地球ドラマチック「古代ドイツ 謎の女性シャーマン」2025-05-02

2025年5月2日 當山日出夫

地球ドラマチック 古代ドイツ 謎の女性シャーマン

ヨーロッパの考古学のことは、まったく予備知識がないので、いろいろと面白いところもあり、分からないところもあった。

最初の方で、女性が埋葬されていたことが、かなり特殊なことであったと言っていた。普通の死体は、地面に放置するか、木につるすか、ということであったが、どうしてそういうことが分かるのだろう。遺体をそんなふうにしておいたら、遺骨が残るということもないだろうし、完全に風化して自然に分解して無くなってしまうはずである。風葬ということで、理解していいのだろうか。

人間が、文化、というものを持つようになったことの一つの現れが、死者の埋葬などの儀礼だろうと思う。古代のヨーロッパでは、どのような死者儀礼、葬送儀礼があったと、一般に考えられているのか。このあたりは、日本の視聴者向けに説明がないと分かりにくい。

埋葬の状態から、シャーマンと判断できそうである、その可能性が高いということだったと思うが、見ていて、どうも根拠がはっきりしない。これは、その他の埋葬の事例と比べなければ、特にこの女性が特殊であったということが言えないはずである。もし、埋葬して墓を作っていたとしても、それは一般的にどのようなものであったか、分からないので何ともいいようがない。

シャーマンが、世界の未開民族(もうこういう言い方はしないかもしれないが、しかし、あまり適当な名称が思いうかばない)において見られるということは、文化人類学などの知見から明かなことにちがいない。学生のころ、文化人類学の講義で、シャーマンのことについては、習ったのを憶えている。

DNA解析から、この女性がどのような人であったか、全体像からの見通しができるはずだが、どうなのだろうか。古代のヨーロッパで、どのような人が住み、どのような人がやってきて、そして、今にいたっているのか、その全体像の研究は、どれぐらい分かっているのだろうか。

番組のなかで使っていたことばでいえば、肌の色が明るい……つまりは、白人、と言ってもいいはずだが、このことばは避けたのだろう……人たちが住むようになったのは、新しいことである、とあった。古代にヨーロッパに住んでいた人は、肌が褐色であった……これも、黒人、というようなことばは避けていたと思うのだが……これは、人類の歴史として、知られていることだと私は認識している。

骨がかなり残っているから、DNA解析も可能だし、何を食べていたかというようなことが分かる。

ただ、言っていなかったことは、年齢の推定である。普通は、何歳ぐらいのということは言いそうなのだが、まったく言及がなかった。ヨーロッパの考古学では、このようなことは気にしないのだろうか。

2025年4月28日記

よみがえる新日本紀行「海峡夫婦ー関門海峡ー」2025-05-02

2025年5月2日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「海峡夫婦ー関門海峡ー」

再放送である。2023年1月28日。オリジナルは、昭和49年(1974年)。

港の水先人は、ネクタイをしめて正装で船にのりこむ。使うことばは、英語である。これは、何か他の番組でも見たことだと憶えているのだが、今から半世紀ほど前の関門海峡でも、同じである。

沖仲仕ということばは、もう死語だろう。私の学生のころまでは、まだ使われていたことばである。港湾での荷役の労働者である。この沖仲仕の仕事が、女性が多く働いていたということは、知らなかった。てっきり男性の力仕事だというイメージで思っていたのだが。しかし、かつては、建築現場や炭坑などでも、女性の労働者が多くいたことはたしかなので、沖仲仕の仕事を女性がしていても、そうだったのだろうと思う。これは、毎日、職安(もうこのことばも今ではつかわないが)に行っての日雇い労働であった。

貨物船に船倉に入りこんで、スコップで穀物を運搬用のカゴ(?)に入れる。これも、今では、機械化、自動化されていることになるのだろう。また、コンテナ輸送が増えて、沖仲仕の仕事は無くなっていく。(そのかわりに、ガントリークレーンのオペレータがいて、トラックの運転手がいて、という時代になったことになる。)

番組の最後に、成人式に向かう娘さんの姿が映っていた。草履で、でこぼこの道を歩くのは難儀である。この娘さんも、今、もし存命なら、ちょうど私と同じぐらいの年である。孫の何人かがいてもいいかもしれない。その後、どうしたのだろうかと思って見ていた。

2025年4月30日記

コズミックフロント「地動説 〜謎を追い続け、近代科学を生んだ人々の物語〜」2025-05-02

2025年5月2日 當山日出夫

コズミックフロント 地動説 〜謎を追い続け、近代科学を生んだ人々の物語〜

再放送である。最初は、2022年10月27日。

今の我々は天動説を信じているが、どういう根拠でそれが正しいと言えるのか、きちんと説明できる人は少ないかもしれない。

私は、マンガとアニメは見ない方針なので(別に嫌いとかではない、こういうジャンルのものまで読んだり見たりしだすとキリがないからである)、『チ。』は、名前は知っているし、今、NHKがアニメの放送をしていることも知っているけれど、見ようとは思っていない。

番組のなかで紹介されていたことになるが、科学の学説は検証できなければならない、という意味のことが出てきていた。いわゆる反証可能性ということになり、はっきりとこれが意識されるようになったのは、ポパー以来のことだろうと思っているので、ヨーロッパの中世を舞台にしたマンガのなかで、こういうことが出てくるとすると、ちょっと違和感を覚える。

天文学というのは、太陽や月や星の観測データと、その動きを説明する原理の研究、ということでいいだろうと思う。中世まで、天体の動きを観察するのは肉眼によることになる。観測の補助的なツールは開発され、また、説明するための数学の発達ということはあったのだろうが、大きな枠組みとしては、神の作った宇宙という存在が、そのような動きをする説明が、どれだけの説得力があるか、ということになる。よりシンプルで、美しい、あるいは、エレガント、と言ってもいいかもしれないが、そういう説明ができるなら、それが真実である……この基本の方向は、変わらなかったということでいいだろう。

言いかえるならば、天動説が迷妄であったのではない。地動説の方が、よりシンプルで美しい説明になるから、それを真実と考えるようになった……私としては、このように考えておきたい。惑星の逆行という現象をふくめて、さまざまな観測データを、地動説の方が、エレガントに説明できる、こういうことでいいのだろうと思う。

それを、現代の科学史の概念でいうならば、パラダイムの変換ということになる。パラダイムということばは、『科学革命の構造』(クーン)で使われたことばであるが、今では、一般的なことばになってしまっている。

その後のこととしては、相対性理論が生まれ、ビッグバンの発見、という流れになっていくことになる。そして、ビッグバンをふくめて、それ以前のことをどう理論的に考えるか、また、それを実証するためには、どういう観測データが必要になるのか、ということだと思っている。

私として気になるのは、天文学から「神」が消えてなくなるのは、いつだったのか、あるいは、今でも消えてはいないのか、ということがある。(別に「神」の存在を認めても、宇宙の創成を科学的、理論的に語ることは可能だと思っている。)

また、西欧の科学の発展に、イスラム世界が大きく寄与していたことは、これは、科学史のみならず、哲学などの分野においても、常識的なことであると思っている。

この番組のなかでは省略されていたことになるが、地球を球体としてとらえ、太陽系を(天動説ではあっても)三次元空間のなかの天体の動きとして考えるようになったプロセスも、非常に重要な、科学的知見の進歩であったはずである。

観測データの信頼性、その技術の歴史、それと、全体を説明するよりシンプルで統合的な理論の構築、私としては、こういう視点から考えることにしたい。

2025年4月27日記