よみがえる新日本紀行「マーガレットの咲く浜〜静岡県南伊豆町伊浜〜」2025-08-09

2025年8月9日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 マーガレットの咲く浜〜静岡県南伊豆町伊浜〜

再放送である。2024年4月20日。オリジナルは、1975(昭和50)4月28日。

伊豆半島の海岸沿いの急斜面のところに、かろうじて段々畑があって、港がある。そこで暮らす人びとの生活とは、このようなものだったのかと思う。

印象に残っているのは、マーガレットの栽培をはじめる前は、炭焼きか養蚕を仕事にしていた、とあったくだり。今でも、炭焼きも養蚕も、ごく一部で細々と残っていることではあるが、地域の村の産業として成りたっているというということではなくなってしまっている。その村が、マーガレットの栽培によって、暮らしが豊かになったと言っていた。これは、この時代の人びとの率直な思いであったことになる。

そのマーガレット栽培も、今ではさびれてしまっている。傾斜地に作る、規模の小さいビニールハウスでは、労働は大変だろうが、栽培の規模の拡大は難しいだろう。調べてみると、現在、マーガレットの栽培で日本一なのは香川県であるらしい。

そもそも段々畑の露地栽培という方式でマーガレットを育てようというのが、時代遅れのビジネス(?)である、というべきかもしれない(過酷な言い方になるかと思うが。)それよりも、レモンの方が、将来性があるということのようだ。

昔の映像で、収穫したマーガレットを背中に背負って運んでいた。もう、今では、このような農作業の姿を見ることは、珍しいといっていいかもしれない。さて、レモン栽培に切り替えるとしても、収穫したレモンの運搬はどうするのだろう。レモンは、とても重い。マーガレットなら背中に背負うこともできただろうが、レモンは無理かもしれない。軽トラックの入れる道ぐらいが、整備されていないと難しいかなという気もする。

岩のりを収穫するために、放送があって、ベルを鳴らして村の中を回る。こういう地域の共同体の生活の習慣は、今では、どうなっているだろうか。漁業にかんしては、漁業権がかなり厳格に守るべきものとしてあるので、誰でも自由にとれるということはないはずである。

中学を出て高校に進学するのに、隣の村まで行って下宿しなければならない。この地域の、学校は今ではどうなっているのかと思う。少なくともバスで通学できる範囲でないと、公教育の維持は難しいと思う。この少年は、その後、どうしたのだろうか。長男だから家をつがなければと言っていたのだが、しかし、この時代は、地方からどんどん都市部に人が移動していった時代である。

この地域も、現代では、過疎高齢化の地域で、耕作放棄地になったところが多くある。そこをなんとかしなければということは確かなのであるが、さしあたっては、収穫したレモンなどの農産物、あるいは、海産物の、販路の確保と、運送のための道路であることはいえるだろう。

日本の近現代の花(マーガレットだけではなく)の栽培の、各地の栄枯盛衰(?)の歴史という視点で見ると、いろいろと見えてくるものがあるのかもしれない。

2025年8月6日記

BS世界のドキュメンタリー「傭兵たち ロシアに雇われたアジア人」2025-08-09

2025年8月9日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「傭兵たち ロシアに雇われたアジア人」

2025年、シンガポールの制作。

ロシアとウクライナの戦争で、多くの外国人が戦闘に加わっていることは知られていることだと思うが、その実態は、日本で広く報道されることはないかと思う。

少し前のことになるが、ワグネルのことについては、いろいろとニュースになったが、そこで戦闘にしたがっている人たちが、どういう素性の人たちであるかということは、ほとんどニュースにならなかったと憶えている。囚人が加わっているということはあったかと思うが。

今、もっぱら話題になるのは、北朝鮮の兵士の参加のことであるが、このことについては、この番組では触れていなかった。これは、国家と国家との正規の約束で参加していることになるからだろう。

ネパールやキルギスなどのアジアの国から、ロシアに出稼ぎに行く、それが直接に軍隊で仕事をする(戦争をする)ということもあるし、ほとんどだまされてその仕事につく、というようなケースもあるらしい。

基本的に国民国家の軍隊というのは、その構成員たる国民にこそ、軍隊に入る資格がある(拒否する権利もあっていいが)、ということが根底にあるべきだと思っているのだが、実際の現代の戦争は、かならずしも、国民の軍隊というわけではないことになる。戦争に勝つためなら、何でもやる、ということで考えるべきだろう。

現在、国民国家の軍隊という概念が通用するのは、戦闘がおこなわれている範囲でいうと、イスラエル軍ということになるだろうか。ウクライナ軍は、純然たる国民国家の軍隊というべきなのだろうか、ここは専門家の意見をききたいところである。

番組の趣旨とは関係ないが、気になったこととしては、ネパールの貧しい地方の村でも、スマートフォンを使っている。まあ、スマートフォンの本体自体は、中古で安いのがあるかとも思うが、インターネットの回線の使用料、通信回線のインフラの設備のコスト、これは、どうなっているのだろうか。世界中のどこでも、インターネット接続ができる……それが戦場であっても、ネパールの山奥の村であっても……ということなのだが、そのコストは、誰がどういう形で負担していることになるのだろうか。

シンガポールの制作ということもあるのだろうが、中国のかかわりは、かなり遠慮して作っているという印象がある。中国という国家が、ロシアとどうかかわっていくかということは、これからの世界情勢において大きな問題の一つに違いないが、こういうことには触れずに、非常に個人的な動機で戦争に加わったケースという描き方であった。実は、もっと深いところでつながりがあってもおかしくはないと思ったりもするのだけれど。

2025年8月6日記

ドキュメント20min.「誰かの日記を開くとき」2025-08-09

2025年8月9日 當山日出夫

ドキュメント20min. 誰かの日記を開くとき

登場していた三人のうち、三宅香帆なら、ドナルド・キーンのことは知っているはずだが、と思って見ていた。ドナルド・キーンが、日本文学に興味を持つようになったきっかけとして、太平洋戦争中に、アメリカ軍の語学将校として、日本兵が残した手帳や日記を読んで分析する仕事にあたった、ということは知られていることだろう。これは、アメリカ軍を驚かせたことでもあった。軍隊の行動の記録を残して、敵の手にわたってはいけない。だが、日本軍は、これを黙認していた。

また、日本軍の士官学校の教育においては、生徒が日記を書くことが義務づけられていた。教員は、それを読む。一種の思想教育という側面があったことになる。

そもそも日記を書くということ、その文化的な基盤が、日本は独自のものがあるのだろうとは思う。だからこそ、このような番組がなりたつ。そして、日記のコレクターがいるし、そこに自分の日記をわたす作者(?)がいることになる。

柳田国男など読んでいると、文字を知らない人びとの世界、ということに非常に興味を持つことになる。非識字の人びとにあっては、日記など、まったく無縁のものだろう。それが、近代になっても続いてきた。

一方、豪農クラスになると、細かな日記(むしろ、業務のための資料、あるいは、今日の視点からは史料というべきか)が残っていることが多い。これは、文学というより、歴史学の視点からであるが。

日記という「メディア」があり、そこで、文章にするということがある。そこには、日記に書きたい自分があることになる。むしろ意味があるのは、日記のなかには書かないでいる自分のこと、であるのかもしれない。メディア論的に日記を見ると、また別のことが考えられるかもしれない。

2025年8月5日記