『警視庁草紙』山田風太郎2021-04-01

2021-04-01 當山日出夫(とうやまひでお)

警視庁草紙

山田風太郎.『警視庁草紙』(「山田風太郎明治小説全集」第一巻).筑摩書房.1997(文藝春秋.1975)

山田風太郎を読み返してみたくなって古本で買った。(この本、今では古本でかなり安価で買うことができる。)

私にとって、山田風太郎は、まず、『戦中派不戦日記』の作者である。これは学生のときに読んだ。そして、『警視庁草紙』からはじまる一連の明治伝奇小説の書き手である。また、晩年の仕事としては、『人間臨終図鑑』がある。それから、『八犬伝』も読んだ作品である。ただ、世の中では、忍法ものの作者として知られているかと思う。

『警視庁草紙』を読んだのは、たしか学生のとき。文春文庫版であったと記憶する。その後、『幻燈辻馬車』など、作品が出ると買って読んだ。以降の作品は、ほとんど単行本が出るとそのつど買って読んでいったのを覚えている。その大部分は、読んでいるはずである。

山田風太郎の明治小説には、一部に熱烈なファンがいるらしい。そのせいだろう、以前に筑摩書房から、「山田風太郎明治小説全集」として、この類の作品をあつめて刊行になった。このような「全集」が出るということは、いわゆる大衆文学にとっては、希有なことかもしれない。このとき、「全集」と同時に、ちくま文庫版でも刊行になった。筑摩書房としては、かなり力を入れた本になっていると思う。

本文にちがいはないはずだが、「全集」版は、解説(木田元)がついている。このことをとってみても、この一連の小説に対する人気ぶりがわかろうというものである。ただ、この本が出た当時、私としては、すでにほとんどの作品を読んでいたということもあって、買わずに済ませてしまっていた。

今、見てみると、依然として人気があるようで、山田風太郎の作品のいくつかは、新しい文庫本で刊行されているものがかなりある。明治伝奇小説のいくつかもあるようだ。

『警視庁草紙』であるが、この作品については、すでに多くのことが語られているであろうから、特に私が何ほどのことを書くこともないだろう。が、強いて書いてみるならば、司馬遼太郎の『坂の上の雲』『翔ぶが如く』などとどうしても比較して読んでしまう。(ちなみに、私は、司馬遼太郎のこれらの作品は、少なくとも二回は繰り返して読んでいる。)

司馬遼太郎が、明治からはじまる近代日本の「光」の部分を描いたとするならば、山田風太郎は「影」の部分を描いている。「光」があるところには、かならず「影」がある。と、このようなことを、山田風太郎自身がどれほど意識していたかは、かならずしも定かではないようだ。明治というメチャクチャな時代を舞台にして、虚実入り交じった面白い物語を書きたかったらしい。

どこまで本当で、どれぐらい嘘が混じっているか、考えながら、あるいは、だまされながら読むのが、この作品の面白さというものだろう。たとえば、樋口の家のなつという少女と、夏目の家の金之助という少年が出会って話しをするシーンなど有名だろう。事実、樋口一葉と夏目漱石は、さほど年が離れているわけではない。文学者として活躍する時期には、一世代の違いはあるが。文学史の知識として知っていることではあるが、果たしてこの二人が会ったことがあるのか、どうだろうか。あったとしておかしくはない。このあたりの虚実皮膜の間が、実にたくみである。

それから、山田風太郎の明治伝奇小説は、必ずしも、幸福な終わり方をしない。『警視庁草紙』のラストのシーンなど、悲壮感にあふれているといってもいいだろう。明治の近代を作りあげる「影」の部分に、まなざしがそそがれている。

そして、『警視庁草紙』は、明らかに「歴史」を意識している。近代日本の歴史の行き着く先のひとつの結果が、昭和二〇年の敗戦ということになるが、そこを「不戦日記」の作者の目で、近代の歴史をふりかえっている。

