『文章のみがき方』さん江2007-12-26

このタイトル、もちろん、『文章読本さん江』(斉藤美奈子)のマネである。この本、単行本も持っているが、文庫本(ちくま文庫)になったので、また、新しく買った。その解説(高橋源一郎ほか)のタイトルは、「『文章読本さん江』さん江」となっている。この解説にさらにコメントするとなると、「「『文章読本さん江』さん江」さん江」となってしまって、括弧が足りなくなってしまう。

ところで、最近の文章の書き方の本としては、次の本がある。

辰濃和男(2007).『文章のみがき方』(岩波新書).岩波書店

この本については、最近の轟亭さんの小人閑居日記で言及してある。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2007/12/26/2530340

この本を、学生の「アカデミック・ライティング」で推奨してよいかどうかとなると、かなり困惑するところがある。確かに『文章のみがき方』は、よい本である。

しかし、私は、アカデミック・ライティングの授業で学生にこう言っている……『文章読本』をすてろ……、と。

論文は一読するのみである。何度も読み返す論文があるとすれば、それを批判する論文を書くとき、ぐらいである。一読してわかる、つまり、読み返すことがない。論文は、何度も熟読玩味するような文章ではない。

また、読者に感銘を与える必要など無い。事実と意見を、理性的に理解できるように書く。このような種類の文書として「論文」を定義したものとして、『論文の教室』(戸田山和久)は、すぐれている。

教室では、こうも言う……お金が欲しいとき相手の理性的判断をもとめる必要はない。感情にうったえればよい……「同情するなら、金をくれ」、と(こんなふうに書いてしまうと、歳がばれてしまう。でも、今の、学生には、このことも通じないであろう。)

今の学生にとって、対人コミュニケーションスキルのひとつとして、文章の書き方についての必要性はつよいものがある。また、逆に、教員の側からしても、今時の学生はろくに文章が書けないのでトレーニングの必要がある、という側面もある。

理性的に理解できる文章をトレーニングすることは、ある程度可能であると思う。しかし、その一方で、やはり、人のこころを動かす文章にも、こころひかれる。

『文章のみがき方』で、もっとも印象に残っているのが、「感受性を深める」の章。視覚障害の人が、雨の音をききわける文章。こういう文章を読むと、感動する。しかし、アカデミック・ライティングの授業では、きっぱりとわりきって、この種の文章を切ってすてなければならない。

文章にもいろいろある、その中のひとつの種類が「論文」である。この視点をつねに再確認していかなければならない。

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