100分de名著「ヘーゲル“精神現象学” (1)奴隷の絶望の先に」2025-03-08

2025年3月8日 當山日出夫

100分de名著 ヘーゲル“精神現象学” (1)奴隷の絶望の先に

再放送である。2023年5月の放送。

流れとして、デュルケームの『社会分業論』の次にこれを、再放送で持ってくることは、まあ、なんとなく理解できる。人間とは、相互に依存して存在しているものである、ということをどう語るか、ということになる。

これはこれとしていいのだが、斎藤幸平については、(特にここ数年のことについては)私は、まったく評価しない。良心的な研究者ではなく、偽善的な活動家、というイメージしかない。『人新世の資本論』は、確かに一般にはうけるかもしれないが、まやかしでしかない。おそらく、書いた本人はそれに気づいているはずだが、しらばっくれている。

弁証法的思考として考えることは……私の理解では、であるが……常に自分の考え方が正しいかどうか自省するところがあり、異なる意見については、なぜそう考えるのかを思い、自分はなぜそう考えないのかという問いかけを持つものであり、そして、この思考の動きは、ダイナミックに常に動いているものである。この意味では、ヘーゲルも、また、マルクスも、さらに止揚した段階への一階梯ということになるはずである。

しかし、近年の斎藤幸平の言っていることは、マルクス、特に晩年のマルクスが言ったことを、絶対視することになっている。これは、一般向けには分かりやすい議論として提示できることになる。常に真理は、過去の聖人にある、神にある、あるいは、海外の偉い人の最新の理論のなかにある……こういう心性をもった、近現代のいわゆる知識人、インテリには、たしかに受けるだろうとは思う。

人間は他者に依存している存在である……このことは、西洋の偉い哲学者に教えてもらわなければ分からないようなことではないだろう。あえて天邪鬼な言い方をすれば、このようにも言うことができる。これを学問的に論ずるとするならば、その一見すると自明なことのように思えることを、どう論理的に説明するのか、語るのか、という論理のあり方であり、思考のルートである、と思うのである。

2025年3月5日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/03/08/9759566/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。