『街道をゆく 韓のくに紀行』司馬遼太郎/朝日文庫 ― 2023-07-06
2023年7月6日 當山日出夫

司馬遼太郎.『街道をゆく 韓のくに紀行』(朝日文庫).朝日新聞出版.2008
https://publications.asahi.com/kaidou/02/index.shtml
もとは、一九七一年から七二年、「週刊朝日」連載。
「街道をゆくシリーズ」の二冊目である。つまり、このシリーズが始まって早いころに司馬遼太郎は、韓国に行っている。一九七二年というと、私は高校生のころになる。
この時代の韓国はどんなだったろうか。歴史的には、まだ軍事政権下ということになる。このころ、「北朝鮮」のことがテレビのニュースなどで出てくると、必ず、「朝鮮民主主義人民共和国」と、追加して言っていたのを憶えている。これが、単に「北朝鮮」とだけ呼称するようになったのは、いつごろからになるだろうか。
司馬遼太郎の書いたものとしては、やや異質な感じがする。公平な目で歴史を見るという観点が乏しいと言わざるをえない。とにかく悪いのは、秀吉の朝鮮派兵であり、近代になってからの併合である。そして、あくまでも美しいのは、李氏朝鮮であり、儒教であり、田舎の風景である。
かなりバイアスのかかった見方で書かれている。
だが、この当時、「週刊朝日」というところに書くとなると、このような書き方にならざるをえなかったのか、という観点から、これはこれで、ある意味で歴史的価値のある文章であると読める。
大邱のホテルでのマッサージ師のくだりは、まあ、こんなふうに考えれば考えることもできるかなあ、というぐらいで読んでおくのがいいのだろう。
それにしても、もし、司馬遼太郎が生きていて、今の韓国、あるいは、日韓関係のことを見たらどんなふうに書くだろうかと、思ってみたくなる。
2023年6月30日記
https://publications.asahi.com/kaidou/02/index.shtml
もとは、一九七一年から七二年、「週刊朝日」連載。
「街道をゆくシリーズ」の二冊目である。つまり、このシリーズが始まって早いころに司馬遼太郎は、韓国に行っている。一九七二年というと、私は高校生のころになる。
この時代の韓国はどんなだったろうか。歴史的には、まだ軍事政権下ということになる。このころ、「北朝鮮」のことがテレビのニュースなどで出てくると、必ず、「朝鮮民主主義人民共和国」と、追加して言っていたのを憶えている。これが、単に「北朝鮮」とだけ呼称するようになったのは、いつごろからになるだろうか。
司馬遼太郎の書いたものとしては、やや異質な感じがする。公平な目で歴史を見るという観点が乏しいと言わざるをえない。とにかく悪いのは、秀吉の朝鮮派兵であり、近代になってからの併合である。そして、あくまでも美しいのは、李氏朝鮮であり、儒教であり、田舎の風景である。
かなりバイアスのかかった見方で書かれている。
だが、この当時、「週刊朝日」というところに書くとなると、このような書き方にならざるをえなかったのか、という観点から、これはこれで、ある意味で歴史的価値のある文章であると読める。
大邱のホテルでのマッサージ師のくだりは、まあ、こんなふうに考えれば考えることもできるかなあ、というぐらいで読んでおくのがいいのだろう。
それにしても、もし、司馬遼太郎が生きていて、今の韓国、あるいは、日韓関係のことを見たらどんなふうに書くだろうかと、思ってみたくなる。
2023年6月30日記
100分de名著「林芙美子“放浪記” (1)「悪」の魅力」 ― 2023-07-06
2023年7月6日 當山日出夫
100分de名著 林芙美子“放浪記” (1)「悪」の魅力
『放浪記』は、若い時から折に触れて読み返してきた作品である。最初に『放浪記』に接したのは、学校の教科書でだったと思う。その冒頭の部分、筑豊で行商をしていた子供時代のことを綴ったあたりが、出ていたと記憶する。
『放浪記』の魅力は、私にとっては、底辺で生きることになる女性のたくましさ、それから、全編にただよう詩情である。
これを現代の観点から、特にフェミニズムの視点から読み解くことは可能であろう。
番組を見て思ったことの一つは、『放浪記』の初版を出さないだろうか、ということである。今、普通に読むのは、新潮文庫版であろうと思うのだが、これは、かなり後年になってからの手が加わっているようだ。ここは、是非、初版、初出のものを読んでみたい気がする。
それから、番組の朗読を聞いていてちょっと気になったところ。「待合」ということばが出てきていたが、これは、ちょっと説明してくれた方がいいのではないだろうか。今と昔で、風俗的な違いがある。この意味で、「待合」というのは、今では分かりにくくなってしまったものの一つである。(あるいは、この番組を見る程の人なら、このことばの意味ぐらい知っていて当然ということなのかもしれないが。)
2023年7月4日記
100分de名著 林芙美子“放浪記” (1)「悪」の魅力
『放浪記』は、若い時から折に触れて読み返してきた作品である。最初に『放浪記』に接したのは、学校の教科書でだったと思う。その冒頭の部分、筑豊で行商をしていた子供時代のことを綴ったあたりが、出ていたと記憶する。
『放浪記』の魅力は、私にとっては、底辺で生きることになる女性のたくましさ、それから、全編にただよう詩情である。
これを現代の観点から、特にフェミニズムの視点から読み解くことは可能であろう。
番組を見て思ったことの一つは、『放浪記』の初版を出さないだろうか、ということである。今、普通に読むのは、新潮文庫版であろうと思うのだが、これは、かなり後年になってからの手が加わっているようだ。ここは、是非、初版、初出のものを読んでみたい気がする。
それから、番組の朗読を聞いていてちょっと気になったところ。「待合」ということばが出てきていたが、これは、ちょっと説明してくれた方がいいのではないだろうか。今と昔で、風俗的な違いがある。この意味で、「待合」というのは、今では分かりにくくなってしまったものの一つである。(あるいは、この番組を見る程の人なら、このことばの意味ぐらい知っていて当然ということなのかもしれないが。)
2023年7月4日記
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