COVID-19のこともあって、基本的に居職の生活である。本を読むことにしている。今、小川洋子の作品をみつくろいながら読んでいるところである。それから、ブッカー賞の受賞作品で翻訳のあるものについては、読んでみようとか思っている。その合間に、山田風太郎の明治伝奇小説を、読みなおしてみたい。再読、再々読、再々々読……の作品が多いが、ここは楽しみの読書である。読み返すたびに、新たな発見があるのも、また、読書の楽しみである。

2021年3月29日記

追記 2021-04-08
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月8日
『幻燈辻馬車』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/08/9365078

映像の世紀(1)「20世紀の幕開け」2021-04-02

2021-04-02 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKが「映像の世紀」を再放送しているので、録画しておいて見た。デジタルリマスター版である。

もとは、一九九五年の番組である。二〇世紀の終わりにこの番組がつくられたことになる。その当時、どんな時代だったろうか。一九九五年といえば、神戸の震災の年であり、地下鉄サリン事件の年である。むろん、Windows95の発売の年でもあった。バブル景気の破綻ということはあったが、世の中そんなにまだ悪くなっているという印象はなかったと覚えている。(その後、平成の時代となり、二一世紀になって、世の中ろくなことになっていない、と思うのだが。まあ、確かにインターネットの発達、スマホの普及ということはその後のこととしてあるのだが、それで、生きていくのに良い時代になったという印象を私はあまり持っていない。)

この番組が放送された当時、私は、これを全部は見ていないが、時々見ていたと記憶している。語りが山根基世であったことは、覚えている。

再放送を見てまず一番に感じたことは、語りの山根基世アナウンサーの声の若さと、その語りのスピードである。今、時々、放送のある「映像の世紀プレミアム」でも語りを担当しているが、その口調は、もっとゆるやかである。ゆっくりとしゃべっている。

この語りのスピードの違いが、一九九五年から、二〇数年たった時間の流れを象徴しているように感じたというのが、まずは正直なところである。

そして、番組について語るならば……やはりNHKがちからをいれた作った番組であるということであり、まさに、二〇世紀という時代が「映像の世紀」であったことを実感する。明治の日本をはじめとして、中国、ヨーロッパ、ロシア、アメリカなど、さらには、植民地であった地域の映像が残っている。そこには、映像の語る迫力というものを感じずにはいられない。

百聞は一見に如かずというが、映像そのものが語るちからには圧倒されるものがある。

ただ、これは、今日(二〇二一)の目で、一九九五年の番組を見るということもあるのだが、映像を発掘してきたということのインパクトで作った番組という印象をどうしてももってしまう。無論、ところどころに、歴史の流れへの批判を見てとることはできるが、そう強いものではない。(この意味では、今の「映像の世紀プレミアム」は、非常に歴史に対して批判的である。)

それにしても、よくこんな映像が残っていたものだと感心することしきりである。素朴な印象であるが、一般的な歴史として知っている知識や感想を、一つの映像で強固にうらづける、あるいは、打ち砕いてみせるというところがある。

ところで、あらためてこの番組を見て思うことの一つに、残された映像を映したのは、やはり、世界の支配者の側の人間の目である、ということがある。植民地の映像など、その植民地支配を正当化するために作成され、残されたものである。ロシアのロマノフ王朝の映像なども、その王家の繁栄を誇示するためと見ていいものだろう。

興味深かったのは、映像の記録という手段を手に入れた人間は、すぐに、面白い動画撮影にもとりくんでいることである。今では、YouTubeに投稿するようなものだろう。それを、映画というものの登場してすぐの段階でやっている。

この番組の再放送は、ここしばらく続くようだ。COVID-19で居職の生活である。録画しておいて、後日の昼間にゆっくりと見ることを続けられたらと思っている。この回は、二〇世紀になって歴史が映像にとどめられるようになった始めのころのことだった。次は、第一次政界大戦がはじまって、映像に残る戦争の時代ということになるはずである。

2021年4月1日記

追記 2021-04-09
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月9日
映像の世紀(2)「大量殺戮の完成」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/09/9365370

プロジェクトX「巨大台風から日本を守れ」2021-04-03

2021-04-03 當山日出夫(とうやまひでお)

