国語研コロキウムに行ってきた、すである人文情報学2010-07-10

2010-07-10 當山日出夫

国立国語研究所のコロキウムに行ってきた。

2010年7月8日(木)
朴鎭浩(ソウル大学校)
韓国口訣資料の電子的構造化

http://www.ninjal.ac.jp/event/colloquium/

日本でいえば、訓点資料。韓国では、口訣資料という。
※「口訣」、訓点後研究者の間では、「くけつ」「クギョル」が普通の読み方かなと思う。「こうけつ」と読んでもまちがちではないのであるが。

ソウル大学の先生であるが、日本語で発表してくださったので、私でも、聞くことができた。(学生の時に、朝鮮語を勉強してから、もうさっぱり忘れてしまっている……)。

印象に残ったこととしては、何よりも、デジタルの画像データの公開・共有を前提に、現在の韓国での口訣資料研究がすすんでいること。また、その。翻刻・解読の結果も、デジタルテキスト化されている。

これは、日本とおおきくちがう。

日本には日本の事情がある。資料をもっているのが、寺院であったりする場合、そう容易に、公開というわけにはいかない。だが、大学などの研究機関所蔵の資料でも、なかなか、デジタル画像として公開・共有にはいたっていない。

そして、さらにその研究に、いかにデジタル技術をつかうかとなると、まだ、だれも本格的にとりくんでいる、という状況にはない。(最近になって、ようやく、その方向の萌芽的な発表はあるが。)

幸いというべきであろう、韓国で、大量の口訣資料が発見されるのと、コンピュータが、普及するのが並行していた。主に、1990年代以降のことになる。そのため、研究に、コンピュータを利用することに、抵抗なく入っていけた、ということがあるのだろう。

だが、日本は、そのはるか以前の段階からの研究の蓄積があるので、そう簡単に、デジタルに移行するということができないまま、現状となっている。

資料をデジタル化して、公開して、多くの人々が共有すること、そして、それを前提に研究が構築されていくこと……これは、しいて、人文情報学というまでもない、ごくあたりまのことである。このあたりまえのことを、現実に目すると、何かしら新鮮なものに触れたかのごとく感じるのは……日本が、やっぱり、どこな変なのかもしれない。

特に、人文情報学ということを言わないでいい時代が、(隣の国では)すでに来ている。このことも、はっきりと認識しておくべきであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)