おとなのEテレタイムマシン「日曜美術館 美と風土 黒潮の画譜 〜異端の画家 田中一村〜」 ― 2026-06-06
2026年6月6日 當山日出夫
1984年の放送である。
おとなのEテレタイムマシン「日曜美術館 美と風土 黒潮の画譜 〜異端の画家 田中一村〜」
田中一村で検索してみると(今の時代だからそうすることになるが)、奄美には、田中一村記念美術館がある。(行ってみたい気もしなくはないが、もう、奄美大島まで行くことは、ないだろうなあ、と思う。)
写実をきわめていくと、その先にあるのは、幻想である……これは、そうだろうと思う。
軍鶏の絵がいい。写実的な絵をきわめるというのは、こういうことをさすのだろう。本物の軍鶏を知らない、私のような人間にとっては、羽根とか、脚とか、細かなことが実際と違っていてもなんら問題なく見てしまうのだが、絵を注文する人を、そこに実物どおりであることを要求し、また、絵を描く画家も、それに忠実にこたえようとする。このような、絵の描き方というのは、かなり独特なものかと思えるが、美術史の観点からは、どう考えるのだろうか。
花鳥画として、梅などを描くならば、実物の梅の木とちがっているところがあっても、問題はないかもしれない。しかし、そこを、徹底的に写実にこだわると、また、違った絵画の表現が生まれるというべきだろうか。
花鳥画や風景画と写実ということについては、美術史の分野では、さまざまな研究があることだろうと思う。
奄美の風景を描いているが、非常に幻想的である。熱帯の地域の、どぎつさとでもいうべきものがない。薄明薄暮の時間をとらえて、やわらかな光を描いている。だが、形は、写実である。
一村は、絵を売ってお金にするということをいさぎよしとしない。昔の画家、芸術家というのは、こういうところがあった。今は、芸術家という人であっても、その絵が、評価額がいくらということで、芸術の価値を計ろうとする。こういう時代になってみると、奄美の陋屋で一人で最期を迎えた一村の生き方は、非常に強烈な印象を与えてくれる。
この番組のいいところとしては、やはり、芸術を説明して分かりやすくしようとしていないことである。ただ、そのような絵を描いた画家がいて、どのような生き方をしたか、これを語るだけで十分である。
それから、大島紬の工房の映像があったが、昔は、こんなふうにして作っていたのかと思って見ていた。これは、現代では、どうなっているのだろうか。
また、昔の番組なので、登場していた一村の縁故者の方々の話し方が、まさに、一昔前の日本人の話し方、という感じであった。
2026年6月2日記
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