ネコメンタリー 猫も、杓子も。「千早茜と虎徹と小太郎」 ― 2026-08-06
2026年8月6日 當山日出夫
ネコメンタリー 猫も、杓子も。「千早茜と虎徹と小太郎」
千早茜の『しろがねの葉』は読んだ本である。直木賞の作品は読むようにしている。このころは、まだ、紙の本を買って読んでいた。今では、基本的にKindle版にするようにしている。
虎徹と小太郎のために、床の上にお茶碗が二つあった。これは、一人ずつ専用のお茶碗があるのだろうか、それとも、キャットフード用とお水ということなのだろうか。一つのお茶碗だと喧嘩しないのかとも、思うが。
我が家には、四匹のネコがいるのだが、ご飯のお茶碗は一つである。だいたい仲よく順番に食べている。ときとして、お腹が空いているときに、二人が同時に顔をつっこんで、うばいあいということもある。こういうときは、親子であろうが、兄弟であろうが、関係はない。強引な方が勝つ(らしい)。たいてい、どちらかが少しひっこんで順番を待っている。
虎徹も小太郎も、だっこが大好きらしい。これは、ネコの性格にもよるだろう。人にはすりよってくるが、だっこはあまり好きではないというネコもいる。我が家のネコは、しかたなしに、だっこさせてあげているということを、しっぽでアピールしてくる。
二匹のネコがいて、仲がいいというのは、とても幸せである。ネコも、親子であっても、兄弟姉妹であっても、かならずしも仲がいいとは限らない。ましてや、新しくやってきた新参者のネコに対しては、先住ネコの権利を主張する。先住ネコの権利というのは、ネコの世界では絶対的なもののようである。
仲良きことは美しきかな、である。
文章を書くのにMacを使うのは、好き好きだと思うのだが、横書きで書いている。これまで、この番組で登場する小説家の人など、多くは、ディスプレイを縦書き表示で書いていることが多いかと思う。
文章を書いて、推敲するとき、テープで文字を消していたが、こういうこともあるのかと思って見ていた。推敲するとき、赤のペンを使うが、消す部分は、線を引いて消すが、見えなくすることはない。消す前の文字を見えるようにしておきたいということからである。
こういう観点で見ると、小説家の自筆の原稿用紙とかが残っているのを見ると、書きながら手を加えて文字を消すとき、完全に読めなくなるように塗りつぶして消してしまう作家もいれば(谷崎潤一郎なんかがそうである)、前の文字を見えるように残してある作家もいる。単なるクセの問題かなといえば、そうかとも思うが。
西炯子と大ちゃん。
ちゅ~るかけご飯というのは、とても贅沢なネコである。
私は、我が家のネコたちに対しては、私は贅沢は許さない主義なので、ちゅ~るが欲しいといっても、絶対にあげない。カリカリのおやつを、ネコ用のお皿にちょっとだけ入れてあげる。
でも、ネコたちは、ちゅ~るのある場所は知っていて、家内がリビングの入り口の横にある引き出しをあけると(ここには、いろいろとものが入れてある)、すぐに察知して集まってくる。私が引き出しをあけても、やってこない。この家のボスは、ちゅ~るをくれる人ではないと、ネコたちも認識しているのである。
今どきの漫画家というと、執筆はデジタルが主流だろうと思うのだが、紙に手書きである。こういうのは、ひょっとすると絶滅危惧種的存在かもしれないと思ったりする。
2026年8月2日記
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