英雄たちの選択「サムライたちの石垣大レース〜徳川秀忠の新・大坂城〜」2026-09-09

2026年9月9日 當山日出夫

英雄たちの選択「サムライたちの石垣大レース〜徳川秀忠の新・大坂城〜」

この回は面白かった。こういう企画が出来るのは、高田祐一の研究があってのことなのだろうと思うが。

大坂城の石垣の積み方から、徳川政権のあり方とか、さらには、その後の日本人の生き方というところまで、話しが及んでいる。(これは、ちょっと話しを飛躍させすぎかなという気もするが、こういう番組であるなら、これぐらいのことは言ってもいいだろう。)

石垣の工事の仕事の分担や技術ということでは、おそらく、番組の中で言っていたとおりのことでいいのだろうと思う。

言っていなかったこととして気になったのは、工事の工区を割り振っているとして、隣りあった工事が、お互いにトラブルのないように、そして、最終的にきちんと仕上がるように、全体の工程管理や、現場の指揮監督、ということが緻密になされていただろうと思う。このとなりあった部分の一個の石を、どっちが積むかというようなことで、もめ事があったりは、しなかったのだろうかと思うが、こういことを調整する機能が全体として働いていたということになる。

小豆島の採石の跡、黒田の矢の工夫とかは、とても面白い。また、石垣を調査して、コンピュータで解析するのは、やはり現代ならではの研究手法である。

番組では言っていなかったことだが、気になるのは、石垣の内側の工事。これは、単に土を盛っただけのものではなく、さまざまな土木工事、築城の経験があってのことがあるにちがいない。表から見える石垣の石と積み方だけのことではなく、その内側の地面の下の工事がどうだったのか、気になる。

それにしても、大きな思い石を、どうやって小豆島から大坂まで運んで、それを、工事のために上の方まで運び上げたことになるのだろうが、具体的には、どんな技術や道具でこれをやったのだろうか。

実際に石に矢穴をあけて割ってみるというのは、実験として、とても面白い。

矢の形状や材質は重要だろうが、穴をどういうふうにあけるかということもあるはずである(穴のことについては、番組では何もいっていなかったが。)

石の運搬、それから、従事した人たち(足軽と言っていたが、これは実際はどうなのだろうかと思って見ていたが)の宿泊や生活など、今でいえば、兵站、ということにかかわる仕事が綿密に実行できたことになる。こういうことがあったから、江戸時代になってからの参勤交代ということも可能になったかと思うが、飛躍しすぎだろうか。

中で、磯田道史が、昔は、命が安かった、と言っていたのは、そのとおりだと思う。死生観というのは、時代や状況によって変わるものである。現代の日本では、人命第一主義が、メインの考え方であるが、これは、ずっとそうだったわけではない。

石垣の石のように、枠にはまった生き方が、その後の日本人の生き方の基本になったということだが、おそらくは、武士の社会のあり方であり、それが、人間の生き方の見本のように考えられるようになってきた、近代からの日本人の自己像ということも、考えるべきだろう。

江戸時代になってからも、かぶきもの、という人たちがいたこともある。さらには、小泉八雲が描いた日本の生活とか、『逝きし世の面影』の日本人の姿もある。多様性は重要であるが、その多様性も、時代や地域によって、さらに多様であるというのが、人間の歴史である。

2026年9月4日記

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