NHKが「プロジェクトX」を4Kリストア版で再放送するということなので、見てみることにした。(ただ、見ているテレビは普通のテレビであるが。)

「プロジェクトX」がはじまったのは、二〇〇〇年のこと。かなり長く続いた番組である。人気もあった。そして、その番組のイメージは、今にいたるまで残り続けている。

今(二〇二一)から振り返ってみて、二〇年前のことになる。その時代はどうだったろうか。バブル崩壊後の、平成の時代であった。不景気というのではないが、どことなしか閉塞感のようなものがあったように思い出される。

その時代にあって、かつての日本の高度経済成長の時代、そして、それを支えたのは、無名の人びとであったことを、この番組は描いていたと思う。普通の会社の人の、普通の仕事、それは、その時代にあって、必要とされたことであり、また、次の時代のために必要なことでもあった。その仕事を淡々とひきうけてこなしていく姿に、多くの人びとが、何かしら郷愁のようなものを感じていたのではなかったろうか。

この番組の主題歌は、「地上の星」である。歌ったのは、中島みゆき。ただ、私は、この歌よりも、エンディングでつかわれた「ヘッドライト・テールライト」の方が好きである。中島みゆき自身も、その後に出したアルバムのなかでは、この曲を大事にあつかっている。(ちなみに、私は、中島みゆきのCDは、そのほとんど全部を持っているはずである。すべて、Walkmanにいれてある。)

再放送であったのは、番組の第一回の放送。富士山の気象レーダーの建設のこと。そういえば、私の若かったころ、天気予報では、富士山頂の気象観測データも語られていたように記憶する。そのレーダーが、台風の観測に是非とも必要なものであったことは、容易に理解される。

重要なポイントとしては、そのレーダーは、今ではもう使われていないということにあるのかもしれない。気象観測衛星にその役割はとって代わられている。命がけで作ったレーダーも、時代とともに、その役割を終えれば姿を消していくことになる。

だからといって、その仕事が無駄であったということはない。時代の流れの中で必要とされたことであり、次の時代を切り拓いていくための仕事でもあった。

思えば、天気予報ぐらい、近年になって急速に発達したものはあまりないかもしれない。昔の天気予報は、当たらないというのが常識であった。だが、今や、数日先の天気まで、ほぼ確実にわかる。この技術の発展は、身近に存在するものであり、その恩恵を多大にうけている日常なのだが、そう意識することはない。このような技術こそ、本当に人びとの生活のために役立つものといっていいのだろう。

「プロジェクトX」の再放送は、いくつか続けてあるようだ。見ることにしようと思っている。

2021年4月2日記

追記 2021-04-10
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月10日
プロジェクトX「友の死を越えて」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/10/9365712

『おちょやん』あれこれ「うちの守りたかった家庭劇」2021-04-04

2021-04-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『おちょやん』第17週「うちの守りたかった家庭劇」
https://www.nhk.or.jp/ochoyan/story/17/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月28日
『おちょやん』あれこれ「お母ちゃんて呼んでみ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/28/9361296

この週は、太平洋戦争の開戦から昭和二〇年三月の大阪の空襲まで。みどころとしては、次の三つかと思う。この時期の、戦時下の道頓堀の人びとを情感をこめて描いていたと思う。

第一に、福助のこと。

福助のところに召集令状が来た。出征することになる。その福助のために、みつえは最後にトランペットを吹かせてやりたいと思う。それに、千代や一平たちも協力する。

また、出生後の福富の店に、婦人会の人がやってくる。トラペットを供出するようにせまる。それを、みつえはなんとかのりきって守ることになる。

第二に、岡安のこと。

シズは、ついに岡安を閉めることにした。お茶子たちは、それぞれバラバラになって散っていった。岡安は閉めても、シズは、道頓堀を動く気はないという。芝居茶屋と一緒に生きてきた女性の意地であろう。

第三に、家庭劇のこと。

千代と一平の家庭劇を鶴亀は解散するという。もはや、家庭劇を上演する劇場も閉鎖されてしまっている。だが、なんとか、千代は家庭劇を守ろうとする。その意気に、他の劇団員たちも、共感して一座に残ることになった。

