ケータイであそべるNDLサイト ― 2009-11-09
2009-11-09 當山日出夫
昨日のつづき。
NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション
NDLのWEBサービスに望むこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/11/08/4683256>
出てくる話しは、きまってと言ってしまってよいかもしれないが、ケータイで使えるサイトの設置。
これには、賛否両論あろう。
まずは、賛成論から。いまどきの若者は、ケータイが主流になってきている。少なくとも、まずケータイ。パソコンとはつかいわけている。このような現状をふまえるならば、若い人たちをよびこむためには、ケータイで使えるサイトが必要である。
これには、強いて付け加えることはないだろう。ただ、パソコン画面(マウスの操作による)と、ケータイ画面(スクロール式のメニュー)とでは、ユーザインターフェースの設計がことなる、このあたりに配慮する必要がある。
これはわかるんだけど、いや、いまどきケータイをつかえない(パソコンしかつかえない、デジタルデバイド・オジサン)としては、こうも思ってしまうのである。
はたして、NDLのオンラインサービスが、ケータイに対応できるものであるのか、OPACの検索結果や、高精細の画像など、ある程度以上の大きさの画面で見て、意味がある。ケータイ向けには、小さくてもいいなら、小さい用に設計し直さないといけない。そのコストの価値があるか。高精細画像は、何のための高精細画像であるのか。
あるいは、強いていえば、こうなるか。ケータイをとにかく「入り口」として設定する。そこから、必要な書誌情報などをとって、メールで転送しておく。そのURLやキーワードをもとに、改めてパソコンで検索する。このような方向もありだろう。
だが、この中間、別の有り様も考える余地がある。iPhoneなどの利用、小型のモバイル端末、今のケータイよりも画面が大きい、そして、タッチパネルやスタイラスが利用できる。
端的に言えば、任天堂のDSが、通信機能を持ったとき、そこで「あそべる」コンテンツを提供できるだろうか。さらには、この延長には、すでにある、Wiiなどの存在(ゲーム機)を無視できない。
課題は課金のシステムかもしれない。日本のケータイ市場は、よくも悪くも、課金システムを構築してきている。すこしづつではあるが、結果的は、ごっそりと穫られるシステムである。
これが、今のパソコンには、そぐわない。せいぜい、一定期間、有料会員制度の導入ぐらいであろうか。パソコンのインターネットの世界では、ケータイのような課金システムが未発達である。いや、そもそも、コンテンツはタダ(無料)であるという大前提がある。
このあたりの意識のギャップをどう埋めるかが課題だろう。
それよりも、ケータイで「あそべる」コンテンツをつくることに、NDLの予算をつぎこんで、そこから何が得られるだろうか。社会全体の利益としてである。
ケータイしか使えない、デジタルデバイド人間をどうするか、これが、NDLのオンラインサービスにかかわらず、これからの社会の課題である。(逆に、ケータイしか使えない人間にも使えるサービスということで、Twitterが急速に普及している。)
最後に、話しがそれるが、Twitterは、ケータイしか使えない人間と、パソコンは使えてもケータイは苦手という人間を架橋することができるか。そして、ケータイから大画面コンピュータへといざなう導線になることができるかどうか。
まさにこの時期と、NDLのオンラインサービスの見直しの時期が重なっている。何をプラットフォームに何を目指すのか、このあたりを明確にしておく必要があるように思えてならない。
ここから、次にTwitter論になるといいのだが。
當山日出夫(とうやまひでお)
昨日のつづき。
NDL情報提供サービスに関するグループディスカッション
NDLのWEBサービスに望むこと
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/11/08/4683256>
出てくる話しは、きまってと言ってしまってよいかもしれないが、ケータイで使えるサイトの設置。
これには、賛否両論あろう。
まずは、賛成論から。いまどきの若者は、ケータイが主流になってきている。少なくとも、まずケータイ。パソコンとはつかいわけている。このような現状をふまえるならば、若い人たちをよびこむためには、ケータイで使えるサイトが必要である。
これには、強いて付け加えることはないだろう。ただ、パソコン画面(マウスの操作による)と、ケータイ画面(スクロール式のメニュー)とでは、ユーザインターフェースの設計がことなる、このあたりに配慮する必要がある。
これはわかるんだけど、いや、いまどきケータイをつかえない(パソコンしかつかえない、デジタルデバイド・オジサン)としては、こうも思ってしまうのである。
はたして、NDLのオンラインサービスが、ケータイに対応できるものであるのか、OPACの検索結果や、高精細の画像など、ある程度以上の大きさの画面で見て、意味がある。ケータイ向けには、小さくてもいいなら、小さい用に設計し直さないといけない。そのコストの価値があるか。高精細画像は、何のための高精細画像であるのか。
あるいは、強いていえば、こうなるか。ケータイをとにかく「入り口」として設定する。そこから、必要な書誌情報などをとって、メールで転送しておく。そのURLやキーワードをもとに、改めてパソコンで検索する。このような方向もありだろう。
だが、この中間、別の有り様も考える余地がある。iPhoneなどの利用、小型のモバイル端末、今のケータイよりも画面が大きい、そして、タッチパネルやスタイラスが利用できる。
端的に言えば、任天堂のDSが、通信機能を持ったとき、そこで「あそべる」コンテンツを提供できるだろうか。さらには、この延長には、すでにある、Wiiなどの存在(ゲーム機)を無視できない。
課題は課金のシステムかもしれない。日本のケータイ市場は、よくも悪くも、課金システムを構築してきている。すこしづつではあるが、結果的は、ごっそりと穫られるシステムである。
これが、今のパソコンには、そぐわない。せいぜい、一定期間、有料会員制度の導入ぐらいであろうか。パソコンのインターネットの世界では、ケータイのような課金システムが未発達である。いや、そもそも、コンテンツはタダ(無料)であるという大前提がある。
このあたりの意識のギャップをどう埋めるかが課題だろう。
それよりも、ケータイで「あそべる」コンテンツをつくることに、NDLの予算をつぎこんで、そこから何が得られるだろうか。社会全体の利益としてである。
ケータイしか使えない、デジタルデバイド人間をどうするか、これが、NDLのオンラインサービスにかかわらず、これからの社会の課題である。(逆に、ケータイしか使えない人間にも使えるサービスということで、Twitterが急速に普及している。)
最後に、話しがそれるが、Twitterは、ケータイしか使えない人間と、パソコンは使えてもケータイは苦手という人間を架橋することができるか。そして、ケータイから大画面コンピュータへといざなう導線になることができるかどうか。
まさにこの時期と、NDLのオンラインサービスの見直しの時期が重なっている。何をプラットフォームに何を目指すのか、このあたりを明確にしておく必要があるように思えてならない。
ここから、次にTwitter論になるといいのだが。
當山日出夫(とうやまひでお)
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