『光る君へ』「波紋」 ― 2024-09-30
2024年9月30日 當山日出夫
『光る君へ』「波紋」
いろいろと思うことがあるが、思いつくままに書いてみる。
まひろ/藤式部が書いた物語は、『源氏の物語』と呼ばれるようになった。本当かどうかは分からないが、光源氏を主人公にした物語として、このような名称で呼ばれるということは、自然なことといっていい。この回までで、この物語が三十三帖書かれたということは、現在の『源氏物語』のとおりだとするならば、「藤裏葉」までということになる。つまり、「若菜(上・下)」の直前までである。
『源氏物語』では、「若菜(上・下)」が最も重要な巻である。女三宮の光源氏への降嫁があり、そして柏木との不義密通のことがある。
この『光る君へ』での『源氏物語』は、玉鬘系の物語が、後から書かれて挿入されたということにはなっていないようである。が、それまでの若紫系のストーリーと、玉鬘系のストーリーが、「若菜(上・下)」において融合することになる。
学生のころ、池田彌三郎先生が、『源氏物語』は「若菜(上・下)」を中心に読むと理解できる、という意味のことを受業で言っておられた。古い古典大系(山岸徳平校注本)で、「若菜(上・下)」を読んだのを憶えている。それからさかのぼって、順番に読んでいった。
「若菜(上・下)」執筆の直前までで、彰子に皇子の誕生というのは、『源氏物語』のストーリーと、道長をめぐる宮廷の政治のことをからめていることになると理解できる。ドラマの作り方としては、非常に興味深い。まあ、『源氏物語』の成立論としては、いろいろと意見のあるところにはちがいないが。
興味深かったのは、土御門殿で、女房たちが『源氏物語』の献上本を作るところ。藤原公任の書いた『源氏物語』が残っていたりしたら、とんでもないことになるが、この時代、このような本があったとしてもおかしくはないだろう。その料紙の選択とか、冊子体の装丁とか、実際はどうだったのだろうか。装丁の名称としては、書誌学的には、いくぶん用語のゆれのあるところかと思うのだが、平安時代の豪華本としては、あんなふうだったのだろうとは思う。実際の作業に、女房がどれぐらい実務的にかかわったのかという気はする。女房装束では仕事がしにくだろうとも思う。また、最終的にあのような装丁にして読むためには、先ず紙を半分にしてページを裏表に確定して、その順に書いていかないといけない。
まひろが、家に帰って晩御飯のとき、お酒を飲んで、手酌(もう今ではあまり使わないことばかと思うが)で、飲んでいた。紫式部のイメージとは、ちょっと違和感があるけれど、実際はどんなだったのだろうか。
「罪」「罰」と紙に書いていた。物語を作るということは、場合によっては、狂言綺語の罪であるのだが、そういうことを考えてのことだったのだろうか。あるいは、これから書くことになる「若菜」のストーリーを思ってのことなのだろうか。
娘の賢子が、まひろに向かって、嫡妻にならなかったから、こんな暮らしで、と非難していたが、平安時代の貴族の婚姻制度では、かならずしも嫡妻とは限らないだろうと思うのだが、実際、まひろのような受領層で女房として出仕した女性やその家の暮らしは、どんなだったのだろうか。
宮中では、『源氏の物語』を読む会をもよおしていた。かつて、源氏物語音読論というのがあったが、一般的にいっても、読書と音読(ことばを声にだす)とは、かなり密接な関係がある。はるか昔であれば、『古事記』『万葉集』などの作品は、声に出して読まれ、伝えられたものであった。
『日本紀』と言っていた。これは、そのとおりでいいのだが、現代では『日本書紀』が普通である。ここは、注釈的な説明があった方がよかったかもしれない。
まひろは、女房装束(十二単)で宮中の廊下を走っていた。これはどうなのだろうか。女房装束では、とても走ったりできないと思うのだが、まあ、ここはドラマとしての演出ということであろう。
ちょっと気になったところとしては、このドラマでは、乳母(めのと)が登場しないことがある。彰子が産んだ赤ちゃんを自らだっこしているのは、どうなのだろうか。少なくともその側に、乳母の女性がひかえていないといけないと思うのだが。それから、このドラマでは、ひすましわらは、も登場しない。これは、宮中の生活で必須だったはずだが、実際に女房たちはどうしていたのだろうか。