以上の三つぐらいのことをおりまぜて、この週は話しが展開していた。

そして、最後が、昭和二〇年三月の大阪の空襲である。これは、以前の朝ドラでは、『ごちそうさん』で描かれていた。大阪が大きな被害をうけることになる。道頓堀も戦禍にみまわれる。はたして、岡安や福富の人びとは、無事でいるのだろうか。

次週、戦時下での千代たちの活動を描くことになるようだ。戦争という時代に喜劇役者たちがどのように生きてきたことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2021年4月3日記

追記 2021-04-11
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月11日
『おちょやん』あれこれ「うちの原点だす」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/11/9366100

映像の世紀プレミアム「東京 破壊と創造の150年」2021-04-05

2021-04-05 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム「東京 破壊と創造の150年」

二〇二一年四月三日(土)の放送を録画しておいて、翌日になって見た。

今回のテーマは「東京」。だが、番組の内容としては、近代日本の歴史を大正から昭和にかけてふりかえるものになっている。そのものの見方は、歴史に対して非常に批判的である。

多くの映像が印象に残るものであったが、一番印象深かったのは、昭和二〇年三月一〇日の東京大空襲の写真。この大空襲については、そのリアルタイムでの映像が残されていないらしい。アメリカ軍も残さなかったらしいし、また、日本においても、そのような余裕はなかったということなのであろう。ただ一枚の写真が残っているだけである。これは、逆説的に、その空襲のすさまじさを物語る史料といっていい。

そして、その空襲のあとを視察する昭和天皇。昭和天皇の臨幸をまえに、空襲の死者の死体はすべて片づけられてしまっていた。戦争と昭和天皇については、多くの語るべきことがあるにちがいないが、一つの視点として、昭和天皇は戦争の時代にいったい何を見ていたのだろうか、ということがある。

ところで東京という町……私は、学生のころの一〇年ほどをすごしたことになる。一九七五年以降のことである。その当時の東京は、東京オリンピック(一九六四)を経て、大きく変貌した後の東京であった。私が東京に住み始めたころ、ちまたで流行っていた音楽のひとつが「木綿のハンカチーフ」である。まさに、この歌の歌詞のとおり、東へと向かう列車(新幹線)に乗って東京に行ったことになる。(この曲、たまたま作曲者の筒美京平が亡くなったということもあって、最近、テレビなどで良く耳にする。)

番組が東京の町のどこまでを描くか気になって見ていたのだが、東京オリンピックのあたりのことは出てこなかった。それより前、戦後の復興にともなって、野放図に膨張した東京の姿をしめすところでおわっていた。その一つの行き着く先が、東京オリンピック後の東京の町の姿であろう。(それを象徴するのが日本橋の首都高かもしれないのだが。)

東京という町を描くことは、まさに近代の日本を描くことにつながる。都市と何か、そこでの生活様式が、日本の生活の基本スタイルとして定着していくことになる。(だが、実際には、昭和三〇年代以降まで、日本の多くの人びとの生活は、地方の農村地域にあったともいえるのだが。)

関東大震災、太平洋戦争、この大きな二つの出来事によって、東京という町は破壊され、その都度、新しく生まれ変わってきた。その変貌の歴史は、まさに近代日本の歴史に重なる。東京の町でおこった出来事、行事、事件などを追うことで、近代の日本の歴史を見ようとしていると理解できる。

現代の東京、あるいは、日本のあり方に大きな影響を与えているのが、戦後の進駐軍の存在である。明治なって近代以降の歴史をとおして考えることもできるが、そのなかで、連合国側に占領されていた時代のことは、今となっては歴史のかなたのことかもしれない。そこを、この番組では、占領下の日本ということを、強く意識させる作り方がしてあった。

今の東京は将来の人びとの目にはいったいどう見えるだろうか。今の時点では、今年のオリンピックの開催は流動的である。もし開催になったとしても、昨年言われたような「完全な形での開催」ということは不可能な状況になってきている。場合によっては、新しい国立競技場は使われることなく終わってしまうことになるのかもしれない。

