『とと姉ちゃん』「常子、プロポーズされる」「常子、失業する」2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、プロポーズされる」「常子、失業する」

時代は、昭和15年である。日中戦争は泥沼化し、日本が世界のなかで孤立感をふかめ(少なくとも、アメリカとはうまくいかない)、人びとの生活がかなり苦しくなってきたころのこと、ということになる。

このドラマは、見るのは二回目である。最初の放送のときも、全部見たと覚えている。二回目に見て、常子たちの小橋家の一家よりも、住んで働いていることになる森田屋の人たちのことの方を、面白く見ている。昭和の戦前の深川のお弁当屋さんのくらしは、こんなふうだったんだろうなあ、と感じさせるところがある。世相の変化を、お弁当屋さんの仕事、どんなお弁当が作れるのか、ということで描いているというのも、ドラマの作り方としては、たくみだと思う。

また、深川の材木屋という商売のあり方、これは、古風な昔気質の商売になるが、その生活も、なんとなくこんなもんだったのだろうか、と感じることになる。

常子は、会社をクビになる。その経緯は、ちょっと込み入っている。だが、このなかで、この時代に生きる社会のいろんな人たち……今でいえば社会の階層……ということを感じることになっている。

この時代、和文タイピストという手に職のある女性は、そう多くなかっただろうから、変わりはいくらでもいるかもしれないが、クビになったからといって、すぐに路頭に迷う、ということはなかったかもしれないと思ったりもするのだが、はたして、この時代の就職事情はどうだったのだろうか。戦争の時代とはいえ、世の中全体として、和文タイプの需要が激減するということは、考えにくい。(アメリカやヨーロッパ向けの商社としては、ビジネスが苦しくなったかとは思うのだが。)

2025年8月2日記

『チョッちゃん』(2025年7月28日の週)2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『チョッちゃん』 2025年7月28日の週

『チョッちゃん』を見ている人は、おそらく、つづけて『あんぱん』も見ているだろうと思う。どうしても見比べてしまうことになる。『チョッちゃん』の方が、ドラマとしては、断然いい。この時代に生きた人間はこんなふうに感じていたのだろうということが、自然な流れで描かれている。そして、それが、人間とはこういうものなのだよな、という感覚につながる。こういうことこそ、エンタテイメントとしての王道である。

さりげないことなのだが、東京と北海道の滝川との電話のシーン。昔の長距離通話は、まず、電話局にかけて、相手の電話番号を告げて、交換手さんが繋いでくれて、それをいったん受話器をおいて待っていた。繋がるとベルがなって、受話器を取ると、交換手さんが、おつなぎします、と言って、それからようやく相手に、電話がつながった。少なくとも、私が記憶している、昭和の戦後の長距離電話というのは、こういう仕組みだった。今のように、ダイヤルして(いや、ボタンを押して)直接相手にすぐ繋がるという時代ではなかった。

また、長距離の電話料金はとても高額だった。北海道の滝川のお父さんとお母さんは、何分しゃべった、と言って口論していたが、これも、そういう背景があってのことだったはずである。東京からかかってきた電話の料金は、かけた側、つまり、東京の野々村のおじさんの家で負担しなければならない。

洗足の蝶子たちの家を、邦子や神谷先生が訪ねてきたときのこと。蝶子たちと話しをしていて、となりの部屋で赤ちゃんの泣き声がする。それを聞いて、蝶子が席をたってとなりの部屋に行く。次に、邦子と神谷先生が映って、ふたりの会話になる。こういう流れが、実に自然なのである。子どものいる家であることが、ごく日常的なしぐさで表現されていて、そして、画面のなかの人物が入れ替わる。こういう演出や脚本というのは、今のドラマでは見られなくなってしまったことかもしれない。

加津子は、小学校に行って問題を起こす。神谷先生は、加津子の理解者であり(とても進歩的な教育観を持っている)、蝶子も加津子のことをなんとかしたいと思っている。

学校に呼び出されて事情を聞く。ここのところを見ると、私などは、小学校の担任の先生に同情してしまう。加津子が悪いというわけではないのだが、こういう子どもがいると、やはり、学校の担任の先生としては、とても困ったことになるだろう。

