ブログ論壇だけでいいのか ― 2010-05-20
2010-05-20 當山日出夫
「ブログ論壇」……これは、佐々木俊尚氏の著書につかわれた名称でもある。
佐々木俊尚.『ブログ論壇の誕生』(文春新書).文藝春秋.2008
その後、佐々木さんは、『マスコミは、もはや政治をかたれない』(講談社、2010)などを出して、その方向をつよく打ち出している。
ここで、先日、引用したことばを再度引用しておく。『中央公論』6月号から、
「アメリカに見る新聞がなくなった社会」(河内孝)、アリアナ・ハフィントンの発言として、
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私たちが今日、ここで議論すべきは、どうやって(既存の)新聞社を救うか、ではなく、どうやって多様なジャーナリズムを育成し、強化するのか、ということであるべきです。なぜならジャーナリズムの未来は新聞社の未来とは何も関係ないからです。
続けて彼女は、「新聞以後の」新しいジャーナリズムを創造するために二つの道を提示した。
(p.164)
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その二つの道とは、「職業訓練を受けた記者が、地域住民と対話を繰り返しながらニュースを作り上げてゆくパブリック・ジャーナリズムを助成すること」であり、「新しく生まれるNPO組織「調査報道基金」活動を充実させてゆくこと」、とある(p.164)。
既存の新聞のあり方も、日本とアメリカでは大きく異なる。そして、その次に何がくるのかも、また、日本とアメリカで大きく異なっているだろう。ただ、少なくともいえることは、どのような場合であっても、ジャーナリストとしての専門的訓練をうけた人間による地道な調査報道は必要である、ということである。
それを、はたして、「ブログ論壇」は達成できるだろうか。
強いていえば、何かについて論ずることは、多種多様な意見のあるブログの中に見いだせるだろう。しかし、その基本となる、一次資料にもとづく、現場の取材となると、それは、そのプロ(あるいは、専門家)の世界を信用することになるのではないか。
といって、既存の、たとえば、記者クラブ制度を温存しようというわけではないのは、もちろんである。むしろ、このような既存の一種の既得権益のようなものを超えたところに、新しいジャーナリズムが生まれるべきであるし、また、「論壇」「議論の場」が育っていくべきであろう。
どのような方向で考えるにせよ、これまでの新聞や総合雑誌の行方はわからない。強いていえば、明るい未来はない。しかし、それを、「ブログ論壇」がとってかわるかといえば、そんなことはないと私は思う。この広大なWEBのなかで、「ブログ論壇」の地図をつくる、道案内をする人が必要にもなってくるであろう。もちろん、現場取材による調査報道も必要である。それは、やはり、その「専門家」ということになる。
今は、かろうじて、その一次資料の調査報道を既存の新聞などが担っている、という段階。しかし、それを、どう解釈するのか、その資料の利用については、もはや、新聞などだけでは、ゆきづまっている状態、といっていいのかもしれない。だから「ブログ論壇」が成立しうる。
私は「ブログ論壇」に期待はしても、過剰な信頼はしないようにと思うのである。まずは、自分自身が、何によって、自分の意見をなりたたせているか、その情報源が何であるか、やはり、既存の新聞、マスコミのちからは大きいといわざるをえない。だが、それを、鵜呑みに信用するということとは別である。
當山日出夫(とうやまひでお)
「ブログ論壇」……これは、佐々木俊尚氏の著書につかわれた名称でもある。
佐々木俊尚.『ブログ論壇の誕生』(文春新書).文藝春秋.2008
その後、佐々木さんは、『マスコミは、もはや政治をかたれない』(講談社、2010)などを出して、その方向をつよく打ち出している。
ここで、先日、引用したことばを再度引用しておく。『中央公論』6月号から、
「アメリカに見る新聞がなくなった社会」(河内孝)、アリアナ・ハフィントンの発言として、
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私たちが今日、ここで議論すべきは、どうやって(既存の)新聞社を救うか、ではなく、どうやって多様なジャーナリズムを育成し、強化するのか、ということであるべきです。なぜならジャーナリズムの未来は新聞社の未来とは何も関係ないからです。
続けて彼女は、「新聞以後の」新しいジャーナリズムを創造するために二つの道を提示した。
(p.164)
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その二つの道とは、「職業訓練を受けた記者が、地域住民と対話を繰り返しながらニュースを作り上げてゆくパブリック・ジャーナリズムを助成すること」であり、「新しく生まれるNPO組織「調査報道基金」活動を充実させてゆくこと」、とある(p.164)。
既存の新聞のあり方も、日本とアメリカでは大きく異なる。そして、その次に何がくるのかも、また、日本とアメリカで大きく異なっているだろう。ただ、少なくともいえることは、どのような場合であっても、ジャーナリストとしての専門的訓練をうけた人間による地道な調査報道は必要である、ということである。
それを、はたして、「ブログ論壇」は達成できるだろうか。
強いていえば、何かについて論ずることは、多種多様な意見のあるブログの中に見いだせるだろう。しかし、その基本となる、一次資料にもとづく、現場の取材となると、それは、そのプロ(あるいは、専門家)の世界を信用することになるのではないか。
といって、既存の、たとえば、記者クラブ制度を温存しようというわけではないのは、もちろんである。むしろ、このような既存の一種の既得権益のようなものを超えたところに、新しいジャーナリズムが生まれるべきであるし、また、「論壇」「議論の場」が育っていくべきであろう。
どのような方向で考えるにせよ、これまでの新聞や総合雑誌の行方はわからない。強いていえば、明るい未来はない。しかし、それを、「ブログ論壇」がとってかわるかといえば、そんなことはないと私は思う。この広大なWEBのなかで、「ブログ論壇」の地図をつくる、道案内をする人が必要にもなってくるであろう。もちろん、現場取材による調査報道も必要である。それは、やはり、その「専門家」ということになる。
今は、かろうじて、その一次資料の調査報道を既存の新聞などが担っている、という段階。しかし、それを、どう解釈するのか、その資料の利用については、もはや、新聞などだけでは、ゆきづまっている状態、といっていいのかもしれない。だから「ブログ論壇」が成立しうる。
私は「ブログ論壇」に期待はしても、過剰な信頼はしないようにと思うのである。まずは、自分自身が、何によって、自分の意見をなりたたせているか、その情報源が何であるか、やはり、既存の新聞、マスコミのちからは大きいといわざるをえない。だが、それを、鵜呑みに信用するということとは別である。
當山日出夫(とうやまひでお)
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