いずれにせよ、二一世紀になって二〇年ほどを経たころの東京の町をあらわすものは、COVID-19の影響で人影の途絶えた町並みであろうか。あるいは、もはやほとんどの人びとが興味を失ってしまった存在といってよい、国立競技場であろうか。

しかし、今の日本には、東京の町を、再度、再興へとたちむかわせていくだけのエネルギーをもちあわせてはいないように思えてならない。今の私には、東京の町に将来への希望を感じられないのである。

2021年4月4日記

『青天を衝け』あれこれ「栄一の祝言」2021-04-06

2021-04-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第8回「栄一の祝言」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/08/

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月30日
『青天を衝け』あれこれ「青天の栄一」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361951

この回で描いていたのは、栄一の結婚と、安政の大獄。ただ、ここまできても、栄一と慶喜の人生がまだまじわることはない。これは、もうちょっと先のことになるはずである。

第一に、栄一のこと。

栄一は、千代との結婚をかけて喜作と勝負することになる。試合としてはかろうじて喜作の勝ちだったが、結果としては、栄一は千代と結婚することになる。

喜作との剣の試合のシーン、それから、結婚式のシーンなどは、かなり念入りにつくってあったと感じる。初々しさを感じるなごやかな結婚式のシーンであった。

だが、栄一はまだ何者でもない。ただ、武州の農村にいる一人の若者にすぎない。

第二に、徳川幕府のこと。

井伊直弼が大老になり、安政の大獄がはじまることになる。このあたり、家定のいまわのきわの遺言でそうなったということだが、どうだろうか。幕末における、尊皇、佐幕、開国、攘夷……さまざまな論点が入り交じる時代の、虚々実々のかけひきがもうすこしあってもよかったように思う。

だが、結果としては、井伊大老による圧政のはじまりということになった。これを、慶喜は、よしとしているように見受けられる。

以上の二点が、この回で描いていた主なところだろうか。

ところで、たまたま、前日に放送のあった、「映像の世紀プレミアム 東京 破壊と創造の150年」を見ていたが……なかにかなり渋沢栄一の登場があった。これは、おそらくは、『青天を衝け』を意識してのことかもしれない。だが、その経済と道徳の一致という倫理観は、今の時代にもひびくものがある。渋沢栄一は、昭和になるまで生きている。明治から大正にかけて、日本の近代を生きた人物である。このドラマ、渋沢の明治以降の人生をどう描くことになるのだろうか。

そして今読んでいるのが、山田風太郎の明治小説。そのほとんどは、学生のころに読んでいるのだが、改めて読みなおしたくなって読んでいる。明治維新、近代という時代に光のあたるところで活躍する人物がいる一方で、影の部分に生きざるをえない、あるいは、あえてそのような人生を選んだ人間もいる。

明治という時代、近代という時代は、かならずしも、明るいものばかりではない。その歴史の敗残者とでもいうべき多くの人びとがいたことを、忘れてはならないだろう。

渋沢栄一は、ある意味で、近代日本の歴史の光の部分を歩んだ人物である。その人物を描くにあたって、影の部分にいることになる人びとのことをどう描くことになるのか、これもまたこのドラマで見てみたいところでもある。

次回は、桜田門外の変になるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2021年4月5日記

追記 2021-04-13
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月13日
『青天を衝け』あれこれ「栄一と桜田門外の変」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/13/9366728

沈丁花2021-04-07

2021-04-07 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日は、沈丁花である。

前回は、
やまもも書斎記 2021年3月31日
雨に散る桜
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/31/9362250

今年になって、この花が咲きはじめたころに、一度写している。

やまもも書斎記 2021年2月17日
沈丁花が咲きはじめた

今年のこの花もそろそろ終わりである。写真は、先月のうちに写しておいたものからである。沈丁花は、花の咲いているときもいいが、咲き始めのころが、一番写真に向いていると感じるところがある。

