芸能きわみ堂「秀吉最後の“フェス”「醍醐の花見」~京都南座顔見世から~」 ― 2026-03-16
2026年3月16日 當山日出夫
豊臣秀吉の、醍醐での花見に題材をとった舞踊劇である。南座での上演である。これは、近年になってから、新しく作った(といっていいのだろう)舞台ということである。
「太閤記」を題材に作っていることになるのだが、こういう事例をふくめて、近代における、「太閤記」の歴史ということで考えてみると面白いだろう。現代なら、「太閤記」は誰でも知っていることになるが(おそらくは、NHKの大河ドラマなどの影響)、「曽我物語」は日本文学を専門にする学生でもほぼ知らないだろう。むしろ、歴史学の方で史料としてあつかうことがある。
副音声で、鴈治郎の解説があったので、これをオンにして見ていたが、なるほど、こういう意図の演出があるのかと、興味深かった。特に、権力の頂点にたった秀吉の孤独感を表現しようとしたところ、北政所と淀君との関係など、まさに、現代の視点から見た「太閤記」の一場面となっている。
2026年3月11日記
アナザーストーリーズ「テトリスと鉄のカーテン」 ― 2026-03-16
2026年3月16日 當山日出夫
アナザーストーリーズ「テトリスと鉄のカーテン」
最初にテトリスで遊んだのはいつのころか覚えていない。だが、これが世の中で流行っていたころ……これは、ソ連の陰謀である。西側自由主義諸国の知的生産能力を低下させるために開発された……と言われていたのを覚えている。
ゲームボーイで遊んだかな、とは覚えている。(なお、ゲームボーイで一番気にいっていたのは、ピクロスである。簡単な加減算の暗算が必要なのだが、結構考える。ほとんどは、理詰めで解けるところが面白い。時々、分からないけど、いちかばちかでクリックすることはあったが。)
テトリスにそう深くはまり込むということはなかったのだが、しかし、ゲームはシンプルな方が面白い。とにかくルールが単純である。面白くするために、ブロックの落下速度など、微妙な要素はあるのだが。
昔のソ連で開発されたゲームが、今の世界の中で、著作権を確立する経緯としては、実にいろんなことがあった。幸運な偶然があったり、思い切りのいい決断があったり、ということらしい。
番組の録画を見終わってから、WEBを検索してみると、オンラインでゲームできる。また、商品としても、形態用のゲーム機(テトリス専用)が売っている。また、SWITCH2、PS5、にも出ている。テトリスをするためにスイッチ2を買うまでのこともないかと思うが、老後のひまつぶしにはいいかもしれない。(我が家の子どもたちは、三人が、それぞれに自分用のSWITCH2を持っている。でも、貸してはくれないだろう。)
2026年3月13日記
『八重の桜』「再び戦を学ばず」 ― 2026-03-16
2026年3月16日 當山日出夫
『八重の桜』「再び戦を学ばず」
時代としては、憲法の制定、教育勅語、というあたりから、日清戦争までのことになる。
この時代を描いて、また、これまでの戊辰戦争のことなどを描いてきて、平和主義と武士の忠誠心、これを無理なく一つのドラマの中におとしこむには、ちょっと無理があるかなという気がする。
どちらも、人間として普通にいだく感情である。戦争よりも平和がいいにきまっている。そして、武士としては主君に忠誠をつくすべきである。これらのことが、うまく調和しないままに、ドラマの中にある。ときとして非常に矛楯することになる場面もあるだろうが、それを無いかのごとく描くのは、しかたないことかとも思う。
赤十字の従軍看護婦ということは、非常に肯定的に近代的な価値観で見ることもできるし、その一方で、これは戦争があることを前提にしているので、そんな存在自体を忌避すべきであるという潔癖な絶対平和主義もあるだろう。ここのところをつきつめて考えることを避けて、なんとなく、八重という人物のなかで一緒になっている。これはこれで、この時代を生きた人間のあり方として、否定されるべきことではないといってもよい。
会津は逆臣ではなかった。正義かどうかは、天皇の意向にそったかどうかできまる。俗な言い方をすれば、玉を手にした方が勝ちということになる。これも、会津から見た幕末から明治維新、戊辰戦争ということであるならば、こうなるだろうとは思う。
2026年3月15日記
『豊臣兄弟!』「信長上洛」 ― 2026-03-16
2026年3月16日 當山日出夫
『豊臣兄弟!』「信長上洛」
