3か月でマスターする人体「(8)最大の臓器・皮膚」2026-03-13

2026年3月13日 當山日出夫

3か月でマスターする人体「(8)最大の臓器・皮膚」

皮膚の臓器としての働きを、免疫という視点から見るという内容で構成してあった。

たしかに、皮膚というのは、人間が外部と接している部分ということになるので、物理的バリア、そして、免疫システム、で考えることになる。皮膚から入ってきた、外からの悪いやつを、免疫機能がはたらいてやっつけるようになっている。

衛生仮説ということは、ときどき目にする。現代社会が、あまりに清潔になりすぎたので、いろんな病原菌などに対して、弱くなっている。アメリカのアーミッシュの人たちの観察からも、ある程度の裏付けがとれるらしい。(これを、サイエンスの方法論で証明するのは、かなり難しいかなと思う。実際に生きている人間で実験するというわけにはいかないだろうし。意図的に人間を病気にさせる実験になるので、倫理的な問題になるだろが。)

アトピーやアレルギーについて、対応が変わってきている。今でも多くの場合、アレルギー物質の入っているものは、とにかく食べるのを避ける、ということがある。その結果として、悪い方向になった場合のことを考えると、どの物質がふくまれているかということの表示は必要である。だが、新しい考え方としては、症状が重くないようなら、少しずつ食べるようにした方がいい。

医学的な知見としては、まったく逆になったことになる。このような事例は、他にもあるだろう。時として間違っていることもあるのが(後から考えるとそうではなかった)ということは、医学のみならず、いろんな分野であることである。

私の若いころは、夏は、子どもは日焼けするのが当然ということだったが、今は、日焼けしないように防御するのが普通になっている。日にやけた小麦色の肌の若い女性(少女といった方がいいか)……という感覚は、もう遠い昔のことになってしまった。(今では、医学的にどうこうではなく、「正しくない」ことになってしまっている。)

花粉症の理由というのは、分からないらしい。(去年からだったろうか、天気予報の花粉の予報について、極めて多い、というランクが追加になったのは。今年も、極めて多い、という日がこれからもありそうだ。憂鬱である。)

かゆみ、ということは、生物として生きていくうえで、必要な感覚だったにちがいない。痛いとか、熱いとか、冷たいとかではなく、かゆい、というのは、何か特別な感覚であるように思える。脳では、どう反応するということなのだろうか。(ネコを見ていると、かゆいところがあるらしい。)

かゆみ、もまた一つの防御の機能をになっていることになる。

2026年3月11日記

ドキュランドへようこそ「母と娘 それぞれの夢 〜ジョージア 代理出産契約〜」2026-03-13

2026年3月13日 當山日出夫

ドキュランドへようこそ「母と娘 それぞれの夢 〜ジョージア 代理出産契約〜」

2025、ジョージア、他。(番組のHPでは、その他の国の名前が載っていない。)

見ていていろいろと思うところはある。

代理母ということだと、ちょっと前だったら、ウクライナのこととして語られることだったと思うが、今のウクライナではどうなのだろうか。

ウクライナもそうだし、ジョージアもそうであるが、旧ソ連の衛星国であったところは、どこもうまくいっていることではないらしい。ウクライナのことは、ちょっと特殊かとも思うが。しかし、代理母のことは、ロシアの侵攻の前からあったことだと思う。

こういう国に住む、貧しい女性の生き方、社会福祉のあり方、社会のあり方、という視点から見ることもできる。

その一方で、代理母で子どもを得たいと思う人たちのことも気になる。代行業者がいるということは、それだけの需要があり、逆に、供給(代理母であり、精子であり、卵子である、ということになるだろうが)があるということでもある。どういう人たちが、このビジネスを利用しているのか、このビジネスにかかわっている組織は、どうなっているのか……こういうことは、現代の社会の闇の部分といっていいかもしれない。

貧しい国の女性にしわ寄せが行くことになる、という今の世界のあり方が、そもそも問題だといえば、そうなのだが、だが、技術的に可能なことなら、なんでもビジネスになるというのが、人類が作ってきた今の世界のあり方である。それに対して、どのように倫理的にあらがうことができるのか。

ところで、登場していた女性の娘……日本でいえば高校生ぐらいといっていいだろうが……学校で、ペルシャ語を学んでいる、と言っていた。ペルシャ語は、イランの言語ということになるが(現在のイランは、多言語、多民族の国であるが)、旧ソ連の衛星国ということから、イランとのつながりがあってのことなのだろうか。今の日本で、ペルシャ語が学べる大学というと、大阪大学(昔の大阪外国語大学)と、東京外国語大学、ぐらいである。

この少女が、ノートに書いていた文字は、何なのだろうか。キリル文字でもないようだし、アラビア文字(ペルシャ語を表記するのにこれを拡張して使う)でもないように見えたのだが、いったい、あの丸っこい文字は、何なのだろうか。

