映像の世紀バタフライエフェクト「アメリカ 日系人部隊 栄光の代償」2025-12-20

2025年12月20日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト「アメリカ 日系人部隊 栄光の代償」

最後まで見て、この回に協力していたのは、竹沢泰子、菊月俊之。

私は、1955年(昭和30年)の生まれであるが、私と同じぐらいの年代の人、特に、男性であるならば、望月三起也の漫画を憶えているはずである。いろんなタイトルで描かれているのだが、私が記憶しているのは「最前線」である。

太平洋戦争のとき、ヨーロッパ戦線で戦った日系人部隊のことを描いている。(この時代、戦争ということは、少年漫画において重要なテーマであったが、その中で、望月三起也のものは、今から思いかえしてみても、かなり特異なものであったと思う。)

彼らは何のために戦ったか……自分たちがアメリカ人であること、その忠誠心のためである……こういうことが、はっきりとメッセージとしてあった。それから、戦争漫画としては、戦場における戦友ということもある。

442部隊、第100大隊、という名前を記憶することになったのは、後になってからのことかと思うが。

歴史上、このような人たちがいたということは、日本としても、アメリカとしても、忘れてはならないことであると、改めて思ったことになる。

今から30年ほど前のことになるだろうか。子ども(長男)が小学生ぐらいのときだったと思うが、近所の本屋さんで、望月三起也の「二世部隊物語」が売っていたので買ってそろえた。自分が読みたいと思ったこともあるが、子どもにも読ませておきたいと思った。今でも、我が家の本棚にある。

ところで、この番組をみてつくづく思ったこととしては、アメリカというのは、理念の国家である、ということである。アメリカ大陸という未開の土地に渡った人びとが、建国の理念をもとにつくりあげた国家であり、その流れを、第二次世界大戦ときも、さらに、現代にいたるまでひきついで保ちつづけている。(だが、これも、もとからアメリカ大陸にいた先住民の立場から見れば、また、異なった歴史になるのだが。しかし、現代になってそういう視点で見ることができるというのも、またアメリカ的といってもいいだろうが。)

アメリカ人は、意図的、人為的に、その国家のメンバーである人間がつくっていくものである、という意識が根底にあることを感じる。

しかし、日本の場合は、日本人であることは、おのずからにそうである、日本で生まれた日本人が日本人である……これは、かならずしも間違っているとは私は思わないけれど、同じ、近代の国民国家といっても、その成り立ちや性格には、違いがあるということである。

国家によって、韓国にも、中国にも、台湾にも(私は国家だと思っているが)、その他、ヨーロッパの諸国にも、世界中のいろんな国に、それぞれの性格の違いということはあるだろう。だが、それを、とりあえずは可能なかぎりないことにして、近代の国民国家ということで、今の世界秩序がなりたち、地球上の多くの人びとの生活があることは、たしかなことであるといわざるとえない。

そして、現代のデジタル世界が、一つには国際的な国民国家の秩序に依存しながら、一方で、それを超えるものなってきていることは、たしかなことだが、こういう議論は、この番組の内容をこえる。

2025年12月16日記

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