『どんど晴れ』「加賀美屋の一番長い日」2026-03-15

2026年3月15日 當山日出夫

『どんど晴れ』「加賀美屋の一番長い日」

この週は、夏美と柾樹の結婚式の一日であった。

夏美と柾樹が結婚式をあげる。披露宴は、加賀美屋の広間である。そこには、イーハ・トーブの仲間たちも招待されている。加賀美の家族と、浅倉の家族と、イーハ・トーブの仲間と、それから、旅館の従業員たちと、全員が出てくるということになっていた。それに加えて、遠野にいた柾樹の父親も平治につれられてやってきた。

無事に結婚式が終わり披露宴があって、夏美と柾樹が、カツノのところに挨拶に行って、そして、カツノが大往生をとげる……という、まさに絵に描いたような展開であった。たぶん、こうなるだろうと思っていたとおりの筋のはこびなので、これはこれで安心して見ていられる。特に、予想外のハプニングということはなかった。

披露宴のときに、夏美が若女将になることが発表され、柾樹が次の経営者になることになるのだが、これも、一部に異論はあっても(まあ、親戚とはそういうものである)、夏美の心のこもったスピーチもあって、みんなから祝福されて終わる。ただ、この披露宴での夏美のスピーチが、ちょっと長いように思えたが。

次週の予告には、カメさんが映っていた。無事に飼ってもらっているようである。

2026年3月14日記

『マッサン』「虎穴に入らずんば虎子を得ず」「灯台下暗し」2026-03-15

2026年3月15日 當山日出夫

『マッサン』「虎穴に入らずんば虎子を得ず」「灯台下暗し」

この週であったことは、マッサンが鴨居商店に入社するまでのあれこれ。

マッサンはウイスキーを作りたい、鴨居の大将もウイスキーを作りたい、これで、合意して一緒に仕事を始める、というわけにはいかない。強いていえば、マッサンは、本物のウイスキーを日本でも作りたいと思っているのに対して、鴨居の大将は、日本で最初の本格的なウイスキー作りをビジネスにしようとしている。このあたりが、微妙にすれちがっている。素直に、おたがいにそう言えばいいのかもしれないが、なかなかそうはならない二人である。

その中で、一生懸命にマッサンを応援するのがエリーということになる。

ドラマの本筋とは関係ないが、エリーは歌がうまい。最初に見たときには、「OLD LANG SING」のことが印象に残っていた。「故郷の空」とか、「THE WATER IS WIDE」なども、とてもいい。それを、歩きながらであったり、家の中で家事をしながらであったり、ということで歌っている。

マッサンの家のご近所さんの井戸端会議も、見ていて楽しい。おせっかいなのであるが、しかし、エリーのことを親身になって心配している。

ただ、この週の中でちょっと気になったのは、キャサリンが、ミシンを買って服を作ることを、あつらえる、と言っていたのは、おかしい。服をあつらえるという場合は、たとえば、小原糸子の小原洋装店で自分ように服を注文して作ってもらうような場合に使う。自分でミシンで作るようなときには、つかわない。

2026年3月14日記

『ばけばけ』「ゴブサタ、ニシコオリサン。」2026-03-15

2026年3月15日 當山日出夫

『ばけばけ』「ゴブサタ、ニシコオリサン。」

この週で、ヘブンさんが、雨清水八雲になった。日本人になり、作家として再スタートということになる。

見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。

ささいなことだが、最後のとこで映っていた、ヘブンさんの本の錦織さんへの献辞。画面で見るかぎりということだが、どうやら本物の活版で印刷して作ったようである。微妙に印刷したときの凹凸が観察される。現代では、日本で商業的な活版印刷は無くなってしまっているといっていいと思うのだが、しかし、ごく小規模に趣味でやるようなことはある。それから、凸版の印刷博物館がある。ここでは活版の技術が継承されている。

普通ならワープロで作ってしまうようなところだが、ちょっと一手間かけたということで、ぐっとドラマのクオリティが上がっている。(私にはそう見える。)

それから、錦織の部屋に並んだヘブンさんの著作。一番端の本は、おそらく『日本滞在記』で、これは一冊だけだったが、残りの本は二冊づつ同じのが並んでいる。たぶん、熊本のヘブンさんが(あるいは、弟の丈かもしれないが)送ってきてくれたものと、錦織自身が買ったものと、並んでいるということなのだろう。特に説明もなかったが、映像で見せる細かな演出である。