これまでのこのドラマでもそうなのだが、夜の闇の描写が印象的である。平安時代、いやつい近年まで日本の夜は暗かった。空には天の川が見えた時代である。彰子のところに賊がおしいって声が聞こえ、まひろが廊下に出た場面は、宮中の夜の闇の暗さが印象的に表現されていたと感じる。テレビの画面で夜の暗さを表現するのは、かなり難しい演出になるだろうが、このドラマでは、随所に巧みな演出が見られる。そういえば、以前の五節の舞の場面も、夜ならではの演出であった。
それにしても、まひろの家はあいかわらず貧乏である。仮にも貴族層なのだから、もうちょっとましな家かなとも思わないでもないが、実際はどうだったのだろうか。家の建物のすぐ下まで水が流れてきているが、これでは、すぐに木材が腐食してだめになってしまうはずだが、ちょっと気になっている。
この回も猫が登場していた。猫は、「若菜」の巻において重要な役割をはたす。
まひろの娘の賢子は、後の大弐三位でいいはずだが、さて、その後の『源氏物語』の成立にかかわることになるのだろうか。
2024年9月29日記
『光る君へ』「波紋」
いろいろと思うことがあるが、思いつくままに書いてみる。
まひろ/藤式部が書いた物語は、『源氏の物語』と呼ばれるようになった。本当かどうかは分からないが、光源氏を主人公にした物語として、このような名称で呼ばれるということは、自然なことといっていい。この回までで、この物語が三十三帖書かれたということは、現在の『源氏物語』のとおりだとするならば、「藤裏葉」までということになる。つまり、「若菜(上・下)」の直前までである。
『源氏物語』では、「若菜(上・下)」が最も重要な巻である。女三宮の光源氏への降嫁があり、そして柏木との不義密通のことがある。
この『光る君へ』での『源氏物語』は、玉鬘系の物語が、後から書かれて挿入されたということにはなっていないようである。が、それまでの若紫系のストーリーと、玉鬘系のストーリーが、「若菜(上・下)」において融合することになる。
学生のころ、池田彌三郎先生が、『源氏物語』は「若菜(上・下)」を中心に読むと理解できる、という意味のことを受業で言っておられた。古い古典大系(山岸徳平校注本)で、「若菜(上・下)」を読んだのを憶えている。それからさかのぼって、順番に読んでいった。
「若菜(上・下)」執筆の直前までで、彰子に皇子の誕生というのは、『源氏物語』のストーリーと、道長をめぐる宮廷の政治のことをからめていることになると理解できる。ドラマの作り方としては、非常に興味深い。まあ、『源氏物語』の成立論としては、いろいろと意見のあるところにはちがいないが。
興味深かったのは、土御門殿で、女房たちが『源氏物語』の献上本を作るところ。藤原公任の書いた『源氏物語』が残っていたりしたら、とんでもないことになるが、この時代、このような本があったとしてもおかしくはないだろう。その料紙の選択とか、冊子体の装丁とか、実際はどうだったのだろうか。装丁の名称としては、書誌学的には、いくぶん用語のゆれのあるところかと思うのだが、平安時代の豪華本としては、あんなふうだったのだろうとは思う。実際の作業に、女房がどれぐらい実務的にかかわったのかという気はする。女房装束では仕事がしにくだろうとも思う。また、最終的にあのような装丁にして読むためには、先ず紙を半分にしてページを裏表に確定して、その順に書いていかないといけない。
まひろが、家に帰って晩御飯のとき、お酒を飲んで、手酌(もう今ではあまり使わないことばかと思うが)で、飲んでいた。紫式部のイメージとは、ちょっと違和感があるけれど、実際はどんなだったのだろうか。
「罪」「罰」と紙に書いていた。物語を作るということは、場合によっては、狂言綺語の罪であるのだが、そういうことを考えてのことだったのだろうか。あるいは、これから書くことになる「若菜」のストーリーを思ってのことなのだろうか。
娘の賢子が、まひろに向かって、嫡妻にならなかったから、こんな暮らしで、と非難していたが、平安時代の貴族の婚姻制度では、かならずしも嫡妻とは限らないだろうと思うのだが、実際、まひろのような受領層で女房として出仕した女性やその家の暮らしは、どんなだったのだろうか。
宮中では、『源氏の物語』を読む会をもよおしていた。かつて、源氏物語音読論というのがあったが、一般的にいっても、読書と音読(ことばを声にだす)とは、かなり密接な関係がある。はるか昔であれば、『古事記』『万葉集』などの作品は、声に出して読まれ、伝えられたものであった。
『日本紀』と言っていた。これは、そのとおりでいいのだが、現代では『日本書紀』が普通である。ここは、注釈的な説明があった方がよかったかもしれない。
まひろは、女房装束(十二単)で宮中の廊下を走っていた。これはどうなのだろうか。女房装束では、とても走ったりできないと思うのだが、まあ、ここはドラマとしての演出ということであろう。
