映像の世紀(4)「ヒトラーの野望」2021-04-23

2021-04-23 當山日出夫(とうやまひでお)

NHK 映像の世紀 第4回 「ヒトラーの野望」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月16日
映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367699

これも月曜日の放送を録画しておいて、翌日の朝に見た。いくらCOVID-19の影響もあって居職の生活をおくっているといっても、放送の時間帯はいろいろとあわただしくもある。録画しておいてゆっくり見た方が、納得がいく。

この回は、ヒトラーの登場から、第二次大戦勃発の前の段階まで。主に、ドイツでのヒトラーのことであった。

歴史に「もしも」を考えてみるのは、どうかなと思うことがないではない。しかし、これは考えてみる必要があるかと思う……ヒトラーのナチスが誕生して政権をとってからのこととして、外交的に平和的な手段でもって、その野望を阻止することは可能であったろうか。これは、かなりの難問かもしれない。戦争以外のどのような手段でもって、ヒトラーをくじくことができただろうか。

少なくとも次の二点は確認できることだろう。

第一に、ヒトラーは合法的に政権をとった、ということ。

第二に、そのヒトラーの独裁は、その当時のドイツおよび国際情勢にかなったものであったということ。

だからといって、ヒトラーを、今日の価値観からして、正当化することはできない。しかし、その悪を、論理的につきつめて考えると、かなりむずかしい問題があるように思われる。

例えば、ナショナリズム。番組では、ドイツのナショナリズムをかなり否定的な視点から描いていた。これは、ヒトラーを悪として描く以上しかたのないことかもしれない。だが、ナショナリズム一般を、そう簡単に否定してしまうことは、難しい。良いナショナリズムと悪いナショナリズムがあるということでもないだろう。

ともあれ、今の視点から見ると、ヒトラーの挙動は大げさで、なぜ人びとが熱狂したのか、すぐには理解しかねるところがある。これも、その時代……第一次大戦後のドイツという時代状況のなかで、人びとの生活に即して考えてみるならば、それなりの必然性があってのことなのだろう。ここから先は、歴史学というよりも、むしろ、想像力の問題であるかもしれない。

そして、今、世界の情勢を見るならば……民主的な制度よりも、独裁的な政権の方が効率的に統治できる、そのような雰囲気を感じるところがある。特に、今般のVOVID-19に対する対応を見ていると、一つの大きな時代の変わり目にいるように思えてならない。

ヒトラーに熱狂したドイツの人びと、それをゆるした世界の他の国々、ただ歴史上の出来事として見るだけではなく、今にいたるまで、その問いかけるものは大きいと強く感じる次第である。ヒトラーの時代についての、歴史への想像力こそ、今もとめられることではないだろうか。

2021年4月20日記

追記 2021-04-29
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月29日
映像の世紀(5)「世界は地獄を見た 無差別爆撃、ホロコースト、原爆」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/29/9371985

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