私的「じんもんこん2007」覚え書き(6)2007-12-26

このシンポジウムは、二日にわたって開催となる。朝の9時半からの開始。前日と同じように家を出る。

今回の「じんもんこん」は、GISがメインのテーマであるので、二つの会場に分かれる場合、GISか、その他か、という選択をせまられることになる。どこに行こうか……なやむ。結局、セッションBの「データベース」の会場に行くことにする。

GISの方の会場の発表は、だいたい知っている人だし、論文を読んでわからないことがあれば、後で、直接(あるいはメールで)きいてみよう、ということにする。

データベースの会場での発表で興味深かったのは、人間文化研究機構で開発のnihuONEのシステムの紹介。まずその全体的な構想の紹介が、及川さん(総研大)からあり、また、発表としては別になるが、民博コスチュームデータベースを、移行した場合の事例紹介があった。nihuONEは、ユーザ(デーベースの作成者・利用者の双方)にとって、敷居の低い、使いやすいものを目指している。少なくとも、エクセルで表現できる程度のデータ構造であれば、それをそのまま取り込んで、データベースに変換して、公開可能。

データベースについて思うことを述べれば、今、議論されているのは、基本的に二つの方向であろう。

第一は、どのようにデータベースを作っていくか、という、構築にかかわる問題。

第二は、それをどのように有効に活用するか、という方面。この方向からの議論は、「横断検索」「メタデータ」という方向に向かいがちである。

どちらも必要な議論であることはわかるのだが、さらに踏み込んで、データベースを使って、このようなことが分かった……という発表が、あまり見られない。データベースの使い方、利用価値、それを実際の研究者の仕事のなかで検証していって、作成・構築のところに、フィードバックしていく……というふうには、なかなかいかない。

また、その一方で、データベースを作るとき、その内容となる「情報」とはいかなるものであるのか、GISであれば、そもそも「時間」や「空間」はどのように定義できるのか……といった、根源的な(あるいは、思弁的・理念的といってもよいかもしれない)問いかけも必要である。

これらの諸要素がきちんとかみあって、研究成果として、データベースの利用が一般的になるのは、まだ、時間がかかるかもしれない。(あるいは、この人文学と情報学の世界は、永遠にベータ版の世界にとどまるものなのか。)

『文章のみがき方』さん江2007-12-26

このタイトル、もちろん、『文章読本さん江』(斉藤美奈子)のマネである。この本、単行本も持っているが、文庫本(ちくま文庫)になったので、また、新しく買った。その解説(高橋源一郎ほか)のタイトルは、「『文章読本さん江』さん江」となっている。この解説にさらにコメントするとなると、「「『文章読本さん江』さん江」さん江」となってしまって、括弧が足りなくなってしまう。

ところで、最近の文章の書き方の本としては、次の本がある。

辰濃和男(2007).『文章のみがき方』(岩波新書).岩波書店

この本については、最近の轟亭さんの小人閑居日記で言及してある。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2007/12/26/2530340

この本を、学生の「アカデミック・ライティング」で推奨してよいかどうかとなると、かなり困惑するところがある。確かに『文章のみがき方』は、よい本である。

しかし、私は、アカデミック・ライティングの授業で学生にこう言っている……『文章読本』をすてろ……、と。

論文は一読するのみである。何度も読み返す論文があるとすれば、それを批判する論文を書くとき、ぐらいである。一読してわかる、つまり、読み返すことがない。論文は、何度も熟読玩味するような文章ではない。

また、読者に感銘を与える必要など無い。事実と意見を、理性的に理解できるように書く。このような種類の文書として「論文」を定義したものとして、『論文の教室』(戸田山和久)は、すぐれている。

教室では、こうも言う……お金が欲しいとき相手の理性的判断をもとめる必要はない。感情にうったえればよい……「同情するなら、金をくれ」、と(こんなふうに書いてしまうと、歳がばれてしまう。でも、今の、学生には、このことも通じないであろう。)

今の学生にとって、対人コミュニケーションスキルのひとつとして、文章の書き方についての必要性はつよいものがある。また、逆に、教員の側からしても、今時の学生はろくに文章が書けないのでトレーニングの必要がある、という側面もある。

理性的に理解できる文章をトレーニングすることは、ある程度可能であると思う。しかし、その一方で、やはり、人のこころを動かす文章にも、こころひかれる。

『文章のみがき方』で、もっとも印象に残っているのが、「感受性を深める」の章。視覚障害の人が、雨の音をききわける文章。こういう文章を読むと、感動する。しかし、アカデミック・ライティングの授業では、きっぱりとわりきって、この種の文章を切ってすてなければならない。

文章にもいろいろある、その中のひとつの種類が「論文」である。この視点をつねに再確認していかなければならない。