ちょっと気になったところとしては、このドラマでは、乳母(めのと)が登場しないことがある。彰子が産んだ赤ちゃんを自らだっこしているのは、どうなのだろうか。少なくともその側に、乳母の女性がひかえていないといけないと思うのだが。それから、このドラマでは、ひすましわらは、も登場しない。これは、宮中の生活で必須だったはずだが、実際に女房たちはどうしていたのだろうか。
これまでのこのドラマでもそうなのだが、夜の闇の描写が印象的である。平安時代、いやつい近年まで日本の夜は暗かった。空には天の川が見えた時代である。彰子のところに賊がおしいって声が聞こえ、まひろが廊下に出た場面は、宮中の夜の闇の暗さが印象的に表現されていたと感じる。テレビの画面で夜の暗さを表現するのは、かなり難しい演出になるだろうが、このドラマでは、随所に巧みな演出が見られる。そういえば、以前の五節の舞の場面も、夜ならではの演出であった。
それにしても、まひろの家はあいかわらず貧乏である。仮にも貴族層なのだから、もうちょっとましな家かなとも思わないでもないが、実際はどうだったのだろうか。家の建物のすぐ下まで水が流れてきているが、これでは、すぐに木材が腐食してだめになってしまうはずだが、ちょっと気になっている。
この回も猫が登場していた。猫は、「若菜」の巻において重要な役割をはたす。
まひろの娘の賢子は、後の大弐三位でいいはずだが、さて、その後の『源氏物語』の成立にかかわることになるのだろうか。
2024年9月29日記
「Make Up for YOU」 ― 2024-09-30
2024年9月30日 當山日出夫
ドキュメント20min. Make Up for YOU
メイク、私のことばとしては、化粧、であるが、まったく興味がない。今までしたこともないし、これからも、絶対にすることもないだろう。家のものが化粧していようがいまいが、まったく気にしたことがない。男性用化粧用品の市場がのびていることは知ってはいるが、自分には縁の無いものと思っている。朴念仁である。
とはいえ、歴史的には、男性が化粧していた時代はあった。特に、身分の高い人たちにとっては、化粧は日常的なものだったはずである。
メイクをすることによって、自分自身がどう変わっていくのか……村上佳菜子、井手上漠、が語っていた。村上佳菜子は、名前をかろうじて憶えているが、井手上漠は知らなかった。(島根県の海士町出身とあったので、たしか「新プロジェクトX」に出てきた町だなと、思ったぐらいである。)
番組としては、メイクに焦点をあてたものになっていたが、広くは、衣装とかもふくんで考えることのできることだろう。さらには、仮面、ということも考えなければならないかもしれない。だが、そこまで考えをひろげなくても、メイクをする人の気持ちは、いったいどんなものなのか、その内面の一端をかいまみることができたきかと思う。
番組の企画としては、非常にいいところに目をつけた番組になっていたと思う。
2024年9月27日記
ドキュメント20min. Make Up for YOU
メイク、私のことばとしては、化粧、であるが、まったく興味がない。今までしたこともないし、これからも、絶対にすることもないだろう。家のものが化粧していようがいまいが、まったく気にしたことがない。男性用化粧用品の市場がのびていることは知ってはいるが、自分には縁の無いものと思っている。朴念仁である。
とはいえ、歴史的には、男性が化粧していた時代はあった。特に、身分の高い人たちにとっては、化粧は日常的なものだったはずである。
メイクをすることによって、自分自身がどう変わっていくのか……村上佳菜子、井手上漠、が語っていた。村上佳菜子は、名前をかろうじて憶えているが、井手上漠は知らなかった。(島根県の海士町出身とあったので、たしか「新プロジェクトX」に出てきた町だなと、思ったぐらいである。)
番組としては、メイクに焦点をあてたものになっていたが、広くは、衣装とかもふくんで考えることのできることだろう。さらには、仮面、ということも考えなければならないかもしれない。だが、そこまで考えをひろげなくても、メイクをする人の気持ちは、いったいどんなものなのか、その内面の一端をかいまみることができたきかと思う。
番組の企画としては、非常にいいところに目をつけた番組になっていたと思う。
2024年9月27日記
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