『魯山人のかまど』「初夏編」 ― 2026-03-14
2026年3月14日 當山日出夫
『魯山人のかまど』「初夏編」
BSP4Kでの放送で見ることにした。録画しておいて、後からゆっくりである。
北大路魯山人の書いたものが、まとめられて文庫本などで読めるようになったのは、私の若いときのことだった。名前はおぼえたのだが、特に、読んでみようということもなく過ぎてしまっている。ただ、日本の食事(というよりも美食というべきか)についていろいろと見識を述べた人であり、星丘茶寮をつくった人であり、書家であり、陶芸家であり……ということぐらいは知っていたことになるが、はっきりいって、私の好みではない。いや、なかった、というべきか。
今では、著作の多くが、Kindle版で手軽に読めるようになっているので、読んでみることにした。たしかに、一つの見識を、その時代……昭和の戦前から戦後にかけて……しめしたことは分かるのだが、そういう見方や感じ方もあるだろうなあ、というぐらいである。日本の食事のあり方に大きな影響を与えた人物であるにちがいないが、私の興味としては、柳田国男や宮本常一などの、普通の人びとの生活の中にある感性について、どう変化してきたかということが大きい。(ただ、食事や料理だけをとりあげるのではなく、食器の材質や、家の中の照明や、日常の労働のあり方、食品の流通、などを総合的にふくんだ視点である。)
ドラマの第一回を見て思ったことなど書くと。
映像と演出が凝っていることは分かる。意図的に、カメラの移動を抑え、固定したカメラで、ズーミングなどは使わない。(といって、小津安二郎ほど極端ではないが。)音楽も非常にひかえめである。
魯山人の戦後の生き方と、それを取材する編集者の目をとおして語られる、その生いたちのこと、をおりこんである。第一回の料理としては、鮎とご飯がメインであった。
いいなと思ったところとしては、料理を作ること、その手作業をきちんと映していることである。料理や食材についての蘊蓄だけで終わらせていない。鮎を焼くこと、ご飯を炊くこと、シンプルなことであるが、この中に、魯山人の考え方や価値観、美意識というものを、手の動きとして、うまく表現していると、感じる。
不満に思ったところとしては、(いくつもあるのだが)、京都の人間の感覚では丹波は、京都ではない。山城のエリアの外になる。いうならば、(京都ではなく)丹波の鮎である。丹波の地域は、京都から見ると、別のエリアであるが、非常に近いところでもある。微妙なところかと思う、京都府の行政の範囲が「京都」ではない。(これは、魯山人がそう思っていたのなら、それでいいのだが。)
鮎を丹波から大磯の吉田茂の別邸まで輸送するのに、桶をゆらす必要はないだろう。この時代(戦後しばらくのころ)の道路事情を考えると、絶対に静かに桶をゆらさずにトラックで輸送できたとは思えない。逆に、余計な振動を鮎に与えることの方を心配しなければならなかっただろう。生きた鮎にストレスを与えない工夫の方が必要だったはずである。(これは、現代的な視点かとも思うが。ここのところ、星丘茶寮に鮎を運んだときは、どうしていたのだろうか。)
水を入れて鮎を泳がせた樽が、そんなに簡単にかつげるはずはない。樽の中の水はゆれて、重心がゆれて不安定であるし、しかも、重い。まあ、ここは、演出上、ヨネ子に仕事してもらわないと困るから、そうなったのだろうが。
魯山人の子どものころのシーンが、モノクロにしてあって、養父母とうちとけるにしたがって、徐々にカラーがついてくるというのは、そういう映像で表現するのも、一つの方法だと思う。しかし、ここも、赤いツツジの色や、かまど炎の色だけをカラーで表現する……今の映像のデジタルの技術では可能になったことなのだが……成功しているかどうかは、微妙である。モノクロ映像のままで、赤いツツジの色を、ゆらめく炎の色を、表現することも、できないことではない。だが、これは、宮川一夫のような名人級のカメラマンがいてという話しになるかもしれない。(モノクロ映像で色彩を感じさせるということは、挑戦してみたいことだろうとは思うが。)
食事の場面で、魯山人の子どものころに、卓袱台で家族で食事をするということがあっただろうかと思うが、どうなのだろうか。
ヨネ子が、はじめて魯山人の家にいって、お茶を飲むシーン。湯飲みに感心するのはいいとしても、はたしてその中身のお茶は、どんなお茶だったのだろうか。湯飲みの形態からして、煎茶ではなかっただろう。無論、抹茶ではない。番茶であってもいいのだが、そのお茶をいれるシーンが(誰が入れたかもふくめて)無かったのが、ちょっと惜しい気がする。
山の中の道を歩いて来た、という設定ではじまっていた。そのような人に出すものとして、煎茶などではない方がいいということかとも感じるところであったが、やってきたお客さんの様子を見て、どんなお茶を出すか、どんな湯飲みを使うか、というシーンがあってもよかったと思う。(場合によっては、ご飯を炊くシーンよりも難しかもしれないが。)