こういう作り方のドラマだということは理解できるつもりだが、なんだか、歴史の年表を見て、ところどころで、実はこうだったと種明かしを挟んである、というのは、はっきりいって、あまり面白いとは感じない。これは、人にもよるだろうが。
このドラマでは、こまかな人間の感情の起伏や流れということを描かない。人間関係が、登場人物一覧の系図以上のものになっていない。たぶん、意図的に、深く人間の心理を描くことはしないということで作っていることになる。といって、戦国時代の武将たちが知謀の限りを尽くしているということもない。
信長が「天下布武」の印を使っていることは知られているし、その意味をどう考えるか、京の都を中心として五畿内を平定することであったのか、それとも、日本全土(この時代だから、北海道と琉球は除くことになるが)を手中におさめるのか、議論のあるところになっている。この回のはじまりが、「天下布武」の意味を、京を中心とした支配ということで言っていたのだが、これはどうみても、諸説ある、としなければならないところだろうと思って見ていた。それを、最後のところで、ひっくりかえして信長の意図は、全国の統一であるという方向に向かうということにしてあった。戦国時代について、ちょっと知識があれば、脚本の意図は分かるところかと思うが、しかし、話しの運び方が急である。
見る人が、歴史の知識があることを前提にしているかと思われる一方で、無理をしていると感じるところもある。
疑問に思ったところとしては、お市が、小一郎に手紙の代筆、あるいは、草案を依頼する場面。この時代の文書(書簡)としては、男性の武将が書く(発給する)ものと、女性が書くものとでは、目的も、書式も、内容も、違う。何よりも、女性の書く文字が、男性とは違う。どう考えても、設定として無理がある。
また、終わりの方で、信長が上洛の後、各地の大名たちに文書を送ったかと確認する場面があったが、これはどうだろうか。この時代にこういう文書を送るとするならば、その案を右筆が起草するとしても、信長自身が目をとおすかと思うし、何よりも、信長自身の花押が必要になる。歴史学、古文書学の現在の研究では、信長が、こんな文書を書いて送れ、と命令しただけで、それでことがはこんだということになっているのだろうか。
信長の花押が自身が書いたものかどうか、ということは、現在では史料として、どう考えることになるのだろうか。
明智光秀と足利義昭が岐阜にやってきた場面も、ドラマのようであってもいいかと思うが、どうかなと思うところでもある。始めて岐阜にやってきただろう光秀と義昭であるならば、信長に面会するより先に、岐阜の城下の様子を偵察する、その規模や人びとの暮らしぶりや市場にある商品など、これらを観察することで、信長の大名としての実力を見極めてから、ということの方が、戦国時代ドラマとしては、自然だろう。もちろん、岐阜城の作り方をじっくりと観察する場面もほしい。
さらに思うこととしては、秀吉の住まいには畳がある。信長の岐阜城の広間は畳敷きである。だが、それ以外は、板の間に作ってある。明障子とか、畳の部屋とか、この時代には、どれぐらい普及していたのだろうか。(撮影の都合上、明障子があることにしないと、部屋の中が暗くなってしまうということがあってかとも思うのだが。)
どんなに荒廃した京の街であっても、そこに将軍がいることに意味がある、ということなのかとも思う。であるならば、この時代に、京の街にいなければならなかったのは、何よりも天皇である。天皇がいるからこそ京の町である。こういう視点は、日本史をかんがえるうえで、重要なことだと思うが、このドラマではどうなるだろうか。
終わりのところで、秀吉たちは、京の町で、銭をばらまいていた。荒れ果てた京の町の人びとにとっては、銭があっても買うものがない、ということかもしれない。銭による現金給付よりも、食べるもの着るものの現物給付の方が、効果的かもしれない。まあ、非常に現代的な考え方であるが。(戦禍のガザ地区に空からドル紙幣をまいても意味がないだろう、それよりも食料品であるべきだった、というようなことを考えてもいいかとも思う。)
戦国時代のオールスタードラマという雰囲気になってきた。この時代を生きた人間としての、こまやかな感情のやりとりということには、どうもならないようである。
2026年3月15日記
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