島上陸作戦(時間的には、真珠湾攻撃よりこちらの方が先行している)のため、潮の干満を考えて決まったことで、こんなことは歴史の常識だと思っているのだが、ただ12月初旬と言っただけだったのは、雑である。
日米が戦えば日本が負けるというのは、隠蔽すべき「不都合な信実」だったのではない。こんなことは、当時の常識だったのである。それを、政府と軍部が悪で無知で無謀だったかのごとく描いてきたのが、戦後の歴史学であり、ジャーナリズムであった。負けると分かっていて開戦にいたったのは、「空気」のせいなのか、それなりの合理的判断であったのか、どう考えるかは、これからの課題ということになる。
その他、いろいろと思うことはあるが、これぐらいにしておきたい。
2025年8月21日記
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