ヨネ子が、魯山人の家の中で歩いて移動するシーン。敷居を踏んで立っていたが、意図的な演出でそうしたのだろうかと、思ったところである。お手伝いさんの女性は、部屋への出入りのときに、敷居を踏んでいなかった。
いろいろ気になるところある。
だが、音楽がいい。非常に控えめであるが、「桑港のチャイナタウン」がとてもよかった。
北大路魯山人はもとより、吉田茂も、非常に奇抜な逸話の残っている人物であり、強烈な個性をもっていたと思うのだが、ここは、たくみに作ってあったと感じる。
ダメなものとして、「歌よみの歌、書家の書」……ということは、知られていることだと思っている。それに、美食料理人が作った料理、が並ぶことになるだろうか。このあたりは、魯山人の美意識をどう描くかということになるだろう。
2026年3月12日記
『魯山人のかまど』「初夏編」
BSP4Kでの放送で見ることにした。録画しておいて、後からゆっくりである。
北大路魯山人の書いたものが、まとめられて文庫本などで読めるようになったのは、私の若いときのことだった。名前はおぼえたのだが、特に、読んでみようということもなく過ぎてしまっている。ただ、日本の食事(というよりも美食というべきか)についていろいろと見識を述べた人であり、星丘茶寮をつくった人であり、書家であり、陶芸家であり……ということぐらいは知っていたことになるが、はっきりいって、私の好みではない。いや、なかった、というべきか。
今では、著作の多くが、Kindle版で手軽に読めるようになっているので、読んでみることにした。たしかに、一つの見識を、その時代……昭和の戦前から戦後にかけて……しめしたことは分かるのだが、そういう見方や感じ方もあるだろうなあ、というぐらいである。日本の食事のあり方に大きな影響を与えた人物であるにちがいないが、私の興味としては、柳田国男や宮本常一などの、普通の人びとの生活の中にある感性について、どう変化してきたかということが大きい。(ただ、食事や料理だけをとりあげるのではなく、食器の材質や、家の中の照明や、日常の労働のあり方、食品の流通、などを総合的にふくんだ視点である。)
ドラマの第一回を見て思ったことなど書くと。
映像と演出が凝っていることは分かる。意図的に、カメラの移動を抑え、固定したカメラで、ズーミングなどは使わない。(といって、小津安二郎ほど極端ではないが。)音楽も非常にひかえめである。
魯山人の戦後の生き方と、それを取材する編集者の目をとおして語られる、その生いたちのこと、をおりこんである。第一回の料理としては、鮎とご飯がメインであった。
いいなと思ったところとしては、料理を作ること、その手作業をきちんと映していることである。料理や食材についての蘊蓄だけで終わらせていない。鮎を焼くこと、ご飯を炊くこと、シンプルなことであるが、この中に、魯山人の考え方や価値観、美意識というものを、手の動きとして、うまく表現していると、感じる。
不満に思ったところとしては、(いくつもあるのだが)、京都の人間の感覚では丹波は、京都ではない。山城のエリアの外になる。いうならば、(京都ではなく)丹波の鮎である。丹波の地域は、京都から見ると、別のエリアであるが、非常に近いところでもある。微妙なところかと思う、京都府の行政の範囲が「京都」ではない。(これは、魯山人がそう思っていたのなら、それでいいのだが。)
鮎を丹波から大磯の吉田茂の別邸まで輸送するのに、桶をゆらす必要はないだろう。この時代(戦後しばらくのころ)の道路事情を考えると、絶対に静かに桶をゆらさずにトラックで輸送できたとは思えない。逆に、余計な振動を鮎に与えることの方を心配しなければならなかっただろう。生きた鮎にストレスを与えない工夫の方が必要だったはずである。(これは、現代的な視点かとも思うが。ここのところ、星丘茶寮に鮎を運んだときは、どうしていたのだろうか。)
水を入れて鮎を泳がせた樽が、そんなに簡単にかつげるはずはない。樽の中の水はゆれて、重心がゆれて不安定であるし、しかも、重い。まあ、ここは、演出上、ヨネ子に仕事してもらわないと困るから、そうなったのだろうが。
魯山人の子どものころのシーンが、モノクロにしてあって、養父母とうちとけるにしたがって、徐々にカラーがついてくるというのは、そういう映像で表現するのも、一つの方法だと思う。しかし、ここも、赤いツツジの色や、かまど炎の色だけをカラーで表現する……今の映像のデジタルの技術では可能になったことなのだが……成功しているかどうかは、微妙である。モノクロ映像のままで、赤いツツジの色を、ゆらめく炎の色を、表現することも、できないことではない。だが、これは、宮川一夫のような名人級のカメラマンがいてという話しになるかもしれない。(モノクロ映像で色彩を感じさせるということは、挑戦してみたいことだろうとは思うが。)
