ブラタモリ「稚内」 ― 2023-09-21
2023年9月21日 當山日出夫
「流氷とけて 春風ふいて」
学生のころ、東京で一人暮らしをしていたとき、ラジオだけがあった。ラジオから流れてきた歌の歌詞であるが、今でも憶えている。「宗谷岬」である。
NHK的には、日本最北端を定義するのは難しいことなのかもしれないが、そこにあまりこだわってもしかたないだろう。番組のなかでは、北方領土ということばは使ってはいなかったが。
蝦夷錦は、知識として知っている。司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいると、何度か出てくる。それが、北方の交易ルートを通じて、清朝の衣服が日本にもたらされた経緯は、興味深い。
アイヌとの歴史をどうとらえるかも微妙な問題があるかとは思う。が、ここは、北海道のアイヌと松前藩に限定せずに、近世以前の北方の広い地域における、広大な交易圏を考えておくのがいいのかもしれない。(司馬遼太郎は、そのように考えているようだが。)
なるほど、樺太の一部は、かつて日本の領域であった。国境があった。そこを越えてソ連に行ったのが、岡田嘉子なのだが、この名前は出てこなかった。
ともあれ、最果てと言ってよい土地で、人びとがたくましくくらしているという印象で、番組は作ってあった。これはこれで一つの方針だろう。
ところで、稚内はホタテの産地であるとのことだったが、今現在はどうなのだろうか。ちょっと気になったところでもある。
2023年9月17日記
「流氷とけて 春風ふいて」
学生のころ、東京で一人暮らしをしていたとき、ラジオだけがあった。ラジオから流れてきた歌の歌詞であるが、今でも憶えている。「宗谷岬」である。
NHK的には、日本最北端を定義するのは難しいことなのかもしれないが、そこにあまりこだわってもしかたないだろう。番組のなかでは、北方領土ということばは使ってはいなかったが。
蝦夷錦は、知識として知っている。司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでいると、何度か出てくる。それが、北方の交易ルートを通じて、清朝の衣服が日本にもたらされた経緯は、興味深い。
アイヌとの歴史をどうとらえるかも微妙な問題があるかとは思う。が、ここは、北海道のアイヌと松前藩に限定せずに、近世以前の北方の広い地域における、広大な交易圏を考えておくのがいいのかもしれない。(司馬遼太郎は、そのように考えているようだが。)
なるほど、樺太の一部は、かつて日本の領域であった。国境があった。そこを越えてソ連に行ったのが、岡田嘉子なのだが、この名前は出てこなかった。
ともあれ、最果てと言ってよい土地で、人びとがたくましくくらしているという印象で、番組は作ってあった。これはこれで一つの方針だろう。
ところで、稚内はホタテの産地であるとのことだったが、今現在はどうなのだろうか。ちょっと気になったところでもある。
2023年9月17日記
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