あまり風にゆらぐこともない花なので写真には撮りやすい。ただ、白い花なので、現像処理のときに、露出を-1/2に補正してある。

桜の花も終わり、沈丁花も終わった。八重桜が咲くころになるだろうか。これは、家からちょっと歩いたところにあるので、散歩のときに三脚とカメラを持ってということになる。今週ぐらいからシャガの花が咲きはじめている。また、山吹の花も咲きだした。藤の花をみると、花はまだ咲かないが、つぼみが見えるようになっている。足下を見ると、タンポポや菫の花を見ることができる。春の花の季節ということになってきた。

このまま何事もなければ、来週から学校の講義がはじまる。それに出かける以外は、基本的に居職である。花の写真を撮る日々をつづけていけたらと思っている。

沈丁花

沈丁花

沈丁花

沈丁花

沈丁花

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2021年4月6日記

追記 2021-04-14
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月14日
藪椿
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/14/9367058

『幻燈辻馬車』山田風太郎2021-04-08

2021-04-08 當山日出夫(とうやまひでお)

山田風太郎明治小説全集(2)

山田風太郎.『幻燈辻馬車』(山田風太郎明治小説全集第二巻).筑摩書房.1997(文藝春秋.1976)

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月1日
『警視庁草紙』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/01/9362594

続けて山田風太郎を読んでいる。(小川洋子を集中的に読もうと思って、本は買って書斎につんであるのだが、しばらく山田風太郎を読んでいる。)

『幻燈辻馬車』も、若いときに読んでいる。これは、単行本で読んだろうかと思うが、どうも記憶がさだかではない。が、その後、二~三回は、繰り返して読んでいる(これは、そのときに手に入る文庫本で読んだ。)

山田風太郎の明治伝奇小説のなかで、怪奇ということをあつかった異色作であるかもしれない。なにせ、幽霊が出てくる。それもただ幽霊が出てくるというだけではなく、鬼気迫るものがありながらも、どこかしらユーモアも感じさせる。

むろん、この小説のメインの登場人物は、干潟干兵衛。元、会津藩士である。時代は、明治の一〇年をしばらくすぎたころ。まだ、西南戦争のなごりの残る時代である。自由民権運動の時代である。干兵衛は、西南戦争に参加した経歴がある。若いころには、明治維新の戊辰戦争を戦っている。このような干兵衛は、明治の進取の時代からすれば、敗残者といってよいのかもしれない。

この小説は、明治維新、文明開化の時代を、時代に取り残された敗残者の目から描いている。先に読んだ、『警視庁草紙』と同様、明治という時代にあって、その時代の流れについていけない、あるいは、ついていくことをいさぎよしとしない、強いていえば、時代から敗れ去った人間を描いている。

そして、この小説に出てくる自由民権運動も、かならずしも、(いまでいう感覚の)正義の運動ばかりとしては描かれていない。この小説の発表された当時の用語でいうならば、過激派学生運動にたとえるところもある。自由民権の活動も、また、明治維新にのりおくれたものの、時代への抵抗のうごきとして見ているところがある。

今回、この小説を、読みかえしてみて気づいたこととしては……登場する幽霊の持っているなんとなくユーモアのある雰囲気、それに、自由民権運動へのある意味での冷めたまなざし、というものであろうか。ここには、山田風太郎なりの「歴史」を見る目がたしかにある。

読みながら思わず付箋をつけた箇所がある。「人の世に情けはあるが、運命に容赦はない。」

この小説は、「歴史」のなかにある人間に与えられた「運命」の過酷さを描ききっているといえるかもしれない。このようなところは、やはり「不戦日記」の作者ならではのものと感じる。

2021年4月2日記

追記 2021-04-15
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月15日
『地の果ての獄』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/15/9367360

映像の世紀(2)「大量殺戮の完成」2021-04-09

2021-04-09 當山日出夫(とうやまひでお)

「映像の世紀」第2集「大量殺戮の完成-塹壕の兵士たちはすさまじい兵器を見た-」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月2日
映像の世紀(1)「20世紀の幕開け」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/02/9362986

