100分de名著「福沢諭吉“福翁自伝” (2)自分を高める勉強法とは」2025-09-19

2025年9月19日 當山日出夫

100分de名著 福沢諭吉“福翁自伝” (2)自分を高める勉強法とは

適塾で枕がどこにいったかわからない、という話しはあまりにも有名である。まあ、ほんとかどうか、という気もしなくはないが。

この番組の中で言っていなかったこととして、重要なことは、適塾での勉強法……素読、講釈、会読、ということは、江戸時代の漢学塾などで一般的な方法であって、何も適塾の緒方洪庵の独創になるものではない、ということかと思う。テキストを読むのに、音読(素読)から始めるというのは、言語の勉強や研究にとって基本的なことである。(無論、日本の古典については、音韻史などの知識が必要にはなるが、そういうことを知ったうえで、古いテキストを音読することの意味というのはある。別に、これは、齋藤孝の肩を持つということではない。)

何のために勉強するのか、それが楽しいから、知ることが喜びだから……これは、そのとおりなのだが、今の時代、勉強が好きだからといって、大学院で学位をとっても、さてその先どうするか、となると、多くの若い人たちが暗澹とならざるをえないのが、実際の姿である。(こういうことまで言うのは、この番組の趣旨ではないのではあるが。)

2025年9月18日記

NHKスペシャル「戦国サムライの城 第1集 信長 驚異の“城郭革命”」2025-09-19

2025年9月19日 當山日出夫

NHKスペシャル 戦国サムライの城 第1集 信長 驚異の“城郭革命”

がんばって作ったということは分かるのだが、今ひとつ面白くなかった。

戦国時代の終わりから近世の始めにかけて作られた城について、天守に注目し、瓦や、石垣と、いうことで語ってあったのだが、これだけではないだろうと思う。

まず、山の上に作るか、平らな土地に作るか、ということもあるだろうし、城の全体の構造ということも重要なはずである。立地条件などから、見せるための城という方向になっていったということは分かるとしても、同時に、軍事施設としての城という部分ではどうだったのか、ということがはっきりしない。平地に城を築くことは、軍事的にはどういう意味があることだったのだろうか。

京都の二条城(古く信長が作った)は、見せるためだけのものだったのか。軍事的にはどれほどの意味があったか、どうなのだろうか。

天守というと、お城の真ん中あたりに作るというイメージがあるのだが、出隅に作るというのは、何故なのだろうか。視覚的に目立つから、というだけのことなのだろうか。これは、今に残る城の櫓などとどう違うのだろうか。

山の上に天守を作るというと、安土城がそうであったし、犬山城もそうである。私が行ったことのある城としては、松山城もそうだろう。

犬山城の材木の調査、これは年輪年代学ということになるだろうが、その築城年が特定できるというのは、面白い。同じようなことを、他の城について調べるとどうなるだろう。

瓦が黒いものではなく、赤い色のものが使われていた可能性が高い。これはそうだろうと思うが、耐久性を犠牲にして赤い瓦を使用したとすると、ここで、城の持つ意味が大きく変わったことを、意味することになるだろう。(だが、ここで、いきなり、中国の紫禁城をひきあいにだすのは、ちょっと強引かと思うが。)

番組では言っていなかったが、石垣の石の積み方の技術の進歩も重要なはずであるし、その石材を、どこから調達して、どうやって運んだかも、知りたいところである。番組内の再現映像だと、地面に丸太をおいて、その上に大きなそりをのせて、それで石を運搬したということのようなのだが、はたして、このことの妥当性はどうなのだろうか。地面が平らなところなら、この方法で運べるが、大きな石材が、そんなに手軽に手に入ったとも思えない。おそらく、城の石垣の石の産地ということについては、研究があるに違いないと思うのだが、こういうことについても、ふれておいてほしかった。

一般に、日本史研究で、キリシタン宣教師の残した資料は一次史料としてはみなされないと思うが(キリシタンの活動自体を研究する場合は別だが)、こういう城のイメージがどうだったかということでは、キリシタン宣教師たちの書き残したものを見ることになる。

信長がバチカンに贈った屏風は、はたしてどうなったのだろうか。

2025年9月16日記

BSスペシャル「プーチン大統領 力の源泉〜秘密の武器ネットワーク〜」2025-09-19

2025年9月19日 當山日出夫

BSスペシャル プーチン大統領 力の源泉〜秘密の武器ネットワーク〜

見ながら思うことはいろいろとあったが、番組の中で言っていなかったことととして気になることを書いておく。

ドローン(無人飛行機)が、戦術兵器から戦略兵器になっている、ということであり、おそらく、日本はそれに対応できていない。いや、これはかなり難しい問題かもしれない。

航続距離2500キロのドローンがあり、かなり強力な爆弾を搭載できるとなると、とてもやっかいなことになる。番組の中では、ペイロードが50キロと言っていたのだが、これが、今後の改良で大きくなることは、十分に予想される。

あまり考えたくないことだが、おそらく、日本という国は核兵器で脅されても屈することは、ないかと思っている。それは、核兵器のおそろしさを知っているが故に、それで脅されたことで屈してはならない、という逆向きの世論・輿論が形成される可能性がある、ということである。たしかに、核兵器搭載の極超音速ミサイルというのは、とてつもない脅威ではある。(これは、私の思うところであるが。)

射程2500キロのドローンで、かなりの破壊力があるということなら、日本に対して、東海道新幹線と東名高速道路を攻撃して、(人的な犠牲が出ないようにならば)、日本の経済活動をほぼ麻痺させることができる。それは、海から容易であり、防ぐことはかなり難しい、と思う。東海道新幹線の橋梁を破壊されれば、おそらく日本としてギブアップするしかない。これは、核ミサイルによる恫喝よりも、現実的で効果的である。無論、その他の通信インフラへの攻撃もあるだろう。だが、そもそもインターネットが、軍事技術であることを考えれば、いくぶんの耐性はあるはずである。

ドローンの登場は、(戦術ではなく)戦略の大きな転換を考えなければならないことになる。その開発と製造の最先端にいるのが、中国とイランであることは、日本にとって決して好ましいことではない。

また、番組のなかでは言っていなかったことだが、日本とロシア、それから、アメリカとヨーロッパは、北極海をかこんでいる。今のところ、インド太平洋ということに関心が集まっているようだが、同時に考慮すべきは、北極海の覇権、あるいは、軍事バランスである。これは、地球温暖化の気候変動と北極海の氷の状態が、深く関連する。気候変動は、軍事の問題でもある。

ロシアによる、力による現状変更ということを認めるなら、それは、世界中の紛争をまねく。いかに欺瞞的であるとしても、とりあえずは、現在のそれぞれの国民国家による統治ということで、今の世界はなりたっている。(まあ、極端なアナーキストからすれば、こういう状態こそがきにくわないということはあるにちがいないのだが。)

戦争が、軍事施設だけを攻撃の対象にするものではない、ということぐらいは、当たり前のことだと思っている。日本で、(対中国ということで)自衛隊の施設を作ろうとするだけで、反対しているのは、ただ時代遅れというだけではなく、これも、一種のハイブリッド戦争における認知戦の一つであるという、これぐらいのことは、NHKとしても言ってもいいことだと思う。(とはいえ、いわゆる市民団体を、そういう言い方であつかうことは難しいかもしれないが。)

2025年9月13日記