見ていていいなあと思ったのが、加津子のことをめぐって、北海道の滝川の蝶子のお父さんとお母さんのこと。必ずしも、加津子のことを理解している、蝶子のことを分かっているということではない。むしろ、困惑しているといっていいだろう。そこには、蝶子を育ててきた、父親と母親の立場の違いもある。無論、世代や、住んでいる環境(北海道と東京)ということもある。また、要の母親も、蝶子に対して理解があるということではない。しかし、自分に対してはっきり意見を言ってくることを、評価している。それぞれに、蝶子たちのことを思っているのだが、それが、現代のドラマにあるように、年寄りが若い人に対して理解を示す、ということになっていないことが、重要なことかと思う。人は、世代や、生きてきた環境によって考え方が違う。それぞれの思いがあっていい。それはそんなに簡単に変えられるようなものではない。だが、それをふまえてこそ、蝶子のような生き方をどう感じるか、ということを語って、科白として意味のあるものになっている。

2025年8月2日記

『あんぱん』「ふたりしてあるく 今がしあわせ」2025-08-03

2025年8月3日 當山日出夫

『あんぱん』 「ふたりしてあるく 今がしあわせ」

戦後の東京編が本格的にスタートというところである。正直な感想としては、見ていてつまらなくなっていくばかりである。

見ながら思ったことを書いておく。

有楽町のガード下の闇市という雰囲気がまったくない。登場人物としては、浮浪児がいたり、パンパンがいたり、ということにはなっている。ただ、これを見ていて、私としてはどうしても気になることがある。浮浪児やパンパンには、名字がない。ドラマのオープニングで登場人物の名前・役名が表示されるが、それも、ドラマの一部であると私は思って見ている。このようなことは通例ではあるのだが、しかし、AKの前作である『虎に翼』で、あれほどまでに結婚して名字が変わることに、こだわりをみせておいたのであるから、名字というのは人間にとって重要なものであると考えるとするならば、浮浪児やパンパンにも、名字があるべきである。これで、ドラマの中の科白として、それがまったく出てこないとしても、オープニングの名前で名字があることの意味は、はっきりと視聴者に伝わる。でなければ、いっそのこと、浮浪児AとかパンパンB、とかにしてもいいことだっただろう。(浮浪児の本名なんて分からなかった、パンパンなどは源氏名である、というふうに考えてもいいかもしれないが。)

とはいえ、『虎に翼』でも、女中の玉や、浮浪児だった道男には、最初から最後まで名字がなかった。ドラマのなかで、名字の大切さを言ったとしても、それは、所詮は、途中から思いつきで脚本をそうしただけのことで、深く考えてのことではなかった。AKのドラマ制作のスタッフの考えていることは、この程度のものである、といってしまえばそれまでなのだが。

のぶは、薪鉄子議員のところで働くことになり、有楽町のガード下で住むことになる。だが、この時代、若い独身の女性(この時点ではのぶは未亡人)が、一人で有楽町のガード下に住むだろうか。私の知識の範囲としては、かなり難しい。まったく無理だったとは思わないが。

のぶを追いかけて嵩も上京する。これはいいのだが、嵩はどこに住むことになるか、まったく考えずに上京してきたらしい。これも、ちょっと考えがたい。のぶのところに一緒に住むのは無理ということで、八木のところにやっかいになるのだが、これも、どうなのだろうか。八木が、どこでどんな生活をしているのか、家族はいるのか、というあたりのことが、これまでまったく出てきていない。どう考えても、都合が良すぎる。(ここで、八木が同性愛者であったりすると、とても面白い展開になるかと思うが、AKもそこまでは考えなかったようである。)

のぶと嵩がいるところに、嵩の母の登美子がやってくる。たしかこの場面では、嵩がはじめてのぶの住まいに行ったときだったはずなのだが、なぜ、登美子はのぶの住まいを知っていたのだろうか。このドラマでは、登美子が、突然に登場することがこれまでにあったが、今回の場合は、どう考えてもその理由が分からない。

嵩は、登美子のすすめで百貨店につとめることになる。史実として、やなせたかしは三越で働いていたし、その包装紙のデザインにもかかわっている。ドラマの中の描写では、嵩は、画家の先生が描いたデザインの絵に、直接、万年筆で文字を書いていた。これは、どう考えてもおかしい。少なくとも、いくつか候補を考えて書いてみて、それを検討したうえで、決めるだろう。また、書くときも、鉛筆で下書きをしておいて、それをペンでなぞるか、あるいは筆(面相)で書くか、だろう。いきなり万年筆で、Mitsuboshi、と筆記体で書き込むのは、やはり不自然である。(これも、嵩が天才的なデザイナであったとすればいいのかとも思うが、それなら、そのときの職場の周囲の人びとの反応があってしかるべきだろう。)

