ハートネットTV「産声の裏側で 内密出産4年の現場から」 ― 2026-04-29
2026年4月29日 當山日出夫
ハートネットTV「産声の裏側で 内密出産4年の現場から」
慈恵病院は、カトリックの病院なので、妊娠の中絶手術はやっていない。と、以前に、この病院のHPを見たら、すぐ分かるところに表示してあったと記憶しているのだが、確認してみると、今は、(すぐには)見当たらない。方針が変わったのか、どうなのだろうか。
このような施設(内密出産ができる)は、社会としてもっとあっていい。ただ、出産がかならず病院でなければならないということはないとも思うので、必要に応じて病院との連携ということになる。
やや諦念的な感じでいうことになるが、人の世の中には、いつの時代でも、望まれずに生まれてくる、あるいは、生まれてきても無事に生育できる環境ではない、ということは、少なからず存在する。それが、どのような形で、社会の中で認識され、人びとがうけいれるのか、ということは、時代によって、また、地域や、社会の階層によって、さまざまだっただろう。今の時代には、今の時代にふさわしい制度や施設があり、人びとの意識が、それになじんでいくということになるだろうか。
病院の仕事は、産科の医療というよりも、ほとんどが、そのような境遇にある女性への法的・経済的援助であったり、カウンセリングであったり、ということになる。この意味では、むしろ、法的な問題をふくめての専門家が対応にあたり、行政や医師と連携してという方向もあるのかとも思う。
出自を知る権利、ということは、近年になってから言われ始めたことである。このような方向は、流れをとめることはできないのだろうと思う。だが、このように考えるようになったことが、世の中の人びとの全体としての幸せの向上につながっているかどうか、これは疑問に思わないでもない。別に、出自がどうであれ、その人は、その人なのである。
黒澤明の『羅生門』のラストの場面は、いろいろと評価はあるかと思う。だが、この映画が作られた時代、1950年(昭和25年)、このころだったら、路傍に子どもが捨てられているということは、日本の社会の中で、普通にあったことであり、また、そういう子どもであっても、(そのような出自であっても、ということになるだろうか)、普通に社会の中で生きていくことがあたりまえであった、そんな時代だったかともいえよう。見方によっては、今から考えれば、非常に乱暴な時代だったともいえるが。だが、現代社会よりも、ある意味ではもっと人間味のある社会だったかと思う。(これには反論もあるだろう。)
女性に対して、女性らしくあれ、母親は母親らしくあれ、ということは、私は、あってよいと思っている。とりあえず、なんらかの規範意識は社会全体としては必要である。また、一般に人が社会の中で生きていくためにも必要である。しかし、かならずそうでなければならないわけでもないし、その価値観からはずれた生き方を選ぶ、あるいは、そうなってしまわざるをえない、いろいろな生き方が許容される方がいいだろうし、社会の制度や、人びとの意識としても、そうであった方がいいと、思うのである。
2026年4月28日記
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