一方、小道具の設定でミスかなと思うところもあった。松江の役所で、おトキの一家が、戸籍を見るシーン。そこには、おじじ様が、松野勘右衛門、として記載されていた。戸主は、松野司之介であった。

この時点で、実は、勘右衛門は、上野タツと一緒になって、上野の籍に入ったということが後で分かるのだが、それなら、松野の戸籍から勘右衛門の名前が消してないとおかしい。ここは、ミスだろうと思って見たところである。

ここで勘右衛門の名前が消されていたりすると、その後の、勘右衛門がおタツさんの上野になっていることを知っての驚きがなくなってしまう。そのために、こうなってしまったのかとは思うが。

日本で近代になって戸籍ができたのは、明治5年である。それまでの習慣も残しているし、また、明治の旧民法の制定の前である。人びとの戸籍についての意識は、どんなだっただろうかとは思う。現代のように、戸籍について、いろいろと政治的な問題を考える前のことになる。

戸籍の記載などどうでもよく、実質的な、氏のファミリーの意識もあっただろうし、結婚して正妻として一緒に生活していることの実質の方が、優先したとも考えられる。このあたりは、結婚観、家族観、と、戸籍や氏名の制度との近代史ということになる。あまり杓子定規に考えない方がいいと、私は思っている。

ただ、ヘブンさんの場合、外国人として日本で住んで仕事することと、妻のおトキとの生活、子どものこと、将来のこと、など考えて、正式に日本の国籍を取得して、おトキと夫婦になるということを考えた、ということでいいだろう。おそらく、ロバートとおランさんは、正式な婚姻関係ではなかったかと思われる。(この週のおランさんは、ちょっと可哀想だった。)

ヘブンさんは、作家として行き詰まりを感じている。

『日本滞在記』は、日本にやってきた異人の目で見た日本のこと、特に、松江や出雲大社のことが、印象的に、ロマンチックに綴られている。しかし、熊本に行ってからは、日本の風物や生活のことに、感動するということが無くなってしまっている。実際、小泉八雲は、近代的な都市を目指す熊本を好いてはいなかったらしい。

作家としてのスランプ状態にあったとして、それが、おトキと正式に結婚して日本人になるということで、解決するとは思えない。日本国籍を得て、雨清水八雲になることは、きわめて形式的なことであり、作家としてのヘブンさんの感性を大きく根本的に変えることにならないだろうと思われる。いくぶんの気持ちの変化はあるだろうが。

また、このようなことを、錦織に指摘されたからといって、それで発憤して机に向かったからといって、作家としての創作や著述のインスピレーションが得られるということでもないだろう。書くことの題材を見つけなければならないし、それを、文章に書くには、頑張って机に向かうだけではダメである。

こういう意味では、スランプにおちいったヘブンさんの作家としての復活の物語としては、説得力に欠けることになっている。

このドラマでは、結婚して、名字が変わることについて、中立的な立場で描いているといっていいだろう。その氏を名乗るファミリーがあって、継続していくこと、ということになっている。そこに強いて、人間のアイデンティティーを求めるというような、現代的な価値観はもちこんではいない。(現代のこととしては、結婚して名字が変わることの不便を、女性の側が負わなければならない社会的慣行が、問題だったことが、議論の発端であったものが、話しがこじれていくなかで、名字が人間のアイデンティティーの根幹であるという方向に行ってしまっている。しかし、およそ150年ほど前までは、ほとんどの日本人は、近代的な戸籍の前の時代、一部の武士などを除いて、名字など無い生活をおくってきたのである。)

ヘブンさんが日本人になる、ということも、ある意味では曖昧な定義であつかってあった。ドラマの中では、厳密には、日本国籍を取得するということであると思うのだが、日本人ということばの定義は、何も国籍ということだけで決まるものではない。その出自であったり、居住地であったり、いろんな要素があって、複数の日本人の定義がある。そして、それぞれの定義は、微妙に重ならないところがある。そして、どのように定義しても、その区分からはみ出る、あるいは、その境界線上の存在ということがある。日本人ということの定義は、複数あり、それらの関係は、微妙な曖昧さがある。

こういうことにふみこむと、非常にややこしい議論になる。そこを、ギリギリのところで、ごく常識的な日本人ということばの使い方で、なんとなく納得するという脚本になっていたと思う。(だが、こういう曖昧さかが嫌いである、という潔癖な人もいるだろうが。)

さて、次週は、舞台が東京に移って、『怪談』のことになるらしい。

2026年3月14日記