日曜美術館「陶芸家ルーシー・リー 繊細でたくましい器」 ― 2026-07-31
2026年7月31日 當山日出夫
日曜美術館「陶芸家ルーシー・リー 繊細でたくましい器」
東京の庭園美術館は、昔、学生のころからしばらく目黒に住んでいたので、何回か行っている。その近くの、自然教育園もよく行った。庭園美術館は、その建物自体が、魅力的であることはいうまでもない。
見ながら思ったこととしては、芸術家としては、陶芸については、自分自身でも同じ物が絶対に作れないということを目指すのだろう。しかし、その一方で、工業的な窯業の視点からは、まったく同じものがいくつも作れないといけない。
このあたりの中間領域に、民藝、ということになるだろうか。
中国の陶磁器の歴史の中で、ひときわ存在感のあるものの一つに、定窯白磁がある。これに限らないが、番組の冒頭に出てきていたコーヒーカップなどは、だいたい6個のセットが、そろって作れないといけないだろう。(まあ、それぞれが、微妙に違っていても、それはそれで、面白くあるのだが。)
日常的な食器として見ると、揃いのものが作れる必要がある。だが、ここに、陶芸家としての、芸術家の個性を見出すことができるだろうか。あるいは、工業製品として、デザイナーとしての仕事になるのだろうか。
絵画とか彫刻は、基本的に、同じ物が作れない。個々の作品の違い、それが、偶然によるものであるとしても、とにかく違っていることが大切である。文学では、まさにそうである。
音楽だったらどうだろうか。作曲としては、他の音楽家と同じものを作ることはない。しかし、演奏家としては、同じ演奏を繰り返すことができなければいけないともいえよう。
こういうことを考えると、複製芸術とは、という議論になるのだが、これはおいておきたい。
何となくテレビの画面を見ていると、たしかに、ルーシー・リーの作品の造形的な美しさは、そうだろうなあと感じる。テレビの画面では伝わらないと思うが、色とか、表面の素材の感覚というのも、際立ったものがあるにちがいない。
ところで、ちょっと気になったこととしては、ルーシー・リーは、イギリスの先史時代の焼き物にインスピレーションを受けて、表面に線を描く(刻む)ようになったらしい。はるか古代の考古遺物の陶器などに触発されるということは、陶芸に限らず、絵画とか、音楽とか、いろいろあることだろう。ここでは、古代は、未開ということかもしれないし、それは、西欧から見た、オリエンタリズムということにつながるのかもしれない。ことの是非の議論は別にして、どうして、芸術家という人たちは、古代や未開ということに、興味を持つのだろうか。
日本の文学でも、古代の『万葉集』を格別視するという歴史はある。
ここに強いて近代西欧文明についての反近代主義ということを、もちだすことではないかもしれない。だが、現代でも、そうと意識することなく、古代、未開、ということには、何かしら人の心を引きつけるものがある。
19世紀の末期から、第一次世界大戦をはさんで、20世紀の初めごろまでの西欧(と、その影響をうけた、日本やアメリカ)で、生み出された思想、芸術、文化、その他もろもろ、こういうことを総合的にとらえて考えるということが、非常に意味のあることかとは思うのだが、21世紀の四半分がすぎた今は、まだ難しいところがあるのかもと思う。まだ、距離をおいて冷静に見るということが出来ないかと思える。
他にもいろいろと見ながら思うことがあった。
2026年7月27日記
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