100分de名著「林芙美子“放浪記” (4)「女流文学」を解き放つ」 ― 2023-07-26
2023年7月26日 當山日出夫
100分de名著 林芙美子“放浪記” (4)「女流文学」を解き放つ
林芙美子という作家を、既存の近代女流文学という枠から離れて読んでみようというこころみは理解できる。だが、その一方で、フェミニズムの視点を導入することも言っている。まあ、確かに、これからの文学研究において、フェミニズムの観点は重要であることは分かる。
ただ、私としては、読んで面白いものを読んでいきたいと思うのみである。(文学史的にどうこう評価しようというような気持ちはまったくない。)
しかしながら、今読める林芙美子の作品は、『放浪記』以外には、そう多くないようである。紀行エッセイ、短篇のいくつかがまだ読める形で刊行されているだろうか。
四回の番組のなかで、『放浪記』のなかに数多く出てくる詩のことには言及がなかった。『放浪記』の魅力の一つは、やはり詩、詩情にあると私は思っている。
それからどうでもいいことだが、林芙美子の原稿で「鷗」とあった字が、画面に字幕で出したときに、「鴎」(拡張新字体)になっていた。この「鴎」は、もう一般にひろく使われる字になっているということなのだろう。(私としては、やや抵抗があるのだが。)
2023年7月25日記
100分de名著 林芙美子“放浪記” (4)「女流文学」を解き放つ
林芙美子という作家を、既存の近代女流文学という枠から離れて読んでみようというこころみは理解できる。だが、その一方で、フェミニズムの視点を導入することも言っている。まあ、確かに、これからの文学研究において、フェミニズムの観点は重要であることは分かる。
ただ、私としては、読んで面白いものを読んでいきたいと思うのみである。(文学史的にどうこう評価しようというような気持ちはまったくない。)
しかしながら、今読める林芙美子の作品は、『放浪記』以外には、そう多くないようである。紀行エッセイ、短篇のいくつかがまだ読める形で刊行されているだろうか。
四回の番組のなかで、『放浪記』のなかに数多く出てくる詩のことには言及がなかった。『放浪記』の魅力の一つは、やはり詩、詩情にあると私は思っている。
それからどうでもいいことだが、林芙美子の原稿で「鷗」とあった字が、画面に字幕で出したときに、「鴎」(拡張新字体)になっていた。この「鴎」は、もう一般にひろく使われる字になっているということなのだろう。(私としては、やや抵抗があるのだが。)
2023年7月25日記
最近のコメント