『ARG』451号の感想2010-11-02

2010-11-02 當山日出夫

『ARG』451号の感想をすこし。

まず、目につくのは、

○インタビュー
 「まだ僕たちはこの長いウィキペディア坂を登りはじめたばかりだッ!
      -第12回図書館総合展株式会社ネットアドバンス主催フォーラム
 『大規模デジタル化社会における『知』との接点
 -Wkipedia、電子書籍、Twitterの潮流をライブラリアンはどう受け止めるか』
 に向けて、司会の佐藤翔さん(筑波大学大学院)にうかがう」
                         (佐藤翔×平山陽菜)

である。

ウィキペディアについては、いろんな立場があるだろう。学生としての立場、教師としての立場、研究者としての立場、ライブラリアンとしての立場、など。それぞれに言うべきことはあるだろうが、わたくしなりに思うことを述べれば、まずは、そもそも、ウィキペディアがどうやって運営されているのか、そこの記述は誰がどうやって書いているのか、ということの基本的な知識が必要だろうということ。

以前、ある授業で、ウィキペディアのことを、レポートの課題に出したことがある。「陵墓」について、その履歴の問題点について報告しなさい、という趣旨のもの。この項目は、宮内庁からの書き込みがあったことで、有名になった項目である。

まず、その履歴を見て考えてみなさい……教師としては、このような方向を意図していたのだが、実際に学生が書いてきたものを読むと、ウィキペディアと陵墓の書き込みについて、グーグルで検索かけて、関連する記述をさがしだす(あるブログがそれについて言及している)、それをつかって、このような事例があると書いて平然としている。そこで言及されている、他の項目の履歴については、まるうつし。自分で、そのウィキペディアの項目の履歴を見て確認した形跡がみられない……というのが、少なからず目についた。

こうなると、もう、どうすればいいのか。単に、ウィキペディアを使うか使わないか、信用できるかできなかい、という以前の、ものの調べ方、考え方のレベルの問題になってしまう。

たとえ、WEBの情報であっても、そこで言及されていることは、WEB内部であっても、可能な限り、本当にそう書かれているかどうか、たどってみる、ということが、基本的なところから欠如している。これでは、いくら、ウィキペディアに情報源として、有効なHPなどがリンクしてあっても、無駄になってしまう。

まずは、ウィキペディアが何であって、何でないのか、といあたりの基本的理解からはじめなければならない、と感じている。

當山日出夫(とうやまひでお)