食事の場面で、魯山人の子どものころに、卓袱台で家族で食事をするということがあっただろうかと思うが、どうなのだろうか。
ヨネ子が、はじめて魯山人の家にいって、お茶を飲むシーン。湯飲みに感心するのはいいとしても、はたしてその中身のお茶は、どんなお茶だったのだろうか。湯飲みの形態からして、煎茶ではなかっただろう。無論、抹茶ではない。番茶であってもいいのだが、そのお茶をいれるシーンが(誰が入れたかもふくめて)無かったのが、ちょっと惜しい気がする。
山の中の道を歩いて来た、という設定ではじまっていた。そのような人に出すものとして、煎茶などではない方がいいということかとも感じるところであったが、やってきたお客さんの様子を見て、どんなお茶を出すか、どんな湯飲みを使うか、というシーンがあってもよかったと思う。(場合によっては、ご飯を炊くシーンよりも難しかもしれないが。)
ヨネ子が、魯山人の家の中で歩いて移動するシーン。敷居を踏んで立っていたが、意図的な演出でそうしたのだろうかと、思ったところである。お手伝いさんの女性は、部屋への出入りのときに、敷居を踏んでいなかった。
いろいろ気になるところある。
だが、音楽がいい。非常に控えめであるが、「桑港のチャイナタウン」がとてもよかった。
北大路魯山人はもとより、吉田茂も、非常に奇抜な逸話の残っている人物であり、強烈な個性をもっていたと思うのだが、ここは、たくみに作ってあったと感じる。
ダメなものとして、「歌よみの歌、書家の書」……ということは、知られていることだと思っている。それに、美食料理人が作った料理、が並ぶことになるだろうか。このあたりは、魯山人の美意識をどう描くかということになるだろう。
2026年3月12日記
ねほりんぱほりん「養子 その後SP」 ― 2026-03-14
2026年3月14日 當山日出夫
ねほりんぱほりん「養子 その後SP」
養子(先週の再放送)のその後である。
非常に天邪鬼な見方かと思うのだが……企画としては、児童養護施設で働く人、ということでやりたかったのかもしれない。だが、そうすると、そういう施設で育った人は、かならずしも、この回に登場してくれたケイタのように、恵まれた人生をおくることになったということではないだろうし、逆に、あまり良いとはいえない方向の人生であった人のことにも、言及することになるかもしれない。
先日、再放送のあった、高給老人ホームの場合は、そこに住まいする老人たちを、ある意味でバカにしてもかまわない。それだけの財産があって、そのような高額な老人ホームにいるのであり、社会全体からすれば、良い立場にいるということができる。少々の悪口があっても、まあ、あの人たちにならかまわないだろうという気にはなる。
しかし、児童養護施設……あえて昔風の言い方をすると孤児院であるが(今はこのことばは基本的に使わなくなっている)……の出身者に、偏見をいだかせるような内容を放送するわけにはいかない。(私は、こういう配慮はあっていいと思う。)
養子として育てられた人であっても、養護施設で大きくなった人であっても、普通の人として生活できるのが一番いい。そうである権利がある。(だが、普通の、と言ったときには、一定の割合で、普通から外れてしまった人を含まざるをえない。どのような母集団を設定するにせよ、人間の集まりとは、そういうものだと思っている。)
ともあれ、養護施設で働く人、という視点で見ると、この仕事も大変だよなあ、と思ってしまう。ケイタ自身が、施設にあずけられ、それから、養子になったという経緯があるだけに、その仕事に必要以上にのめりこんでしまうのも、分からなくはない。これは(給料をもらうための)仕事なのだ、と割りきるところがあってもいいはずであるが、なかなかそうはならないかと思う。
どのような氏育ちであろうが、その人がどうあるかは、自分自身の意志による部分がある。そう思って、明るい方向で見ることなのだろうと思っている。
2026年3月9日記
「ぼくらのコミケ史」 ― 2026-03-14
2026年3月14日 當山日出夫
ぼくらのコミケ史
番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。
コミケには、行ったことはない。たぶん、これから死ぬまでに行くこともないと思う。だが、コミケが、日本のサブカルチャー、特に、マンガやアニメなどの分野において、重要な位置をしめる存在であることは、知識としては知っている。
歴史をさかのぼれば、オタクといわれる漫画の読者たちのサークルからはじまって、漫画同人誌の頒布会というようなことから始まって、現在にいたるということになるだろう。その間に、オタクという存在が、時として社会からの偏見の目で見られることはあったが、現在では、日本のポピュラーカルチャーの中で、巨大な存在になっている。