月曜日に放送のあったのを録画しておいて、翌日の昼間にゆっくりと見た。

第2集は、第一次世界大戦。

第一次世界大戦については、今の時点……二〇二一年、あるいは、番組の放送された一九九五年……からは、いろいろということができるだろう。ただ、この番組の作られた一九九五年の時点においては、何よりも、二〇世紀初頭の世界大戦が、映像に記録される戦争であったことを、強く物語るものであった。

騎兵による突撃からはじまった戦争は、やがて、塹壕戦になり、各種の新兵器を戦場に投入することになる。戦車であり、飛行船・飛行機であり、機関銃であり、毒ガスであったり。まさに、これらの兵器は、後の第二次大戦でつかわれることになり、戦争が軍隊、軍人によるものから、国家の総力戦へと変貌することになる。番組のなかで、これ以前の戦争の事例として、ナポレオンのことに言及があった。二〇世紀になって、戦争のあり方自体が大きく変わってきたことになる。

ところで、番組のなかでも言及のあった『西部戦線異状なし』(レマルク)であるが、これは、たしか高校生か大学生のころに読んだと覚えている。これは、今でも読もうと思えば読める。読みかえしてみたくなった。

それから、読んだ本で覚えているのが、『ヴィンター家の兄弟』という作品。たしか新潮文庫だったろうか。第一次大戦から第二次大戦にかけての、ドイツと英国に暮らした一家の物語であった。

ともあれ、戦争は歴史とともにある。どのような戦争を戦うことになるのか……国家の総力戦というものになってから、逆に、戦争のあり方が国家のあり方を決めるようになってきたといってもいいのだろう。それは、その後の第二次大戦を経て、今日の世界まで続いていることである。

戦争とメディアということであるならば、第一次世界大戦は、映像に残された戦争であった。同時に、それは、検閲ということも同時にともなっていた。さらには、その映像記録を今に残す努力というものもある。番組が、フランスにおける、フィルムアーカイブの紹介からはじまっていたのは、印象に残る。

この再放送は、次週も続く。続けて見ることにしよう。

2021年4月7日記

追記 2021-04-16
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月16日
映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367699

プロジェクトX「友の死を越えて」2021-04-10

2021-04-10 當山日出夫(とうやまひでお)

プロジェクトX「友の死を越えて~青函トンネル24年の大工事~」

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月3日
プロジェクトX「巨大台風から日本を守れ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/03/9363327

これも夜の放送を録画しておいて、後になって昼間に見た。

私は、若いころ、青函連絡船は乗った経験がある。しかし、青函トンネルを通ったことはない。北海道新幹線も乗っていない。

しかし、その工事が完成したときのことは覚えている。この放送も確か見たような記憶があるが、はっきりとはしない。

一九九五年の放送を、今(二〇二一)になって見ると、やはり時代の流れを感じさせるところがある。今の価値観からするならば、難工事にいどむ夫とそれを陰でささえる妻というような図式では、番組を作ることはできないだろう。(つくづくと、時代が変わったものだと思う。)

番組で描いていたのは、静観トンネルの最前線で働く男たちの物語であった。だが、その背後には、トンネル掘削技術の基礎の開発から、資材の研究開発にいたる、広範囲な基礎的技術のひろがりがあったにちがいない。私がこの番組から感じたのは、最前線で働き、あるいは殉職もした男とたちもさることながら、それをささえる基礎的な技術開発にたずさわった多くの人びとの苦労である。多くの人びとのささえによって、青函トンネルという大工事はなしとげることができたのであろう。

たぶん、今の時代においては、もうこのような番組を作ることは難しいのかもしれない。たしかに、現代においても、数多くの「プロジェクトX」は進行しているのだろうとは思う。ただ、一般に知られていないだけで。

今になって再放送のこの番組をみて、私は、そこはかとない郷愁のようなものを感じてしまう。このような時代……青函トンネルを建設することに人生をかける人たちがいたのであり、それを取材してテレビ番組がつくれた時代……が、かつてあったということを、なんとなく感じてしまうのである。

この番組、次週もつづくようだ。続けて見ることにしよう。

2021年4月8日記

追記 2021-04-17
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月17日
プロジェクトX「東京タワー・恋人たちの戦い」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/17/9367989