実際に三越の包装紙には、Mitsukoshi、とローマ字で書いてあるのだが、ヘボン式ローマ字で店の名前を表示するというのは、この戦後の時代として、かなり先端的な発想だったと思うが、デザインの歴史などの分野では、このことはどう考えられているのだろうか。(ドラマのこととは別に、興味のあるところである。)

嵩が登美子と話していたのは、喫茶店だった。時代としては、昭和22年のはずである。この時代の、いくら東京の都心の繁華街とはいえ、あんな喫茶店が営業していたとはちょっと考えにくい。まあ、あったとしても、それならば、アメリカの軍人のお客さんなどいてもいいかと思うが、登場していなかった。

この時代、日本は、GHQの統治下にあった。日本政府の上にGHQがあり、全体を統括していた。薪鉄子の議員としての活動も、当然ながら、GHQの監視があったと思うのだが、はたして、この時代の姿はどうだったのだろうか。史実としては、戦後の二回目の衆議院議員選挙があり、片山内閣になったときである。薪鉄子も、ドラマの流れとしては、社会党系の議員だったようだ。ならば、GHQとしても、かなり注視していたかと思うが、こういうところも気になるところである。

中目黒の長屋に新しい住まいを見つけて、のぶと嵩はひっこしをする。中目黒は、空襲でかなりの被害をこうむった地域である。この空襲の様子は、向田邦子が書いているので、かなり知られていることである。(幸いに、向田邦子の家は無事だった。)昭和22年の暮れから、23年の始めのころ、その町はどんなだっただろうか。普通に想像してみるよりは、非常にこぎれいな印象がある。まあ、こんな家があってもいいかと思うのだが、しかし、それにしては、畳がきれいすぎる。高知の朝田の家、若松の家も、そうなのだが、畳が非常にきれいである。そこに人間が生活しているということを、一番に感じさせるのが、畳の汚れや色なのだと、私は思うのだが、このドラマの制作スタッフは、こういうことは気にならないのだろうか。

家に帰ってきた嵩は、中にはいっても帽子をかぶったままだった。私などの感覚からするとこれはおかしい。家の中にはいれば帽子はとるのが普通だろう。このドラマでは、軍隊時代のことを描いている。陸軍では、帽子をかぶる、とる、ということが厳格なルールで定められていた。これは、別に軍隊が特殊だったということではない。一般の社会のルールや礼節としても、帽子をかぶるべき場面、とる場面、ということが、おのずと暗黙知としてあった。軍隊内での所作は、考証や指導があったけれども、それがこの時代の人びとの日常生活になると、演出や演技は気にしなかったということになるだろうか。

のぶと嵩の新しい住まいに、高知から、朝田の家族(くら、羽多子、蘭子、メイコ)がやってくる。昭和23年になったばかりのはずだが、これも、かなり無理のある筋書だと思えてならない。高齢のくらが、遠路はるばる東京までやってくるというのは、どうなのだろうか。あと10年ぐらいして、昭和30年代以降のことなら、なんとか分からなくもない。この時代になると、集団就職で、地方から多くの若者が都会にやってきた時代でもある。

ここに嵩のおばさんの千代子と、母の登美子もやってくる。見ていて、なんだかもうメチャクチャである。それも、非常に着飾っている。食事の準備で、闇市に行って苦労したの一言ぐらいあってもいいかと思うが、それもない。ただ、これまでの登場人物を、一堂に会して並べて見たというだけのことにすぎない。これは、もう、ドラマではない。

くりかえしになるが、このドラマでは、GHQやアメリカ軍人などが、出てこない。嵩のデパートでは、アメリカの軍人さん相手にどんな商売をしたのだろうか。また、薪鉄子議員の活動にGHQは、どうかかわることになったのだろうか。ちょっと想像力をもって考えてみれば、思いつくことだと思うが、考証の手間をはぶいた手抜き脚本という印象がどうしてもある。

このドラマでは、科白が非常に説明的である。私の感覚では、そこまで分かりやすく自分の気持ちを話さなくてもいいと思って見ることになるのだが、このごろの視聴者は、これぐらい気持ちを説明しなければならない、ということなのだろうか。(いや、人間は、自分の気持ちをそんなに簡単にことばで説明できるものではない、というのが、文学やドラマの基本にあると思っているのだが、これは、もう通用しない古い考え方になっているのかもしれない。)

2025年8月1日記