『兵士に聞け 最終章』杉山隆男2017-02-23

2017-02-23 當山日出夫

杉山隆男.『兵士に聞け 最終章』.新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/406207/

杉山隆男の「兵士シリーズ」の最新刊であり、また、これが最後であるらしい。

「兵士シリーズ」は、いくつか読んできている。自衛隊の実際の有様を、現場の「兵士」の日常の任務、生活に密着して描いたルポルタージュとして、非常にすぐれた仕事だと思っている。本の帯をみると、開始から24年とある。20年以上前、今の私の住まいの自分の部屋で仕事をする前のこと、仮住まいをしていた座敷(そこに本棚などおいて書斎がわりにしていた)で、読んだのを憶えている。

見てみると、「兵士シリーズ」、初期のものは読んでいるが、最近のものは読んでいない。新聞の広告など、見落としていたらしい。これを機会に、読みそびれた本を読んでおきたい気になっている。いや、最初のものから、再読してみたい気になった。

この『兵士に聞け 最終章』である。この本で主に描かれるのは、日本の自衛隊のおかれている最前線、中国との対峙である。無論、今、日本と中国とは、戦争しているわけではない。しかし、その間に軍事的な緊張がまったく無いかといえば、それは嘘になる。尖閣諸島をめぐって、一触即発とまではいかないにしても、それにいたる寸前の緊張状態にある。それを、著者は、空と海の防衛に密着して描いている。

まず、沖縄のF15戦闘機のスクランブル。2012年に、日本政府が尖閣諸島を国有化してからというもの、沖縄方面における国籍不明機の接近、侵犯が急増したという。それに24時間体制で対応している航空自衛隊の活動が密着して語られる。その自衛隊員にとって、「死」は身近な存在だと、さりげなく書いてある。

ある若いF15パイロットは、こう言う。

「思いますよ。きょうはいくら呑んでも、あした死ぬことはないからと……」
(p.52)

また、国籍不明機の侵入は、沖縄の慰霊の日(6月23日)であろうと、おかまいないくやってくる。個人的な感想を記せば、中国にとって、沖縄の慰霊の日など何の関係もない、ということなのだろう。

そして、海。ここで語られるのは、海上自衛隊のP-3C。もはや旧式になってきたとはいえ、現役で、対潜哨戒のみならず、その他、海上の守りの役目をになっている。そして、不審船をみつけるのは、最新鋭の電子機器によるのではなく、人間の目、その職人技とでいうべき技術によっている。

私の読後感としては、まさに「最前線」ということばが思い浮かぶ。このことばは、著者はつかってはいない。だが、このように感じてしまう日々の任務を遂行している人たち(自衛隊員)がいることは、確かなことである。

安保法制が成立してしばらくたつ。今、国会で議論されているのは、南スーダン派遣の自衛隊の活動。海外での自衛隊の活動に目をむけることも必要かもしれないが、この平和な日常の日々において、スクランブルの、海上監視の任務を黙々とこなしている、自衛隊員がいることを、忘れてはならない。日本の、特に、沖縄、東シナ海は、最前線といってもよいのである。

さらに、日本において、自衛隊はいかにある存在なのか、いろいろ考えさせられるが、それは明日のことにしておきたい。

追記 この続きは、
やまもも書斎記 2017年2月24日
『兵士に聞け 最終章』杉山隆男(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/24/8373463