電子図書館の可能性(2)図書館は何を残すのか2010-07-17

2010-07-17 當山日出夫

電子図書館の可能性(国立国会図書館/関西館)で、質疑応答の時、私がした質問はつぎのようなもの。

電子書籍は、デバイスに依存する。紙の本であれば、100年後でも同じものとして見ることができる。しかし、電子書籍はどうか。今のiPadを、10年後、20年後に見ることが可能であろうか。

この質問に対する仲俣暁生さんのこたえは……コンテンツを分離して考えるべきである。電子図書館としては、そのコンテンツが残ればいい。デバイスは変わってしまっても、それは必然である。

これについて、さらに言うだけの時間はなかったのだが、ここで、私の思うことを書いておく。仲俣さんのこたえには、半分賛成できるが、半分は納得できない。

紙の本でも、実は、歴史的に見れば、デバイスの変革は経てきている。写本の時代から、版本の時代へ。さらに、活字印刷の時代に。たとえば、『万葉集』。はるか古代、現存する二十巻本の成立がどのようなものであったかは事情が不明であるにしても、少なくともいえることは、仮名(平仮名・片仮名)は無い時代。いわゆる万葉仮名の時代である。しかも写本。それが、仮名つきの表記に変わる時期がくる。それは写本の時代。その後、いろいろ変遷があって、近世になって版本がつくられ、近代になって、活字本になる。また、万葉仮名表記もなくなる。読み下し文での表記に変わる。

しかし、現在でも、古写本もいくつか現存しているし、版本も残っている。また、活字本でも、読み下し文のものもあれば、万葉仮名表記を保つテキストもある。これも、何種類かある。

そして、これら多様な、『万葉集』は、基本的に図書館で見ることができる。書物として。

写本・版本が、活字本になっても同じ本(同じ『万葉集』)である、という側面が確かにある。その一方で、万葉仮名表記を読み下し文に変えてしまったら消えてなくなってしまうものもある。それを残すテキストも必要。

さて、では、電子図書館は、何をどのようにのこすべきなのか。ただ、電子図書館は、現在流通している本の閲覧にだけ利用されるというものではないだろう。一つの役割として、本を残すということもある。このとき、のこすべき本とは、いったい何だろう。

本のコンテンツであるのか、本そのものであるのか。

国会図書館は、近世以前の貴重な写本・版本も所蔵している。これら、コンテンツが同じであるからかといって、新しい活字本があれば、不要になる、ということはない。これらは、モノとして残すべきものである。

近代の活字本についてもいえるだろう。やはり、モノそのものとしての本を残すことに価値がある。(そのための保存の一手段として、書籍のデジタル化という側面もある。近代デジタルライブラリーはそのためにある。)

何十年か後、21世紀の初頭の、電子書籍はどんなものであったのか、それ自体を、モノとして残す必要性は、「図書館」として、どのように考えるべきであるか。ここを単純に、コンテンツだけが残ればいい、と言えるだろうか。

さらにいえば、MLA連携ということがある。図書館においても、アーカイブズの機能が、なにがしか求められるとするならば、原型保存の原則は必須になる。つまり、オリジナルのもとの形のものを残さなければならないということである。

電子書籍になったとき、図書館は、本にとってどのような機能をはたすべきか。閲覧の機能もあるが、その一方で、本を保存しておくという機能もある。それが作成されたときの状態で、そのコンテンツを閲覧したいという要求にこたえることも、図書館にとっては必要なことではないであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

付記 2010-07-19
中俣→仲俣、人名表期を間違えていました。失礼しました。訂正。

コメント

_ 谷合@エル・ライブラリー ― 2010-07-17 17時44分50秒

 激しく同意しながら読みました。

> 何十年か後、21世紀の初頭の、電子書籍はどんなものであったのか、それ自体を、モノとして残す必要性は、「図書館」として、どのように考えるべきであるか。ここを単純に、コンテンツだけが残ればいい、と言えるだろうか。

 ここは見落とされがちな点だと思います。しかし、「残すコスト」も秤にかける必要があり…。理念、技術論から経営論にまで踏み込んで、金銭コスト(各館ごとの経費)、社会的コスト(インフラ)、感情コスト(哲学・思考の刺激、文化財への情緒面での担保)多方面から検討する必要ありと思いました。

_ あかねだ ― 2010-07-19 00時01分54秒

當山先生の質問を聞いておお!っと思ったのですが、時間がなかったですね。

コンテンツだけでなく、それが記された「もの」の方に興味がいってしまうものとしては、やはりそういった視点が大切だと思います。
その保存は図書館がすべきものか、博物館がすべきものか・・・?それとも、新しい枠組みがいるのでしょうか。

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_ ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版 - 2010-07-19 08時13分26秒

日中は、 2010-07-16(Fri): 国立国会図書館講演会「電子図書館の可能性」 (於・京都府/国立国会図書館 関西館) http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/dl_future.html を拝聴。 内容は以下の通り。 講演「理想とする電子図書館」 長尾真(国立国会図書館長) 報告「国立