番組で言っていなかったこととして、ちょっと気になることはいくつかある。
漫画やアニメなどにおける表現規制の問題がある。現在では、コミケ主催者による事前チェックということで、問題が発生しないようにしている。これも、将来的にはどうなるだろうか。人間の表現に対する欲望というのは、規制されればされるほどたかまっていくものかもしれない。
もうすでにあるのだろうと思うが、コミケに出すには問題のあるような表現や内容について、別のマーケットがあるかと思う。現代なら、インターネット、SNSなどで、紙媒体に限定しなければ、無制限といってよい状態である。
逆に、子どもなどがコミケに関心をしめしても、コミケなら安全であると許容できる、ということになっている、ともいえるだろう。
「キャプテン翼」の二次創作は、著作権の問題もあったが、しかし、BLなどの性的な表現をともなうこともあったはずである。これは、現在では、どうなっているのだろうか。潔癖な価値観を持っている人たちからは嫌悪されることかもしれないし、一方で、その性の自由は保障されなければならないと考える人もいる。そういう性的指向を持っていることと、それを、どう表現するかということとは、かなり難しい問題かとも思うが。
それから、コミケについて、宇野常寛が、共同性ではなく、公共性である、と言っていたが、これはどうだろうか。その参加者の意識としては、一つの公共圏を自分たちで作って維持しているということになるのかもしれない。宇野常寛らしい言い方だと思うが。
コミケの運営のマニュアルも興味深いものであるが、それと同時に、参加する人たちの意識のあり方ということが、重要だろう。
2026年3月10日記
新日本風土記「博多 中洲界隈」 ― 2026-03-14
2026年3月14日 當山日出夫
新日本風土記「博多 中洲界隈」
博多の中洲には、かなり以前に一回行ったことがあるだろうか。
印象に残ったのは、花魁道中のBGM。はっきりいって、花魁道中は下手だったが、このシーンに流れていた音楽がとてもよかった。
それから、屋台のバックヤード。屋台課というが市役所にあるというのは、驚いた。道路に区画が決められていて、営業時間の制限もある。昼間は、所定の場所に置いておく。それを、営業場所まで、もってくるのがビジネスとして成りたっている。三輪のスクーターで引っ張る。各屋台に、専用の電気と上水道、下水道がある。食材の配達も、専門の業者がやってくれる。
だが、こんな屋台なら、ビルの中の居酒屋のようなことでもいいはずだが、そこは、屋台が儲かるからなのか、観光資源として行政が見ているからなのか、集まるお客さんがいるからなのか。
こんな屋台での、飲み食いは、安いのか高いのか。昔なら、安くて簡単の飲み食いできる店の形態ということだっただろうが。
中洲に昔は畑がひろがっていた。そうだろうと思うのだが、話しの中で興味深かったのは、種の商売のこと。江戸時代から、近代になって、それから、戦後から現代まで、日本の農業において、種の販売や流通というのは、どうなっていたのだろうか。どこでどんな農産物が栽培されてという話しはよく出てくるのだが、その種は、どのように流通したのか、あるいは、特産物として保護するために、どう管理されたのか。こういうことの研究はあるのだろうと思うが、気になったところである。
お稲荷さんがあり、お地蔵さんがある。こういう地元密着の素朴な、神様、仏様がある街はいい。
博多明太子が、戦後になってからの食べ物であるということは知っていたのだが、どういう経緯で生まれたのかは知らなかった。朝鮮の釜山での、タラコのキムチ漬けが起源(?)ということらしい。これが、博多の名産品となっていった歴史は、これはこれで面白いことがあるのだろう。
中洲市場が、ほとんどシャッター街になっているにもかかわらず、残っているのは、なにかわけがあるのだろう。お店からの家賃が入らないことになるので、ビルの所有者にとっては、お荷物である。取り壊して再開発できない理由は、何かあるのだろうと思う。
番組の始まりは川の観光船からだったが、お客さんへの説明は日本語だったが、紙に書いて示していたのは、朝鮮語(ハングル表記)、簡体字中国語、英語、だった。今の日本の観光地は、どこもこんな感じである。
江戸時代に、中洲で歌舞伎を興行して、それで藩が大もうけしたというのは、面白い。江戸の歌舞伎役者が、地方に行って興行することがあったことについて、芸能史の方では、どう研究されているのだろうか。
中洲のように、川でかこまれて、橋がかかっている……このような土地は、一つの別世界、異界として、人びとに認識されることになる。こういう立地条件をうまくつかった繁華街であり、その歴史ということになるだろうか。
2026年3月11日記
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