2026年3月10日記

世界遺産ワーカー「ワルシャワ歴史地区」2026-03-13

2026年3月13日 當山日出夫

世界遺産ワーカー「ワルシャワ歴史地区」

ワルシャワ歴史地区というのは、よくテレビに映る。ショパンのことなどが話題になると、かならず映るといっていいかもしれない。

このエリアが、第二次世界大戦後になってから、破壊されたものを、再建したものである、ということは、始めて知った。なるほど、だから、あんなにきれいな町並みが残っているのか。

興味深いのは、この町並みではなく、どうやって復原したのか、という経緯と技術や工法のことである。詳細なスケッチが大量に残っていて、また、絵画資料があって、可能になったということである。おそらくは、その時代だったら、古くからの職人技を持った人が残っていた時代だったということもあるだろう。

しかし、素朴な疑問として思うことは、その家に人は住んでいるのだろうか、ということが、どうしてもある。このことについては、番組の中では一言も言っていなかったし、家の中の映像はなかった。(ということは、外側だけのハリボテ復原ということなのだろうか。)

ポーランドの歴史、ワルシャワの歴史を語る部分としては、どうしても、ヒトラーとスターリンが悪者として登場することになる。番組では、どちらかというとヒトラーの方を悪く描いていたが、独ソ戦において、スターリンの方も、かなりひどいことをしたはずである。

今のポーランドに王様はいないが、旧王宮を復原することが、ポーランドの人びとにとって、重要な意味をもっている、というのも面白い。

地下水道のメンテナンス、毎日きまった時間にトランペットを吹く、こういう仕事をふくめての、ワルシャワの歴史地区ということである。

世界中、どこの街に行ってもある、CocaCola の文字が映っていないというのは、そんなものは要らないということなのだろう。

2026年3月11日記

アナザーストーリーズ「山口組対一和会〜史上最大の抗争〜」2026-03-13

2026年3月13日 當山日出夫

アナザーストーリーズ「山口組対一和会〜史上最大の抗争〜」

今では、全国的に見れば、暴力団というのは、かなり数が減っているらしい。もう今の時代の流れの中で、任侠道などは(古いいいかたが)、生きのびていくには難しい状況になっているということだろうか。

山口組のことは、昔は、たびたびニュースで取りあげられていたので、記憶にあることである。だが、さして、関心のないままにすごしていた。(自分の生活の範囲で、暴力団抗争の流れ弾に当たる危険性は無い、という生活だったこともあるが。)

これが、新聞、特に夕刊紙の記事のネタになった。スクープ合戦となり、梅田の地下街に、壁新聞として貼り出されていたりした。

番組として取材していたのは、元暴力団員だった人、元警察官だった人、新聞記者だった人、それから、山口組の顧問弁護士だった人、である。

山口組という暴力団については、たしかに暴力団という面はあるとしても、一方で、港湾の荷役とか、芸能の興行とか、ビジネスにもかかわっているし、ある意味では、社会にとって必要であった部分を担ってきたということはある。このことの評価は難しいと思うが、日本における戦後のヤクザの近代化(?)、ということとでもいえばいいだろうか。(関西のビジネスのある部分では、どうしても関係を持たざるをえないという部分は、あったにちがいない。)

新聞記者も弁護士も、暴力団ではあるが、そこに人間を見ている。これは当然のことだろう。だれもヤクザに産まれてきたわけではない。何か理由があって、人生の途中で、その道に入ってしまうということになる。その理由として、番組で言っていた言い方としては、地域や国籍による差別、となる。これも、もっとストレートな表現であってもいいかと思うが、だいたいどういう素性の人であるかは、分かる。(しかし、だからといって、そのような生まれの人がかならず暴力団に関係しているということではない。この意味では、言い方が難しいところではある。)

産まれてから愛情を持って育てられたならば暴力団にはならない、これは、そうだろうと思う。だが、現実の世の中のあり方として、すべの人が、幸福な生まれで、善い育ち方をするとは、限らない。社会の中で、なんらかの理由があるにせよ、ドロップアウトする人間は出てくる。そういう人の受け皿を、社会全体でどう考えることになるのか、現実的に考える必要がある。

暴力団が覚醒剤で稼ぐことはなくなるかもしれないが、しかし、世の中に覚醒剤を必要とする人間がいる限り、どこかから供給されるということは、いたしかたないことだろう。(フェンタニルが、大量に入ってくるというようなことは、なんとしても避けるべきことだとは思うが。)

ヤクザの世界で、親分のために自分の命を犠牲にすることを惜しまない……人間というものは、こういうものなのだろうと思うことになる。一般的な合理性だけで、人間の行動は決まらない。

暴力団という存在を社会的に許さないとしても、法の裁きは、公平でなければならない。(これは、どのような犯罪についてもいうべきことであるが。)

2026年3月9日記